星の稲穂
さて、一品作るといったものの、あんまり手の込んだものはできないな。
さんが焼きをしようにも魚がないし、だしを引いて麺を打って……みたいなものは論外。
となれば、あれを使おうか。
「悠太君、ちょっと手伝ってくれる? なるべく目の細かい魚の網がほしいんだけど」
「はいよ。取ってくる」
で、網を抱えた悠太君とともに、ケヤキ脂を染み込ませた松明に火をつけ、川に降りていく。
「今度は何しようってんだ?」
網を抱えた悠太君が、ちょっと不安そうにたずねる。
そんな顔するなよ、いじわる心が沸いちゃうじゃないか。
「狩猟」
「うえっ? おいおい、また領主林じゃねえだろうな?」
「今回は合法だよ。安心して」
川岸を松明で照らすと、あったあった。
葛布の切れっ端が、川へとつづいている。
「ここに、たばねた柴をしずめておいたんだ。引き上げるから、網ですくいあげてほしい」
「柴を? なんだそりゃ」
「柴づけ漁って言ってね。僕の世界では伝統的な漁法だったんだ。
いくよ、せーのっ!」
紐をたぐって、水中の柴を引っ張り上げる。
悠太君が網を打って、柴をすくいあげる。
「よいしょっと」
ひきあげた柴を、網の上でばさばさとふるう。
水滴が飛び散って、なにか小さいものが落ちる、ぽさぽさという音。
「どれどれ」
松明をかざしてみると、
「うおっ、すげえ……!」
悠太君が興奮するのも無理はなし。
網の中では、大量の小えびがぴちぴちはねていた。
松明に照らされて、目が紫色にあやしくひかっている。
からだよりもはさみの長いやつがけっこうな割合でまじっている。
「おー、テナガエビだ。こんな上流域にもいるんだなあ」
これはうれしい誤算。
テナガエビは汽水域の浅瀬に棲息するえびの一種。
五月の中旬から八月ぐらいまでは小物釣りでたのしめる。
かく言う僕も、釣れる時期は休みのたびに多摩川まで足を運んでいた。
居酒屋『ほのか』の季節限定メニュー“とれたて川エビの唐揚げ”ご好評いただいておりました。
ガーリック味と岩塩味のご用意がございましたので、ご希望ございましたらお応えできました。
梅雨のころ、雨のふる音に耳をかたむけ、波紋の浮かぶ水面をながめながら橋の下で竿を伸ばすのは、なんともおもむきがあって楽しいよ。
道具も二千円足らずでそろうし、簡単ながら奥深いし、釣りをはじめたい方にもおすすめ。
「どうなってんだ、これ?」
悠太君、えびと柴木を交互に見ている。
「たばねた柴を沈めておくと、こうやって生き物が居つくんだよ。そこを一網打尽にする」
「はー、なるほど。なるほどなあ。面白いわ。効率はともかく」
「ほんとは河幅のひろい下流域で柴をいくつも沈めて、舟で回収していくんだ。投網が打てないから苦肉の策だったんだけど、まさか役に立つとはなあ」
榛美さんに、えびでも揚げようかと持ちかけてあっさり断られたときのこと。
今にして思えばあれも拒絶ではなくて、こっちを気にしないで好きなことをしてくれって意味だったんだろう。
なんでそんな簡単なことに気付かなかったんだ。
それはともかく、えびについてはあきらめがつかなかったので、こうして柴をしずめておいたのだ。
「これだけいれば十分だね。ありがとう悠太君」
「別に。ちゃんとオマエも、男だったからな」
「ありがとう。悠太君にはほんとに助けられてるよ」
「ばっ、だっ、だから、いいっつってんだろそういうの! やめろ! 戻るぞ!」
悠太君は早口で言うと、榛美さんちに駆けていった。
さて、えびはこのままだと元気いっぱいあばれて扱いづらいので、まずはどぶろくの上澄みにしずめる。
こうするとえびが酔っぱらって、おとなしくなる。
えびがぐてっとなったら、塩を入れ、お米をとぐみたいに、やさしく洗い、ぬめりを取る。
片栗粉があったらはかどるよ。
あらかたぬめりが取れたら、しっかり水気を切る。
ちょっとだけ残っていたライ米粉をうすくはたいて、と。
こいつを、煮えた油に放り込んでやる。
このときのコツは、百四十度ぐらいの低温でじっくり。
百八十度ぐらいの油にいきなり放り込むと、ぱんぱん弾けて往生する。
しっかり火が通ったら油の温度を上げて、からりと揚げきる。
鍋から引きあげたら、油を切って、塩を打つ。
さっと混ぜて全体に塩を行き渡らせよう。
「お待たせいたしました。『川エビの素揚げ』でございます」
お皿に山盛りのえびを見て、みんな、きょとんとした。
「これ……川で採れる、テナガエビだよな?」
讃歌さんが、みんなの気持ちを代弁してくれる。
「その通りです」
「うーん……食わないことはねえが、うまいと思ったこともねえんだよなあ」
「普段はどうやって食べてるんですか?」
「そりゃ、汁の中に放り込んで食うに決まってる。生臭いし、殻の中の身は、なんだかごそごそした食感だしなあ……」
「それではどうぞ、このままお召し上がりください。ああ、お酒も用意しますね」
とっておきの蒸留酒は、二口分ずつぐらいのこっている。
これもついでにふるまっておこう。
ほんとはビールが欲しいけど、どぶろくよりは合うはずだ。
「うーん……」
讃歌さんは、渋い顔をしながら、なるべく小さいものをつまみあげて口の中にほうりこんだ。
「うおっ!?」
そのとたん、大声をあげた。
「な、なんだおめえ、どうしたおめえ、やっぱりろくでもねえもんだったのかおめえ?」
「馬鹿野郎! うめえんだよ!」
雷みたいな声でどなると、次のえびを手に取り、口に放り込む。
「この、殻がざくっと口でくだけて、なんていうか……じゅわっとあったけえ汁があふれて、塩味がばあっと広がる感じが、うめえんだ。
殻の中も、なんだってんだってぐらいぷりぷりしてやがる! 頭にはコクがあって、なにより、臭くねえんだ!」
「お、おお? そ、そこまで言うならおめえ、おれも一つ……うわあ、うめえっ! なんだこれおめえ! うめえぞおめえ!」
おめえの人がひっくりかえった。
「酒で洗って、臭みのもとになる汚れを取ったんです」
「へえ……ああ、たしかに生臭くないな。えびって馬鹿にしてたわオレ」
悠太君の、めずらしくまっすぐ褒めてくれる感想がうれしい。
「悠太、なんで平然と食えるんだ」
「こいつの料理、けっこう食ってるからな」
呆れる讃歌さんと、照れくさそうにすずしげな表情をとりつくろう悠太君が、なんだかほほえましい。
「だけど、これはそれだけじゃねえ。どうやって作ったんだ」
讃歌さんが、真剣なまなざしで問うてくる。
よし、名誉挽回の機会だな。
しっかり答えて、二度と鍋が赤さびまみれの地獄的ありさまにならないようにしなければ。
「揚げたんですよ。ただゆがいたのでは、えびの味はぜんぶ汁の中に流れてしまいます。
いつもの鍋みたいにいつまでも煮てしまっては尚更で、身に残った水分もぜんぶ抜け出して、食感がごそごそしたものになるのも当然ですね。
揚げることによって、旨味と水分をしっかり身の中に閉じ込めました。それに、もともと薄い殻も、ぱりぱりの食感になってくれてるんです」
「揚げるって……油か? これ、油でつくった料理ってことなのか? なんだ? どっから油が出てきた?」
讃歌さん、ちょっと混乱気味になってる。
「僕と悠太君で、食用の油を搾りました」
「悠太が?」
「オレは別に、なんもしてねえよ」
悠太君は、照れ隠しにそっぽをむいた。
讃歌さんも、照れたように、だけど誇らしげにわらった。
「口の中、すこし重たいでしょう。こちらのお酒をどうぞ。強いので、口の中につばきを溜めてから、少しふくんでみてください」
讃歌さんに蒸留酒をすすめる。
「ん、ああ……なんだ、変わったにおいだな? 甘いような、むせるような……」
「酒精、つまり、お酒をお酒にしている成分のにおいです。普段お飲みのどぶろくはそこまで酒精が強くないので、この香りを感じないのでしょう」
「それじゃあ、一口――うおおっ!?」
讃歌さんが立ち上がった。
「こ、これは……酸っぱくねえ、むしろ、つばきと触れて甘くなって、口の中に香りが立ちこめやがる! ああ、それで、舌にだらっと残らないで、すうーっと消えちまうんだなあ。油も、塩っ気も、きれいさっぱり洗い流してくれて……また次が食いたくなり、呑みたくなりってことだな!」
「その通りです」
「お、おれも呑むぞぉ! うひゃぁ、うめぇ! まいったぁ!」
「白神様よぉ、こりゃ、こりゃあ……うめえ!」
「そうだおめえ、こんだけうまけりゃおめえ、おれだって食いてえっておめえ……」
さっきまで頑なだった人たちも、美味しいといってくれて。
それがなにより、うれしかった。
あとはもう、美味しくたべて、美味しくのんでもらえれば、それでいい。
喧噪を背後に、そっと、裏庭へと出た。
色んなことがありすぎて、頭の中がぐるぐるしている。
鉄じいさんの郷の料理をつくって。
榛美さんと仲直りできて。
なんか求婚したみたいになっちゃって。
村のみんなに、みとめられて。
井戸の水で顔を洗い、緊張と興奮でほてった頬をさます。
ぬれた膚の上を駆けていく夜風がここちいい。
かわいた土の上に腰をおろして、空をみあげる。
「ああ、康太さん、ここにいたんですね」
榛美さんの声に、ふりむかず頷いた。
「となり、いいですか?」
答えをまたず、榛美さんはとなりにすわった。
「風、きもちいいですね」
「うん」
「あの、さ、さっきはごめんなさい。なんかよくわかんなくなっちゃって、しがみついちゃいました」
「腰の入ったいいしがみつき方だったよ。あんなに振りほどけないんだから」
「しがみつくの、とくいなんです。お父さんにもよくしがみついてましたから」
僕たちはわらった。
月明りのまぶしい、青っぽい清潔な夜だった。
夜風に吹かれて笹がしゃらしゃら鳴っていて、けらだのくびきりぎすだのが、めいめい好き勝手にわめいていた。
夜闇にはどこか、親密なところがあった。
「あのね、康太さん。鉄じいさんの唄を聴いたら、なんだか昔のことをたくさん、思い出しちゃいました」
「うん」
「わたしのお父さんは、ある日いきなりいなくなったんです。なんのまえぶれもなく、煙みたいに」
「そうだったんだ」
「今でもあんまり納得はできてないですけど……でも、思い出すと、なんだか、胸がうずくんです。
たのしくて、さみしくて、やさしくて、かなしくて、そういう気持ちになるんです。
鉄じいさんの唄で、そういう気持ち、たくさん思い出しちゃいました」
「わかるよ。僕も鉄じいさんの唄を聴いて、同じような気持ちになったから」
たいして思い入れなんてなかった。
ろくな思い出なんてなかった。
それでも、どうしてだか、昔の世界のことがとてもなつかしく想える。
たのしくて、さみしくて、やさしくて、かなしい気持ちになっている。
あのころ幸せだったことを思い出して。
あのころ謝れなかったことを思い出して。
「康太さん、昔のことって、星座みたいですね」
「星座?」
「見えているけど手がとどかなくて、いつもあるのに近くにはなくて、でも、なんででしょうね。見ていると、すごく安心するんです。
そこにそれがあることが分かるって、それだけで、すごく安心するんです」
榛美さんの言葉を聞いて、ふとおもう。
孤独を望んでいるように見える鉄じいさんも、夜空に散って物語を編み上げる、星座を必要としていたんだろう。
過去っていう、星座を。
だからこそ、たたら唄が僕たちのこころを強くゆさぶったのかもしれない。
それが、鉄じいさんにとっての星座だったから。
空を見上げてみる。
見たことのない星の群れ。
知らない星座の群れ。
「榛美さん、稲穂座って、どこにあるのかな」
「かんたんですよ。まず、右手の方に、赤い星がありますよね」
「うん」
「それをこう、だんだん空のてっぺんまで、強く光る星をたどっていって……そうしたら、頭の上に、ほら、秋の稲穂です」
今まで見ようともしなかった天頂。
そこには、きらきら輝く星々の群れがあった。
天の川みたいな光の帯を背景に、青いの、白いの、赤いの、小さいの、大きいの。
またたいて、よりそって。
星の稲穂をかたちづくっていた。
「……すごいね」
ただ圧倒されて、息を呑んでしまって、そんな言葉しか、言えなかった。
「今年も豊作です」
榛美さんはにっこりした。
「冬には帆柱座が見えますよ。とてもきれいなんです。はやく康太さんに教えてあげたいなあ」
「うん、僕も見てみたい」
「いっしょにみてくれますか?」
榛美さんが、無邪気にたずねてくる。
「一緒に見ようね」
「はい!」
親密な夜闇の中、肩を寄せ合って、星々の話をした。
榛美さんはこの世界の。
僕は昔の世界の。
ふたりの郷に浮かぶ星々の話をした。
空を見上げて、星たちを線でむすんでみる。
夜空に物語が生まれる。
きらきら光るたくさんの物語にかこまれて、いつしか僕は、ちいさな子どもみたいな安らかさで、ねむっていた。
目をさませば、そこに僕のよく知る世界がある。
そのことに、なんだかとても心やすらいで。
第三章おしまい。
予定通り、フィードバック改稿とタイトル改題後、第四章に入ります。




