ちょっとした世界史のお話
「こりゃァおどろいた」
カップの中の液体を、ずずっとすすりこんだ鉄じいさんは、目をまるくした。
「飲んでしばらくしたら、頭がべらぼうに冴えてきやがる。この感触、俺ァ知ッてるぜ。カイフェの王宮時代に、一度ッきり、飲んだことがある」
「じゃ、じゃあ、やっぱり……」
「間違いねェ。こりゃァ、茶だな」
あ、ひさしぶりに、単語を漢字で認識できた。
『茶』か。
なにを意味するかといえば、もちろんのこと。
ケヤキ茶には、カフェインが含まれているということだ。
やばげなアルカロイドとかじゃなくてよかった。
いやに手が震えたり、冷や汗が出てきたり、わけわかんなくなったりしていた理由が、ようやっと判明した。
カフェイン過敏の僕には、ちょっと刺激が強すぎたというわけだ。
榛美さんや悠太君には、カフェインの覚醒作用が劇的にきいた、ということ。
「驚いたぜ。まさか、ケヤキの葉が茶になるたァなァ」
「全くです。しかもこれ、発酵させてるんですよ。松切り番さん、どうやってこれを思いついたんだろう」
「ふゥむ」
鉄じいさんはあごひげをしごいて、意味深げなうなり声をあげた。
「お茶、お茶かあ……これは、まいったなあ」
は? お茶ぐらい毎日のんでますけど?
社食とか学食では無料ですけど?
なんでこの人こんなに困ってるんですか?
そうお思いの方も多いと思います。
では、お茶のせいで、世界にどれだけややこしいことが起きたのか、一緒に検討していきましょう。
まずは軽いジャブから。
有名な話だけど、お茶っ葉をかためた団茶は、中央アジアで貨幣のように扱われていた。
遊牧民はお茶の(つまりカフェインの)魅力に取りつかれ、貴重な軍馬と引き換えにした。
いつも呑んでいる渋い汁に、すさまじい価値があると気付いた中国は、お茶を国家の専売にした。
ついでに、茶の木の輸出を禁止して、市場を独占した。
さて、お次は少し重たい、世界史のお話。
十八世紀のイギリス人は、どうしてもお茶が飲みたかった。
折しも産業革命のころ、栄光の大英帝国に、『労働基準局』とか『時間外労働』の概念はまだまだ存在しない。
多くの人々は、工場につめこまれ、ろくに休憩もとれず、サービス業の管理職もかくやの長時間労働を強いられた。
そんな彼らにとって、お茶は、素早く補給でき、おまけに覚醒効果もある、すばらしい飲物だった。
もうどうしても茶を呑みたかったので、イギリス人は、ついに中国から茶の木を盗みだした。
はるばるジャワまで運んでいって、植民地の人々をこきつかい、お茶の生産を開始した。
紅茶で有名なアッサムでは、先住民をことごとく追っ払うか殺すか債務奴隷にして、畑の用地を確保した。
かの悪名高き、『アッサム茶開墾条例』だ。
アヘン戦争は、イギリスの対中貿易赤字が原因だけど。
その赤字に、お茶の輸入が大きくかかわっていることは、言うまでもない。
お茶というソフトドラッグで叩いた赤字を、アヘンというハードドラッグで補填する。
もはや狂気の沙汰だ。
プランテーション、モノカルチャー、イギリス東インド会社、ボストンお茶会事件。
ついでに言えば、新世界での、奴隷労働による銀の採掘(と、それがお茶と引き換えに、高速で中国に流れ込んで行った末の大暴騰)。
お茶は、数々の、ものものしい勲章をぶらさげている。
以上、お茶にまつわる、ちょっとした世界史のお話でした。
しかしまあ、実からワックスがとれたり、葉っぱがカフェインを含んでいたり、ケヤキの異世界ぶり、ここに極まれりだ。
もうさすがに打ち止めだろう。
お茶といえば背の低い灌木のイメージだけど、アッサム種は大木になると、ものの本で読んだことはあるけれど。
「この世界でも、お茶は貴重なものですよね」
「あァ、そりゃァな。茶のアガリだけで食ッてる国があるッてなもンさ」
事態は想像以上に深刻だ。
これを世界に解き放てば、どうなるのか分かったもんじゃない。
けれど、うまく運用できれば、給地には、スモークツリーなんて目じゃないぐらいの富が流れ込んでくる。
まったく、鉄じいさんではないけれど、たしかに『ここには全てがある』なあ。
「なんにせよ、問題は月句か」
「あァ、そォいうこッたな」
あの男が領主のままでは、給地を変えることなどできないだろう。
どうにかするとして、僕になにができる?
白神の料理人として、どう戦う?
「康太さん」
榛美さんが、僕の服のすそを、指先でつまんだ。
「うん、どうしたの?」
「やりたいこと、見つけたんですね」
やっぱり榛美さんは、まっすぐだ。
瞳も、言葉も、まっすぐだ。
あの日、榛美さんに、問われたこと。
今ならはっきりと、答えが出せる。
「僕は、この村を救いたい。それが、僕の、やりたいことだったんだ」
シンプルに、まっすぐに。
榛美さんや悠太君や松切り番さんがそうだったように。
あまりにもたやすく、言葉を口にできた。
「そっか」
頬紅が、口紅が、表情を変えるたび、きらきらかがやいて。
身じろぎすると、森の香りがたちあがって。
女神みたいに、絵画みたいに、榛美さんは、ほほえんで。
「わたし、そばにいます。じゃまになるかもしれないけど、役にたたないかもしれないけど……康太さんの、そばにいます」
僕のエゴを、赦してくれた。
ところで僕たちは、なにも気づいていなかった。
領主より、もっとずっと厄介な問題が、西の方からゆっくり迫ってきていることに。
音もなく、静かに、近づいてきていることに。
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石畳が葺かれた切り通しの坂道は、大きく張り出した木々に陽光をさえぎられ、湿っぽく、うすぐらい。
崖の法面から飛び出した草に、なにか、獣の口が伸びた。
獣は枝を食いちぎると、とりたてて美味くもなさそうに、もそもそと咀嚼した。
獣は、足裏の肉趾で石畳をふみながら、のろのろと、というよりは、よたよたと、歩き出した。
音もなく、静かに。
獣。
獣は巨大な齧歯類で、二頭が横に並んでいた。
獣の体には帯が巻かれ、背後の荷車に伸びていた。
荷車。
金泥銀泥、数多の貴石で彩られ、鋳鉄製の紋章を掲げ、ガラス窓まではまっている、豪奢な荷車。
木製のタイヤが小石を噛めば、サスペンションはその衝撃を苦もなく吸収した。
つまりそれは、二頭立てのカピバラ車だった。
「長い旅路じゃの、ミリシア」
窓外の風景を眺めながら、少女が退屈そうな声をあげる。
歳のころは、七歳か、八歳か。
少なくとも、十を越えるようには見えない。
その少女の声は、低く落ち着いた、透明な音。
「もう少しでありますよ、ピスフィ嬢。東にあと一日の旅路です」
少女と向い合せに座るのは、銀髪赤眼の兎人。
「陸路は不便なものじゃ」
「交易路から外れます故、仕方ないことでありましょう」
「うむ。そして、不便な場所にこそ商機あり、じゃ。染料木が失われておったのは痛いことじゃが、ミリシア、主ゃの言葉がたしかであれば――」
歳には不相応と思える鋭い眼光で、少女は兎人を見据える。
動じることなく、兎人は、うなずきを返した。
「間違いなく、我々の――『ピーダーとネイデル、クエリアの合同会社』の目的にかないましょう」
「父さまに与えられた使命は、果たしてみせる。みどもはピーダー家の人間じゃ」
言い切る少女の言葉は、迷いがなく、力強い。
かと思えば、瞳に、年相応のいたずらっぽさが宿る。
「のう、ミリシア」
「なんですかっひゃあ! み、耳を触るのはおやめください!」
「みどもはの、ミリシアの耳をさわっている時こそ、もっともよい考えが浮かぶのじゃ」
声音は相変わらず、冷静そのもの。
表情は、笑いをこらえきれていない。
だというのに、子どもと大人、その二つを、ごく自然に調和させたような振る舞いだった。
「うはっあまがみっ……嬢! それはいたずらが過ぎるというものでありましょう! まったく、御髪が乱れておいでですよ」
「直せ」
「もちろん。どのように結いあげましょう?」
「行きがけにヘカトンケイルで買った帽子がある。あれには、まっすぐじゃな」
「おおせのままに」
兎人が、めのうの櫛を、少女の髪に差しこむ。
宇宙から見た海のような、美しい水色の髪を、ゆっくりと梳いていく。
「嬢の髪は、いつでもなめらかですね」
「新しい髪油を買ったのじゃ。香水もよいものを得た。みどもはいつでも、美しくありたい」
「すばらしいことです。それがピーダー家のありようと言うものでありましょう」
二人をのせたカピバラ車は、ゆっくりと、東を指して進む。
やがて踏鞴家給地につながる、失われた交易路を指して。
第四・五章おしまい。
次章、少々お時間いただきます。
かなり長いエピソードになりそうです。
お待たせしすぎるのもどうかと思うので、閑話というか、本章に入らなそうな料理をつくる、軽い感じの連作短編セクションを投稿予定です。
更新時には、活動報告で告知いたします。




