新人教育の際に留意する点
8/6更新 1/5
「踏鞴様の手下じゃねえか、見たことあるぞ。あんた、こんなところでなにしてんだよ」
なんてこった。
ジャストインタイムなインターセプトをかけてきたのは、悠太君だった。
これはまずいぞ。
「のらくろだ!」
がばーっと立ち上がる松切り番さん。
「のらくろがきやがった! てめえこそ、のらくろのくせに穀斗の家に何の用がありやがる! そうよ、てめえ! 松切り番は、てめえにてめえの背中をおがませてやる!」
「は? なんだそれ? 笑えるな。いきなり面白いこと言ってんじゃねえよ」
まずい、すごくまずい。
悠太君の分の唐揚げを用意していない。
お酒のまないからな悠太君。
その分食べるからな悠太君。
「ごめんちょっと待ってて。すぐ悠太君の分つくるから」
悠太君は、目をまんまるくして。
視線で、僕と松切り番さんと唐揚げをそれぞれ頂点とした三角形をつくってから。
「……ああ。そういうことか。じゃあしょうがねえ」
ためいきまじりに苦笑した。
「おい、商人! なにを言ってやがるのよ! こいつはのらくろだ、盗人だ、村の盗人よ! そうよ、松切り番は知っているのよ! のらくろがどれだけ性悪なのか、よおく知っているのよ! のらくろに優しくする義理はねえ!」
「ええと、胸肉は使い切っちゃったんだよなあ。じゃあもも肉かあ。しょうがないよねえ、使い切っちゃったんだもんねえ」
ももの唐揚げですよ。
想像しただけでえびす顔になってくる。
松切り番さん、おいしさに腰抜かすんじゃないかな。
「おい、商人! 聞いているのかよ!」
「あー。あのさ、松切り番、さん? でいいの? あんたの名前はしらねえけどさ」
「なんだ! のらくろが、松切り番に何の用だよ!」
「こいつに料理つくらせたろ」
「そうよ、これは商人が、松切り番といっしょに食べるためにつくったものよ! のらくろに食わせる義理はねえ!」
机をたたきながら、どなりちらす松切り番さんに対して。
悠太君は、なんだか悟りきったような、かわいた笑みを浮かべている。
「あきらめろ。もう手遅れだ」
「ああ? 手遅れ? なにが手遅れよ! ばかにしやがる! のらくろがまた松切り番をばかにしやがるのよ!」
「松切り番さん!」
「どわあ!」
「あ、すみません」
名案を思いついていきおいよく立ち上がったら、松切り番さんがひっくりかえってしまった。
「骨付きの唐揚げをつくりますよ! 松切り番さん、ちょっと手伝ってください!」
「は、あ、ああ? 手伝う?」
「はい! 手伝うことでおぼえることって、たくさんあるんですよ。唐揚げの秘訣をお教えもできますからね」
「あ、え……い、いや、待て、待て、そうじゃねえ! 松切り番は、のらくろと一緒に食べる気などねえのよ! まして作るだなんか、松切り番に義理はねえ!」
「いいからいいから。それはいいですもう。悠太君ごめんね、ちょっと待っててくれる? 教えながら作るんで、いつもより時間がかかっちゃいそう」
「ああ、気にすんなよ。今日はオレがひどい目にあうわけじゃねえし」
「お、おい、商人……!」
松切り番さんの腕をつかんで、台所にひきずりこむ。
ももの唐揚げですよ。
これで水割りのんだらどうなっちゃうか、もうわかったもんじゃないからな!
「手順はそんなにむずかしくありません。どう油の温度を保つのか、いつ油から引き上げるのか。注意すべきはそこですね」
ぶったぎったもも肉をつけだれの中でもみながら、さっそくレクチャー開始。
「け、けど松切り番は、のらくろのために作らなくちゃいけねえのかよ?」
なおも渋る松切り番さん。
よほどひどく、棒で突き回されたのだろう。
踏鞴家給地の安定した環境をまもるために必要なのは、よけいな邪魔者を、とにかく素早く全力でおっぱらうことだろう。
松切り番さんがこっぴどくたたきのめされたのは、それが給地を守るために必要だったから。
もしも僕が白神でなかったら、ということを、つい考えてしまう。
もし僕が単なる料理好きの旅人だったら、この村にこれほど早く受け入れてもらえただろうか。
やっぱり、僕は、松切り番さんを救いたい。
そのための第一歩として、料理をおぼえてもらおう。
さてさて、新人教育ってどうやったもんだったっけ。
まあ、まずは榛美さん方式でいってみようか。
「あのね、松切り番さん。気にくわない誰かのために料理をつくるというのは、それはそれでいいものですよ」
松切り番さんは、きょとんとした。
「どういうことよ? それは、松切り番にはわからねえ」
「気にくわないそいつを黙らせるのに、ぶっとばしたり、ののしったりしなくてもいいんですからね。
それにね、料理を作っているうちに、結局は考えてしまうんです。この人は、どんな料理が好きだろうか。どんな味付けが好きだろうか。どんな温度が好きだろうか。
いちど考えはじめてしまったら、もう相手のことを憎みつづけるなんて無理です。ただ、おいしいと思ってもらいたい。そのために、相手のことを理解したい。
そういう風に、思っちゃうんですよ」
僕がしゃべり終えてからしばらくの間、松切り番さんは、なにかを真剣に考え込んでいた。
「それは、穀斗の言い方とは、ぜんぜんちげえ」
ほう、そうなのか。
「穀斗が言っていたのは、そういうことじゃねえ。みんなが仲良くて、いっしょに食べたらたのしくて、だからそのために作るんだって言っていた。
気にくわねえやつに作るんじゃねえ。そうよ、いっしょに食べてたのしいやつのために、作るのよ。穀斗は、そう言っていた」
ふうむ、なるほど、そういう考え方か。
現代日本の郊外都市で居酒屋をやっていた僕とは、だいぶちがう。
でも、そういう考えから、あのいつもの鍋が生まれるのは、少しわかる気がするな。
どんな収穫も仲良くみんなで分け合う、それがいつもの鍋の思想だ。
穀斗さんがそうしたのか、その環境が穀斗さんにそう思わせたのかは、まだ分からないけれど。
「穀斗さんの言い分が、やっぱりただしいとおもいますか?」
「ああ、そう思う。松切り番は、どうしたって、穀斗の言っていることがいいことだと思う。でも……そうよ、松切り番には、商人の言うことも、いいことに聞こえるのよ。なあ、商人。商人と穀斗、どっちの言っていることが、本当にいいことなんだ?」
これはたぶん、環境のちがいから生まれる思想のちがいであって、いいもわるいもない。
「それは、松切り番さんが決めましょう。悠太君に料理をつくって、食べてもらえて、それでもやっぱり、ぴんと来ない。もしそうだったら、穀斗さんの言っていることが、いいことなんですよ」
だから、こっちが勝手に判断を下せる問題じゃない。
「……でも、松切り番は、まちがえるかもしれねえ。いつもまちがえる。いつもたたかれる。だから、松切り番は、まちがえるのがこわい」
それはちがう。
たたきのめしてもかまわない人間をつかまえて。
ささいでくだらない理由から、どんなことでも、むりやり間違いにして。
そんな風にして他人の尊厳をむしりとっていく人間は、いくらでもいる。
僕の身近にも、そういう人間がいた。
だめだ。
心がずきずきしている。
冷や汗がながれて、手がふるえて。
心臓がばくばく鳴って、なにもないのに不安になって。
新人教育の場面でチューターがテンパってどうするんだ。
経営者たるもの、いついかなるときでも根拠のない自信にあふれていろよ。
「今この場で、なにかまちがったからって、松切り番さんを怒る人はいませんよ。そんなばかな奴がもしいたら、僕が松切り番さんをまもります。
だから、まずはやってみましょう。話はそれからです」
とにかく作業にもっていかせる。
自分の心の問題は自分でしか解決できないし、そのために必要なのは、言葉じゃなく実践と成功体験だ。
そして、チューターがすべきは、実践と成功体験のための環境づくり。
どんなに自信がなくたって、まもると言いきる。
手順を教え、できたらほめて、できなかったらいっしょに検討する。
さあ、深呼吸して、気持ちをきりかえろ。
僕は松切り番さんのことを助けたいんだろ?
「そうです。油の温度をしっかり確認してください」
「一度に入れすぎねえんだな?」
「はい、その通りです。油の温度が下がってしまうと、きれいに揚がりませんから。
あぶくの大きさ、よく見てくださいね。これで揚がりきったかどうか、判断します」
松切り番さんは、煮えたつ油を真剣に見つめている。
「はい、ここです。ここでひきあげてください」
無言のままからあげを箸でつまみ、笹編みのざるに移す。
なんの文句のつけようもない。
松切り番さんのうごきは、ていねいで、もたつかず、流れるようだった。
「で、できているのかよ? 松切り番は、できたのかよ?」
鉄鍋をかまどから下ろす僕の背中に、松切り番さんの不安そうな声がなげかけられた。
「一つ、食べてみてください。おいしかったらできあがりです」
「で、でも、松切り番には、味がわからねえかもしれねえ……」
「まずは、自分がおいしいと思ったものを。それでいいんですよ。少しずつです。なれてきたら、食べてくれる誰かのことを考えられるようになります。
さ、味見が済んだら、悠太君に出してきてあげてください」
「ああ? ま、松切り番が、それをやるのかよ? のらくろに、松切り番が、出さなきゃいけねえのかよ?」
「いやですか? 自分でつくったものを、だれかに食べてもらいたくはないですか?」
そうたずねると、松切り番さんは、口ごもった。
「それは……わ、わからねえ。商人にだったら、食べてもらいてえ。それは、はっきりしているのよ。でも、のらくろが……そうよ、村ののらくろは、松切り番が何をしたって、ほめてくれるとは思えねえのよ。
せっかく商人が教えてくれたのに、それをけなされるのは、いやだ」
やっぱり、松切り番さんは、すごくやさしい人だ。
そのやさしさが、こんな風にゆがめられていることを思うだけで、ひどくかなしい気持ちになってしまう。
洗い物をつっこんだ桶を持ち上げながら、僕は、むりやり笑顔をつくった。
「まずはやってみてから、ですよ。僕はちょっと後かたづけがありますからね。それじゃ、さめない内によろしくお願いします」
なにか言いたそうな松切り番さんを置き去りに、僕は井戸へと向かった。
悠太君のことだ、まちがいは起きないだろう。
あとは、おいしくできあがっているかどうかだけ。
洗い物をすませて、客間にもどってみると。
「くっそ……」
頭をかかえて、うめく悠太君。
「ふざけんなよ。冗談じゃねえ」
悠太君のつぶやき声に、ちょっと血の気が引く。
なんだ、なにがあったんだ。
「すげえ悔しいわ。こんなもん出されたら、美味い以外になんも言えねえだろ」
うめく悠太君。
「おお、そうよ、これは商人が教えてくれて、松切り番がつくったのよ! おいしいのは、商人が教えてくれたからだ!」
にっこにこの松切り番さん。
「素直に自分が作ったって言えばいいだろ」
「そうじゃねえ。それはうそになる。そうよ、松切り番はうそをつかねえのよ」
「ああそうか。そりゃご立派だな。見習うよ」
「ふふん。悠太君、どう? おいしいでしょ」
手持ちでいちばんのしたり顔をしながら、客間にもどる。
悠太君はこっちをみようともせず、鼻をならした。
「おお、商人!」
はずんだ声で、松切り番さん。
「松切り番はわかった! つくったものをよろこんでもらえると、松切り番はうれしい! そうよ、商人の言っていることがいいことだって、松切り番は分かったのよ!」
「なによりです」
ああ、よかった。
松切り番さんが、僕とおなじ気持ちになってくれた。
どうしてだろうか、それが、泣きたくなるぐらいにうれしかった。
「……なんかしらねえけど、いい加減に説明があってもいいんじゃねえの?」
もぐもぐしながら、悠太君が言った。
あ、すみません、まだでしたねそういえば。
なんでいつもいつも、こんなことになっちゃうんだろう。
「まあもう、今にはじまったことじゃないからいいんだけどさ」
あれ、心読まれてる!
「顔に出てんだよ」
「うひゃあ! 人の心を読むねえ悠太君」
「いいから、説明、しろ」
す、すみません。
「オマエさ、どの口でおとなしく暮らすとか言ってんの?」
ざっと経緯を説明したところ、悠太君から強烈な一言をいただいた。
ぐうの音もでない。
「い、一応、反省はしてるんだけど」
「ああ、そうだな。知ってるよ。反省してるもんな」
「うわ、ひどい。そんな皮肉言わなくてもいいじゃん」
「よかったよ、分かってもらえて。皮肉言いたくなるやつほど、皮肉って通用しねえからな」
「すごい、なにそれ。そんな言い回しふつうイギリス人しかしないよ」
「しらねえよ、誰だよイギリス人」
ふたりして、いつもみたいに、身のない話でけらけら笑う。
「悠太は、商人と仲がいいのか?」
「まあ、割と良い方なんじゃねえの。しらねえけど。松切り……ていうかあんた、名前は?」
「そんなものはねえ。松切り番は松切り番で、松切り番と呼ばれてる」
「お、おお……? そうなの? いや、それならそれで、別にいいんだけど」
それはいくらなんでも、おかしな話じゃないだろうか。
身よりのない孤児を引き取ったからって、名前ぐらいはあっただろう。
それとも、名前を忘れてしまうぐらい大昔から、松切り番さんは領主館にとらわれているのだろうか。
「しかし、ご領主様にお出しする料理、か。またでかい話になったな」
「どうだろうね。気に入っていただけるかどうかは分からないけど」
「ま、気に入られるんじゃねえの? すげえ美味いしな、これ」
「え、ほんと?」
「やめろ。気持ち悪い。にこにこすんな」
「えー、にこにこぐらいするよ。にこにこさせてよ。いいじゃん別に」
悠太君は鼻をならしてから、真剣な表情になった。
「そっか。オマエには、そういう生き方もあるんだな」
「うん? どういうこと?」
「領主様の台所に入って、料理番になるって生き方だよ。白神の料理番っていうなら、領主様だって大よろこびだろ?」
「しらかみ? 商人のことか? 商人は商人じゃねえのか?」
きょとんとする松切り番さん。
商人という体で話をすすめたのは、またも、白神という立場だけで劇的な反応をされるのがいやだったからだ。
「すみません、松切り番さん」
あやまって、自分が白神であることを説明すると。
「白神が、踏鞴様のために、めしを作った?」
「はい」
「どうしてそれを先にいわねえ!」
「……すみません」
あやまることしかできない。
うそをついたのは、個人的な嫌悪感が先だってしまったから。
それを説明したって、分かってもらえるはずがない。
「白神の料理番で、ご領主様の料理番ってんだったら、それは、とてもいいことじゃねえかよ!」
「えっ?」
「はっ?」
「そうよ、白神……踏鞴様は、気にいるに違いねえのよ! 悠太、悠太はとてもいいことを思いついた! それはとてもとても、いいことなのよ!」
いやいやいやいや。
まてまてまてまて。
領主の評判は、ほうぼうから聞く限り『最悪』のひとこと。
うさ耳騎士ことミリシアさんは、数時間の滞在で『その人間性に絶望した』と、百店満点中ヘドロ以下みたいな最悪の評価をくだしている。
そんなところに、就職する?
なんだろう、また、手がふるえている。
しびれるような焦燥感と不安が、右足のつけねから心臓にかけて、電流みたいにはしっている。
冷や汗が全身をつたって、体が重たい。
伝え聞くパニック発作の症状って、こんな感じじゃないだろうか。
ああ、そうか。
またも、『白神だから』なのか。
「なあ、白神、白神がご領主様の料理番になれば、踏鞴さまは大よろこびびよ! 松切り番も、穀斗の味をおしえてもらえる! それは、とてもいいことなのよ!」
「領主館の人間がこう言ってるぜ。どうするんだよ、オマエ……白神?」
「ああ、うん。なんだっけ?」
「なんだっけじゃねえよ。オマエの生き方の話だろ。大丈夫かよ、顔色すげえ悪いぞ」
「へんなものでも食べたかな」
「冗談言ってる場合かよ……ああ、またくだらねえこと考えてるな」
悠太君の声に、鋭いとげがまじる。
「葛がどうした、外来種がこうした、みたいな」
「わかる?」
「わかるに決まってんだろ」
やっぱり悠太君は、僕よりも僕のことが分かっているみたいに言うし、それはたぶん、正しいんだろう。
「あのな。それを聞いたとき、オレ、オマエが怖がってるみたいに思えたんだよ」
「こわがってる?」
「ああ。なんていったらいいんだろうな……誰かを傷つけるんじゃないかって。自分の力を使えば、とんでもねえ間違いをしちまうんじゃないかって。だから、邪魔にならない隅っこにひっこもうとしてるんじゃないかって」
「そう、なのかな」
虚をつかれて、口をはんびらきにしてしまった。
「しらねえよ。ただそんな風に、言い訳してるみたいに聞こえたんだよ。本当はなにかやりたいことがあるのに、あれこれやらない理由を並べ立ててるみたいにな」
僕があのとき言ったことは、おおむね、まちがっていないと思う。
だけど、悠太君がいいたいのは、正しいとか間違っているとかじゃない。
あの日、榛美さんから投げかけられた問いに、もどってきた。
僕は、何をしたいんだろう?




