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【コミカライズ配信中】康太の異世界ごはん  作者: 6k7g/中野在太
第四・五章 踏鞴家給地のいまむかし

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うすもも色の紅を引いて


 榛美さんのとっぴさには、もうずいぶん、慣れたつもりだったけど。

 化粧をほどこせという要求は、さすがに想定していなかった。


「康太さんはなにしろ白神様ですからね! お化粧のひとつやふたつ、ささっとできちゃいますからね!」


 白神にも、できることとできないことがある。

 そのことを説明したかったのだけど、榛美さんは、目をものすごくきらきらさせている。

 ……ここまできたら、やるしかないか。


「え、ええと、それじゃあ香水から――たしか、髪とかうなじとかに塗るはずなんだ」

「おねがいします!」


 僕とまっすぐ向き合ったまま、榛美さんが気合いのはいった声を出す。


「榛美さん、うしろ向いててもらえると助かるんだけど」

「それじゃあ急にさわられて、うひゃあってなるじゃないですか。わたし絶対にうひゃあってなりますからね」


 自信満々に言い切る榛美さん。

 その勢いに負けた。


「わかった。じゃあ、ごめん、ちょっと失礼するね」


 香水を指の腹にとって、榛美さんの体に、腕を回す。

 抱きしめる五センチ手前の距離で、榛美さんの髪にふれる――

 前に、思いとどまった。


「榛美さん、そういえば給地に石鹸ってあったっけ」

「え?」


 目の前でくちはんびらき。

 見たことないし、使ったこともないな、よく考えてみたら。

 適当な灰とケヤキ油で作っておけばよかった。


「髪は洗い流すのが大変だからなあ……」


 ココナッツオイルとかアルガンオイルでオイルトリートメント、みたいな話はよく聞くけれど。

 そしてときどき、そのまま家を出たのか、ものすごくココナッツの香りを漂わせている人がいるけれど。

 オイルトリートメントは、石鹸で洗い落とすのが前提だ。

 放っておけば油はすぐさま酸化して、髪や頭皮にろくでもない影響を与えてしまう。


「それじゃあ、うなじでいいですよ」


 髪の毛をもちあげる榛美さん。

 簡単に言うねえ君。

 髪よりは洗い落としやすいと思うけど。


「じゃあ、ちょっとだけさわるよ」

「おねがいします!」


 そっと、榛美さんのうなじに、手を触れる。


「うひゃあ!?」

「わあごめん!」

「ごめんなさい! びっくりしちゃっただけです! つづけてください!」

「う、うん」


 もう一度触れた指先に、榛美さんの温度を感じる。

 後れ毛のやわらかさを感じる。


「んっく……」


 指をすべらせると、榛美さんが、鼻から小さく、息をもらす。

 瞳をとじてうつむいた榛美さんが、僕の服のすそを、指先できゅっとつまむ。


「はい、できた」

「ふゎ、は、ふぁい……」


 顔をあげた榛美さんは、熱が出たみたいな表情だった。


「どう?」


 その表情をなるべく意識しないように、つとめて冷静に、たずねる。


「あ……これ、森の香りがします」

「うん。松葉の精油をつかったんだ」

「あ、あの、その……」

「僕はこの香りが好きなんだ。かんきつの精油よりもね。榛美さんに、はじめて会った日の香りだから」

「あう……な、なんで分かったんですか」

「榛美さんのことを、考えてたからね」

「ううう……」


 僕も半ばやけくそになってきたのか、ばかみたいなせりふが簡単に口をついて出てきた。

 調子でてきたんじゃない?


「さあ、次は頬紅と口紅だね」


 蒸留酒と水で手をすすぎ、指に残った香水を洗い落とす。

 榛美さんは、胸をぎゅっと押さえて、何度も深呼吸している。


「し、心臓が、破裂しちゃいそうです」


 休んだら正気に戻っちゃいそうなので、勢いでどんどん行こう。

 これまで知り合った女性が、どんな感じにチークを入れていたのか、思い出してみる。

 なんとなく、卵っぽいかたちだった気がする。


「こんな感じかな」

「うひゃあっ!?」

「わああごめん!」


 さっきとまったく同じやりとりをへて、今度は指の腹で、榛美さんの頬に、手をのばす。

 榛美さんが、ちょっと身を引いた。


「あ、あの、わ、わたし、その、台所があつくて、その、一日、蒸し暑くて……」


 おどおどと、小さな声でいう榛美さん。

 あのとき、髪をなでられなかった記憶が。

 ひとりで勝手に傷ついて、理由を聞くことすらしなかった記憶が、よみがえる。

 さあ、今度こそ、笑い話にしてみせるんだ。


「どれどれ、ちょっとたしかめてみるね」

「ふひゃあ」


 榛美さんのほっぺをつまんで、左右にかるくひっぱってみる。


「な、なにするんですか!」

「うん、大丈夫。すみからすみまでさらさらだよ」

「ほんとですか?」

「もちろん」

「よかったあ……べたべたしてたら、康太さんがいやがるだろうなあって、こわかったんです」


 胸をなでおろす榛美さん。

 うん。

 これでよかったんだ。

 たったこれだけのことで、安心させてあげられたんだ。

 

「じゃあ、続きをやってくね」

「はい!」

「力をぬいて、うん、そう」

「ふぁい」


 頬骨のあたりに、うすく、頬紅をぬって。

 卵を横にたおしたようなかたちに、耳の横、髪の生えぎわまで、はたくように、のばしていく。

 うすもも色の頬紅を、ごくごくわずか、肌にのせる。

 

「できあがり」


 手をはなして、榛美さんの顔を、少し遠くから見てみる。


「ど、どうですか……?」


 すきとおるようなエルフの膚に、そっとのせたチーク。

 さんごを磨いた貴石みたいな、その美しさ。

 僕は、言葉をうしなってしまった。


「康太さん? どうしたんですか? あの、なにか言ってください」

「……きれいだ」

「ふわあああっ!?」


 思わず口からもれた一言に、榛美さんが過剰反応した。


「うわごめん、ちがっ、いや、ちがわなくていいんだった! わー僕なに言ってんだ! ばかじゃないかほんとに!」


 頭を抱えてしまう。

 なんなんだ、これ。

 僕ってこういう人間だったっけ。

 もっとこう、口を開けばどうしようもない皮肉と冗談ばっかり飛び出してくる、そういう性格じゃなかったっけ。

 もう自分が崩壊しそうだ。


「こ、康太さん。わたし、きれいなんですか?」

「うん。きれいだ。きれいすぎてもう、なんか、わかんない……」


 ばかすぎるうめき声をあげながら、榛美さんの顔を、まともに見られない。


「口紅も、おねがいします」

「ああ、はい、うん、そう、そうだね、口紅もだよね」


 おそるおそる顔をあげて、また、うひゃってなった。

 だめだ、この世のものとは思えない。

 とんでもないものを、この世界に解きはなってしまった。

 エルフがお化粧したら、それはまあ、こうなるよね。


 深呼吸ひとつ、手洗いひとつ、いよいよ、口紅だ。

 指の腹に紅をとる、その手が、ぶるぶる震えている。

 冷や汗が出てきて、全身が不安と焦燥に包まれている。

 最近こんなんばっかりだな、僕。


「よ、よし。いくよ、榛美さん」

「はい」


 くちびるに、触れる。

 くらくらするような、やわらかさとあたたかさ。


「んっ……」


 榛美さんの鼻息が、手の甲に触れて。

 僕の体は、感電したかのよう。


 くちびるに、べにをのせていく。

 目を閉じた榛美さんが、みじろぎする。

 あまりにも速すぎる僕の鼓動は、耳の奥でじんじんと響いている。

 息が、うまく吸えない。


「ごめっ、は、榛美さん、ちから、ぬいて」


 口からはきれぎれの言葉しか出てこなくて。

 榛美さんのくちびるが、指の下でかたちを変える、その感触で、全身が繰り返し、しびれる。


「んんっ」


 榛美さんが、のどを鳴らして甘くうなる。

 頭がどうかしそうだ。

 脳が焼け落ちて、体が燃え尽きそうだ。


「……おしまい」


 ようやく口紅をのせおえた時、僕は三年分ぐらい疲れていた。


「あ、ありがとう、ございます」


 榛美さんの熱っぽい声が、耳の奥で、つむじ風みたいにぐるぐると回る。


「あの、その、なんだか……康太さんにさわられたところが、あったかくて。まぶたが、むずむずするみたいに気持ちよくて……わたし、おかしいみたいです。

 あのっ、こ、康太さんに、もっと、さわってほしいって、思ってうひゃあ!」


 またも鳴り響く、ぱちーんという景気のいい音。


「こ、康太さん?」

「ああ、いや、これはほらその、僕の故郷に伝わるなんかでなんかが大丈夫になるやつだから」


 榛美さんのくちびるに触れるのは、なにもはじめてじゃない。

 たしかにあの時は、おたがい、べろべろに酔っぱらっていた。

 おまけに榛美さんは、自分がなにをしているのか、ぜんぜん理解していなかった。

 とはいえ、だ。

 今回は、頭がどうにかなっちゃうんじゃないかと思った。

 まったく冷静でいられない。

 よし、もう一発いっとこ。


「うわあまた! また康太さんが自分の顔を! 今度は左を!」


 よし、落ち着いた。

 趣旨はそういうんじゃないからね。

 なんならもう数発いく準備あるからね、こっちには。


 きゅうりのように冷静になったので、できを確認。


「ど、どうですか?」


 うるおいと、うすもも色が乗った、うすい唇。

 チークとあいまって、ほんのり上気したような、その表情。

 名画のような……という、くたくたに使い古された例えしか思いつかない。

 

「あのね、榛美さん。冗談だと思ってほしくないんだけど」

「は、はい!」

「僕が見たものの中で、いっとうに、きれいだ」


 榛美さんは、はたと、息をのんでから。


「はい……ありがとうございます」


 涙まじりの瞳で、にっこりとほほえんだ。

 よかった、榛美さんが、よろこんでくれた。

 思った以上に大変だったけど、やってよかった。


「落とすときは、ぬるま湯でしっかりすすいでね。はだが荒れちゃうから」

「え? 落とすって? これ、落としちゃうんですか?」

「うん、落とさないと」

「やだ!」

「うわ、すごいまっすぐだな」

「いやです! ぜったいに落としません! やだやだ!」


 ひっくりかえって、四肢をばたつかせる榛美さん。

 すごい、こんな絵にかいたもちみたいなだだのこね方、うまれてはじめて見た。


「また塗ってあげるから」

「ほんとですか!?」


 そしてこの変わり身の早さよ。


「だったらすぐ落とします! まっててくださいね、いま落としてきますからね!」

「ええと榛美さん、お化粧品は無限にあるわけじゃないからね。

 もう松の葉は取れないし、ベンガラだって、そう何度もわけてもらうわけにはいかないよ」

「ええー……?」


 見るからにしゅんとする榛美さん。

 こういうとこ、ずるいと思います。


「わかりました。だいじに使います」

「うん。そうしてもらえるとうれしいな」

「えへへ……はい! だいじにします! いっぱい、だいじにしますね! わあ、なんだろ、なんかすごい……げんきになってきました!」


 鼻をふんふんならしながら、いきなり客間をうろつきまわる榛美さん。

 テンションあがった犬みたい。


「あはは、どうしよう! 心臓がどきどきして、頭がすごくすっきりしてます! お化粧ってすごいんですね!」

「そうだねえ」


 いや、ちょっとこれ、よろこびとは違う雰囲気があるぞ。

 あと、さっきから僕の冷や汗がとめどない。


「……まさか」

「あれ? 康太さん、どうしたんですか?」


 まさかとは思うけれど。

 僕の冷や汗と焦燥。

 悠太君の、めずらしいテンションの上がりかた。

 榛美さんのはしゃぎよう。


 これらの点を結ぶものが、一つある。


「榛美さん、ちょっと鉄じいさんのところに行ってくる。たしかめたいことがあるんだ」

「わたしもいっていいですか?」


 むじゃきに訊ねてくる榛美さんがあまりにもかわいいので、いきなり危機感がふっとぶ。


「うん、一緒にいこうか」


 いや、これは、危機感をもってことにあたらなければ。

 ことによっては、給地どころか、カイフェどころか、世界全体を揺りうごかすぞ。

 松切り番さん、とんでもないことをしてくれましたね。

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