最初に夜空を見上げた人
「よし、やっていこう」
「ちょっと待て」
おっと、悠太君から物言いだ。
「ジジイのメシはともかく、こっちにも付き合えよ。そういう約束だろ」
「“覚書”の解読? それで行き詰ったから、鉄じいさんのところに行ったんだよね?」
「法律関係はな。民話に神話に言い伝え。この辺は、オマエの頭なら読み解けるだろ」
「ユウ、あんまり康太さんをこまらせないでください」
榛美さんが、人を叩くのにちょうどいい長さの棒を手にした。
「な、なんだよお……オレなんか間違ったこといったか?」
言葉は強気だけど、人を叩くのにちょうどいい長さの棒におびえた悠太君、けっこう及び腰。
「ありがと、榛美さん。でも悠太君の言うとおりだよ、約束は約束だからね。だからその、人を叩くのにちょうどいい長さの棒はおろしてくれないかな?」
「そうですか? この棒、すごくよくしなるんですよ」
「うん、そうだろうと思った。すごく人を叩くのにちょうどいい長さをしているしね。
でも、神話に民話かあ、そういうの、悠太君はあんまり興味なさそうにおもえたけどね」
悠太君の考え方は、わりかし近代合理主義にちかい。
宗教に対するちょっと引いたスタンスだとか、たいていの不思議なものを『土着のなんかだろ』で処理してかえりみないセンスだとか。
民話や神話に宿る往古の知恵がどうしたこうした、的なものとは相反する感じがある。
「この辺で伝わってる昔話、エルフが住んでた頃の名残があるらしいんだよ。
役に立つとは思えねえけど、学んどいて損はないだろ」
エルフの民話……うわあ、ぐっとくるなあ、それは。
「ユウは、なんでもいいから康太さんと一緒にいたいんですよね?」
ちょっといじわるな笑みをうかべて、榛美さんがいった。
いつぞやの仕返しか。
「は? ばっか、ちがうし。こいつが役に立つから話聞いてるだけだし。
だいたい神話なんて興味ねえから、読み方がわかんねえんだよ。だから白神がいなきゃ無理だろ。
だから聞いただけだし。別に、いなきゃ困るとかそういうんじゃねえし」
悠太君、聞いたことないぐらい早口になってる。
少年、照れなくてもいいんだぞ。
「それじゃあ今日は、比較神話学の話でもしようか」
「白神の世界の知恵だな、それ? 今日は料理すんの諦めな。オレ、オマエのこと逃がさねえから」
オラオラ系だ。
開きなおることに決めたのか。
こうなった悠太君はつよいぞ。
「悠太君こそ、根を上げないようにね。僕のうんちく語りの鬱陶しさはほうぼうで有名だったんだから」
でも、エルフの時代の名残を感じる神話のまえに、ひとつ疑問がある。
そもそもこの世界におけるエルフってなんなんだろう。
「榛美さんって、エルフから生まれたエルフなの?」
「いえ、すくなくともお父さんはヒトでした」
「ジジイんところの家はドワーフがよく生まれてたらしいぜ」
なんだそれ。
しわのよった豆と茶色い豆みたいな話なのか。
「強い述瑚を持ってると、エルフだのドワーフだのに生まれるらしいんだよ。あと、南の方には竜人が多いとか、北の方にはオーガが多いとか。
まあ詳しくは知らねえけど。ぜんぶジジイの受け売りだよ」
人種というか適者生存というか、そんな感じらしい。
でも、自分の子どもに羽根が生えてて、しかもうろこに覆われてたら、すごくびっくりすると思う。
「で、それを踏まえて、ジジイが教えてくれたのがこの神話」
“覚書”のとある箇所をゆびさす。
「神話とか興味ねえからさ。文脈がわかんなくて、単語が解読できねえんだ。白神、オマエなら読めるだろ?」
そういわれてもなあ。
こっちはやっとこ、分かる単語を拾い読みできるようになった程度。
神話や民話みたいな文脈依存のおはなしを、すいすい読めるとは思えないんだけど。
とはいえ悠太君はものすごく吸収が早いので、任せておけばどんどん解読してくれるかな。
とにかく、読んでいきましょうか。
「ここ、なんだろ。悠太君わかる?」
「あ? あー……固有名詞じゃね? 頻出してるし。そのまま素直に読めばいけるだろ」
「ふむふむ……ティエルタル、と」
こんな風に、顔をつきあわせ、二人三脚で読み解いていく。
すごくたのしい。
異世界の、おまけにエルフの神話読解なんて、たのしくないわけがない。
「ここは『火を盗み出した』だと思うよ」
「いや、『受け取った』だろ。『火を護る場所』なら『火の護り手』みたいなものがいるはずだ」
「文脈の捏造じゃないかな、それは。もっと虚心坦懐に――」
「火が放置されてるなんて合理的じゃねえよ。火事になるだろ」
「ここで重要なのは、アオサギがね」
「あははっ」
激論をかわしていたら、ぽやっとしたわらいごえ。
僕と悠太君は、同時に榛美さんを見た。
「あははっ、ご、ごめんなさいっ。笑う気はなかったんですけど……」
榛美さん、手を口でおおってくすくす笑い。
「あのね、ふたりともすごく楽しそうで……みていたら、なんだかしあわせな気分になっちゃいました」
僕と悠太君は、同時に顔を見合わせた。
よかったー、悠太君も照れてる。
僕だけじゃなくてよかったー照れてるの。
「こういうの、じつはすごく好きなんだ」
照れながら言ってみると、榛美さんはにっこりした。
「そっか」
悠太君に接しているときみたいな、おねえさんの目で、榛美さんがほほえむ。
「あ、撫でてみる?」
「ふぇあ!? そ、そそそそそれはいいです!」
ちぇっ、なでられそこねた。
そんなこんなで、お酒のことをほったらかしに、三日かかってようやくエルフの時代の神話を読み通せた。
それは、こんな感じだ。
ティエルタルとアオサギとエールロンの話
ティエルタルは腕利きの猟師であったが、あるとき、射止めたアオサギに命乞いをされた。
アオサギは火を護る場所を知っていて、助けてくれたら案内すると約束した。
ティエルタルは火を護る場所から火を盗みだし、家の土のある場所に置くと、石を積み上げて囲った。
その年は長く辛い冬になり、多くの者がティエルタルの家に集まり、火と石の囲いをつかって煮炊きをした。
その冬ティエルタルには子どもが生まれ、かの女にはエールロンという名前があたえられた。
春になると、エールロンは比類なき美しさを持つ女性に成長したが、若い男にそそのかされ、火をティエルタルの家から盗み出した。
若い男はかつてティエルタルに命乞いをしたアオサギであり、彼もまた、次の長く辛い冬を過ごすために火を必要としていた。
嫉妬に狂ったティエルタルはエールロンとアオサギをどこまでも執念深く追った。
やがて追い詰められたエールロンは、森に火を放ち、焼け死んだ。
アオサギは貝に姿を代え、川に逃げ込んだので命をながらえた。
ティエルタルは、エールロンの遺灰を森の焼け跡に撒いた。
すると、そこは一面の、×××(固有名詞不明。小さな粒をつけるという意味の単語に似ている)畑となった。
ティエルタルと村人たちは畑の収穫から火を生み出す術を得て、長く辛い冬を乗り越えることができるようになった。
貝に姿を代えたアオサギは、ゴイサギによってついばまれ、殺された。
「なんだこりゃ。アホみたいな話だな」
というのが、悠太君の感想だった。
「意味わかんねえし、めちゃくちゃだ。酔った親父のホラ話の方がまだマトモだろ、こんなんじゃ」
「とんでもないよ!」
「ひゃああ!」
どなったのは僕で、悲鳴をあげたのは榛美さんだ。
悠太君はぽかんとしていた。
「これは、その、これは……うああ、どこから語っていいのかわからない!」
立ち上がって、思わずぐるぐるとまわりだしてしまう。
興奮を隠しきれない。
いいバターになりそう。
小麦があればおいしいホワイトソースになれそう。
異世界の神話、その構造は、地球のものとそっくりだった。
これが興奮せずにいられますかってんだ。
「いいかい悠太君。この神話にどれだけのものがつまっているか、明日の夜までかかって教えてあげよう」
「え、あ、う、うん」
「結論からいえば、これはハイヌウェレ型の農耕起源神話であり、トリックスター型の火の起源神話でもあるんだ。更にかまどの起源、畑の起源、アオサギとゴイサギがこの辺りの文化圏に占める位置を語っていて……すごい。すごいよこれは。その、なんていうか……すごいよ!」
悠太君は、いままでで一番の呆れ顔をして僕を見上げた。
「いや、伝わらなくてもどかしいって気持ちだけは感じるけど、何がすごいんだよ」
「おそらくこの辺りでは、アオサギは害鳥、ゴイサギは益鳥とされている。そうだね?」
「ん、あー……いやまあ、そりゃそうだろうよ。
アオサギはでかいからな、その分、でかい魚をくっちまう。でも、ゴイサギは小さいから、田んぼの虫だのなんだのを食ってくれるだろ。
でもな、アオサギは食わないけど、オレら、ゴイサギは食うぞ。それがどうしたんだよ」
「まさにそれこそブリコラージュ! 野生の思考だよ、レヴィ・ストロースだよ! うあああ鼻血が出そう!」
「は、榛美! またなんかやばくなってきたぞ!」
「うふふ、康太さん、たのしそうです」
「だめだ! おねえさんの顔になってやがる!」
たとえば、神話や民話には、ずるい生き物として『カラス』がよく登場する。
なんかこざかしい顔してるし、頭いいし。
この辺だと、でかい図体で魚を盗むアオサギが『ずるい生き物』枠。
『ずるい生き物』だから、命乞いもするし、娘さんもだますし、貝に変身して逃げもするのは当たり前、というわけだ。
手近にあるものや動物に対する、なんとなくのイメージを使って物語を組み立てていく。
こういう考え方を、昔のえらい人は『ブリコラージュ』と呼んだ。
さて、この辺の村人はアオサギを食べない。
まあたぶん美味しくないから、というのが実情なんだろうけど、その動物だけえらんで食べないというのには、なにか理由が必要だ。
そのために、『アオサギが火を人類にもたらしたので、ちょっと敬う気持ちがある』という物語がつくられる。
「待て、早口すぎてむかついてきた。落ち着いて説明しろよ」
この辺で悠太君が口をはさんできた。
のってきたところなのに。
「僕たちの世界の考え方では、神話というのはものの起源を語るとされているんだ」
「ものの起源? なんだそりゃ?」
「あのね、最初の人間はだれなんだろうとか、だれが最初に家を建てたんだろうとか、だれが最初に野菜を育てたりしたんだろうとか、世界はどうしてはじまったのかとか……
そういうことって、一度ぐらい考えたことがあるよね?」
「あ、わたしありますよ! いつもかんがえてます。でも途中で寝ちゃうんですよねえ」
「そういうものに答えがないと、僕たちは不安で仕方ないんだ。なんだってそうだけど、宙ぶらりんはいやだよね。なんでそれがそこにあるのか、答えがほしい。
そのために、僕たちの遠い先祖は物語をつくった。世界や農耕、文明のはじまりについての答えを得るためにね。それが、神話と呼ばれる物語なんだ」
「ふうん……でもさ、それって要するに、ホラ吹いて心のつじつまをあわせたってことだろ? 宗教みたいなもんだな」
やっぱり悠太君は近代合理主義っぽい考え方をする。
「否定はしないよ。それじゃあ、悠太君は世界がどうやって始まったか知っている?」
「ナメてんのか? 音楽でできたんだろ」
おっと、ものすごい答えがかえってきたぞ。
先達の白神さんたち、ビッグバン仮説は伝えてこなかったらしい。
宗教的なかねあいで、いくら白神でも口に出したら首が飛ぶような感じだったのかもしれないけど。
「僕たちの世界では、とても小さいけれど全てが詰まっているという粒があって、それがおおきく膨らんで世界になったとされているんだよ」
「……んんん?」
悠太君が首をかしげた。
まあ、『音楽から世界がはじまった』っていうロックな創世記とは、だいぶ感じがちがうしね。
「それが正しいかどうかは、呑み屋の店主には分かりかねる問題だけどね。
とにかく、時と場所によって真実はかわる。けれど変わらないのは、答えがほしいという人間の性質だ。物語をつむぎたいという、僕たちの心なんだよ」
どうも悠太君、まだぴんと来ていないらしい。
しきりに首をひねっている。
「こういう話ならどうかな。この世界に、星座ってある?」
「ああ、それならあるぞ。今の時期は踏臼座と稲穂座がよく見える」
「稲穂座は、この家からだと右手の方に見えるんですよ。
初夏の最初の新月のころに星の稲穂がよく見えると、その年はお米にこまらないんです」
うん、やっぱり星座はどこにでもあるんだな。
それならこういう話が通じるはずだ。
「あのね、最初に夜空を見上げた人のことを考えてごらん。
夜空はあまりにもだだっぴろくて、あまりにも暗くて、あまりにも意味がない。立っているだけで、眺めているだけで、なぜだか、心の底からおそろしく、哀しくなってくる。
どうしてだか夜空は、自分がひとりぼっちで、この世界とはなんの関係もないんだってことを、どうしたって思い出させてしまうからね。
けれどある瞬間、ふと、その人は気づくんだ。いっとうかがやく星々を、線でつなぎあわせたときに、稲穂のかたちが見えるっていうことに。
だだっぴろくて暗くて意味のない夜空には、見知ったものが存在するってことに。
その人は、どれほど安心しただろうか。そこに物語があることに、どれだけ心いやされただろうか。
それが星座っていう物語だよ。星の並びを見つめて、心のつじつまを合わせたんだ」
悠太君も榛美さんも、しばらくだまって、自分なりに、最初に夜空を見上げた人について考えていたみたい。
「わたし、分かる気がします。
夜はとてもこわいものだけれど、冬に見える帆柱座だとか、夕暮れ時の山並座だとかを見ていると、なんだかほっとした気分になりますもんね」
星座なんかまるで知らなくても、闇なんて街灯に根こそぎ吹き払われていても、冬の澄んだ夜にオリオン座を見つけるとうれしいものだ。
榛美さんには、ちゃんと伝わってくれたみたい。
「…………それで、オレらの読んだ神話には、どういう意味があるんだよ」
たっぷりだまっていた悠太君も、最後にはこう聞いてくれた。
「この神話から、衝撃の事実が判明したよ。
この世界のエルフは、まちがいなく焼畑雑穀農業を営んでいたはずだ」
悠太君は再びたっぷりだまったあと、
「はあ?」
と、もっともなことを言った。




