異世界の生魚
6/19更新 1/2
「えーと」
にぎりしめたままの札束を、ためしに榛美さんに向けてみる。
「うひゃあやめてください!」
榛美さんは飛びのいた。
「これ、どれぐらいの価値があるのかな」
「どれぐらいって、ええと、たぶん、わかんないんですけど、わたしの人生三回分ぐらい?」
「おお……」
よく分からないがすごい説得力だ。
「どうしたらいいかなこれ」
「わ、わたしにいわれても」
どうしよう。
百枚ぐらいあるから財布にも入らないし。
「ええと………埋めます?」
というわけで、札束は、湿気対策として一握りの塩と一緒に壺に入れ、土間に埋めた。
処置に困ったときは、なかったことにするのが一番だ。
そうこうしているうち、いつの間にか客席も静かになっている。
あらかた飲み食いした村の人たちは、満足してひきあげていったらしい。
床几には、空っぽになった酒の甕と鍋、置き忘れられたオイルランプや食器。
「はあやれやれ、なんとか無事に一日がおわりました」
榛美さん、ながいためいきをついて肩をぐるぐるまわす。
「うん、どっと疲れたね。さあ、片づけようか」
「はい!」
食器を水瓶の中に放り込み、床几を拭いて、床にこぼれた酒や食べかすを土間に掃きよせて。
クロージングの作業はけっこう好きだ。
厨房に水を流してモップで擦ったり、ステンレスの棚や冷蔵庫をぴかぴかにみがきあげたり、そういうのはぜんぶやっていた。
むしろレジ締めなんてやりたくもなかったから、信頼できるパートさんに任せていたぐらいだ。
疲れがにじんでじんわりとだるくなった体を動かして、一日分の汚れをおとしていくのは、楽しいことだ。
「あの」
床几にこびりついた汚れをこすっていると、後ろから声をかけられた。
「康太さんは、白神様なんですよね?」
「どうもそうみたいだねえ」
「…………これから、どうするんですか?」
「とくに決めてないよ」
どうしようかな。
元の世界には戻れないというし。
「まあ、さしあたっては……」
冗談の準備をして笑顔で振り向き、ちょっとだけ言葉をうしなった。
なんか榛美さんが半べそかいていたからだ。
「ど、どこかに、行っちゃうんですよね?」
「なんで?」
「だ、だって、白神様は、この世界に文明をもたらす神様で……それが、こんな、なにもない村、あの、はい、わかってるんです。康太さんが教えてくれて、ここはなにもないなんて……ほんとは、色々、ひぐっ、たくさん、わ、わたしが、見ようと、見ようとしなくっうええええ」
半べそが本泣きになった。
なにがいいたいのかまるで分からない。
よく分からないので、既定路線の冗談を遂行することに決めた。
「さしあたっては、おなかすかない?」
「ううううすきましたうううう」
しゃくりあげながら榛美さんが返事をする。
よくかんがえたら、お昼からなにも食べていない。
そろそろ情緒が不安定になってくる時間だ。
「よし、じゃあ僕がなにかつくるよ。榛美さんはこっちでまってて」
半個室のパーティションをあけて、椅子を引く。
「で、でも……」
「榛美さんは今日、すごく大変だったからね。一日のおわりぐらいは楽をしよっか。ほら、すわってすわって」
榛美さんはしゃっくりしながらてくてく歩いて、あんがい大人しく椅子にすわった。
さて、ちょいちょいっとつくりますか。
下準備として、木おけに汲んだ水を『冬の宮』に放り込んでおく。
まずは、手つかずになっている鍋の残りだ。
平底の土鍋を熾火にかけなおして、ゆっくりとあたためる。
味見をすると、これがやっぱり相当しょっぱい。
葉野菜や魚や謎キノコから出たうまみはあるけど、あたりがきつすぎてぶちこわしになっている。
ここに、湯葉で使った豆乳をどぼどぼ注ぐ。
はい、『豆乳味噌鍋』いっちょあがり。
お次は、木だらいの中に生き残っていた、あまごっぽいのと鮎っぽいの。
頭を落として内臓をかきだし、水でよく洗ったら、薄いぶつ切りにする。
『冬の宮』から木おけをとってくる。
すごいな、この短時間でもう表面が凍ってる。
ここにぶつ切りにした鮎とあまごをどちゃっと放り込む。
三分ぐらい氷水に漬けている間に、酢味噌をつくる。
これは、さっきの要領で、肝あえにして炙った味噌と、酒、酢をあわせる。
ほんとは酢味噌にはお砂糖をいれるんだけど、ここには置いていない。
甘味が足りない代わりに、内臓の旨味と油っ気で味をととのえる。
皿に葛の葉をしき、その上に魚の切り身を扇状にもりつけ、酢味噌と塩を添える。
『二種の川魚の背ごし』ができあがり。
川魚には寄生虫が……って?
なんでもかんでも同じまな板でぶったぎる、衛生観念のかけらもない調理。
箸に当たるをさいわい口に放り込んでいく雑な食べ方。
ここでごはんを食べる以上、すべては今更だ。
だいたい、異世界淡水魚の異世界内臓にすみつく異世界寄生虫のことなんて、想像もつかない。
異世界吸虫に魔述で小腸を全部吸われるなんてことがあるのかもしれないけれど。
謎キノコの入った鍋もすすっちゃったし、もはや生死はどうとでもなれ。
僕はおなかがすいたのだ。
そしてお酒をのみたいのだ。
「はい、おまたせしました」
「わあいった!」
榛美さんはぴょこんと立ち上がり、ひざを机の脚にぶつけてすぐ座った。
「いたた……すごい……きれいです」
オイルランプに照らされた、魚の背ごし。
薄く切って緑色の葉に盛られると、鮎の、淡いピンク色の肉と、黒から白へグラデーションをえがく皮がとても美しい。
あまごの、透明感がある乳白色の肉と交互に並べると、まるで芸術作品みたいな色合いだ。
「色がちがいません?」
器に盛られた豆乳味噌鍋、もとい汁をのぞきこんで、榛美さんがふしぎそうな顔をする。
「豆乳を入れてみたんだ。まあ、まずは食べよっか」
「はい! おなかぺこぺこです!」
榛美さんの向かいにすわって、どぶろくの上澄み清酒のたっぷり入ったコップを持ち上げる。
「おつかれさま」
「はい」
変な間。
「康太さん?」
「あ、ええと、そっか。僕らの世界ではね、こうやって、コップをあわせるんだよ。それが呑み始めるときの合図なんだ」
「ふうん? ふしぎですね」
「やってみると悪くないんだよ。はい、それではグラスをお手に」
かんぱい!
さあ、食べよう、呑もう!
まずは一口、お酒をいただく。
口の中でとどめ、体温であたため、花が咲くように広がる香りを十分にたのしんだら、飲み下す。
喉を、食道を熱くしながら、お酒がからだを滑り落ちていく。
じわっとあたたかくなって、やがて胃の形がくっきり分かるぐらい、あつくなる。
「ああー……」
椅子の背もたれに体重をあずけて、天をあおいだ。
うまい。
うますぎる。
疲れた体にゆっくり染みわたっていく、お酒の熱さ。
「こりゃだめだ……こりゃだめになる……」
酸と甘味が心地いい。
ミリシアさんも、あてなしでぐいぐいいくはずだよこんなん。
呑みやすくて、気持ちいい。
「どれ、背ごしも……んんー……」
おもわず、うなった。
塩をちょっとつけたあまごの背ごし、これは危険だ。
ぷりぷりでしゃきしゃきの食感。
くせのない、鯛をおもわせる味。
かと思えば、噛み締めると脂がじわっとしみだしてくる。
この脂のおかげで、淡白なのにこってりという、またとない感覚が舌の上にあらわれる。
ああ、美味い。
最初の父の田舎で釣った天然あまごを思い出す。
ちょうど初夏で、銀あまごと呼ばれるおいしい時期だった。
そしてお酒に合う。
がまんできなくてさっさと呑み干し、二杯目もあまごとあわせて一気に流し込み、すばやく三杯目に突入した。
これは、たまらん。
お酒とあいすぎる。
「あっ、なにこれ……あははは!」
豆乳味噌汁をすすった榛美さんが爆笑した。
「おいしい、なんですかこれおいしい!」
「でしょ。塩味を丸めるために豆乳をたっぷり入れたんだ」
どれ、僕もひとくち。
うん、これも美味い。
さっぱりめのクリームシチューみたいだ。
しっかりバターと小麦粉を炒めて、低脂肪乳でクリームソースを作ったみたいな。
そこに、野菜や魚や謎キノコの旨味が溶け込んで、ごはんにとにかく合いそう。
と思ったら、中からおもちが出てきてうれしい誤算だ。
「あ、なんだろ、このおもちも美味しいね。変わった味だ」
玄米もちはたまに食べていた。
もちろん玄米の色をしていて、ぷちぷち感があって、ちょっとくせがある。
でもこの玄米もち、なんだろうなあ。
なんていうか、遠くの方に、どこかで嗅いだことのある香りを感じる。
なんだろこれ、なんか涼しげ。
絶対に知っている香りなんだけど。
「お酒ついできますね」
「ありがとう」
まあいいや。
お酒がおいしく。
あてがおいしく。
なべて世はこともなし。
すきっ腹に入れたから、べらぼうないきおいでお酒が回ってきた。
世界の全てが、薄い膜の向こうにあるみたい。
ふわふわしてとても気分がいい。
異世界? 上等だ。
おいしい酒とおいしいあてを作れるなら、誰かが僕の料理をよろこんでくれるのなら、どこだって生きていける。
うーん、鮎もうまい。
しゃくしゃくっとした歯触りに、くせのない味。
皮の香りはスイカのよう。
ここに酢味噌の苦味と旨味がたまらん。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
一気にコップ半分、ぐいっとやる。
かーっ!
すっぱくておいしい!
異世界最高!
唐突にアクセス数が前日比350%ぐらいになったのだけれども、だれかが日曜ドラマと勘違いしてバズったのだろうか。




