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【コミカライズ配信中】康太の異世界ごはん  作者: 6k7g/中野在太
第四章 踏鞴の一統

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松切り番

 悠太君のいった通り、毎日毎日、雨がふる。

 おまけに雨冷えの名に恥じず、すさまじく気温が下がった。

 格子戸から吹き込んでくる、雨粒まじりの風はべらぼうにつめたい。


 ひとりぼっちでうすぐらい土間にいて、跳ね上げ窓がゆれる音に耳をかたむけていると、だんだん気持ちが落ち込んでくる。

 なにしろここにはインターネットも本もない。

 悠太君も、雨がふってると来ない。

 自分と向き合う以外に時間のつぶしかたがない。


 ひさしぶりに一人でのむお酒は、あんがい味気なくて。

 どうやら僕は、榛美さんにだいぶ依存していたみたいだ。

 いまさら気付いたのかよって思う人がいるかもしれないけど、いまさら気付いたのだから仕方ない。


 榛美さんが帰ってきたら、なにを食べてもらおうか。

 榛美さんの笑顔を思い出しては、そんなことばかり考えている。

 すくなくとも、気持ちがふさがらずに済むからね。


「パンでもつくろうかなあ」


 ふっと思い出したのは、米粉のクリームパスタをつくっていたときのこと。

 パンの話を持ち出すと、榛美さんがやたらはしゃいだのだ。


 小麦粉不使用グルテンフリーパンは作ったことがないけれど、上新粉でやるレシピをどこかで見た記憶がある。

 この村で採れるお米はもち種だけど、うまくすればできるかもしれない。

 いずれにせよ、失敗してもだれもこまらないのだ。

 やってみようか。

 まずは、天然酵母からだ。


 笹を密に編んでけやき油を引いた、雨避けの笠をかぶって、雨の降るなか外に出る。

 整備されていない道では、泥水が瀬になっていた。

 ばちゃばちゃと水を跳ね散らしながら、目指すのは、南の斜面の松林。

 

 パン作りにあかるい方は、ここで、何してんだこいつと思われたかもしれない。

 天然酵母といえば、レーズンだのりんごだの、果物から得るものなんじゃないの?

 なのに、なんで松林なんだよ。


 パン作りにあかるくない方には、ちょっとご説明さしあげよう。

 『基本の食パン』に必要な材料をあげると、


・小麦粉

・水

・砂糖

・塩

・酵母

脱脂粉乳スキムミルク

・バター


 となる。

 この内、小麦粉は米粉で、脱脂粉乳は豆乳で、バターはなたね油で代用するとして。

 砂糖は、前にどこかで少し説明したけど、甘酒をつくって煮詰めればブドウ糖が得られる。

 問題は酵母イーストだ。


 酵母というのは、この場合、糖分を食べてアルコールと二酸化炭素を排出する菌のこと。

 サッカロミセス・セルビシエといえば、通じる人には通じるだろう。

 パンがふんわりしているのは、生地に練り込まれた酵母が出した二酸化炭素のおかげ。


 この酵母は、ぶどうだとかりんごだとか、果物の皮のあたりに住んでいることが多い。

 糖分たっぷりで居心地がいいのだろう。

 たとえば、ぶどうを踏みつぶして放っておくと、ワインになってくれるのだけれど。

 それは、皮に住んでいる酵母が、果物の糖分を分解してアルコールに変えるからだ。


 天然酵母というのは、ぶどうの皮だのに居ついている酵母を培養し、パン作りに使えるぐらい増やしたもののことをさす。


 ここまでの説明で、だいたいお察しいただけたと思うけど。

 松の葉っぱには酵母が住んでいると、ものの本で読んだことがある。


 なぜといわれても、それは住んでいる酵母の都合だからわからない。

 この世界の松にも酵母がいるのかは、わからない。

 やってみてだめだったら、別の方法を探せばいいだけだ。


 雨でつるつるする丸木橋を越え。

 腐葉土をぐちゃぐちゃ踏みつけて。

 すべる斜面を這うように進み。

 ようよう、南の斜面の松林。


 腐葉土がつもり、下草がしげった、松林だった。

 植生は、コナラやツバキ、なにかしらイネ科の植物といったところで、里山とあんまり変わらない。

 松林から照葉樹林へ遷移していく最中、といったところ。

 ちょっとめずらしいことだ。


 どこにでも生えてきて手軽によく燃える松は、たいていの場合、燃料として使われがちだ。

 落ちた枝や松ぼっくりを人がどんどん拾うことで、土壌がむきだしになり。

 むきだしの土壌が、雨のせいで流れ去ったり、人に踏み固められて台無しになったり。

 そんなこんなで、松林はいつまで経っても他の植物が繁殖できないまんまになることが多い。


 冒険心がうずくけど、今日は松林の探索に来たわけじゃない。

 雨が降る中、手近な松の葉っぱをむしっては、葛袋の中に放り込んでいく。

 どうでもいい発見だけど、踏鞴家給地の松は、アカマツだった。


 ああ、なんかもう、うずうずしてきた。

 狩猟採集の興奮と、パン作ったら榛美さんすごいよろこんでくれるだろうなあ、という期待で、楽しくなってきてる。

 近くに悠太君がいたら、へきえきするぐらいはしゃぐのに。


「おい。何やってる」


 そんな高揚が一発で氷点下に冷え込むぐらい、苛立ちと困惑をたっぷり練り込んだ声がした。


 振り返ると、そこには、ひとりの男の人。


 ぼさぼさの髪、煤にまみれた顔と真っ赤な鼻。

 綿っぽい服は袖や肩のところがすりきれて。

 長年にわたっていじめられ続けてきた犬のように、怯えと猜疑心と怒りが交互に浮かぶ、まっくろな瞳。

 ひどく猫背で、手足の妙にながい男の人だった。


「こんにちわ。すこし松を分けてもらおうとおもいまして」

「……ちっ」


 男の人は、てなれた感じで眉根をひそめ、舌うちした。


「ふざけやがって。そうよ、どいつもこいつも、ふざけやがるのよ」


 宇宙全体が自分を裏切ることには慣れっこです、とでも言いたげな、感情のこもっていない口ぶり。


「のらくろが。てめえの背中が見てえか? そうよ、松切り番は、てめえにてめえの背中をおがませてやるのよ!」

「えっ? それってどういう意味ですか?」


 この辺の慣用句だろうか。

 純粋に気になったから聞いたのだけど、猫背の人は、僕に向かってなにごとか怒鳴りながら、近くのツツジを蹴り折った。

 折れ方が気に食わなかったのか、それとも僕のことが気に食わなかったのか、ひしゃげたツツジが泥まみれになるまで何度も何度も踏みつけて。

 真っ赤な顔で、ふうふう息をしながら、僕をふたたび睨み付けた。


「“松切り番”もしらねえで、この村で生きていけると思ってるんじゃねえ」


 誰だ。


「すみません。来たばかりで、こちらの事情にはうとくて……ご説明いただけませんか?」

「てめえ、ばかにしてやがんのか?」

「いえ、そんなつもりは……もしかして、この松林って立ち入りを禁止されているんですか?」


 “覚書”には、松林に言及したところなんてなかったと思うんだけど。


「ふざけやがって。そうよ、どいつもこいつも、松切り番をばかにしやがるのよ! どこから来やがった。誰も松切り番の話をしなかったのかよ」


 面倒な人の予感だ。


「ええと、その……とおくから来た商人です。それから、記憶にある限り、松切り番という言葉は聞いたことがないですね」

「しょう……にん……?」


 商人という単語を出したとたん、松切り番さんの表情が変わった。

 瞳の中の怒りがひっこみ、猜疑心と怯えがますます強くなっている。


「商人、だと? 松切り番は聞いちゃいねえよ。いつこの村にきやがった」

「かれこれ一ヶ月……三十日になるかならないかぐらいですね」

「どうして踏鞴たたら様に何もいわねえ!」

「すみませんでした。たしかに礼を失していましたね」

「は?」


 ものすごく正論だったから素直にあやまったところ、きょとんとする松切り番さん。


「ばかにしてやがる。そうよ、ばかにしてるのよ。ふざけやがって。松切り番はてめえのことが気にくわねえ」


 事態をいたずらに悪化させてしまった。

 まあ、謝罪に皮肉がこもっていなかったかといえば、うそになるんだけど。


「そうよ、どいつもこいつも気にくわねえのよ。松切り番はどいつもこいつも気にくわねえ!」


 ふたたびどなりちらし、今度はヤブツバキを蹴り折る松切り番さん。

 けんか腰で来られたから、ついつい皮肉をいってしまった。

 この悪いくせは、もう永久になおらないと思う。


「ええと、その、松切り番ってどんなお仕事なんでしょうか」


 松切り番さんがまわりの灌木をあらかた踏み終え、息も絶え絶えになったところで、たずねてみる。


「てめえは、松切り番を知らねえでこの村をほっつき歩いているのかよ?」


 話が一周した。

 こういう、ループ型のクレームってたまにあるよなあ。


「すみません。最近ここに来たもので」

「ああ、ちくしょう! そうよ、松切り番は気にくわねえのよ!」


 胃がきりきりしつつも、目の前の人間を拳大の石で今すぐ殴りたおしたくなる感じ。

 クレーム処理を思い出して、今となってはなんだかなつかしい。


 長いこと飲食業をやっていると、クレーム処理のテクニックがどんどん上達していく。

 一般的にいって、横暴な態度でクレームをつけてくる人間というのは、プライドが高い。

 この人も、『松切り番をしらないのか』と自分の立場を誇示するあたり、それにあてはまる。



 であるならば。

 いざ抜かん、伝家の宝刀、クレーム処理の三カ条。

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