味の暴力
酢、卵黄、塩、なたね油。
これでマヨネーズをつくらないというのは、もう料理にたいする冒涜だと思う。
自家製マヨネーズのこつは二つ。
とにかくひたすら、命のつづく限り混ぜること。
油を少しずつくわえて、ちゃんと乳化させること。
塩と卵黄を酢をあわせたら、笹串をたばねた泡立て器で、ひたすら混ぜる。
ミキサーやハンディブレンダーがあれば簡単だけど、この異世界はあんまり電化がすすんでいない。
それどころか、バルーン型の泡立器すら存在しない。
マヨネーズにかぎらず、なめらかな口当たりのものをつくりたければ、頼りになるのは自分の気合いだけだ。
こっちに来てから、搗いたり混ぜたりに、多くの時間をついやしているけれど。
たとえば十四世紀ぐらいの料理書から、『基本のパンケーキ』の作り方を探せば、こんな一文にでくわすことになる。
『粉とワインと卵とを合わせた生地を、一人か二人の人間がくたびれるまで混ぜつづける』。
こんなに気楽に一人か二人の人間をくたびれさせる文章を、ほかに知らない。
くたびれるまで混ぜたら、なたね油をちょろっと垂らし、またくたびれるまで混ぜる。
混ぜることによって、乳化、つまり油と水分の結びつきをうながすのだ。
「商人、代わるか?」
相当しんどそうな顔をしていたんだろう。
松切り番さんが、交替を申し出てくれた。
遠慮なく甘えることにする。
「混ぜて、油をひと垂らしして、また混ぜるんです」
「……わからねえ。これで、なにがどうなるのよ?」
「おいしくなります」
「そりゃ、おいしくならなくてやる理由はねえ」
松切り番さんは、ぐうの音も出なくなるぐらい適切な言葉で、僕のばかさ加減を切り捨てた。
つやと粘りが出てくれば、マヨネーズは完成。
いよいよ唐揚げに挑もうじゃないか。
つけだれから引き揚げた肉には、米粉をしっかりはたく。
なたね油は170度ぐらいまであたためよう。
米粉の衣は焦げやすいので、二度揚げは禁止だ。
つけだれをたっぷりまとった肉を、鍋にすべりこませる。
あぶくがじゅうじゅうとわめいて、鉄の鍋がかんかんと音をたてる。
熱されたつけだれの香りがひらく。
あたたまっていく肉の匂いがする。
衣が色を変えていく。
揚げ物って、目にも耳にも鼻にも気持ちいいよね。
だんだん、あぶくが小さくなってきた。
肉を箸でもちあげると、じりじりと小さな音を立てながら、小刻みにふるえている。
米粉の衣は、しっかりときつね色。
できた。
できました。
できてしまいました。
実に久しぶりの肉料理が完成してしまいました。
ああ、たのしかった!
「どうぞ、召し上がってみてください。すごく熱いので、気を付けてくださいね」
まずはどうぞ、とばかり、松切り番さんにおすすめしてみたけれど。
「どう食う? ナイフはいらないのか?」
見たことのない料理にとまどう松切り番さん。
「笹の箸でつまんで、マヨネーズをたっぷりつけるとおいしいですよ」
「ううむぅ……」
うなりながら、四苦八苦しながら、唐揚げをどうにかこうにかつまみあげ。
とろとろのマヨネーズにくぐらせて、おそるおそる、端っこを噛んで。
「ああっ!?」
松切り番さんは、吠えるように叫んだ。
叫んでから、唐揚げを一息に口に放り込んだ。
慌てているみたいに噛んで、呑みこんで、次の肉をつまんで。
今度は前歯で噛み千切り、目を閉じ、味わうようにかみしめた。
「どうですか?」
そう訊ねてみると。
顔をあげた松切り番さんは、魂が抜けたような表情をしていた。
「ああ、そうよ、なつかしい味……穀斗が作ってくれたものに、よく似てる。
松切り番は、こういうものをよく食べていた。穀斗がつくって、小さなエルフの女の子といっしょに、食べた……」
呆然とつぶやき、首を振る松切り番さん。
「作り方は説明した通り、むずかしいものではありませんからね。
味付けさえおぼえてもらえれば、いつでも作れるようになりますよ」
「ああ、ああ、松切り番も作りてえ。作れるようになりてえ。穀斗の、なつかしい味……」
うん、おいしいと思ってもらえたみたいだ。
よかった。
ほっと一息ついていると、はっと顔をあげる松切り番さん。
「商人、商人はてめえで作ったものをてめえで食ってねえ。どうしてだ?」
「え、どうしてって……松切り番さんのために作ったものですから」
「ばかなこと! そうよ、ばかなことよ! 松切り番は、ひとりじめにする気なんてねえ! 穀斗がそうだったように、松切り番も自分だけで食べたりはしない!
はやく、商人、あたたかい内に食べるのよ!」
箸をぐいぐい押しつけてくる松切り番さん。
そんなに怒らなくても。
「松切り番さんは、もうおなかいっぱいですか?」
「まさか! 松切り番は野の獣ほどに食らう! でも、ひとりで食べるよりも、みんなで食べる方がずっとおいしいのは知ってる。
それだって、穀斗が教えてくれた。そうよ、穀斗に教わったことなのよ。だから、松切り番と商人は、一緒に食べた方がずっとおいしくなる」
とてもシンプルな言葉に、めいっぱいの感情がこもっていた。
心から言っているんだって、すぐに分かった。
「それじゃあ、お言葉に甘えますね。ちょっとお酒とってきてもいいですか?」
「ああ、かまわねえ。食べたいように食べるのが、いちばんおいしい」
「まったくです」
目の前には、マヨネーズとからあげがあって。
台所には焼酎があって。
冬の宮には、オンザロック用の氷を仕込んでおいた。
どうなるかって、そりゃあねえ。
呑むでしょ!
さあ、まずはマヨネーズのない、素唐揚げからいこうじゃないか。
「うあああああ……」
口に入れた瞬間、思わずうめいた。
全身が溶けてどこかに流れていくんじゃないかと思った。
さくさくでふわふわでかりかりの衣。
一かじりすれば、脂と肉汁。
胸肉の繊維を前歯で断ち切る感触。
奥歯でかみしめれば、肉はぎゅむぎゅむと心地よく反発して、口の中に旨味を振りまいていく。
揚げたことによって、味噌の風味は香ばしく。
脂の芳香とあいまって、鼻から抜けていく。
「こ、ここにお酒なんていれたら、もう、もう……!」
氷をぎっちり詰め込んだコップは、口から迎えにいく。
くちびるをとがらせて、ひとすすり。
思わずつっぷした。
もう言葉が出てこない。
唐揚げと蒸留酒、この組み合わせは本当に悪魔的だ。
「だ、だめになる……だめになるぞこれは……もう絶対だよこんなの……」
きんきんに冷えたお酒が、とろりと、口の中に流れ込んでくる。
冷たくすることで香りや風味がおさえられ、唐揚げに蹂躙された口の中へと、やさしく広がっていく。
このお酒、加水してもいけるぞ。
アルコールの刺激が弱くなり、味がまるくなっている。
甘さも出て、すごく呑みやすい。
次は絶対、前割りして呑もう。
井戸水で割って三日間おいたところで呑もう。
「これでもうマヨネーズなんてつけちゃったら、もうだよ。もうそんなんだよ」
唐揚げにたっぷりマヨネーズをなすりつけ、一息に放り込む。
「ふ、ふぐううぅ……!」
おいしすぎて、泣きそうになった。
マヨネーズの、とろみ、酸味、塩っ気、油っ気。
こんなもの唐揚げになすりつけたら、どうやったっておいしいに決まってる。
もうこれは、味の暴力だ。
「そ、そしてお酒を……」
辛抱たまらず、コップを手に取ってぐいっと呑む。
氷がとけて水とまざったお酒は、ますます甘く、とろりとしたあんばい。
口の中で香りが広がり、その優しさに心ゆるして呑み込めば、喉を焼いてはっとさせる刺激。
ああ、体の中をお酒がすべりおちていく。
アルコールが全身にひろがって、体が指先から毛糸みたいにほどけていく。
「だ、だめになる……」
だめになりますよこんなの。
「酒はそんなにおいしいものかよ?」
だめになっていると、松切り番さんが、心底ふしぎそうな声で聞いてきた。
「まあ、なんていうか、お酒があればだいたいなんでも大丈夫なぐらいですよ。穀斗さんは呑まれなかったんですか?」
「穀斗はのまねえ。松切り番と同じよ」
ふうむ。
ここまで、ちょろちょろと漏れ聞こえてきた話を総合すれば。
穀斗さんは、揚げ物をつくったり、(おそらく)榛美さんに魔述をしこんだり、かなり変わった人だったっぽい。
なぞが深まってきたぞ。
「あの、穀斗さんって」
「白神、雨やんだぞ」
探りを入れようとしたその瞬間、あまりにもジャストインタイムなインターセプト。
「って……なんでだよ」
呆れているような、困っているような、もういっそ諦めているような。
ドアチャイムの音と一緒に聞こえてきたのは、そんな声だった。




