三年目の誕生日
「はー、つかれた……夏場はことのほかつかれますね、康太さん」
おおにぎわいの夕食を終え、だらだら居残っていた人たちも帰途につき。
夜もとっぷり更けて、あとかたづけが終わったところ。
客間にすわりこんだ榛美さんは、両足をのばして天をあおぎ、大きいためいきをついた。
「おつかれさま、榛美さん」
手に取ったカップを、榛美さんのほっぺにあてる。
「わひゃっ、つめたい! あはは、思ったよりつめたかった! なにするんですか、もう!」
榛美さんは、わらいながらカップを受け取り、中を覗いて。
「わあ、氷だ! 氷ですねこれ! どこからもってたんですか?」
「冬の宮だよ」
「あ、あー……そっか! そういう使い方ができるんですね! そっかそっか!」
思いついてなかったのか。
ほんとに寒いのがきらいなんだなあ。
「今日は蒸留酒のケヤキ茶割りだよ」
「ケヤキ茶って、あのおいしいやつをつくってくれた人がつくったやつですよね?」
「うん、おいしいやつをつくってくれた人がつくったやつ。じゃあ、今日も一日、おつかれさまでした」
かんぱい!
「つめたっ! おもったよりつめたい!」
「ゆっくり飲もうね」
「ご、ごめんなさい……うん、ちょっとしぶくて、すっぱくて、なんだか、元気が出そうな味です。おいしいです」
ああ、これはおいしい。
緑茶割りほどしみじみ来るわけじゃないけど、ちびちびだらだらと、いつまでも飲んでいたい味だ。
冬場はホットにしてもいいなあ。
「そういえば、今日はなにもつくりませんでしたね」
「あ、ごめん。そうだったね。今からでも余り物でなにかつくろっか」
「あわわわ! ち、ちがいます! ごめんなさい、そういうつもりじゃなくて……」
立ち上がりかけた僕の服のすそをつまんで、榛美さん、わたわたしてる。
「ううー、いつも言い方をまちがえます……あ、あの、そうじゃなくて、なんだか康太さん、いつもと感じがちがうなあって」
あれ、一瞬でばれてる。
一通り落ち着いてからプレゼントしようと思ったんだけどな。
そわそわしてるのを見抜かれてたか。
「あー、まあ、そうだね。ちょっと感じはちがうかも」
しまった。
ことここに至って、スマートな切り出し方が、ぜんぜん思いつかない。
よく考えてみたら、男が女性に化粧品を贈るのって、ものすごく薄気味悪いことなんじゃないだろうか。
おまけに手作りコスメ。
うわ、どうしよう、ぜんぜん考えがおよんでなかった。
気持ち悪いと思われるのは、非常につらい。
榛美さんが、口をはんびらきにして、心配そうにこっちを見ている。
視線がいたいよ榛美さん。
今すぐ逃げ出したいよ榛美さん。
「あ、あの……わたし、また、なにかしちゃいましたか?」
「え? いや、どうしてそう思うの?」
「だ、だってわたし、いつも康太さんに迷惑ばっかりかけてて……言いたいこともうまく言葉にできないし、ユウにいつもそれで怒られて……鉄じいさんも、わたしのせいで、早く帰ることになっちゃって、あ、でも、それは康太さんのためにはよかったんですけど、やっぱりよくなくて……ううー! わたし、なに言ってるんだろ……」
頭からゆげを出しそうになりながら、榛美さん、ものすごい早口になってる。
ああ、もう、ばかだな僕は。
いつになったら成長するんだ。
今年で二十七なんだぞ。
数少ない友人はだいたい結婚して、僕とぜんぜん遊んでくれなくなったんだぞ。
「あのね、榛美さん。小麦を買ってきてくれたこと、僕はすごくうれしかったんだよ。本当にうれしかったんだ。
だから、その、お返し……ってわけじゃないんだけど、ええと、つまり、なんていうか、僕も榛美さんに喜んでもらいたくて。ほら、ごはんとかお酒はその、僕が楽しくて作ってるし、まあ得意分野だから。そういうのじゃなくてさ、なんていうかこう、その……どうしたら喜んでくれるだろうって、考え、たんだ、けど、まあ、その」
あれ、なんだこれ、なにが言いたいのか本当にぜんぜんわからない。
榛美さん、口を全びらきにしちゃってるぞ。
いつもみたいにへらへらしろよ、僕。
「そのつまりほら、あらたまってお返しってわけじゃないんだけど、榛美さんにはお世話になってるし――いやいや、そうじゃないな。そういうやつじゃなくて、お世話になってるとかお返しとかじゃないんだけど」
「あははっ!」
わちゃわちゃしていると、榛美さんが、ふいに、わらった。
「康太さん、どうしたんですか? わたしみたいになっちゃってますよ」
一方が取り乱すと、もう一方がすごく冷静になるパターンだこれ。
映画とか見ていても、同行者に先に泣かれるとこっちもうぜんぜん泣けないよね。
いやそれはどうでもよくて、とりあえず深呼吸だ。
「うん、つまりその、榛美さんのために、お化粧品をつくってきたんだ」
そういって、エプロンのポケットから、三つの小びんを取り出す。
この、ばかみたいな直球に対して、榛美さんはといえば。
「わ、え、あ……? わ、わたし、え、お、お、お化粧……?」
口を全びらきにしたまま、いきなり硬直してから。
「ぶぇっ……」
下くちびるをぷるぷるさせて。
「うぇえええええ……」
ものすごい勢いで泣き出した。
「ええっ!? ご、ごめん! そんなに気持ち悪かった!? ごめん、すぐ燃やすから!」
「ち、ちがっ、まってください!」
「ぐぇあ!」
この「ぐぇあ!」が、なんの「ぐぇあ!」かと言えば。
小瓶をかまどにくべようと走り出した僕に、榛美さんがキレのいい胴タックルをしかけてきて。
ぶっ倒れた僕のみぞおちに、小瓶の先端が突き刺さったときの「ぐぇあ!」だ。
あいかわらず腰の入ったいいタックルだよ榛美さん。
カレリンかと思ったよ榛美さん。
一緒にオリンピック目指そうか榛美さん。
「ごめんなさい、なんかびっくりしちゃって! いま泣きやみました! すぐ泣きやみましたから!」
「そ、そっか。ごめん、僕こそ取り乱しちゃって」
「ほんとですよ! いつも落ち着いてるのに、どうしてわたわたするんですか! ひどくなじられるのかと思いました!」
「え、そんなに榛美さんをなじったことあったっけ」
「ないですよ! ないからこわかったんです!」
ひっついたまま、わーわーとわめきあうこと、ひとしきり。
ようやく二人とも落ち着きをとりもどし、あらためて向かい合う。
「ええと、ごめん、気持ち悪かったら捨ててくれていいんだけど、まずこの小瓶が口紅だよ」
「くち……べに……?」
「それからこっちが、頬紅」
「ほお……べに……?」
「最後にこれが香水」
「こう……すい……?」
まったく理解が追いついていないのか、口はんびらきっぱなしの榛美さんに向かって、ひとつひとつ中身を説明する。
「あの、その、ごめんなさい、わたし、よく分からないんですけど、つまりその……康太さんが、わたしのために、お化粧品をつくってくれたんですか?」
榛美さんの、あまりにも不思議そうな視線で、胃がいたい。
シンプルに生きるって、すごく難易度が高いな。
喜んでもらえるかどうか分からないっていうのが、こんなに不安だなんて。
「あの、ほんと、嫌だったら、すぐに捨てるから」
なんていうか。
三年目の誕生日、みたいなたとえだったら、わかりやすいだろうか。
お互いの存在にすっかり慣れっこになっていて、
『誕生日プレゼントどうする? なにほしい?』
『あれほしい。PS4で録画できるやつ』
『わかった。楽しみにしててね』
みたいなやりとりを交わす、あの時。
押しつけがましくないのは、いいことだと思う。
だけど、どきどきはしない。
僕はいつ、誰に対しても、三年目の誕生日みたいな気持ちでいたんだと思う。
それはすごく楽なことだし、けっして否定はできないけれどーー
「いやなわけないじゃないですか!」
榛美さんが、僕にぐいっと迫ってきて。
「わ、わたし、わたし……ああ、もう、また泣いちゃいます! また泣きます! はやく頭なでてくださいああもう間に合わなぅううううう……!」
僕の胸に額をあてて、大きな声で泣いて。
「うれしいよぉ……康太さん、うれしくて、わたし、もう、わけわかんないです……」
なにを贈ったらよろこんでくれるのか、真剣に考えて。
それを、こんな風によろこんでもらえて。
いま、胸を満たすこのあたたかさを、かけがえのないものだと思う。
「あ、あの、つけてみてもいいですか?」
「うん。僕も見てみたいな、お化粧した榛美さん」
「はい! あ……」
元気よく返事した榛美さんは、小瓶を前に硬直した。
「どうしたの?」
「つ、つけかた、わかんないです」
……僕は、救いようのない、うすのろだ。
鏡すら、うすめのお皿に水を張っただけ、みたいな給地に、コスメの概念なんてあるわけがない。
「あ、こ、康太さん! そんなに落ち込まないでください! あのそのほら! 康太さんがつけてくれたらいいんですよ!」
「え、ぼ、僕が?」
なんだその提案。




