ベージュのうさ耳
ロップイヤーというんだったっけ。
ベージュの、垂れたうさ耳が、銀色の髪の間から飛び出している。
耳の先端と毛先が、おなじぐらいの長さに揃えられている。
いやいや、落ち着いて全体像をきちんととらえよう。
どうしてもうさ耳に目がいってしまう。
まず言えるのは、どうやらうさ耳の人は女性で、なおかつ騎士らしいということだった。
木綿っぽい、ごわごわした長袖は、なにで染めたものなのか、真っ赤だ。
真鍮製なのか、ぴかぴか輝く胸甲には、ものすごく細かい彫細工がほどこされている。
皮のベルトには細身の剣がつるされて、その柄に手をあてている。
やっぱり真鍮製で、やっぱり細かい装飾の施された脚絆を履いている。
顔立ちはするどくて、赤い瞳は炎みたいだ。
なにかに対していつも怒っているのだけど、自分でもなにに対してそんなに怒っているのかぜんぜん分からないから、手近なものや人をとりあえずにらみつけている。
そんな感じの表情をしている。
そのせいか、もふもふのうさ耳が、ものすごくとってつけたような感じになっている。
ベージュってよくないよね、膨張色で。
「お前がここの主人か」
うさみみ騎士が口をひらいた。
「え、あ、いえ」
初対面の人の一言目がこんなに高圧的だったことは、四半世紀の人生で一度もない。
びっくりして、思わず口をぱくぱくさせてしまった。
「三か月の長旅の果て、目当てのものが無いと知り、まずは愕然とした」
うさ耳騎士が一方的にしゃべりはじめた。
「領主館に滞在することになったが、領主の人間性に絶望した」
口をはさむ余地がない。
「そして、だ。このような寒村に、酒を飲ませるところがあるのだと、まずは感激した」
それならどうして剣の柄から手をはなさないんだろう。
「期待した私がばかだった、とは言わんぞ。金を取るのであれば、もてなす義務があるはずだ」
……んん?
「だというのに、地べたに座らされ、わけのわからないものを出されれば、苛立つのは当然だ。おい、店主」
「はあ」
おもわず返事をしてしまった。
というか榛美さんはどこに……
ああ、いた。
すぐ横で、パーティションにもたれかかって、死んだような目になってる。
存在感が希薄すぎてきづかなかった。
「私は“ヘカトンケイル”から来た。さる御令嬢の名代でな。この意味が分かるか?」
ぜんぜん分からない。
けど、隣の榛美さんが死んだような目に磨きをかけはじめたので、とりあえず神妙な顔をしておいた。
これはたぶん、クレームだろう。
飲食をやっていれば、こういうのは日常茶飯事である。
いちばんびっくりしたのは、豆腐をお出ししたら、なんか紐のついた五円玉をその上でぐるぐる回しはじめ、
『この豆腐に使われている大豆は、大きくて水含みがいいので陰の気を含みすぎている』
といわれたときだ。
あまりにもどうしたらいいのかわからなかったので、後日お話を伺うことにした。
ダウジングとか食べ物の陰陽とかについていろいろお話を聞かせてもらった。
絶対菜食主義者という、お肉どころか乳製品すら摂らない人たちのことについてたくさんお話を伺い、とても貴重な体験だった。
まあ、その話はまたのちのちにするとして。
ちらりと、ローテーブルの上のものに目をやる。
陶製のコップと、小さくて四角い小鉢。
小鉢の中には、えたいのしれないものが乗っている。
全体的に紫色で、ぎりぎり四角形を保っているけど、いまにも自重で崩れ去りそうな、ねっとりした感じのなにか。
小鉢の横には、笹を削り出した、つまようじみたいなものが置いてある。
なんだろう、あれ。
あてなのだろうか。
ものすごくえたいがしれない。
「失礼します」
小鉢を手に取って、においを嗅いでみる。
かびくさい。
犬の餌みたいなにおいもする。
夏場の三角コーナーみたいなにおいがしてきた。
あ、これ、ザリガニがいっぱい死んでる夏のドブのにおい。
異臭のプリズムだ。
でも、このにおいには、なんとなく覚えがある。
遠くの方に感じる、あきらかに大豆っぽいこのにおい。
つまようじですくって、口に含んでみた。
「腐乳だ」
なんか妙に爽やかな酸味があるけど、これは間違いない。
この変な臭いと、どろっとした舌触りと、後を引く、濃厚なコク。
『ほのか』でも炒め物の隠し味によく使っていた。
「フールー……だと?」
うさ耳騎士がきょとんとした。
「ええ。豆腐を麹と塩水に漬けて発酵させたものです」
「しかし、その色は……」
「黒豆から豆腐を作っているんですね」
これはあてずっぽうだけど、黒豆からつくった豆腐は、実際にけっこうえげつない紫色になる。
にしても目の前のこれはすごい紫色だけど。
ダメージ床みたい。
「これを当たり前に食べているというのか?」
うさ耳騎士は、すごく怪訝そうな顔をしていた。
世界全体がいきなり信用ならなくなったみたいな表情だ。
「ええ、そうですね。踏鞴家給地では常備菜です」
これもまたあてずっぽうだけど、まちがってはいないだろう。
腐乳作りには熟成期間が必要だ。
いつでも食べられる保存食として用意されているのだろう。
栄養もたっぷりだし。
「こいつをあてに、どんくさいお酒を呑むとたまらないんですよ」
マッコリとかどぶろくみたいな、舌にいつまでもだらだら残るお酒が向いている。
ああ、どぶろくのみたい。
「もちろん、ご納得いただけるとは思いません。お口にあわないものを出してしまったことについて、謝罪いたします。申し訳ありませんでした」
すっとあやまるのは、客商売をやっている上での習性だ。
「頭を下げるな、私は説明を求めただけだ。つまり、お前たちはこれを美味いと思っているわけだな」
僕は顔をあげ、にっこりわらってみせた。
「そうですね。少なくとも、お酒に合うとは思っています」
うさ耳騎士は、うさ耳のはしっこをつまんでひねりあげながら、ふーむとうなった。
「なるほど。文化が違うというわけか」
ようやくうさ耳騎士は剣の柄から手を離した。
よし、相手の心がほぐれてきたぞ。
ここからが経営者の見せ場だ。
「普段はどんなものをお召し上がりですか?」
「旅中は主に肉だよ。干し肉だ。あとはかさかさに乾いたパン、甘いだけのジャム、豆と大麦と干し肉のスープといったところだな。ろくな食事ではなかった」
すごく貴重な情報を得たぞ。
大麦があるなら、この世界にはビールが存在するかもしれない。
パンに関しては、予断はできないけれど、小麦でつくっている可能性もあるし。
小麦ビールのみたい。
「やはり保存食ばかりなのですね」
「ああ。そうであれば、このような場所で新鮮なものを食べられるかと思ったが……まあ、もう言うまい」
「申し訳ございません。こちらがもう少し気を利かせていれば……普段から、醸したものをお召し上がりというわけではないのですね」
「ヘカトンケイルでは好まれん味だろうな。私もあちこち旅をしているが、このような珍味は口にしたことがない」
よし。
腐乳の印象が、『さわるとダメージをうけるもの』から『珍味』に変わった。
さあ、最後の直線だ。
「それは、大変失礼いたしました」
「いや、お前の説明で十分に理解できた。脅しは取り下げる。こちらこそ、謝罪しよう」
うさ耳騎士が頭をさげた。
ロップイヤーがぺろっと垂れてぷらぷら揺れて、なんだろう、なんか、すごくさわってみたい。
危険だ。
「店主、お前の態度には誠意を感じた」
ベルトに吊った小袋から、ひとつかみなにかを取り出して、僕に握らせた。
たぶん、銅貨だ。
ちいさな円盤の中に、四角形を幾つかつらねた意匠が入っている。
「お前の説明に、対価を払おう。しかし、だ。女、お前から志を感じられなかったことは事実だ」
うさ耳騎士は榛美さんを睨んだ。
「説明もせず変わったものを出して、申し開きを求めればだんまりでは、私も納得のしようがない」
きつい言い方だが、ごもっともだろう。
発酵食品は好き嫌いがわかれるものだし。
そもそも、黙っちゃだめだ。
僕は、手にした銅貨を榛美さんにわたして、一歩さがった。
どうするか決めるのは、榛美さんだ。
榛美さんはじっと、手の中の銅貨を見つめていた。
「こんなに、たくさん」
榛美さんがつぶやいた。
「相場が分からんのでな。取っておけ、これでお前と私は無縁だ。私はお前を忘れる。お前も、私を忘れろ」
「無縁……ですか……」
これはあとから聞いた話だけど。
うさ耳騎士が無造作に押し付けてきた銅貨の一山、これだけあればこのへんで三年は暮らせる額だったらしい。
うさ耳騎士の故郷で流通している銅貨には魔述が鋳込まれており、ゆがまず、緑青をふかず、いつまでもぴかぴかのままだと言う。
榛美さんは銅貨を強く握りしめた。
手の甲が白くなるぐらい。
「……いただけません」
榛美さんは、うつむいたまま、にぎりこぶしをびゅっとつきだした。
その勢いがけっこう鋭かったので、うさ耳騎士なんかは剣の柄に手をやったほどだ。
「どういうつもりだ」
うさ耳騎士はあくまで剣の柄に手をかけていた。
「……いただけません」
榛美さんは、握ったこぶしをつきだしたまんまにしていた。
そのままだまってしまった。
あとはもう根気の勝負で、折れたのはうさ耳騎士の方だった。
「分からん奴だ」
榛美さんから銅貨を受け取り、小袋にしまいこみながら、うさ耳騎士はためいきをついた。
「が、店主、お前は実に興味深い。夕餉のあと、また呑みに来るとしよう。今度はお前が包丁を使え」
「ありがとうございます」
すぐに頭を下げる。
すきあらば頭を下げる。
こちらに非がある場合には、これしかない。
「ではな。楽しみにしているぞ」