踏鞴家給地の冒険:オリジンを追え③
なにより重要な議題は、オリジンがどんなビールであったかだろう。
「ビールとは、パン粥のようなものから始まったと聞くが」
ミリシアさんが議論の口火を切った。
「ビールブレッドですね。まっさきに考えるべきだと思います」
発芽させた大麦を粉砕し、水でこね、がちっと焼き固めたものをビールブレッドと呼ぶ。これを水でどろどろに溶かして濾過し、放っておけば勝手に発酵してビールになってくれる。残りかすはかけつぎして育て、次のビールの原材料にもなってくれる。
ビールブレッドはたいへん合理的な加工品だ。持ち運びしやすく、長期保存可能で、そのまま食べたっていい。
「それ、ホップ使うのか?」
悠太君の疑問はもっともだ。ほったらかしでビールになるのなら、くふうの必要はない。
とはいえ、ホップの利用は大昔から見られたことだ。紀元前五百年代なかば、バビロン捕囚の時代、幽囚のユダヤ人たちがホップ入りのビールをこしらえていたという説がある。そのビールは、おそらくビールブレッドを利用したものだろう。
「悠太君とミリシアさんは、僕がつくったグルートビールを呑みましたね」
極寒の中、崩壊しかけたヘカトンケイルで、おでん屋台を牽いていたときのことだ。
「あれはまさに、ビールブレッドから醸造したビールです。そこにいろんなハーブを加えてそれっぽくしました」
正直、とうていビールとはいえない出来ではあったけど、雰囲気だけはがんばって限界までそれっぽくした。なんだって自分でつくればひいき目で見られて得だよね。
「ああ待てよ、それだとビールブレッドが出土してねえとおかしいか」
「たまたま出てきてないだけかもしれないけどね。とはいえ、僕たちの手元には炭化した大麦が渡った。そこから考えてみようか」
こうして僕たちは、ビールブレッド説をいったん棄却することとした。
「そうなると、冷たいビールか常温のビールか、ですね」
アンベルさんが議論に参加した。
「ええ、まさにそこです」
ビールは大きく二つに分けられる。低温・下面発酵と常温・上面発酵だ。前者は、僕たちが「生!」の一言で注文し、がぶがぶ呑んでいる、いわゆるふつうのビール。後者は、広くエールなんて呼ばれ方をするビールだ。
「ヘカトンケイル人が好むのは冷たいビールであるな。食前、舌を目覚めさせるのに用立てられる。食中酒としてのワインを打ち崩せるようなビールが、未だ知られざるところともするべきであろうか」
一般的に言って、上面発酵のビールは、下面発酵のものと比較し、複雑な香りや味わいを持つ。これはどちらがよい、という話ではない。きんきんに冷えたビールをジョッキでがぶがぶ呑みたい場面なら、下面発酵のビールが楽しい。花冷えから涼冷えへと温度が上がっていき、香りと味が開いていくさまをグラスで楽しみたいなら、上面発酵のビールを選ぶべきだろう。
「それ、そもそもどう違うんだ?」
「具体的には、使っている酵母だね」
上面発酵ビールに使われているのは、おなじみサッカロミセス・セレビシエ。パンづくりなんかにも要りようの出芽酵母だ。そもそもこのcerevisiaeという種小名が、ビールのラテン名cervisia――具体的にはその属格であるcerevisiaeから――採られている。
一方、下面発酵にはサッカロミセス・パストリアヌスという酵母が利用される。これは低温で元気よく発酵し、かつ、殖えた酵母が発酵槽の底に沈殿するという特徴を持っている。この性質から、下面発酵と呼ばれる。
下面発酵ビールは十五世紀中ごろの南ドイツで開発されたらしい。低温で発酵するため雑菌が繁殖しづらく、おまけに酵母が勝手に沈んでくれて処理しやすいため、その作りやすさから多くの都市に広まっていったそうだ。
「これらを踏まえて、オリジンはおそらく上面発酵のビールだと僕は思っています」
「あ?」
悠太君が首をかしげた。
「作りやすいんじゃねえのかよ、下面発酵の方が」
「そうなんだけどね。酵母の入手性に問題があるんだ」
サッカロミセス・パストリアヌスは、サッカロミセス属の酵母が掛け合わさって生まれたものらしい。自然界で得ようとすると、けっこう難題だ。
一方でセレビシエは、果物の革、葉っぱ、花の蜜など、わりとそこらじゅうに存在する。しぜんに考えれば、エルフたちが利用していたのはこちらだろう。
「では、上面発酵ということで落ち着こうか。それで、具体的には?」
ミリシアさんが話を先に進めた。
「今のところ、二種類まで絞れるかなーって思ってます。ペールエールかポーターですね」
ペールエールは、十八世紀後半にイギリスで発明されたホップ入りのビールだ。焦がさず乾燥させた麦芽由来の、淡い金色を特徴とする。軽い飲み口ながら、麦芽とホップをまっすぐ楽しめる。
一方でポーターは、しっかり焦がした麦芽を使った黒いビールだ。チョコレートやコーヒーのような焙煎香と酸味、どっさり使ったホップの苦みがありながら、果実のような甘さも感じられて呑みやすい。
「今のお話を聞く限り、ポーターに分がありそうですね」
「そうなんですよねえ」
僕は腕を組んでうなった。
アンベルさんの意見は当を得たものだ。まず、麦芽を焦がさず乾燥させるのはけっこう手間だ。それに、品質の悪い大麦でも、焦がしてしまえば焙煎香でごまかせる。
「とはいえ、麦芽に火を入れすぎちゃうと歩留まりが悪くなるんです。同じ量の麦芽から限界までビールをつくりたいなら、ペールエールかなって」
踏鞴家給地のオリジンビールとは、はたしてペールエールかポーターか。
「いや、どっちもやりゃあいいだろ」
悠太君が竹を割ったようだった。
「たしかに」
いつの間にか、自分で決めたレギュレーションにとらわれつつあった。
どのみちオリジンは歴史のはるか彼方にあり、手の届かないものだ。だとすればオリジンというていで、好きにすればいい。
チョコレートスタウトやサワーエールをやったっていいし、熟成に二年かかるランビックだろうと自由だし、なんならもう小麦をつかってヴァイツェンを仕込むほどの逸脱だって許される。
ごちゃごちゃ言ってはみたものの、けっきょく僕は、ビールを醸造したいのだ。
僕には夢があった。醸造所と呑み屋が一体となったブルーパブをやってみたい、そのときはコンクリート打ちっぱなしの発酵槽をどかんと据え、道行く人に見せびらかしたいという夢が。
「やってみろよ。どうせ止まんねえんだからオマエは」
悠太君やっぱり僕のこと甥っ子みたいに思ってない?
「ありがとう、悠太君。目が覚めたよ」
「では、ポーターとペールエールの二種類を仕込むのであるな。私も力を貸そう」
ミリシアさん、まさかの長期滞在宣言だ。すごくうれしいけど、母国に仕事を残してきたりしてないのかな。
「終わったー?」
いいところで、鷹根さんが会議に入ってきた。
「ああ。待たせたな」
近寄ってきた鷹根さんの頭を、悠太君がぽんぽんした。すると鷹根さんはにこーってなった。
「いいよ! ユータ楽しそうだったもん」
こうして、なんとなく解散の空気になった。
「んじゃオレら戻るわ。必要なもんあったら声かけてくれ」
悠太君と鷹根さんが、連れだって出ていった。
「ミリシアさん、宿はもう取りました? よければ商館の一室をお貸ししますよ」
「感謝する、アンベル・エルダ。夜餐も頼めるか?」
「もちろん。生牡蠣のご用意はありませんけれどね」
「寒川家は牡蛎の名産地と聞くが、私は逗留先を見誤ったかな」
ミリシアさんとアンベルさんが、皮肉を飛ばしあいながら去っていく。
人がいなくなると、こもっていた熱気が抜けていくようだった。僕は首元の汗をぬぐって、大きく息を吐いた。
「んふふ! なんだか康太さんがいいときですね」
いつの間にか榛美さんが目をさましていた。
「いやあ、楽しくなりすぎて困っちゃうよね」
「なにかわたしもできますか? もしかしたら得意かもしれませんよ」
いざってきた榛美さんが、鼻をくっつけようとする猫みたいに顔を近づけてきた。
「手伝ってもらえるとすごく助かるよ」
「はい! やれるかもしれませんからね! よーし!」
立ち上がった榛美さんは拳を突き出し、前後にステップまで踏んでみせた。同階級の相手なら一撃でロープまで吹っ飛ばせそうな、踏み込みの深い右ストレートだった。どうやらやる気になってくれているらしく、心からありがたい。
いよいよ始めちゃおうか、ビール醸造。
◇
ビールづくりは、製麦からはじまる。
袋に詰めた大麦を沢に沈めて吸水させること一晩。引き上げたら水気を切って、どこか良い感じの洞窟に広げてやる。一日一回、上下を返してやろう。
移民島で豆鼓づくりをやった経験が、こんなところで活きてくるとはなあ。なんでもやっておくものだね。
「オマエどこ行っても似たようなことしてんのな」
悠太君のあきれ声が、小さな洞窟に反響した。複数人に四方八方から責められているみたいだ。
「豆鼓をやれる機会なんて、逃すわけにはいかないからね。さて、そろそろだと思うんだけど」
大麦からはひょろひょろした根っこが野放図に伸びて、ごちゃごちゃにもつれあっている。一粒むしって指先で潰すと、粉っぽくも湿った感触があった。胚乳の細胞壁を、酵素がぶちこわしてくれたのだ。
香ってみると、青っぽく、胸がうずくような夏草のにおいの中に、なんとなくビールっぽさを感じた。
「よしよし、悪くなさそうだぞ」
発芽した大麦は、いっしょうけんめい糖化酵素を作り出す。胚乳の中のでんぷんを、栄養として利用しやすい糖に変換するためだ。この作用が、ビールづくりのひとつ大きなポイントとなる。
お次は、この大麦をからっからに乾燥させる。
「わたしですね! なんかをなんとかしますよ!」
榛美さんがずっとやる気だ。ものすごくたのもしい。
大麦を木組みの台に移したら、下から火であぶってやる。このとき、榛美さんの魔述は最適だ。
「このへんにやりますね」
榛美さんが指さした先に魔述の火が点った。もはや燃料だの詠唱だののわずらわしい手続きは一つも必要としない。いよいよ至高の魔述師の領域に至ってきた感じがする。
「やばすぎだろ」
悠太君も、榛美さんの無法におののいていた。
「ありがとう、榛美さん。どれどれ」
僕は手をかざして温度をたしかめた。経験上、あちち、ぐらいで80度だ。
「あちち」
「わああ! 康太さんがあつあつに!」
「ありがとう、榛美さん。火勢はこれくらいでちょうどいいと思うよ」
まっすぐ吹きあがった熱風が、麦芽から水気を飛ばしていく。一晩じっくり付き合ってやろう。
「え、オマエここで寝んの今日」
悠太君は榛美さんの魔述よりもびっくりした。
「そのつもりだけど」
「……人を遣らせる」
「えーいいのにそんな。好きでやってるんだから」
どことなく頼りない黄土色だった麦芽がきれいな黄金色になって、香りがけっこうビールっぽくなるのを、見守っていたい。寄り添っていたい。その結果、肌がぱりぱりに乾燥しようとかまわない。こちらはそれほどの決意でビール醸造に臨んでいる。
「いやオマエの決意はいいけどうっかり寝て火事になったら死ぬだろ」
あまりにももっともすぎてなんの反論もできなかったので、けっきょく、火の番は交代制になってしまった。
さて、乾燥を終えた麦芽のうち、半分は高温で加熱し、甘苦いカラメル香が立ってくるまで追い込んでやろう。こっちはポーター用だ。
「これで製麦は終わりか?」
かりかりに乾いた麦芽をきんちゃく袋で包みながら、僕は首を横に振った。
「根っこを外す作業があるよ。実を言うとそれが一番しんどいところなんだ」
悠太君は「え」って顔をした。
「え」
のみならず、「え」って言った。
麦芽は根っこがもつれあい、もはやひとつのかたまりといっていい。
「ひとつひとつ……?」
思ったより悪い想像をさせてしまったな。
「引っぱたけば外れるから、ふるって分けるだけだよ。でもまあ、そろそろ水車ぐらいは欲しいなあ」
なにかあるたび、棒で穀物をしばいている気がする。脱穀用の水碓ぐらいは作ったっていいだろう。
「今度作るぜ、ばかでかい水車。実はそれで川向の住民とずっと揉めてた」
「ああ、どこに帰属させるかってことだね」
「ん。親父が集会でみんなを説得してくれて、領主のものってことになった」
悠太君は、讃歌さんの話をするとき、いつもすこしぶっきらぼうになる。照れくさいのか、越えたいのか。どっちもあって、きっともっと複雑な感情なのだろう。
「そっか。いいね」
「とっとと終わらせるぞ」
悠太君は僕からきんちゃく袋をぶんどって、ずかずか歩き出した。




