踏鞴家給地の冒険:オリジンを追え②
藁花荷鉄さん。悠太君の配偶者である鷹根さんのお父さんだ。体の弱さがたたってなかなか田んぼ仕事に出られず、かつては気まずい思いで日々を過ごされていた。
今現在、荷鉄さんは、ある種の特権的な地位にある。領主の義父だから、ではなく、その技術によってだ。
とげとげしく鋭く、若い稲が並ぶ棚田の一部が、はなやかでやわらかい淡紫と白に染まっていた。脇のあぜ路に、僕たちは荷鉄さんの姿を認めた。
「やあ、これは白神さま、悠太くん」
荷鉄さんは座ったままで僕たちに手を振った。
「おはようございます、荷鉄さん」
会釈して、隣に座る。かすかな甘いにおいは、眼前の花畑から運ばれてきたものだ。
「ずいぶん花がつきましたねえ。そろそろですか」
「ええ。鷹根にせっつかれていますよ」
幸福そうに笑う荷鉄さんのかたわらには、木製の四角い箱が置かれている。みつばちの巣箱だ。
現在、棚田の一部は、れんげ畑になっていた。
踏鞴家給地では、伝統的に米と黒豆の二毛作が行われている。いかに強靭な栄養供給力を誇る水田とはいえ、そんなことを繰り返していればさすがに土が弱ってしまう。そこで給地のひとびとは、休耕地でのれんげ栽培をはじめた。地力回復のためだ。
悠太君は、れんげをなにかに利用できないか考えた。そこで選ばれたのが、古くから養蜂をやっていた藁花家だった。
踏鞴家給地における養蜂については、これまたいろいろなことがあって、端的に説明すると僕たちは死にかけた。はちみつに毒が含まれていたのだ。
僕たちはあれこれ苦心して毒のないはちみつをこしらえた、というのも、今となっては思い出話だ。悠太君は踏鞴印のれんげはちみつを産業化しようとしている。耕蜂連携というやつだね。
「古いお酒というのは、聞きおぼえがあるよ」
悠太君の説明を受けて、荷鉄さんが口を開いた。荷鉄さんのひいおばあさんは最初期の入植組の生き残りで、折に触れ昔のことを語ってくれたのだという。
「うん、そうだねえ。澄んだ汁に、淡雪を浮かべたようなお酒だと言っていた。あんまりにも美しくて、すこしなめてみたら、飛びあがるほど苦かったそうだ」
悠太君が僕の顔を見た。僕はおもおもしくうなずいた。
「間違いない。ビールだよ」
淡雪というのはこの地のかつての産業植物で、ハグマノキのことをエルフたちはそう呼んでいた。スモークツリーとも呼ばれるこの植物は、煙のような、あるいは泡のようなふわふわした花をつける。
「ありがとな、父さん」
悠太君はちょっと照れくさそうに荷鉄さんをそう呼んで、立ち上がった。
「行くぞ、康太」
「え? え?」
「アンベルのとこだよ」
「え、あ? ああ、うん、ありがとうございました、荷鉄さん。その――」
「行くぞ」
悠太君がもうけっこう遠い。それは僕の役回りじゃないかな悠太君、興奮して見境なくなるのは。でもやぶさかでない、ぜんぜんまったくやぶさかでない、もっとめちゃくちゃに振り回されたい。
「楽しみにしていますよ、白神さま」
「はい、ええ、もちろん、あ、またお願いすることがあるかもしれません、そのときは……ああー悠太君が遠い! すみません失礼します!」
僕はあぜ道を急いで駆けくだり、悠太君を追った。
◇
「なるほど、なるほどなるほど」
川向にある、ヘカトンケイル商館の執務室。商館長であるアンベル・エルダさんは、机の向こう側、僕たちに目線も向けず、つけペンのお尻でノームの巻角をこつこつ叩いた。
「かしこいボクには分かっていますよ。たしかに、ビールの醸造も史学も、踏鞴家給地にとってたいへんな重大事です。ご領主さまが我を忘れてどろんこになるのもよく分かるお話です」
ヘカトンケイル流の皮肉が飛んできて、僕と悠太君は顔を見合わせた。
「そこでボクの魔述が要りようになるというのも、またよく分かる話です」
アンベルさんへの頼みごとというのは、資料の取り寄せだ。古いエルフたちの文献、それから、ビールの発酵槽をまるごとひとつ。
アンベルさんは失せ物探しの魔述を持っている。系は“瞳述”、語彙は“捉える”、見て捉えたものを追うことができる。この力は、踏鞴家給地における枯草菌の掃討に一役買ったという。
出土した土器にこびりついていた結晶が実際にビール石なのかどうか、アンベルさんの魔述で確かめようということだ。激務の商館長をつかまえていきなり頼むにしては、かなり礼を失したお願いごとだろう。
「なるほど、なるほどねえ」
とはいえ、アンベルさんのこの態度は、ちょっと礼を失した相手へのものではなさそうだ。
「悠太君、もしかしてなんか怒らせた?」
僕がたずねると悠太君はそっぽを向いた。なんか怒らせたな。
「ユータ! いた!」
折よくなのか悪くなのか、鷹根さんが執務室に飛び込んできた。どうも挟みうちのかたちになりそうだ。僕はなるたけ存在感を消すことにした。
「もぉー! なにやってんのどろんこで!」
「いや、その、悪い。すぐ戻るつもりで」
なんかすっぽかしたな。
「急いで! もう来ちゃうよ!」
「分かった、悪い、すぐ行く」
悠太君がこっちを見て、オマエなら分かってくれるよな? みたいな顔をしたので僕は無視することにした。ごめん悠太君、すごく分かりたすぎるんだけど、ここで共犯者になるのはなんか全般的に良い影響がなさそうなんだ。
しゅんとした悠太君が引きずられていき、残ったアンベルさんは、ペンを机に置いて渋面をほどいた。
「さて、資料の取り寄せですね。お時間あるようでしたら、ここで詰めちゃいましょうか」
早いな、切り替えが。
「ありがとうございます。ところで、ええと、なんか悠太君、やらかしたんですか?」
「踏みとどまった、と言えますね。踏鞴さまは、これから寒川家給地のご領主さまとの会合です。議題は、港湾の使用料に関してですよ」
踏鞴家給地は、ヘカトンケイル商館を通じていろんな産物を輸出している。その際に用いられるのが寒川家給地の港湾だ。つまりどういうことかというと、たいへん大事なことだ。
「すみません、いっしょになってはしゃぎました」
「いえいえ! とんでもないですよ。康太さんとの時間は、悠太さんにとって大切なものです。なにしろ彼は、放っておくとどこまでも根を詰める人間ですからね」
「間が悪かったですかね」
アンベルさんは首をかたむけ、ペンのお尻で角をこりこり掻いた。
「……まあ、そういうことでしょう。さて、ビールの発酵槽についてはブッガシエあたりで探させてみますね。資料は、ヘカトンケイル大学に複写をお願いしておきます。一か月ほどいただければ」
「ああいえいえ、そんな、急がなくてもぜんぜん」
「お気づかいありがとうございます。しかし、ご領主さまがいつまでも気がそぞろというのでは、ボクも仕事がやりづらいんですよ」
アンベルさんは皮肉を口にしてにやりと笑った。
◇
季節は移ろい、夏の盛り。山間の踏鞴家給地でも外を歩けば汗をかくころ、頼んでいた資料がやってきた。
「久しいな、康太」
なぜか、ミリシアさんといっしょに。
銀髪からてろんと垂れたうさ耳は今日も毛づやがよく、あいかわらず騎士でもないのに騎士っぽいかっこうをしている。
「おひさしぶりです、ミリシアさん。まさかわざわざいらっしゃってくれるとは」
「わああ! ミリシアさん!」
「あなたがまたも興味深いことをしていると聞いてな」
ミリシアさんは、飛びついてきた榛美さんをなでた。
「この地に美しき麦酒が誕生する瞬間の、見届け人たろうと思ってな。使命感であるよ」
「ふんふんふんふん!」
興奮した榛美さんは、ミリシアさんの脇に潜り込もうとしすぎて背後に回った。
「では、検討を始めようか」
「はい! やりますよ、わたしは!」
ミリシアさんが持ってきてくれた資料を広げ、さっそく会議がはじまった。榛美さんはすぐ寝た。
「ヴィトネシアにおけるエルフの動向を、まずは考えてみたい」
なんか知らない単語が出てきた。
「ああ、香料諸島と呼んだ方が馴染み深いか」
香料諸島というのはうっすら記憶にある。たしか熱帯にある島しょ地域で、スパイスが採れるらしい。
「近年では香料諸島とヘカトンケイルの交流も深まってな。ヘカトンケイル本位の地名を忌避する風潮が内外で生じたのだ」
たしかに、香料が採れるから香料諸島というのは、なんだかちょっと収奪的な雰囲気がある。航海中たまたま見つけた無人島に聖人の名前を付けるのとはわけがちがって、いろんなひとがもう住んでいるわけだし。異世界のポリティカル・コレクトネスだ。
「となると、テルス・ル・エルーヴラでしたっけ、その国の話になりそうですね」
うむ、と、ミリシアさんは首肯した。
「まずもって、それ以前の歴史については追えん。あちらこちらで真偽不明の口伝が散らかっているばかりであるからな。したがって、我われが注目すべきはテルス・ル・エルーヴラの無人島開発であるわけだ」
ミリシアさんに手渡された資料をざっと読んでみる。ヴィトネシア南部の無人島の調査記録だった。
ざっくり要約すると、どうやらエルフは魔述による環境改変を試み、もののみごとに失敗したらしい。もともと貧しい生物相しか持たなかったその島は、つるつるのはげ山になってしまったそうだ。
「昔のエルフって気軽に環境を変えようとしますね」
「往古の魔述は概してそういうものさ。百貨迷宮もその帰結だ。この島、かつてはアグロパイロン島と呼ばれていたが、この地で栽培を試みられた作物こそ、大麦である」
なんかつながってきたぞ。
「熱帯で、わざわざ大麦を育てようとしたわけですか」
「気候を書き換えてまでな」
このあたりでさえ、大麦を育てることはなかった。熱帯ともなれば何をかいわんやだ。
「もとよりエルフたちは、荒涼極まる高原より下ってきた。かの地において、大麦は命をつなぐに欠かせぬ作物であったろう」
「となると、南下に際して持ち出された可能性は高いですね」
エルフがこの土地に持ってきたとされるのは、黒豆、米、そして淡雪。ここに大麦もあった。というより、大麦こそがエルフにとっては重要だったのではないだろうか。
僕が思いついたことを話すと、ミリシアさんはうさ耳をひねった。
「妥当な推論であるな。米も黒豆も、大陸を通過する際に得たものと考え直すべきか」
地球とこの世界の地図を重ね合わせたとき、中つ国諸国はだいたい東アジアだ。稲作や大豆栽培の文化を学ぶとすればうってつけの土地がらだろう。
「踏鞴家給地における大麦は、育たなかったのか、あるいは選好のふるいにかけられたのか……」
あぐらに片肘をついて、ミリシアさんは身を乗り出した。
「推理の補助線として、このへんだと、もちもちした食感のものが好まれるんですよね。お米はもち米だし、ねこじゃらしはもち粟だし」
「となると、大麦が好まれる道理はないな」
僕たちが日ごろ食べている大麦は、だいたいぺっちゃんこの押し麦だろう。なんでわざわざ押しつぶすかといえば、粒のままだとぼそぼそしているからだ。
麦粥なんて食べ方もあるけれど、これはけっこうでろでろした食感で、穀物を粒のまま食べたい粒食文化圏とは相容れない。
「これ以上は歴史の靄の向こう、であるな」
ミリシアさんは話を打ち切った。歴史については興味があるけど、これ以上は考古学者の仕事だ。
「すくなくとも、エルフにとって大麦は重要な作物であった。これは揺るがぬ事実であろう」
「ええ。次はその用途ですね」
「でしたら、朗報をもたらせそうですよ」
いきなりアンベルさんが割って入ったので僕たちは座ったまま飛び上がった。
「アンベル! アンベル・エルダ! あなたのお父上が手紙をよこせと怒っていたぞ!」
「それはそれは、ミリシア・ネイデル。返信にはまぐろの魚醤を一樽付け加えるよう、お父さまによくよく申し添えますよ」
アンベルさんとミリシアさんはハグし、軽口を叩きあった。
「しばらく前から声をかけていたんですけどね。益のある議論を前にしては、ボクのあいさつなど扉も揺らせないそよ風でしたか」
「すまなかったな、アンベル。つい熱が入ってしまったのだ。わざわざ訪ったからには、検分が済んだのであろう」
アンベルさんは、閉じた右目のまぶたを指でとんとんした。
「はっきりと我が目で捉えましたよ。壺から採取した結晶と、ビールのアンフォラにこびりついていたくだらないかすは、ほとんど同じものでした」
僕は心の中で両の拳を突き上げた。これで確定だ。踏鞴家給地ではビールが醸造されていた。花もとを用いたどぶろくは、大麦が失われたあと、ビールの代替品としてつくられたのだろう。
「おい、オレ抜きで進めんなよ話を」
「ユータ、待って、はやい、はやあし!」
悠太君と鷹根さんが、家に飛び込んできた。二人とも汗だくだし、肩で息をしている。
「それじゃあ、冒険を始めようか。オリジンを追う冒険を」
僕はきっぱりと宣言し、その場の全員をしっかり呆れさせた。




