踏鞴家給地の冒険:オリジンを追え⑤
康太の異世界ごはん8、明日9/30発売です。なにとぞよろしくお願いします。読んでみてくださいね、おもしろいので。
棚田の丈高い稲が穂の重さに傾きはじめ、山のてっぺんは赤く染まりはじめた。
短い夏が終わった。つらく厳しい冬のほんの手前、ごくわずかな過ごしやすい日々のうち、とうとうビールは完成した。
やけに長く感じる、後発酵の期間だった。僕はストレスを抱えた動物園の熊みたいに土間と板の間を往復し、ビールのかめを見下ろしては不安になったり幸福感に満ち溢れたり、ときには瞑想的な静けさで数時間を立ったまま過ごした。
悠太君と鷹根さん、アンベルさんの予定を調整し、ささやかな試飲会が催されるはこびとなった。
ビールのあてには、なにがふさわしいだろうか。
どまんなかの唐揚げ、お肉ごろごろでつやつやのビーフシチュー。ぱりっと炙った板のり、じゃがいもとひき肉をてろてろにしたシェパーズパイ。しゅわしゅわでほろ苦いティラミス、ナッツとドライフルーツぎっしりの、ずっしり重くて甘く香ばしいポーターケーキ。きらきらのオペラなんかもいい。
土間で座禅を組んだ僕は、頭脳に流れるレシピの濁流に棹をさし、自由連想的に追及していった。
「ねえねえ康太さん! 見てください、これ!」
榛美さんに肩をわんわん揺さぶられ、僕の精神は世界に帰還した。
「ほら! なつかしいやつがありますよ!」
榛美さんが手にしていたのは、薄いガラスをつかった透明なグラスだった。口が広く、真ん中よりちょっと上のあたりが浮き輪みたいにぽっこりふくらんだ、パイントグラスだ。
「ああ、まだあったんだねえ」
「はい! わたし、ずっと持ってたんですよ。ヘカトンケイルにも持っていって、いっしょに帰ってきたんです」
どれだけ時間が経っても、記憶はずっと鮮烈だ。このグラスに注いだ黒ビールをカウンター三番さまにお届けする途中で、僕は異世界にやってきた。
「これはビールをいれるやつって康太さんが言ってましたよね。だからね、これで呑んでください」
「ありがとう、榛美さん」
「いーえ! なにしろ康太さんが、珍しいいいときの康太さんですからね。このグラスだったら、もっといいときになれますか?」
「議論の余地なくね」
「んふふ! よかったです」
あのときはミリシアさんを接客して、ぼろぼろのへろへろになって、そうそう、りっぱなあまごをいただいたんだっけ。あれはおいしかったなあ。川魚とは思えない、強靭な脂だった。
「よし、あれをやるかあ」
「はい!」
榛美さんがすかさず同意してくれた。なんてふところの広さだ。
折よく、川向に市の立つ日だった。僕は榛美さんと連れだって出かけ、らっかせい油とはしりのじゃがいもを買い込んでから、目当ての人物を探した。たいていの場合、人だかりができているのでそれとすぐ分かる。
はたして市のすみっこに、僕たちは人垣を見つけて近づいていった。店主さんは最後尾に僕の姿を認めると、声を張り上げて手招きした。
「おうおめえ、康太と榛美ちゃんじゃねえか!」
「こんにちは、足高さん」
「来ましたよ!」
バスタブぐらいある木桶の中には、投網で獲ってきた魚がゆうゆうと泳いでいる。
「精が出ますねえ」
「いやそんなおめえ、ろくなもんじゃねえぞ。税金だのなんだのでおめえ、山路を食わせるのもかんたんなこっちゃねえ」
「聞きましたよ。兄弟会の代表をされるって」
足高さんはへっと鼻を鳴らした。
人口が増えるにつれ、領内河川での漁業は問題化していった。目の細かい網や小さな釣針を使った乱獲が横行するようになったのだ。そこで悠太君は、目下の急務に対応するため、ヘカトンケイル式の組合を始めることにした。そうなってくると、代表にふさわしいのは足高さんしかいない。
「んなこたおめえ、赤ちゃんの魚まで獲っちまうようなばかどもをおめえ、稲刈りの要領でやっちまうだけってもんだぞおめえ」
稲刈りの要領でやってしまうのは決して奨められた話ではないけれど、とはいえ、無法者はしつけてほしいものだ。
そうじゃないと、りっぱなあまごがいなくなってしまうからね。
「いやあ、これはすごい、いいあまごですねえ」
「そいつはおめえ、この秋最後の一尾かもしれねえぞ」
サケ科っぽく下顎が突き出し、ぜんたいとしてずっしり黒ずんだ、ばかでかい尺あまごだ。
「獲るのにおめえ、沢をのぼってのぼっておめえ、帰れなくなるかと思ったぞ」
渓流釣りでこんなあまごが上がってきたら、あまりの興奮に気絶してしまうかもしれない。
一般的に、ここまでまっくろになってしまったあまごは味が落ちるというけれど、今回の調理法では問題にならないだろう。
「すみません、このあまごいただけますか」
「おう、おう、もってけ! うまくしてやるんだぞおめえ!」
「ありがとうございます」
桶に水を張り、尺あまごを生かして持ち帰る。
えらを切って血を出したら、びっと三枚におろす。うっすらと桜色のきれいな身は、立て塩にして味を入れてみようか。
じゃがいもは皮ごとくし切りにして、水に沈め、よけいなでんぷんを除いておく。
バッターをつくろう。ふるった小麦粉に、水と水溶きくず粉、それからお酢を注ぐ。といっても、ただのお酢ではない。
「モルトビネガーってやつだね」
説明より先に、榛美さんは口を半びらきにした。お酢を直でいくのってけっこうきついと思うんだけど、これはどうだろう。
さじですくったモルトビネガーを、おそるおそる、榛美さんの口もとに持っていってみる。めちゃくちゃ無防備にぱくついた榛美さんは、にこーってした。だいじょうぶだったみたい。
「なんか、甘くてすっぱくて、すごい、なんか……水あめの酸っぱいやつです」
的確な評だ。
できかけのビールをそのまま放っておくと、どこからかやってきた酢酸菌がアルコールをどんどん酢酸に変えていく。こうしてできあがるのが、モルトビネガー。原理としては他の食酢となんら変わりない。
麦芽の香り、どこかぶどうを思わせるような渋みと甘ったるさが、今回の料理とビールによく合ってくれるだろう。
「でも、なんかいいんですか?」
「うん、なんかいいんだ。酢はグルテンをやっつけてくれるからね」
この世界の小麦粉は、いわゆるオールパーパスフラワーというやつだ。性質としては中力粉や準強力粉に近く、グルテンが強い。パンにもお菓子にも適性があって便利なものではあるんだけど、今回は、ちがう食感を目指したい。
そこで、酸を加え、グルテンを切る。こうすることで、やわらかな歯ごたえを狙えるわけだ。
ちゃかちゃかかき混ぜて、どうにか小麦粉が溶けてくれた。さて、まずはじゃがいもからかな。
深い鍋にらっかせい油をだぼだぼ注ぎ、あたためる。バッターを落としてみて、しゅわしゅわあぶくをふきながらすぐに浮き上がってきたら、いいあんばい。水気を切ったじゃがいもを沈め、揚げていく。
澄んだ油の中、細かい泡をまとったじゃがいもが泳いだ。どこのものなのか、よく精製されていて、酸化もほとんど見られない。拷問具みたいなもので菜種を締めあげ、からしくさい油で必死に揚げものをやっていた日は、はるかなる過去だ。
きりっと色づいたじゃがいもを引き上げたら、いよいよ、あまごをやろう。水気をぬぐってかっこよく切ったら、バッターにくぐらせ、油に沈める。ぱちぱちじゃわじゃわするばかでかいあぶくが、小さくなったらいいあんばい。早めに油から上げて、中心部は余熱で追い込もう。
「こんにちはー、なにかお手伝いすることはありますか?」
「呑むぞ! 私は!」
ちょうどそのあたりで、アンベルさんとミリシアさんがやって来た。
「ん! なんかいいにおいする!」
「康太、やること残ってるか?」
領主夫妻もご到着だ。
「だいじょうぶ、そっちで適当にくつろいでて。榛美さんも、こっちはもう平気だからね」
「わたしはやりますよ!」
出芽酵母ぐらいやる気だ。お言葉に甘えちゃおう。
「それじゃあ、ビールのかめを板の間に移しておいてくれる?」
「力があります!」
榛美さんは三つのかめをひょいひょいかついで運んでいった。力があるなあ。
さて、盛りつけだ。といっても、揚がったものを大皿にどかんとのっけるだけ。めいめいで勝手につまんでもらおう。どうせわけ分かんなくなるくらい呑んじゃうし。
「お待たせしました。あまごのフィッシュアンドチップスです。お酒は……ペールエールからいってみようか」
ドライホッピングしていない方のビールを、人数分の器に、かめからひしゃくで注ぐ。かたむけたグラスに、そうっと注いでいくのがこつだ。そうじゃないと、
「わあああ! なんか、もこもこに!」
泡がコップの大半を占めることになっちゃうからね。
パイントグラスになみなみと注いだビールは、橙味の差した金色に、琥珀がかった白い泡。
「すごい、すごいきれい! 淡雪ってこうだったのかなあ」
鷹根さんはビールと昔を結びつけた。
「それじゃあ、まずは、かんぱい!」
杯をかちあわせて、口もとにグラスを寄せる。ビールらしい麦芽の香りの中に、ばらを思わせる甘やかなアロマがある。
そうっと、口に含む。甘さと酸味が、ごつんと来る。
いっぺんに、呑みこむ。喉の奥からすがすがしいホップの香りと苦みがわきあがり、しんしんと流れ去っていく。
磨いた石みたいな、ひんやりしてつるつるの呑み心地。おだやかな炭酸が、舌と喉をさわさわと撫でていく感じ。
「ふぅぐぅうう……」
僕はうつむき、片目を覆い、うめいた。
ビールだった。
あまりにも完璧に、これは、ビールだった。
キリン、エビス、サントリー、アサヒ、サッポロ、オリオンビール、ヤッホーブルーイング、コエドブルワリー、ベアードブルーイング、ベアレン、サンクトガーレン、ギネス、ブリュードッグ、シメイ、バドワイザー、台湾ビール、シンハー……たくさんのビールに触れてきた舌が、記憶が、これはビールだと断言していた。
「うっうっだめだ、もうだめだよこれは心から」
僕はべそべそしながらあまごをさじですくい、ほおばった。さくさくの衣から、あまごから、熱い油がじゅわっとあふれ出る。身をぎしっと噛みしめて、口を油でべそべそにしてから、もう一口。
魚の味をじんわり引き出しながら、油といっしょにどしゃっとおなかに流れ落ちていく。苦さのあとに麦の味がきわだつ。
「こんなのは、もう、だって、ビールなんだからこんなのはもう」
じゃがいもをぽくぽく噛んで、でんぷんの甘さと、ぱりぱりの皮を感じる。もう一口、いや一口どころじゃない、ぐっといくぞぐっと。
しっかり常温のビールから感じるのは、水と蜜をたっぷり含んだ果物のような甘さと芳香。なんて完全なんだ。なんて完全な飲みものなんだ。
「だからこんなのだめなんだから。よくないんだってばだから」
僕はグラスにおかわりを注ぎ、ごくごく呑んだ。おいしい。なんだこれは。おいしすぎる。乳と蜜のかわりに流れておくべきなんじゃないか約束の地に。
おかわりを半分ぐらい呑んだところで、僕は、料理がまったく減っていないことに気づいた。
周囲を見回すと、全員、口を半びらきにして僕を見ていた。
「いや……なんかすげえ呑みっぷりでついつい見ちまった」
目が合った悠太君の言葉に、みんながうなずいた。
「ほら! だからわたしは言ったんですよ、すごくめずらしい今までよりいいときの康太さんです」
「あの、白神さま、いつもみんなが食べてるとこ見てるでしょ。今日はそうじゃないからびっくりしたの」
たしかに、まわりのことを何も考えていなかった。僕にあったのは、一秒でもはやくビールに到達しようとする、正の走ビール性とでも言うべき生得的な運動性だけだった。
「ごめん。ビールだと思ったらつい。あの、みなさんもどうぞ」
「いただきます!」
榛美さんは、のけぞってぐいーっとやり、
「ふぁああ」
グラスを置いて、うしろにひっくり返った。
「どういうときの反応なんだこれ」
天井を見上げて動かなくなった榛美さんに、悠太君はちょっとおびえた。
「まあまあ、いってみてよ」
「この後で?」
悠太君はグラスを顔に近づけて、鼻を鳴らした。
「前に呑んだやつとは別物だな。焼いたパンのにおいがしねえ。なんだ、これ、花か?」
「ホップの香りだね」
「へええ……」
ひとくち呑んだ悠太君は、
「うあ」
グラスを置いて、うしろにひっくり返った。
「ユータも!?」
「それじゃあ、鷹根さんもどうぞ」
「ねぇー怖いんだけど」
鷹根さんは、おっかなびっくり、泡をなめた。
「うー、なんか、にがくて、しびれる感じする」
「ぐっといって、ぐっと」
鷹根さんは僕をにらんでから、覚悟を決めるように呼吸して、杯を傾けた。
「ん、え、あはははは!」
爆笑だ。
「わ、なに、なにこれ! すごい、いっぱい味がする!」
「いっぱいなんです」
榛美さんがむくりと起き上がった。
「いっぱいすぎて、なんか、止まっちゃいました」
ひっくりかえってるあいだ情報処理してたんだ、榛美さん。
「あの、わたし、康太さんがいてくれたからいっぱいいろいろなものを食べられて、果物とか、甘いやつとか、それから苦いのと渋いのと、そういうのをたくさん思い出しました」
榛美さんは手をわたわたさせながらけんめいに語り、ビールをぐっとやり、ふたたびあおむけになって情報処理をはじめた。
「いや、すげえわ。なんだこれ。ホップと大麦だけだよな? ああ、まあ、そりゃ酒ってそういうもんだってのは分かってんだけどさ」
起き上がった悠太君は、まだちょっと混乱している。
「それじゃあ、次のビールにいってみようか。これまたおもしろい味になってると思うよ」
ドライホッピングしたペールエールは、橙が強く、透きとおった感じがない。マンゴーやオレンジを使ったジュースみたいに見える。ホップが含むタンニンなどに由来する濁りだ。
「わああ!」
まっさきに呑んだ榛美さんがでかい声を出した。
「これは、なんか、なんだろ、ふくらみました! なんか、喉が!」
分からないでもない表現だ。
ドライホッピングは、ホップの持つ鮮烈な香りを、より強くビールに与えてくれる。香気は喉のあたりで爆発的に広がり、体の外まで飛び出していくような感覚が生まれる。
「ホップの妙であるな。野生下で、こうも優れたホップを産出するか」
「からだに馴染むようです。売れますよ、これは。つまるところボクたちは、地のワインなるものを持たないわけですから」
ミリシアさんとアンベルさんは、落ち着きはらってビールを寸評した。
たしかに、ヘカトンケイルのあたりは多雨気候の暖温帯だ。ワイン用のぶどうが育ちやすい土地がらとは言いづらい。とすれば、似たような気候帯で育つこのホップを使ったビールの方が、地元のお酒らしいと言えるのかもしれない。
「陛下の植物園に、付け足すべき一種であるな。佳良である」
ひさしぶりに、ミリシアさんの佳良をいただけた。これはうれしいなあ。
さて、僕もいただこうか。
「あー……おー……あ、うおあ」
声が出なくなっちゃった。情報処理に時間がかかるぞこれは。
アメリカンスタイルペールエール、いやヘイジーIPAに近いかな。なによりも強烈なのは香りだ。ばらのようなしっとりと甘い芳香はいっそう強くなって、ライチやさくらんぼ、よく熟したメロンのよう。もともと持っている酸味と甘みに、にごった見た目がとろみや南国を連想させるせいか、トロピカルフルーツっぽい。なぜだかぬるくて湿気た夜を連想したのは、バンコクの屋台で売っていたサントルの味が口によみがえったからだろうか。
「おいし、これ、おい、あわわわ、おいしすぎる」
鷹根さんがおろおろしていた。
「意味分からん、なんで酒がこうなる?」
悠太君も混乱していた。
「ちょっと目先を変えてみようか」
あまごにモルトビネガーをぴゃっとひっかけ、がふがふかじる。このあとで、ホップばきばきのビールが良い。酸味と甘さにしびれた舌で味わうビールは、モルトの香りとこくを感じさせる。
「わああ! 味! すごいこれなんか、味、ちがう味が!」
榛美さんすごい勢いで呑むね。
「それじゃあ、最後はポーターだ。これがねえ、ぬるいじゃがいもにめちゃくちゃ合うと思うよ」
ポーターの見た目は、褐色の泡といいしょうゆ色の液といい、だいぶコーラっぽい。
香りは、まさにビールといったモルトのにおい。口に入れると、まずは酸味、それから苦み、焙煎の渋みとこく。
喉を通り過ぎたあと残るのは、カラメルみたいな、渋さと甘さとかすかなえぐさ。ハイカカオのチョコレートにも、浅煎りのコーヒーにも似た、舌にじりっと残る後味だ。
「おー、これオレ分かるわ。うまい、分かるうまさだ」
ホップの、どこからどう来たのか見当もつかないような香りは控え目で、焙煎した麦芽が素直に楽しい。いいポーターだ。
「……いや、同じ酒だろ? なんだ? ビールってなんなんだ?」
悠太君はふたたび混乱の沼に沈んでいった。ビールでこれなんだから、めちゃくちゃなボタニカルを使ったジンなんか飲ませたらどうなっちゃうんだろうな。興味が湧いてきた。
こいつと、やや強気で揚げたじゃがいものペアリング、これがとてもいい。香ばしさと香ばしさとが味蕾と鼻腔をリングにしばきあい、ずっと口の中が愉快な感じになってくれる。
「よく煎った茶に似るか。常飲のものとして優れているな」
ミリシアさん、評価こそ冷静だけど呑むペースがめちゃくちゃ早い。なんか、腕までまっかになってない?
「ボクはこれがもっとも好ましく感じますね。バニラと合わせたくなる味です」
「お、いいですねえアンベルさん。今度はバニラビーンズでも漬けこみましょうか」
「それも悪くはありませんが、軽いクリームを挟んだミルフィユを添えて、午後を穏やかに楽しみたいですよ」
「いいな、それ。次の休暇やるか」
「あたしも! あたしもその、ミルフィユ、知らないけど絶対おいしいの食べたい!」
お茶会ならぬポーター会の計画が動き出しちゃったぞ。バニラ、バニラかあ。ヴィトネシアまで行けば手に入るのかな。
「次、な」
悠太君が、ちらっと僕を見た。なんか含みのある視線だ。
「え、それはもちろん、いくらでもやるけど」
「あー、おう。そうだな」
なんだろう、けっこう酩酊の入口に差しかかっちゃってるから、あんまり深い洞察ができないんだけど。
「もぉー、ばかみたい!」
鷹根さんが悠太君の肩をつかんで揺さぶった。
「ユータ、ずっとそれなのよくないよ! なんで口で言わないのずっと!」
こういうときに臆さず突っ込んでいく鷹根さん、頼もしいなあ。配慮と無遠慮のかたまりだ。
「いや、だって……なあ?」
「なにもなあじゃないもん!」
同意を求めた悠太君はあっけなく切り伏せられた。
「まったく、鷹根さんの仰るとおりでしょうね」
アンベルさんまで参戦だ。わからないまま話題が転がっていく。
「康太さんはこういう方ですから、求められれば応じるでしょう。それが嫌なのもかしこいボクには分かっていますが、やり方が迂遠なのでは?」
「そうだよ!」
二人がかりだ。
「や、その、だからさ」
悠太君は、なんかうなだれてぼそぼそ言ったあと、そっぽを向いた。
「……オマエ、今、無職だとか言ってへらへらしてさ」
「はい」
急に殴らないでほしいな。
「楽しいことだやりたいことだ、そういうのがねえと、どっかふらふら消えちまって、そこで、また死にかけるんじゃねえかって」
語尾は気まずそうに消え去って、うなだれる悠太君を鷹根さんとアンベルさんがふたりがかりでなでた。
そうかあ。
そういうことかあ。
遺跡に引っ張り出して、ビールを醸造しろってうながして、ちょいちょい様子を見に来て、そういうことだったのかあ。
なんというか、僕は定期的にいろいろまちがえてしまうなあ。そのたび人を怒らせたり困らせたり心配させたり、そんなことばっかりだ。
「謝んなよ」
「まだ何も言ってないけど」
「謝るときの顔してた」
そうかもしれない。
「オマエのせいじゃねえんだよ。オレが勝手に、そう思っただけだ」
僕はにっこりして、空になった悠太君のグラスを取った。
「あ? なんだよ」
「まあまあまあまあ」
ペールエールをたっぷり注いで、ずいと突き出す。
「いやだからなんだよそれ」
悠太君は杯を受け取ろうとしなかった。
「僕の住んでた国にはお酌って文化があってね。身分が上の人間を歓待するための、いわば動物的な仕草なんだけど」
「……で?」
「あのさ悠太君、踏鞴家給地って、いまだに醸造家が榛美さんだけでしょ?」
「まあ、そうだな。樫葉も酒造はやってるが、踏鞴家だから例外だ」
「そこで、どうでしょう、ご領主さま。僕にビールの醸造権を与えてくださいませんか?」
僕はおもいっきりへりくだってみせた。
悠太君は、一拍置いたあと、爆笑した。
「ばかが」
爆笑したあと悪態をついて、杯を受け取り、いっぺんに飲み干した。
「しっかり働いてきっちり納税しろよな、ごくつぶし」
このようにして、踏鞴家給地に紺屋ブルワリーが誕生したのだった。
◇
それから、しばらく後。
「んんんぐぐぐ……苦っ! ひゃあ、これはすごいなあ」
紺屋ブルワリーの第五弾、紺屋IPAを飲み干した僕は、舌にじんじん残る強烈な刺激を楽しんだ。ホップの香りといいしびれる苦さといい、グレープフルーツの皮をしがんだみたいだ。
「樫葉は驚きます。これがとても苦くて、今までのものと違うからです」
「苦手だった?」
樫葉は首を横に振り、にっこりした。
「いいえ、とても好きです。それは康太がつくったものだからです」
「ありがとう、よかったよ」
「康太は樫葉をなでますね?」
樫葉が猫みたいに頭をこすりつけてきた。
あんなに小さかった樫葉が榛美さんと同じぐらいの身長になっていたのを見たとき、率直に言って僕はぶったまげた。年齢ではなく栄養状態が問題で大きくなれなかったとはいえ、これはいくらなんでも急変しすぎだろう、と。
変わったのは身長だけじゃなかった。樫葉はいくらか前向きになり、好奇心を育て、自分にとって楽しいことを探そうとしていた。
今はビール醸造に深い関心があるらしく、僕のところに入りびたっている。
「そろそろ樫葉もなにかつくってみようか。紺屋ブルワリーの第六弾は任せるよ」
なでられるがままへにゃへにゃになっていた樫葉は、僕の言葉を聞くと、棒みたいにがちっと直立した。あまりにも一気に硬直したので僕なんかその勢いにふっとばされたほどだ。
「樫葉はやります」
力強いな。宣言が。
「樫葉は……樫葉は、とても、なにか、すごく、熱い、そう、熱いです。気持ちが熱くなるのを樫葉は感じます」
なんか、火が点いたみたいだ。樫葉がつくるビール、ぜひとも呑んでみたいね。
「そろそろ悠太君も来るころだからね。ふたりで説得しようか」
「はい。樫葉は説き伏せます」
反対されることはないと思うけどね。
今日は紺屋IPAの試飲会だ。ご領主さまの裁可がくだったビールは晴れて商品化と相成り、樽詰めして輸出される。そうはいっても根を詰めて働いているわけでもないので、現在の僕は、ときどきビールをつくる無職といったところだろうか。
「うわああああああ!」
だしぬけに、ものすごい悲鳴が外から聞こえてきた。
「悠太?」
樫葉が飛び出して、
「わあ」
一秒後、小さな感嘆の声をあげた。
ものすごく、既視感があるぞ。
「ええと、なんかあった?」
外に出た僕は、
「あー」
間髪いれず、「あー」っていった。
僕の「あー」は、ばかげて巨大なげっし類が目の前にいた場合、まったく時宜を得ているものだといえた。
なにしろ二頭立てのカピバラ車なんてものは、この世界にありふれたものだからね。
「さくたろう、うめこ、再会をよろこぶのにも礼儀というものがあろう」
カピバラ車の中から、低く澄んだ、よく通る声がした。
「いや、いいよもう。なんか懐かしくて涙出てきたわ」
顔をべろべろ舐めまわされながら、悠太君は落ち着いていた。領主の風格だ。
カピバラ車の扉がなめらかな動きで開いた。
宇宙から見た海みたいな色の髪が、風になびいた。長い手足がしなやかに動いた。
「ひさしいの、こうた」
ピスフィは、しばらく会わないうちにずいぶん背が高くなっていた。
「おひさしぶりです、ピスフィ。ずいぶん急ですね」
訪問に、手紙の一通もなかった。
「ふっふっふ」
僕はめんくらった。というのも、ピスフィが「ふっふっふ」と笑うところなんて、見たことがなかったからだ。途方もなく浮かれきっていることだけは伝わったけど。
「こうた!」
ピスフィは僕をびしっと指さした。
「主ゃに夏休みを用意したぞ!」
僕はというと、口を半びらきにすること以外、なんの応じようもなかった。
「康太の異世界ごはん8」につづく
踏鞴家給地の冒険:オリジンを追え おしまい!




