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【コミカライズ配信中】康太の異世界ごはん  作者: 6k7g/中野在太
第四・五章 踏鞴家給地のいまむかし

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松葉とベンガラ

 雨期の、ぼんやりとうすぐもりの朝。

 沼のほとりに、呆れかえる鉄じいさんと、僕がいる。


 なんで鉄じいさんが呆れかえっているのかといえば、一目瞭然。

 僕が、松葉でぱんぱんになった葛袋をかかえているからだ。


「なンだてめェ。なにしにきやがッた」


 警戒心もあらわに、鉄じいさん。


「こないだ取ってきたんです」

「いや、松のことは見りゃァ分かるがよ。

 そンなもン、どォするッてンだ?」

「精油を取ろうかと思って。それと、少し炭をわけてもらえませんか?」


 鉄じいさんは、あごひげをしごき、ためいきをついた。


「讃歌のガキが言ィやがる、『ダメな時の顔』ッてェのはこれか。

 いィ、いィ、かまわねェ。好きにしやがれ」

「あ、しまった、ケヤキ油忘れてきちゃったな……」

「好きにしろッてンだろォが。なンでも勝手に使いやがれ」

「ありがとうございます。ケヤキ油、ちょっとお借りしますね」


 料理に使わないということで、これまでノータッチだった、ケヤキ油。

 実は、へんてこな特性を持っている。


 ほうろう引きのつぼをあけると、その中には、黄色みがかった、クリームっぽいなにか。

 そう、ケヤキ油は、常温で固形化する、つまりあぶらなのだ。


 料理につかわないというから、何か怪しげな成分でも含んでいるのかとおもって、以前パッチテストをしてみたことがある。

 頬とくちびる、または下唇のすぐ下あたりに塗ってみたり、ちょっと食べてみたり。

 結果としてはなんの問題もなし。

 べつだんヤニっぽさも感じない。

 人体には消化できない、いわゆるワックスなのだとおもわれる。

 というのが、いろいろ試してえられた結論。 

 

 大量に食べなければ問題ないとはいえ、今回の目的にはちょっと不安。

 まずは濾過からはじめよう。

 砕いた木炭を風選し、目の細かい葛布でつつむ。

 ケヤキ油をあたためて、液体化したら、葛布でこす。

 手順は以上だ。

 木炭にはすごく細かい穴がたくさんあり、ここに不純物がひっかかってくれる。


「鉄じいさん、少しだけ酸化鉄ベンガラ分けてくれませんか?」

「あァ、勝手に使いやがれ」


 溶けたケヤキ油に、ベンガラの粉を、ほんのちょっとだけ入れる。

 ものすごくほんのちょっとだけね。

 空気が入らないよう、丹念にかきまぜて、ベンガラをすみずみまで行き渡らせる。


 ここに、これも濾過したなたね油を注いで、できあがりの硬さを調整する。

 ひとまず、できあがり。


「……食いもンじゃァねェよな?」


 かたまりはじめた油に、うさんくさげな目線を向けながら、鉄じいさん。


「そうですね。今回は食べ物じゃありません」

「ふゥむ……なるほどな、頬紅か」

「わかります?」


 はやくも正解発表、いま作ったのは、頬紅チークだ。


「あァ、そういうことか」

「そういうことです」


 手の甲にはたいて、色味をたしかめる。

 うん、いい具合で、うすもも色。

 クリームチークのできあがり。


「頬紅だけか?」

「ああ……そっか、たしかにそうですね。ありがとうございます」


 鉄じいさんからアドバイスをいただいた。

 なるほど、チークだけだとバランスがとれないかもしれない。

 というわけで、ささっと口紅もつくろう。

 なんのことはない、とかしたケヤキ油に、ベンガラをまぜるだけ。

 チークより固くていいので、なたね油は足さない。

 ベンガラの量を調整して、チークよりわずか濃い桃色にしたてる。


 さて、次にいこうか。


「蒸留器、お借りしますね」

「おゥ。手伝うぜ」

「助かります」



 鍋にたっぷりの水をはり、その上に、笹編みのざるをのせる。

 ざるの上に、松葉をたっぷり積み上げたら、蒸留器をかぶせる。

 あとは、とろ火でじっくり加熱だ。

 これは植物から精油を得るための一般的な方法、水蒸気蒸留。

 今回は、松から精油を抽出する。


「松やにじゃァねェのか?」


 火打ち石をかんかんやりながら、鉄じいさん。

 松やにを蒸留して得られるテレピン油は、古式ゆかしい溶剤だ。

 あれば色々はかどるだろうけれど、今回の目的にはそぐわない。

 においがえげつない上、肌への刺激もつよいからね。


「今日とりたいのは、葉の精油なんです。僕の世界では、パインニードルオイルなんて呼ばれてました」

「ふゥむ。それも頬紅みてェに使うッてェのか?」

「そんなところです」


 蒸留は、最初の一滴が落ちてくるまで、とにかくひまだ。

 自然、鉄じいさんとふたり、だまって蒸留器をみつめることになる。


「精油なァ」

「精油です」

「なんでまた」

「榛美さんに喜んでもらいたいから。それだけです」


 前日までの雨をたっぷり抱え込んだ森は、水と木のにおい。

 なんとなく空を見上げれば、ぼんやりとしたうすぐもり。

 鉄じいさんの視線を、横顔に感じる。

 鉄色の瞳が、物問いたげに、こっちを見ている。


「鉄じいさん、どうでもいい話していいですか?」

「あァ」

「そのー……なんていうか。髪をなでようとしたら、いやがられることがあって。

 ああ、ええと、榛美さんのことじゃないんですけど」

「昔の女か」

「はい。そうなんです。どうしてだろうって、ずっと不思議だったし、ちょっと悲しい気持ちになりました。

 でも、その子と別れてずっと後、どうでもいいきっかけで、ふっと気づいたんです。

 そういえば、寝起きだとか、丸一日あそんだあとだとか、嫌がるのってそういう時だったなって」

「それで?」

「たぶん、なんですけど。

 その子は、自分の髪が、もしかしたらべたべたしてるんじゃないかって、こわかったんだと思います。僕にがっかりされるのが、いやだったんだと思うんです」


 鉄じいさんはまゆをひそめた。


「ドワーフにゃァわからねェ考えだ」

「僕にもわからない考え方ですよ。その程度のことで、嫌いになんかなるわけないのに。でも問題はそこじゃないんです。

 ちょっと悲しい気持ちになるだけで、僕は、その先のことを想像できませんでした。単に気まぐれを起こしたのか、それとも僕のことがそんなに好きじゃないのか。そんな風にしか、考えられなかったんです」


 いまでも、思い出すたびに、情けなくて申し訳ない気分になる。


「たった一言、『どうして?』の一言で、あとあと、笑い話になったかもしれません。だけど僕にはそれができなかったんです」


 鉄じいさんは、座りなおしてあごひげをしごき、ちいさくうなった。

 

「後悔ッてなァ、しようと思えばいくらでもできちまう。それがあろォがなかろォが結果は何も変わらなかッたって、頭じゃァ分かッてンだがなァ……

 生きれば生きただけ、後悔ばっかり降り積もッて、根雪みてェにいつまで経ッても溶け残るもンさ」


 百年分の孤独におしつぶされそうな表情で、鉄じいさんはためいきをつく。

 惨劇の記憶をかかえこみながら、たったひとりでここに生きるということが、どれほどのことか。

 想像すらできないけれど。

 だけど、気になることがあった。


「今もここにいるのは、本当に、罪ほろぼしのためなんですか?」

「……あァ、そォさ。手前ェをいじめて、なにかした気になってる、それだけのことさ」

「でも、悠太君に言ってましたよね。『ここには全てがある』って。それに、ここのことを話す鉄じいさんの顔は、なんていうか……やさしいものでした」

「へッ。青二才が言いやがるもンだな」


 鉄じいさんは、頭をばりばりかいて、しばらくのあいだ、考え込むように言葉を切った。


「長く生きてりゃァ、心変わりの一つや二つあるもンさ。そンときゃ死ぬかと思ッたような傷だって、いつの間にやらふさがッちまう。

 俺ァな、手前ェがもう一度、領主館に足を向けられるなンざ、思ッてもみなかった。でもな、榛美が、てめェを追いかけて走り出した時――なんのこともねェ、気づいたら孫を抱えて、息子を睨ンでる手前ェに気付いたンだ。

 そりゃァ、なンの罪滅ぼしでもありえねェ。けどな、てめェらに、俺がしでかしちまッたことを、俺の恥を、知られてもかまわねェと思えるぐらいにゃァ、気が楽になッた。

 手前勝手な話だけどな」

「おかげさまで、生きたまま皮をはがされずにすみましたよ。ありがとうございます」

「そりゃ何よりだ」


 鉄じいさんと僕は、そろって苦笑した。


「そういう後悔は、仕方ないものだと思っていました。というより、ただ単に開き直っていたんだと思います。どの道、他人の気持ちなんか本当には理解できないから。

 だけど……榛美さんって、すごくまっすぐですよね」

「隠しごとのできねェ性質タチだからなァ、あいつは」

「悠太君も、僕に怒ってくれた。松切り番さんだってそうです」


 立ち上がって、カップをのぞきこむ。

 最初のひとしずくが跳ねて、森の香りが咲く。

 この世界にはじめて来たとき、深い森の中でかいだ香り。

 今ではすっかり、僕のからだになじんだ香り。


「だから僕も、そうしようって決めたんです。別のかたちで、いろんな後悔を抱え込むことになるんだとしても。

 少しだけ、シンプルに生きてみようかなって」



 カップいっぱいに蒸留水がとれたら、土間でもう一仕事。

 目のこまかい葛布で、蒸留水をこす。

 こした布に残っている、琥珀色の液体が松葉の精油、パインニードルオイルだ。

 先に流れた液体は、いわゆるフローラルウォーター。

 パインニードルのフローラルウォーターは、咳止めに使えるよ。


 さてさて、またもケヤキ油をあたため、溶けたらここに、パインニードルオイルを数滴たらす。

 しっかりかきまぜて、ふたたび固まったら、練り香水のできあがり。

 精油は放っておくとどんどん揮発するので、密閉性のたかい容器に入れよう。


「できたか」


 土間から出ると、どぶろくの杯を傾けていた鉄じいさんが顔をあげた。


「はい。あ、これ、容器ありがとうございます」


 鉄じいさんにほうろう引きの小瓶をいただいて、そこに練り香水をつめたのだ。


「あァ、かまわねェさ。俺にゃァ用のねェもンだからな」

「でも、すごくていねいな作りですね。どこかで買ってきたんですか?」

「俺が作ッた」


 そっぽをむいた、ぶっきらぼうな物言い。

 それで、ぴんときた。


「もしかして、思い出があるものなんですか?」

「てめェ、そういうところは気づくのかよ」

「客商売ですから」


 鉄じいさんは苦笑して、鉄色の瞳をほそめた。


「カミさん……火稟かりんのもンだ。火稟は、花だのなんだのから魔述で精油を集めて、香水を作るのが好きだッたからなァ。火稟のために、ほうろう引きの小瓶をいくつもこしらえたのさ。

 なンにせよ、今となっちゃァ無用の長物だ。使ってもらった方が、火稟も喜ぶだろうよ」


 そう言われて、手にした小瓶を、まじまじとながめてみる。

 なんの細工もほどこされていない、そっけない外見。

 首が細い瓶に、棒状の、さしこみ蓋。

 それがぴったりとかみ合って、密閉性は抜群だ。

 素焼きの土器をていねいに仕上げるというのは、神経をつかう、難しい作業だろう。


 鉄じいさんがどれほど火稟さんを愛していたのか、それが伝わるような気がした。

 鉄色の瞳にやどっているのは、少しのさみしさと、たくさんのあたたかさ。 


「ありがとうございます」

「ちゃンと、声を聞けよ。俺にゃァできなかッたことだ、えらそォに言えるもンでもねェけどな」

「はい」


 頭を下げて、鉄じいさんの家をあとにする。

 盤根のはびこる坂道をくだって、榛美さんの家をめざす。


 声を聞こう。

 耳と心をそばだてて、音のない声を、ちゃんと、聞こう。


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