『縄文人の寿命』事件
踏鞴家給地に迷い込んで、はや二週間。
お酒のんでごはん作ってごはん食べてお酒のんで寝る日々。
思いもかけず、安楽な毎日をすごしている。
まったくの異世界に放り込まれて十四日でここまで適応できるっていうのは、ちょっと自分でもどうかしているとは思うけれど。
どうやら元の世界にたいした思い入れがなかったらしい。
失ってはじめて気づく、なくしたものの軽さ。
おもえば向こうの世界に、なんかろくな思い出のひとつでもあっただろうか。
なんだかこう、いろんな記憶のふたが開いてきた。
わけても印象深かったものとして、『縄文人の寿命』事件をピックアップして陰鬱な気分になろうか。
あれは僕がまだ二十歳、ほのかと付き合って二年目の、なんかどうでもいいうすぐもりの日のこと。
あたらしい知識を仕入れたらだれかに話さずにいられない、そんな僕の被害者はたいていほのかで、普段は、
『どうしようもねぇーなこいつ』
みたいな顔で聞いてくれていたんだけど、その日はちがった。
『縄文人の寿命って三十歳ぐらいだったらしいよ。やっぱり野生みたいな生活ってピークを過ぎた瞬間に死ぬんだねえ』
と話したとたん、いきなり叱られたのだ。
『こうちゃんさ、三十ぐらいまでためしに生きてみて、駄目だったら死ねばいいって思ってるんでしょ?
こうちゃんの人生の中に、あたしってぜんぜん含まれてないみたい』
なに言ってるのかわかんなかったので、なに言ってるのかわかんないって顔をしたら、ほのかは更にヒートアップした。
『そうやって、なに言ってるのかわかんないって顔する。いつもそうだよね。
君にとってあたしってなんなんだろう。なんかもう……あたしたち、どうすればいいんだろうね』
怒ってるときのほのかは、僕のことを『君』って呼んだ。
それは格別にこたえる『君』で、いつも僕はしゅんとしてしまった。
どうやら傷つけてしまったのらしいけれど、どうやって傷つけたのか、これっぽっちもわからなかったからだ。
僕にはどうも、なにかしら欠けているところがあるらしい。
ああ、いいかんじに陰鬱になってきた。
お酒を呑んでたのしくなろう。
「康太さん、まだのみます?」
「まだまだ呑むよー。榛美さんも呑むでしょ」
「はい、のんじゃいますからね! 康太さんの作ってくれたものもたべちゃいますからね!」
かわいいエルフにあて作ってあげられてお酌できるなんて、かえすがえすも異世界最高です。
さて、そんな呑んだくれのごくつぶしが、ここ最近なにをしているかというと。
今年はじめての入道雲が山の向こうにかかったある日のこと。
榛美さんちにて。
「これはたぶん、ここが接尾辞になってるんだよ。
だから『領主林と畑に小さな妖精が現れたので、出入り禁止にした』じゃなくて、『領主林での焼畑を禁止する』だと思う」
「はー、なるほどな……法律んとこに村史が入ってきて、わけわかんねえと思ってたわ」
「あのさ悠太君、小さな妖精ってなに?」
「さあ? なんか想像上の生き物なんじゃねえの? 土着の信仰対象かなんかだろ、知らねえけど」
「うーん、基準がわからない。僕の世界にはエルフもいなかったからなあ」
「ヒトだけの世界ってのも想像つかねえけどな。魔述ないのに文明って回るのか?」
「不便だから文明が回るんだよ」
悠太君といっしょに何をしているのかといえば、昼間から意味もなく文明論をたたかわせているわけではない。
前領主がのこしたという、“覚書”の読解にはげんでいるのだ。
この“覚書”、節季、度量衡、農耕技術、冶金技術、製紙技術、神話、法律など、ものすごい量の情報がぎゅっとつまっている。
天工開物と和漢三才図会と十七条の憲法を足しっぱなしにしたようなものだ。
ここにお酒や料理のことなんか書いてあれば『斉民要術』もくわわって、『博物学役満』に裏ドラのったんだけどねえ。
それはともかく。
こんなに便利なものがどうしていま忘れ去られているのか、理由はなんとなくわかる。
この村にはむかし特産品があって、周辺の村との交易が盛んだった。
とまあ、ここまではだいたい分かっている。
そのころ、こうした技術書は村の発展に役立ったはずだ。
けれど今の踏鞴家給地は、とても静かな農村だ。
領民が暮らしていけるだけの収穫さえあれば、それで十分、というわけなのだろう。
覚書の内容に踏み込むまえに、この世界の文字について。
むかしこの世界をおとずれた白神がいい仕事をしたのだろう、ラテン文字が元ねたっぽい表音文字だった。
ただし、この世界でも使いいいように、チェロキー文字的な魔改造はやっぱり行われている。
たとえば。
「あのさ、このRとBの発音ってどうなってるの?」
「は? ラとラだろ」
「えっ」
「だから、ラとラだよ。ぜんぜんちがうじゃねえか」
わからん。
「あのさ榛美さん、ちょっと要領をえないところがあるんだけど」
「はい、なんですか?」
台所で作業をしていた榛美さんが、てぽてぽあるいてくる。
「こいつな、ラとラの区別がつかねえんだよ」
「ええ? ラとラの区別ですか?」
うわーわかんない。
英語でいう、RとLよりもわかんない。
「ふふっ」
うんうんうなっていると、榛美さんがくすくすわらい。
「康太さん、こまってるのにたのしそう」
「そうかな? けっこう真剣なんだけど」
「ごはんをつくってるときと同じぐらい、たのしそうです」
「わからないことが分かるのは、たのしいからなあ」
学校に行く機会にめぐまれなかったので、勉強とか、知的好奇心を満たすとか、そういう局面がおもしろくて仕方ない。
異世界の言語なんて、農民にとっての氾濫原ぐらいすてきに映る。
発音はともかく、文法上のあれこれは理屈なので、勉強すれば理解できる。
この世界のこの辺りの言語は、どうやらいわゆる膠着語。
おおざっぱにいうと、日本語みたいに、動詞のおしりが変化して状況をあらわす言葉だ。
たとえば、『見る』という動詞の場合は、『見-よう』で勧誘の意味をもつ。
この世界の『見る』という単語は、『bit』という単語。
これに『-el』という勧誘の接尾辞をくっつければ、『bitel』、『見よう』という意味になる。
語順は、ありがとうむかしの白神さん、日本語とほとんど変わらず主語(S)目的語(O)動詞(V)です。
表意文字で屈折がきつくておまけにOSV型構文、とかだったら、文字の習得はかんぺきにあきらめていただろう。
そのあたりのもろもろをのみこんで、単語をおぼえていけば、まあなんとかなる。
なるのだけど。
『……なんかおかしくない?』
とおもったあなた。
うん、おかしいですよね。
「ほら白神、ここ見ろ」
「ん?」
はい、いま悠太君、『見ろ』っていいましたよね。
『bit』に命令形の『khi』をつけて『bitkhi』っていいませんでしたよね。
まあ、異世界に召喚されたら、向こうの言語をなぜか理解できるっていうのは、定番っちゃあ定番。
発音がわからないのは不便だけど、あたまの中でラテン文字の読み方に変換してるから問題はない。
今でもときどき、耳にした単語を漢字で認識しちゃう現象が起きるのだけど、これもまあ、便利だから気にしない。
だいじなのはおいしいごはんとおいしいお酒、それだけですゆえ。
「悠太君、この単語どういう意味?」
「わかんねえ。たぶん外来語だろ、法律はそういうの多いんだよ」
こんな感じでつまづくことも多く。
で、その度に、
「やっぱりジジイか……でもなあ」
とつぶやき、ううむとうなる悠太君。
ジジイというのは、この村の北西、沼のほとりにひとりで住んでいる“鉄じいさん”のこと。
いろんなことを知っていて、悠太君もいろいろ教えてもらったらしい。
だったらすぐに会いに行けという話なんだけど。
「気まずいよね」
「気まずいんだよ」
悠太君は科挙に失敗してヘカトンケイルから出戻ってきた身だ。
先生とは顔をあわせづらいだろう。
「それなら、みんなで行きます?」
と、榛美さんが提案。
「わたしと康太さんとユウで。それならユウも大丈夫でしょう?」
「うーん……」
「ユウは三人でも鉄じいさんが怖いんですか? 困った子ですね」
この、悠太君にたいしておねえさん風ふかせてる榛美さんも、いつもとちがってかわいいよね。
「怖くねえし。ただなんか言われんのがめんどくさいんだよ」
「それなら、みんなで行けますよね?」
「……フン。榛美が一緒なら、ジジイもうるさくねえだろうしな」
で、悠太君のこの弟属性ですよ。
おっさん、これだけでお酒のめちゃうねえ。
というわけで、無産階級が三人、昼間からてくてく歩いて沼のほとりの家にたどりつくと。
ちょうど家から出た鉄じいさんとばったり鉢合わせした。
「鉄じいさん、こんにちわ」
「なンだ、白神じゃねェか。うん? 後ろにぴったりへばりついてンの、なんだ?」
悠太君は、皆既日食みたいに僕の後ろにばっちりかくれていた。
「ほら、悠太君」
うながすと、悠太君は、のそのそした動きで横にずれた。
「…………よ、よう」
うつむいて、地面をにらんだまま、悠太君はぼそっとあいさつした。
「あァ、讃歌のとこのガキか。出戻ったたァ聞いてたがよ、なにしに来た」
「お、オレは別に……来たいとかオレが言ったんじゃねえし」
「まあまあ、鉄じいさん。ほら、お酒ありますよ」
鉄じいさんは、榛美さんが手にした甕をじろりとにらんだ。
「先に家あがってろ。製錬ついでに、話ぐらい聞いてやる」
鉄じいさんの家で待つことしばし。
となりの悠太君は、見るからにうちひしがれている。
「鉄じいさん、べつに気にしてないみたいだね」
「オレが気にするんだよ」
フォローのつもりで言ってみたら、かみつかれた。
「白神、そこのるつぼ取ってくれ」
引き戸がひらくのと同時に、命令の声がとんできた。
両手にざるをかかえた鉄じいさんが、のしのしと家に入ってきた。
「これですか?」
顔ぐらいある陶器を手にする。
「持ってろ」
いうなり、陶器に、ざるの中身をぶちまける。
茶褐色のほこりがふきあがって、はげしくむせた。
「悪ィな」
わるいとは思ってなさそうな声でそういうと、鉄じいさんは陶器を抱え込んで、どかっとあぐらをかいた。
「げほっけほっ……それ、なんですか?」
「なんですかって、鉄だろォがよ」
陶器をかたむけて、中身をこちらにみせてくる。
五百円玉ぐらいのおおきさの、褐色をしたかたまりが、るつぼの中にどっさり。
こないだ会ったときも、そういえばざるの中にこれが入ってたな。
「褐鉄鉱ですか」
「あァ、知ってんのか。白神ってだけはあるじゃねェか」
ようするにサビのことだ。
水中の鉄分を、鉄バクテリアが沈殿させたもの。
これは酸化鉄なので、熱をくわえて還元しなければ、まともな鉄にはならない。
製鉄というのはつまり、自然界に存在する酸化鉄をなんかうまいこと還元して、いい感じの鉄を得るということだ。
「おい、讃歌のガキ」
「……なんだよ」
「そのツラ見ると、拾いもンがあったみてェだな。そこの白神のおかげか?」
「こんなクソみたいな村の中じゃ、白神はマトモな人間だよ」
「分かッちゃいねェな。ここにゃァ全てがある。俺がお前に教えたのは、ここで生きてくためのことだけだ。
勘違いしてヘカトンケイルまで足伸ばして、ひッくり返ッて戻ッてきてふてくされやがッて」
「全てが? バカ言えよ。こんなクソみたいな村で生きていくために、あんたの教えてくれた、何が必要だってんだよ」
「フン」
鉄じいさんは鼻を鳴らして、抱え込んだるつぼの中身をのぞきこんだ。
「鉄よ、鉄……」
鉄じいさんの瞳の中に、魔法陣が浮かび上がる。
「お前は乙女の柔肌にして漁る者の荒膚。
お前は冬の堅氷にして夏の暖水。
鉄よ、鉄。
我が語彙は“除く”、魔術に応え、鈍く輝け」
鉄じいさんが呪文を謡い終えた瞬間、るつぼの中の褐鉄鉱がきれいさっぱり消えた。
「どォら」
るつぼに手を突っ込んだ鉄じいさんが取り出したのは、卵みたいなかたちをした、なにか。
にぶい灰銀色に光るそれをみて、ことばを失った。
いま目の前で起きたことがどれだけとんでもないか。
おもわず、榛美さんに目をむける。
「……?」
いつもの口はんびらき。
「ヘッ、分かるかよ、白神には」
鉄じいさんはにやりと笑った。
「おい、讃歌のガキ、お前にゃ理解できるかァ、えェ?」
「なにがだよ。ジジイが鉄を打ってるところなんて珍しくもなんともねえよ」
「やれやれだな。だからてめェは、科挙にも通んねェで追い返されたんだろォよ」
「はあ? バカにしてんのかよ」
「してんだろォが。すぐ気付け」
「言ったなクソジジイぐぇえええ! なにすんだよ白神!」
立ち上がろうとする悠太君の服をつかんで、だまらせついでにすわらせる。
「あの、それ……鋼ですか」
たずねる声がふるえているのは、自覚している。
鉄じいさんはうなずいた。
「間違いねェさ、鋼だよ。系は“冶述”、語彙は“除く”。鉄から邪魔くせェもん除けることができる。まァ見ての通りのドワーフでな、生まれついての鉄打ちだ」
ガンダルフじゃなくてギムリだったのか。
いやそんなことより。
さっきも言ったけど、製鉄とはつまり、酸化鉄を還元していい鉄を得るということだ。
還元には熱が必要で、良質の鉄を得るためにはけっこう高い温度が必要で、そのためにはおおがかりな施設が必要だ。
たとえば、『もののけ姫』に出てきた『たたら場』では、何十人もの人がふいごを踏んで、炉内の温度をたかめていた。
さらにさらに、燃料として大量の木炭が必要となるし、ノロとよばれる不純物を取り出す工程はむずかしいものだし……
とにかく、製鉄というのは、どこから説明したらいいのかこまるぐらい、非常にめんどうでたいへんでおおがかりなものだ。
まして鋼となれば、本来、製鉄ののちに製鋼という過程が必要だ。
日本刀の材料となる玉鋼を得るためには、たたら場を三日三晩連続で操業する必要があったらしい。
鋼というのは、わずかに炭素をふくむことで強度を高めた鉄合金。
粘りがあるのでもろくなく、堅さがあるのでこわれない。
日本刀だって包丁だって、鋼なしでは作れない。
人類はやっきになって、製鉄技術をたかめてきた。
それを、呪文ひとつで解決。
チート以外のなにものでもない。
天候をあやつって敵陣に雷を落とすみたいな戦略級の魔法とかと、同じぐらいチートだ。
「ンで、だ」
油紙で鉄塊を包んでその辺にほうりだしてから、鉄じいさんがこっちにむきなおる。
「白神と榛美と出戻りのガキが、雁首揃えて何しに来やがッた?」




