狼とカピバラ
草がぼうぼうにしげる、切り通しの坂道。
二頭のカピバラは、崖に生えた葛なんかをむしりながら、のそのそと歩いている。
踏鞴家給地から離れること、一日。
僕たちを乗せたカピバラ車は、のんびりとした足取りで、寒川家給地の領主直轄地に向かっていた。
ミリシアさんは、ピスフィの髪を、めのうの櫛で梳いている。
榛美さんは、窓におでこをくっつけて、周囲の光景に興味しんしん。
「うひゃ!」
張り出した枝が窓をぴしゃっと叩いて、榛美さんが首をひっこめた。
「やけに細い道を通るんですね」
「荷役カピバラ用の道じゃの。踏鞴と寒川に、交流があった頃のものじゃろう。この雑な作りじゃ、村人が勝手に敷いた道のようじゃがの」
ピスフィがこっちに、宇宙から見た海みたいな色の瞳を向けてきた。
「動かないでください、嬢。髪を梳いているのでありますよ」
と思ったら、ミリシアさんに顎をくいっとされて、横を向いた。
それでも僕に、いたずらっぽい流し目を送ってくる。
たのしそうな目だ。
ときどきピスフィは、こんな目をして、僕を試す。
おもしろい、受けて立とうじゃないか。
「運んでいたのは、塩ですか?」
「ほう。なぜそう思うのじゃ」
「あらゆる道路を国が作ってくれるわけじゃありませんからね。そこら辺の人たちが、自助努力だけでほそぼそとした道を引くっていうのは、僕の世界でもよくある話です。
それと、カピバラっていうのは、こういう悪路でも歩いてくれるみたいだし、その辺の草を勝手に食べてくれる。細い道にはうってつけです。
こんな道を勝手に通して、海と山の間で、カピバラを引いて運ぶものといえば、塩じゃないですか?」
「難しい問いではなかったようじゃの」
満足したピスフィが、ミリシアさんに体重をあずけた。
「ところで、カピバラ車には御者をつけないんですか?」
二頭のカピバラは、草を食べたりしながら、好きに歩いている。
おいしい草があると、しばらく立ち止まってしまうほどだ。
かじ取りを任せてしまって、大丈夫なのだろうか。
「咲太郎と梅子は、ネイデル家が血統を選りすぐった、実以て佳良な二頭だ」
ミリシアさんが胸を張った。
「ネイデルの当代は、品種改良に夢中なのじゃ。本土の土地を、九割がたカピバラの放牧にあてておる」
「酔狂と笑ってもらってかまわんよ。しかしながら、ネイデル印のこの二頭、決して笑えたものではないぞ。
咲太郎と梅子はとても賢く、我らの意に応えてくれる。そればかりか、危殆に瀕すれば、自らの判断で行動もできよう」
ミリシアさんが胸を張った。
異世界カピバラ、非常に頭がいいらしい。
たしかにこれまで、道を間違えたことはないなあ。
人の服を食べたりはするけど。
そんな賢いカピバラに、歩みをまかせること、数時間。
陽が落ちるころ、僕たちは、少しばかり開けた土地を今日の宿と定めた。
ぼろぼろに朽ちた家屋と、枯れた井戸があるだけの、さみしい場所だ。
この道が交易路だったころ、寺とか神社みたいな宗教施設があったのだろうと、ピスフィは語った。
火を熾したら、焼き干しにした川魚とうち豆、焼き米を、米醤油でごった煮にする。
足高さんが持たせてくれた、オイカワとアブラハヤが初登板だ。
コイ科のわりには、案外いいおだしが出てくれてうれしい。
「あっ!」
いきなり、榛美さんが声をあげ、立ち上がった。
「どうしたの?」
「え? あ、その、ええと」
三人分の視線を受けて、気まずそうに、背中を丸める榛美さん。
なんだろ。
「その、ええと……あ、あの、さっき、食べられる木の実を見つけたから、とってきます!」
「それはいいね。僕もついていくよ」
「いいですそれは!」
にべもない拒絶だった。
浮かしかけた腰を下ろせず、ぽかんと、榛美さんを見上げてしまう。
「だからその、食べられる木の実ですから! わたしが取ってきますから、だいじょうぶです!」
顔をまっかにして、ものすごい早口。
断固とした意思を感じる。
ピスフィとミリシアさんを、順ぐりに見て。
ふたりとも、ぴんと来ていることに、安心する。
「そっか。それじゃあ、行ってらっしゃい。なるべくはやく戻ってくるんだよ」
「はい! なにしろ食べられますからね!」
榛美さんは、なんだか内またで、もぞもぞしながら去っていった。
「ずっと我慢しておったのじゃな。悪いことをしたの」
なにをと言えば、お手洗いだ。
たしかに、切り出すタイミングが難しいよなあ。
この世界の街道には、サービスエリアなんてないし。
ミリシアさんが、決まりわるそうな表情で、うさみみをもぞもぞと触りながら、ピスフィを見た。
「その、嬢よ。榛美はこの先の旅に……」
口ごもったミリシアさんに対して、ピスフィは、試すような視線を向けた。
「ミリシアよ、なにを問いたい。『耐えられるのか』か、それとも『必要なのか』か?」
とまどい、傷ついたような表情さえ浮かべたミリシアさんだけど、すぐさま、自分を取りもどし、
「我々は商人でありますよ、嬢。無論、『必要なのか』でありましょう?」
きっぱりと断言するどころか、挑みかかるような口調でそう言った。
ピスフィは、満足したようにほほえんだ。
「剣には鞘が、船には錨が要りようじゃ。それは分かっていような、ミリシア」
「理解しています」
ふたり分の視線が、こっちにあつまる。
「榛美さんがいないのは嫌ですよ」
「なにしろこうたは、はしばみを愛しておるからの」
「ええ、愛してますから」
いじわるな笑みを浮かべたピスフィに、真顔でかえす。
視界のすみっこで、ミリシアさんが照れくさそう。
「とはいえ、じゃ。はしばみとて、主ゃの首にぶらさがり、きらきらするだけの装飾品として、旅路を共にするわけではあるまい」
「榛美さんには、榛美さんの目的があります。一緒の旅を望んだのは僕ですけど、決めたのは榛美さんですよ」
「そうであるならば、この旅路が、はしばみにとって益のあるものであれば佳いの。旅の果て、なにが待っていようと、折れぬ靱さを得るための道のりであれば。
さすればみどもらも、はしばみに助けられよう」
「嬢がおっしゃるのでしたら、異論はありません」
うん、そうだな、ピスフィの言うとおりだろう。
僕も榛美さんも、親しみのある場所を飛び出して、この世界に立ち向かわなくちゃならないんだ。
同じ方向を見つめながら、進んでいけたらなあ、なんて。
夜闇を払う焚火がゆらゆらするのを見ながら、なんだか素直に、そんなことを思えたよ。
「はー、なんとかなりました」
ひと仕事終えたときの顔で、榛美さんがもどってきた。
「おいしい木の実は見つかったかの、はしばみ」
「え?」
ピスフィの皮肉を受けた榛美さんは、迷わず首をかしげ、口を半びらきにした。
すごい、たった一つの母音でも、語るに落ちることってできるんだ。
「忘れてくれ。母国の冗談じゃ」
「そうなんですね! ごめんなさい、知ってたら笑えたんですけど」
ミリシアさんが、右うさ耳をぎゅうっと握りしめ、力づくで笑いをかみ殺している。
嬢のふところの深さも、なかなか青天井だよね。
さてさて。
それで、笑い話になればよかったんだけど。
ものの十分もしない内、僕たちは、なにかの気配に取り囲まれていた。
最初に気付いたのは、ミリシアさんだった。
木に立てかけていた愛刀を手にすると、瞳を閉じて、体をこわばらせる。
「大きな音を立てるでないぞ」
ピスフィが、僕たちに警告する。
神経を集中させると、それが、分かった。
葉ずれ、息づかい、うなり声、風にただよう、なまぐささ。
なにかの生き物が闇の中にいて、どうやら僕たちを、獲物扱いすることに決めたらしい。
「狼の類じゃろうな。この辺りに棲んでいるとは、初耳じゃの」
ささやき声で、ピスフィがつぶやく。
榛美さんが、僕の腕にすがりついてきた。
「嬢よ、榛美を連れてカピバラ車にお移り下さい。私と康太は、火の始末をしてから参ります」
「うむ。はしばみ、行くぞ」
「は、はいっ……」
恐怖のにじんだ瞳で僕を見つめながら、榛美さんが、そろそろと立ち上がる。
僕は、安心させるように、榛美さんの手の甲を軽くたたいてほほえんだ。
榛美さんも、なんとか笑顔をつくってから、先に歩き出したピスフィを追う。
「……榛美か」
ミリシアさんが、ため息をついた。
「そうでしょうね」
「責めるつもりはない。旅慣れた身である我々が、警告しておくべきだった」
「おしっこは遠いところでしておけ、ってことですね」
荷物をまとめて肩かけかばんにつっこみながら、僕は言った。
狼を引き寄せたのは、榛美さんのおしっこと考えて、まず間違いない。
尿に含まれる塩分は、狼の大好物だ。
実際、ニホンオオカミがまだまだ元気だった頃、夜営地近くでのおしっこは、たやすく死を招いたという。
食前酒としておしっこをたっぷり舐めてから、メインディッシュの人間を平らげるのだ。
「これまでの旅路では、賽殿に助けられていたのであろうな」
「鉄じいさんのやりそうなことですね。黙って狼をぶちのめして、すずしい顔をしていたんでしょう」
あの人は、自分を誇ったりするのが大嫌いだからなあ。
榛美さんに対して、
『あなたの不用意なおしっこが招いた不慮の狼を、夜の内に五六匹やつざきにしておきました』
みたいな恩着せがましいことは、決して言わなかっただろう。
ピスフィと榛美さんが、カピバラ車に乗ったのを確認して、僕たちも、立ち上がる。
なまぐささと、うなり声が、じわじわと近づいている。
「康太よ、片目を閉じていろ。火が消えれば、夜闇は畜生どもにしか見通せぬ」
うなずいて、暗順応のため、片目を閉じる。
ミリシアさんもピスフィも、手慣れた様子だ。
これまでの旅で、何度もこういった経験をしてきたのだろう。
二人で、手分けして、ブリキの火消し壺に炭を放り込んでいく。
水をぶっかけたり、その場に放置したりは、火事のもと。
狼から逃げのびたと思ったら、今度は山火事に追われるなんて、考えたくもない。
細かな灰には、食べ残しと水をぶっかける。
これで、あらかた鎮火できた。
周囲は、敵意に満ちた、分厚い闇。
ともかく、あとはカピバラ車に乗り込むだけだ。
「きゅるるるるるる!」
だしぬけに、咲太郎だか梅子だかが、悲鳴をあげた。
そして、犬が吠える声。
榛美さんの叫び声。
がたっと、車輪が動き出す音。
僕の目はまだまだ闇に馴染んでなくて、何が起こっているのか、さっぱり分からない。
「嬢!」
ミリシアさんが叫ぶ。
「ミリシア、こうた!」
「康太さん! 康太さん、なんか、なんかうごいてます! なんかカピバラ車がうごいてふぎゅっ」
「だまっておれ、はしばみ! よいか、二人でともにおるのじゃぞ! みどもが必ずや、主ゃらを見つけだす!」
「康太さんなんかうごいてふぎゅっ」
「だまっておれ! 三度は言わぬぞ!」
「むうう! むうう!」
「きゅるるるるる!」
榛美さんとピスフィとカピバラの声が、どんどん遠ざかっていく。
石を噛んだ車輪が立てるけたたましい音も、やがて聞こえなくなる。
火消し壺を持ったミリシアさんと、手ぶらの僕が、取り残された。
「……私の言っていたことは、正しかっただろう」
ミリシアさんが、力なく言った。
「咲太郎と梅子はとても賢い。危殆に瀕すれば、自らの判断で行動するのだ」
僕は、かわいた笑い声をあげた。
「そういう皮肉、好きですよ」
旅をはじめて、二日足らず。
さっそく僕たちは、最大級のトラブルにみまわれてしまった。
原因は、エルフの娘さんのおしっこだ。
なかなか、気が利いていると思う。




