踏鞴家給地の冒険:オリジンを追え①
本章は書籍版の7巻と8巻をブリッジするエピソードです。時系列としては7巻からしばらくあと。このエピソードを読むことにより、とてもすんなり8巻に入っていける可能性が非常に高い。そうなると読まないわけにゃあいかないね。というわけで、ひとつよろしくお願いします。
だいいちに、裸一貫で異世界にやってきたとしよう。だれもが功を成したり名を遂げたりするわけではないのは、統計的に言ってあきらかなことだ。
では、本厚木の里山みたいな土地にさまよい出て、世界一お金持ちの国からやってきた大商人に雇用され、何度か生死の境をさまよった人間の行きつく先として、どこらへんが妥当だろうか。
なんらかの立場と所領を得る? りっぱなかまえの大店を切り盛りする? あるいは首都の一等地で雰囲気のいい飲み屋を開業する?
どれもたいへん魅力的ではあるけれど、すくなくとも僕の場合、そうはならなかった。
榛美さんを起こさないよう、そっと、外に出る。
風に巻かれた朝の川もやが、土手を這いのぼって足元に漂いこむ。流れ続ける水の音を聞いて淡水のにおいをかぐ。
僕はおおきくのびをして、あくびをし、今日は何をしようか考え――とくに思いつかなかったしうっすらねむかったので二度寝をすることに決める。
いまの僕は、完全無欠の無為徒食。すなわち、無職だ。
妥当な行きつく先とはまさにこのことだね。
そんなわけで、二度寝と決め込んで戸に手をかけた僕は、
「おい、康太」
笑っていても不機嫌に聞こえるような語調の声に足を止め、振り返った。
「おはよう、悠太君」
「ん」
踏鞴家給地の領主、踏鞴悠太君が朝もやの中から現れた。僕の数すくない親友のひとりだ。困ってなくてもむずかしそうな顔をして、だいたいいつも首を揉んでいる。
「おもしれえもん見つけてな。どうせヒマだろ? 付き合えよ」
もちろん僕はいつだってひまを持て余しているし、悠太君に付き合えよと言われたからには地獄の果てにでもついていきたいという気持ちを常に抱えている。一も二もないとはこのことだ。
「とすると、またなんか出てきたわけだね」
悠太君はうなずいた。
「朝ごはんにしたら出かけようか。悠太君も食べていく?」
「ありがとな。いただいてくわ」
なんて口にしながら、悠太君はけっこうしっかりそわそわしている。今にも僕の首根っこをつかんで引っ張っていきたそうだ。かつての僕が、悠太君の首根っこをつかんであちこち引きずり回したように。
なにやら、冒険の予感だった。
◇
踏鞴家給地には、ふたつの区画がある。川を挟んだ東側を川向、西側を棚田下と呼ぶならわしだ。僕たちが住んでいるのは棚田下、踏鞴家給地の旧来の住民が、素朴で伝統的な暮らしを送っている。
一方で、川向は開明と発展の地だ。
かつて、草むらと廃墟しかなかったこの土地は拓かれつつある。なにしろここには、あふれんばかりの森林資源と山盛りの仕事があり、かつ、課税が控えめだった。
よそから流れ着いたひとびと、農閑期にやってきてそのまま家族もろとも定住した季節労働者、そうした方がたを相手にする商売人まで現れれば、市も立つ。人が人を呼び、都市化はぐんぐん進む。
悠太君の号令一下、深い森は次つぎに暴かれていった。すると、あっちこっちに遺跡が現れた。
ここですこしばかり紙幅を割いて、踏鞴家給地の歴史について検討してみよう。
最初に入植したのは、はるか遠くの高原からやってきたというエルフの一団だ。彼らはわずかばかりの植物を手に大陸を縦断し、半島の東北部――つまり、僕たちが住んでいるこのあたり――に腰を下ろした。どうやら、川の流れを勝手に変えたりむちゃくちゃな品種改良をやったり、かなりの狼藉があったようで、今なおその痕跡はこの地に残っている。
入植者は、どうもばっちり元気に殖えたらしく、次第に谷あいの小さな土地では全員を養いきれなくなった。歴史上のどこかで、エルフたちはすくなくとも三つに別れることになった。
一派は更なる南下を試み、熱帯の島しょ群に辿り着いてテルス・ル・エルーヴラなる国を建立した。一派は深い森に分け入り、ごくごく静かな狩猟採集と付属的栽培の生活を営みはじめた。
この地に残ることを選択したひとびとも、もちろんいる。
時は流れておおよそ百年ほど前、この土地に、とあるドワーフが封じられた。踏鞴家給地の初代領主、賽さんこと鉄じいさんだ。賽さんは在来のエルフ、火凛さんと交わった。
このようにして、今の踏鞴家給地があるわけだ。
遺跡というのは他でもない、最初に入植したエルフたちの暮らしの跡だ。これは、ちょっとそこらへんを掘ったらいくらでも出てくる。南の斜面に生えている粒のでかい猫じゃらしだとか、時期になるとアブラナが花開く菜の花畑なんかも、遺構と言えるだろう。
「こいつだ」
根掘りの跡もなまなましい、黒く湿った土から突き出したものを、悠太君は指さした。
「ふうむ」
積み石を並べて、八畳ほどの空間を囲ったものに、見えなくもない。植物の成長によっておおかたぐちゃぐちゃにはなっているけど、建造物の基礎と言い張ることはできそうだ。
とはいえ、これだけならばありふれている。エルフだって野ざらしで寝ていたわけではないのだし、家ぐらいは建てただろう。僕の興味を惹いたのは、土の中に埋もれている、土器片のようなものだった。
「ちょっと失礼」
ふかふかする土を踏んで遺跡に分け入り、土器片をつまみあげる。乾きかけの砂を払って、かすかなアールを描くかけらの、表と裏を観察する。
「なんだろうこれ」
黒く、てらてらするかけらが、土地の端にこびりついていた。指でかりかりこすってみると、あっけなく砕けた。指で揉んでみると、鋭い切片が肌にちくちく食いこんだ。
「んんー? 樹脂かなこれ。なんかシーリングしてた?」
この土器がなんらかの保存容器で、ふたと本体のあいだに樹脂を充填して密閉した、という推論はそれなりに妥当だろう。それじゃあ、なにをわざわざ保存していたのか、という話になる。
「こっから土器が丸ごと出てきてな。作業してたやつが落として割っちまったんだが、中からこいつが出てきた」
悠太君が握りこぶしをずいっと突き出したので、てのひらで受ける。まっくろい粒が数十個、ぱらぱらと落ちてきた。
「分かるか?」
「考古学者ではないからなあ」
つまみあげるとあっさり潰れて粉になってしまったので、顔をちかづけ、まじまじと観察してみた。どうも、なんらかの穀物らしい。たまごがたで、中央に深い溝がある。
「たぶん大麦だね」
溝の深さから、てきとうにあたりを付けた。実っているところを見ればすぐに分かるのだけど、一粒だけ抜き出されてもちょっと自信はない。
「おもしろくなってきただろ?」
たしかに、興味深い。鼻祖の代、高原のエルフたちがこの地に持ってきたのは米だとされている。それではこの大麦は、どこから出てきたのだろう。
ある直感が、僕をつらぬいた。
僕はさっきの土器をもういっぺん仔細に眺めた。カーブを描く内側を陽の光に当ててみると、なにか、きらきら輝く粉のようなものが見えた。
僕は土器片を積み石に叩きつけてふたつに割り、断面をよく見る。かすかに、ほんのかすかに、うす黄色の粉が見て取れた。
爪の先で、粉を掻き取る。心臓がばくばく鳴っている。
「うわあ! ばか!」
悠太君が悲鳴を上げた。というのも、僕が土器から取れた粉を舐めたからだ。
「オマエはまたなんでも口に入れて!」
圧倒的な土っぽさの中から、僕は、スイバやスベリヒユの青臭い酸味やずいきに感じる舌への刺激を慎重に選り分けていった。
「分かったよ、悠太君」
僕はできる限りのおごそかさを言葉に込めた。
「あ?」
「踏鞴家給地では、ビールが造られていたんだ」
◇
ところ変わって、僕と榛美さんの家。
今は床几を囲んで、緊急会議のまっさいちゅうだ。
「花もとのことを覚えてる?」
「オマエがつくった酒だろ」
「そうそう、覚書にあった方法でね。そのときに、ホップを使ったよね」
「なんかすげえ歩かされた。あと百合根を掘らされた」
「おいしかったねえ」
僕が目を細めると、悠太君は明白にいらついた。
「ごめんごめん。ええと、もう、ごめんねちょっと興奮しちゃって、どこから話したものか……」
「分かってるよ。好きにしろ、聞くから」
悠太君は頬杖をつき、苦笑を浮かべた。もしかして悠太君、僕のことを甥っ子みたいに思ってない? やぶさかでないぞ。
「たぶんだけど、あの遺跡はビールの醸造所だね。出土した土器は、発酵槽だと思う」
「ビール、ってのは、なんか、酒だろ? なんで分かるんだよ」
よくぞ聞いてくれました。
「土器の内側にこびりついていた結晶、あれはビール石だと思うんだ」
ビール石というのは、醸造中に発生するやっかいな物体だ。
ビールの中にあるシュウ酸とカルシウムがなにかの拍子にくっついて、シュウ酸カルシウムの結晶として析出してしまう。このビール石はタンクの底や側面にこびりつき、なかなか剥がれてくれず、掃除の手間を増やしてしまう。
では、土器の場合はどうなるだろう。土器というのは、言ってみれば多孔質のセラミックだ。ビール石は、無数の細かな穴にトラップされ、ずっと保存される。
実際に、メソポタミア平野部にある紀元前四千年紀の遺跡から、細孔にビール石がびっしり詰まった土器が出土しているそうだ。
「なるほどな」
悠太君は目線を落とし、親指とひとさし指でくちびるを挟んだ。
「大昔のエルフは、ホップと大麦でビールを作ってたってことか」
「かもしれない、だね。今のところは。なにしろ覚書にも載っていないことだから。そもそも大麦はどこから出てきたんだろう?」
「このあたりじゃ育ててねえな」
踏鞴家給地を擁するカイフェ半島では、大麦を育てる動機が見つかりにくいだろう。なにしろ、収量も食味もよい穀物が他にいくらでも選べるのだ。
「んじゃ聞くか」
やおら悠太君が立ち上がった。
「聞くって?」
「荷鉄のおっさんだよ」
「ああー」
「行くぞ」
悠太君はすたすた歩き出した。なんて堂々としているんだ。領主になったんだなあ。
「榛美さん、行ってくるね」
「んふぁい」
声をかけると、榛美さんは寝たまま返事をした。




