『あの世枠』にできること
草をかきわけながら、帰り道をあるく。
「あの、康太さん。チーズってなんですか?」
そう来たか。
「牛乳から……ええと、そもそもこの村に家畜っているの?」
「……?」
いつもの口はんびらき。
「さっき見たあの鳥を、村で育てていたりはしない?」
「この村ではしていないです」
「ふむ、なるほどだね」
温帯ないし亜熱帯性の多雨気候では、家畜より農作物の方が、だんぜん効率よくカロリーをとれる。
背丈のひくい草が生えている平原や丘で、牛だの馬だの羊だのを放牧するというのは、いかにもなイメージだけど。
これは、雨がそんなにふらなくて、野菜があんまり育ってくれない場所で生きていくためだ。
「榛美さんの知ってる範囲で、動物を飼っている人たちっている?」
「そうですねえ……犬や猫はいますし、平地の方ではカピバラを放牧していたりはしますけど」
「え? いまカピバラって言った?」
「え? はい、カピバラって言いましたけど」
カピバラって、あのカピバラだよなあ。
家畜化には、草食で群生で大人しい、という条件が重要だから、わからない話ではないけど。
しかし、カピバラか……やっぱり食べるのかなあ?
そっか、そうなると、チーズをやすやすと手に入れるのは難しいってことだな。
科挙の受検料をまるまるぶっこまなければ食べられないほど、貴重な食材というわけだ。
「あの、大丈夫なんですか?」
「うん、まあ、なんとかしてみるよ。ちょっと台所を借りるね」
さて、以前、五円玉で豆腐をダウジングした人にいろいろ伺った、という話をしたことがあるけれど。
おかげさまで、絶対菜食主義についてとても詳しくなった。
肉、魚はもちろん、乳製品すら摂らない彼らとて、ときにはチーズが恋しくなる。
そういうときにはどうするか?
「またお豆腐ですか?」
「またお豆腐なんです」
二回目ともなれば、すり鉢の作業もなれたもの。
ごりごりっとやっつけて作った豆乳を煮たてて、豆腐にする。
かために作った絹ごしは、水気を切る為に重石をのせる。
あんまり重いものをのせると潰れるので、平たいお皿なんかがいいだろう。
三時間ほど重石をして水抜きした豆腐は、横一文字に切って半分の厚さにする。
こいつに、酒でのばした味噌をぬりつける。
「よし、これで一晩おけばできあがりだ」
「あの、康太さん……?」
榛美さんは、味噌をぬりたくられた豆腐に、いぶかしげな視線を送っている。
『この人、大豆でつくったものに大豆でつくったものを塗ってるんですけど……』
の目だ。
大豆をなめたらいけませんよ。
きな粉、豆もやし、豆腐、醤油、味噌、枝豆、おから、豆乳、納豆――そして、ビーガンチーズ。
大豆には無限の可能性があることを証明してみせようじゃないか。
その夜も、鷹嘴家は大騒ぎだった。
夕暮れどきから人があつまり、榛美さんは魔述を駆使して大立ち回り。
今日はややこしい賓客もいないし、榛美さんのお手伝いをすることにした。
魚をさばいたり(といっても内臓を取ってぶつ切りにするだけ)、モチをついたり。
「はー、ふたりだとすごい楽です。康太さん、ありがとうございます」
「いえいえ。ちょっと片手間にこんなの作ってみたけど食べる? あまごのさんが焼き」
「わあ、ありがとうございます!」
ひととおり料理しおえて、ふたり、土間にすわって、甕をテーブルがわりに軽食を取る。
さんが焼きというのは、たたいた魚肉に、味噌やネギやしょうがや酒を和えた――つまりなめろうを、丸めて焼いたもの。
アジだとかサンマだとか、たっぷり脂ののった海の魚で作るのが本流だけど、ここはあまごでやってみた。
あまごは鮭とか鱒の仲間なので、川魚にしては例外的に脂たっぷりなのだ。
「んー……おいしい……!」
「おいしいねえ」
荒く叩いた魚の身は、ほおばれば口のなかでほろほろ崩れてくれる。
かみしめれば、脂の乗ったあまごの身は、鮭のようにこってり、鮎のようにさっぱり。
そこに、味噌の塩っ気と旨味がぶわっとひろがり、口の中はただただ幸福感。
しょうがっぽい香りのする根菜があったので刻んで入れてみたけど、これがばっちり合う。
しゃきしゃきっとした食感もさながら、その香りだ。
味噌と脂でずっしり重たくなった舌の上を、草原をわたる初夏の風みたいなさわやかさが駆け抜けていく。
「ああ、焼酎が欲しくなるなあ。榛美さん、お酒のんじゃおっか」
「はい、のみましょ!」
かんぱい!
どぶろく飲んじゃう。
うん、これはこれでいいけど、やっぱり焼酎がほしい。
すきっとした米焼酎とか、泡盛とか、花酒とか。
「はー、でもお酒ならなんでもおいしいや。合うねえ、さんが焼き」
「はい、おいしいです。ああー、なんか、なんかもうおいしくて……なんか泣けてきました」
「ちょっと分かるよ。大人になってくると、おいしいだけで泣くよね」
「うううなでてくださいううう」
「よしよし」
榛美さん、呑むと感情の振れ幅がすごいよなあ。
サイみたいにぐいぐい突き出された頭をなでてやりながら、にがわらい。
「白神様、ちょっといいか」
ふたりでぽわぽわしていると、声をかけられた。
台所と客間を仕切るパーティションの傍に、一人の男の人。
背は低いけど筋肉がみっちり詰まった、ちいさい頃から肉体を酷使していた感じの背格好。
陽に焼けてざらざらの膚。
いかめしいひげ面。
最初の日の夜に、木匙で威嚇してきた人だ。
「なんでしょう?」
「今日、うちの息子と会ってたみてえだけどよ」
「讃歌さんです」
きょとんとしていると、榛美さんが小声でささやいてくれた。
讃歌さん、つまり、悠太君のお父さんというわけか。
「はい、会いましたね。ええと、召し上がります?」
「お、おお? ああ、悪いな」
「どうぞ、こちらに座ってください。お話ならゆっくりうかがいます」
なんか、どなりつけられたりされそうな気配を感じたので、先んじて出鼻をくじくことにした。
「う、うめえ……なんだこりゃ!」
さんが焼きを一口つまんだ讃歌さんがさけんだ。
「川魚のさんが焼きです」
「これ、うちの村で採れたもんを使ってるのか?」
「味噌も魚も野菜も、全て踏鞴家給地産ですよ」
「はあー……そうかあ、これは白神様なんてありがたがるわけだ。こんなもん、領主様だって食ってねえぞ」
そんなにややこしい料理ではないんだけど、この村のライフスタイルから生まれないってのはたしかだろう。
春から秋にかけては米、秋から春にかけては黒豆。
その他、ちいさな畑で各種の野菜。
一年中忙しいうえ、夕ご飯をアウトソーシング。
外注先は毎度、もちと魚と野菜のごった煮を提供。
調理法の発展する素地がない。
「先代様の頃の川向うじゃ、もうちょっと気の利いたもん食ってたっつうけど」
「わたし、お父さんとちがってあのお鍋しか作れないですからね」
榛美さんがなぜか胸をはった。
技術が榛美さんのとこで途絶えちゃってるじゃないか。
そして、昼間の当て推量はけっこう的を射ていたみたい。
やっぱり“川向う”の廃墟群は、こちらにくらべ栄えていたんだ。
「ああ、ちがう、そんなこと言いに来たんじゃねえんだが……毒気を抜かれちまったな」
讃歌さんは頭をぼりぼりかいた。
作戦成功だ。
「あのな、悠太のことだ。白神様、あんた、あいつにおかしなことを吹き込んじゃいねえだろうな?」
「おかしなこと、ですか」
「こういうことだよ」
讃歌さんは、さんが焼きの乗っていた皿を指差した。
「あいつはな、俺らと違って、考える頭をぶらさげて生まれちまったんだ。良いのか悪いのか……ま、悪かったんだろうな。考える頭があっても、この村じゃなんの意味もねえ。
てめえが賢いって考えに取りつかれて、ふわふわ、なんのあてもなくヘカトンケイルまで行っちまってよ……」
言葉を切ってためいき一つ、うなだれ、首を横に振る讃歌さん。
「やっと戻ってきてくれたかと思ったら、、何の因果か白神様が来ちまった。よその世界の知識をたんまり抱え込んだ白神様がな。
そりゃあな、蛾みてえなもんさ。火に魅入られて、分不相応な光が欲しくなっちまって、てめえを焼いちまう。
あいつはそういうところがあるんだ。考える頭があるから、考えなしに何にでも首を突っ込んじまうんだよ」
「ああ、そういうことですか……」
「そういうこった。あいつはここに生まれた。だから畑を耕して、田んぼを耕して、粛々と税金払って、それで人生終わりさ。
白神様にとっちゃ、それは悪いことか? 無様な生き方か?」
白神というのは、やっぱり、天狗とか鬼とか、そのあたりの『あの世枠』に入っているらしい。
一人息子が天狗にかどかわされつつあり、かつ、その天狗と対話が可能だったら、それは、親としては交渉するだろう。
「あれこれ口を挟んだり、余計な助言をするほどの恥知らずではないつもりです。
ただ、困っている人を助けたいと思えないほど、愚かではありたくないですね。
だから、明日、悠太君に料理を作ります。それで終わりですよ。それ以上のことは、求められたってなにもできません」
思っていることを、なるたけ簡単にいった。
僕にできるのは、料理をつくることだけ。
「じゃあ、おかしなことを吹き込んだりはしねえって、そういうことでいいのか?」
「おかしなことを吹き込めるほど長く、この世界にいるわけではありませんから。
きっと、讃歌さんの考え方は、この世界の生き方に沿うものなんでしょう。
善いとか悪いとか、美しいとか無様とか、そういうことではなく、ただ単に事実として」
讃歌さんはあごひげをさすりながら、ふうむとうなった。
「考える頭がついてる奴の言うことは、難しくってかなわねえな。だがな白神様、あんたがおためごかし言ってるんじゃねえってことは、俺にでも分かる。
説得なんかは頼まねえよ。ただ、ほっといてくれればそれでいい」
「分かっています。安心してください」
「それだけだ。わりいな、邪魔して。それ、美味かったよ」
「ありがとうございます」
「なんだそりゃ? メシ作って、礼を言うのかよ」
「おいしく思ってもらえることは、うれしいです」
こまったような、照れたような笑みをうかべて、讃歌さんは人の輪の中に戻っていった。
榛美さんは、人をかきわけて客間の隅に向かう讃歌さんを、目で追った。
「讃歌さん、ユウがもどってきたとき、だれよりもうれしそうでした。
みんなやっぱり、もどってきたユウに対して、なんて言ったらいいのか分からなかったんです。わたしもそうでした。
だって、もどってきたってことは、科挙に受からなかったってことですからね。
でも、親子っていうのはあるんでしょうね。ぽんってユウの肩をたたいて、
『ちょっと痩せたな。ちゃんとメシ食ってたのか?』
それで終わりです。責めもしない。なぐさめもしない。当たり前に、ユウのことを受け入れて……」
「だから、僕がまた悠太君を遠くに連れていってしまうんじゃないかって、心配なんだね」
「きっと、そうなんだとおもいます」
讃歌さんは、讃歌さんなりのやり方で悠太君を愛している。
でも、悠太君にその愛はとどかない。
『あの世枠』の白神が、そこら辺の親子関係に手を出すわけにもいかないだろう。
とにもかくにも、僕にできるのは、悠太君をおいしいチーズでだまらせることだけだ。




