知らない夜空とはじけたさや
榛美さんは、『君』って呼ぶときのほのかみたいな顔をして、僕をじっと見ていた。
僕はうまくなにかを言える自信がなくて、途方にくれた愛想わらいをうかべながら、だまっていた。
榛美さんの表情は怒りからだんだん悲しみにかわっていって、最後には僕と同じような途方にくれた愛想わらいになった。
「ごめんなさい。なんか……興奮しちゃいました。お昼にのんだお酒、ぬけてないのかな」
「あ、ああ、いや……その……」
「ちょっとわたし、讃歌さんに聞いてきますね。待っててください」
榛美さんは愛想わらいを貼り付けたまま、客間に向かった。
台所にひとり残されて、うすぐらいオイルランプの灯りに追いやられた闇をみていると、やけにものがなしい気分だった。
どうやら、榛美さんを傷つけてしまった。
その昔、大事だった人をそうしたのと、まったく同じやり口で。
おまけにこの下手人、自分が自分でどんな凶器を使ったのかわからない、前代未聞のうすのろときている。
免責案件とはいかないだろう。
「……ああー」
気まずくて、おもわず、台所から裏庭に逃げ込んだ。
月明りのまぶしい、青っぽい清潔な夜だった。
夜風に吹かれて笹がしゃらしゃら鳴っていて、けらだのくびきりぎすだのが、めいめい好き勝手にわめいている。
途方にくれたまま、夜空を見上げた。
そこに、見知った星座は一つもない。
てんびん座もこと座もへびつかい座もない。
デネブもアルタイルもべガもない。
地球とはぜんぜん違う星の群れだった。
この中のどれかが帆柱座で、どれかが稲穂座なのかもしれないけれど、ちっともわからない。
それがひどく、かなしかった。
元の世界に、たいした思い入れなんて、なかったはずなのに。
稲穂座をさがすのはすぐにあきらめて、うなだれることにした。
おっさんには、空を見上げて星に気分をたくすより、うちひしがれ、見るも無残にぐったりしている方が似合ってる。
「康太さん?」
声をかけられて振り返る。
たぶん僕と榛美さんは、おんなじ表情をしていた。
さっきからずっと顔にはりつけている、途方にくれた愛想わらい。
「聞いてきましたよ。あのお米、水田に勝手に生えてきて、しかもお米と区別がつかないらしいです。
あのお米がふえてくると、他のものが採れなくなっちゃうので、田んぼを何年か休ませるっていってました」
「そっか、ありがとう」
「ううん、いいんです。星を見ていたんですか?」
「うん、ちょっとね」
「いまの時期は稲穂座がよく見えますからね」
あいまいに頷いて、台所にもどると、また隅っこにひっこむことにした。
榛美さんは、いつもみたいに村人たちとはしゃいでいた。
このにせ米、どうやら擬態植物らしい。
大豆と米の二毛作はだんだん収量が低下していく、みたいなはなしを聞いたことがある。
おそらくこいつは、ひどい環境でも、ふかく根を張り、土から強引に養分を吸い上げて成長できるのだろう。
ライ米と名付けておこう。
「あの、康太さん。ちょっと呼ばれちゃったんで、みんなとお酒呑んできますね」
「うん。いってらっしゃい」
榛美さんが台所を出ていくと、かんぺきに一人ぼっちだった。
煤をはきだしながらゆらゆら揺れるオイルランプの光をながめていると、すごくばからしい気分になってきた。
なんだってこんな異世界で、見たことも聞いたこともない、米に擬態する植物の種なんかとたわむれているんだろう。
この世界の星座だって、なにひとつわからないのに。
「よう、白神」
なにもかも虚しくなっていると、悠太君があらわれた。
「悠太君、どうしたの?」
「榛美があっちで酒呑むなんて珍しくてさ。なんかあったか?」
「どうやらしくじっちゃったみたいだ」
「ふーん。オマエでもしくじることなんかあるんだな」
「いつもしくじってるよ。悠太君相手にだって、最初はしくじったしね」
「そういやそうだったか。まあ、あれはオレの説明不足のせいだけどな」
悠太君は肩をすくめ、土間に座り込んだ。
「あのさ悠太君。僕って変かな?」
「はあ? いやまあ、それはオレら基準で言ったら変だろ。白神だし」
「それもそうなんだけど、もっとこう、根本的にっていうか、なんていうんだろうなあ……常識的にずれてるっていうか、そういうとこある?」
「自覚してないのかよ、すげえな。オレをどれだけ引きずり回したのか、覚えてねえの?」
「悠太君へのいじわるは意識してやっているんだけどね」
「ふざけんな!」
怒鳴ってから、悠太君は、「まあ、変っちゃ変だよな」と、力の抜けた口調で続けた。
「オレも榛美も、それから他の連中も、結局のところこの村で生まれてこの村で死んでく人間だろ。
でもオマエは、なんていうかな……ツバメみたいに見えるぜ。
泥でこねた仮住まいの家にひっそり暮らして、寒くなったらどこか好きな場所にふらふら飛んでいって……だから、さっさと飛び立つ準備がいつでもできてるみたいだ」
「むずかしいことを言うなあ、悠太君は」
そんな良い感じの鳥にたとえられるような人間ではないつもりなんだけど。
「そういう意味じゃ、オマエ、ジジイに似てるかもな。あのジジイも、ある日ふいっと消えちまいそうだ」
「そうなの?」
「沼のほとりに一人で住んで、滅多にこっちまで降りてこねえし、来たと思ったらやることやってさっさと帰っちまうんだ。
鍋だの鍬だの直して、屋根を葺きなおして、飯も食わねえでさ。
鉄のことしか興味がなくて、冠婚葬祭だの祭りだのメシだの、余計な荷物を背負いたくねえんだろ」
「それって、変かな」
「さあな。でも腹立つって奴はいるんじゃねえの。オマエのこと気にかけてればかけてるほど、無視されたみたいな気分になるだろ。
オレは別に、どうでもいいけど」
ああ、そういうことか。
ほのかも、榛美さんも、そういうことが言いたかったのか。
ようするに、僕は単なる根無し草なんだな。
家庭の事情で、生まれそだった場所にたいする愛着はない。
故郷と呼べるようなところには、ちょっと思い当たる節がない。
どこにいても、そこで料理をつくって、誰かに食べてもらえれば、それだけでよかった。
だから、元の世界にもたいして思い入れがないんだ。
そんなわけで、誰かに寄りかかったり、寄りかかられたりなんていうのが、あんまりとくいじゃない。
他人とよりそって生きていくのが、あんまりとくいじゃない。
この『とくいじゃない』は『好きじゃない』ではなくて、ほんとうに文字通り、うまくできないということだ。
だから、どこに行ってもすぐにそこそこなじめる。
だけど、どこに行ってもそこそこにしかなじめない。
きづかないところで、榛美さんは、よりそおうとしてくれていたのだろう。
あちこち気をまわしてくれたのだろう。
でも、そういう心遣いを、どうしてもすくいとれない。
適当にへらへらして、他人とさしてかかわりを持たずに生きてきたから。
「なんか難しいこと考えてんのか?」
悠太君が、気遣うように、けれどなるべくぶっきらぼうに聞こえるように、声をかけてくれた。
がんばって、ほほえんでみた。
うまくいったかどうかは、分からないけど。
「明日のごはん、どうしようかなって」
悠太君は鼻をならした。
「別にオマエの事情はどうでもいいけどさ、オレは。話したくないなら話したくないで、こっちも聞かない方が楽だし。
でも、そうじゃない奴だっているだろ。オマエさ、そういう相手にまでへらへらすんのな」
思った以上にきつい一言をもらって、わりと二の句がつげなくなった。
悠太君、すごく怒ってる。
「踏みにじんなよ。榛美の気持ちなんて見りゃ分かるだろ。白神かなんか知らねえけど、オマエはちゃんと、男だろ?」
「……どうすればいいんだろうね」
「自分で考えろよ。白神ならそれぐらい分かるだろ」
悠太君はもう一回鼻をならすと、客間に引っ込んでいった。
そんなことを言われても、なにをどうすればいいんだろう。
どうすれば榛美さんは納得してくれるんだろう。
納得してもらおうっていう考え方が、そもそもまちがっているのかな。
一人で生きていくための方法は、これまでずいぶん積み上げてきたとおもう。
お金をかせぐことだったり、手広く趣味をもつことだったり、知識をためこむことだったり。
でも、誰かと生きていくための方法は、そんなに持ち合わせがない。
まいったな、異世界で人生観を問われるとはおもわなかった。
どうすればいいんだろう。
やたら内省的な気分になっていると、突如として、
『ぽんぽんぽんっぽぽんっ!』
と、擬音でしか表現しようのない、べらぼうに陽気な音がした。
「うひゃあ!」
ひとりで叫んでとびあがり、ばくばくする心臓をおさえながら、音の発生源を探してみる。
逆さに吊るしておいたアブラナのサヤが弾けて、種がぜんぶ、あたりに飛び散っていた。
「ああ、そういう……」
サヤの破裂の勢いで、種を広範囲にまきちらす植物はたくさんある。
ヤブツルアズキとか、フジとか、エニシダとか。
この世界のアブラナは、そういう性質をもっていたらしい。
エルフさん、ちゃんと品種改良しといてください。
いや、野生化してこういう形質を取り戻したのかな。
土間にちらばった種をすべて拾い集めるのは不可能だ。
刈り直した方がはやい。
たぶん、悠太君は手伝ってくれないだろう。
もうこの世のすべてがどうでもよくなったので、お酒をひっかけて、土間にころがった。
目を閉じるとあんがい早くねむれて、知り合い全員にかわるがわる生きざまをののしられる夢を見た。




