洞窟の手仕事
川からあがったあたしたちは、隔離小屋に移った。
たどたどしい自己紹介を終えると、あたしは何を言ったらいいのか分からなくて、だまってしまう。
「この洞窟、鵆川さんが自分で掘ったの?」
紺屋さんがそう聞いて、あたしは首を横に振る。
掘った?
ここがつくられた洞窟なのか、それとも昔からあったのか、あたしには分からない。
「そっか。それじゃあ誰かと暮らしているのかな。その人たちは?」
「今は……会えないわ」
縄文エルフたちは、生理中の女性を隔離する。
詳しい理由は、知りたくもない。
だけど、それを順序だてて説明することができなくて、あたしはうつむいた。
「ふうむ……」
紺屋さんも、だまってしまう。
『どうしよう』が、頭の中をぐるぐるまわっている。
なにかしゃべらなくちゃいけないって、あたしは必死になっている。
しゃべっていなくちゃ、この人はあたしの前からいなくなってしまう。
だってあたしは世界の誰よりもたいくつで、世界の誰よりもなにもできなくて、だからあたしは、遠ざけられる前にさっさと他のみんなを遠ざけてきたんだ。
「ぜんぜん関係ないかもしれない話していい?」
「えっあっ? う、うん……」
「これ、食べ物?」
紺屋さんが手に取ったのは、隔離小屋にいる間食べているものだ。
木の器の中に入っている、変な粉。
生理の間、食べ物はこれしか与えられない。
「ちょっと食べていい?」
「えっえっ?」
紺屋さんの顔を見る。
カブトムシを見つけた少年みたいな表情だった。
それも、ものすごくでっかいやつ。
「ど、どうぞ?」
「ありがとう! ふはっ、げほっけほっ気管っなんか気管に……!」
粉を吸って、むせている。
大人の男の人も粉を吸ってむせることがあるのだと、あたしははじめて知った。
「ええと……なんだろこれ。ヒエのはったいかなあ? 塩? でもちょっと酸っぱいぞ。ああ、ヌルデかな?」
あらためて粉を吸い直した紺屋さんが、あごに手を当て、ぶつぶつと呟きはじめる。
「うん、ヒエだ。このそっけなさは間違いなくヒエだぞ。すごく消化に悪そうだ」
なにか納得いったように、自分の膝をたたいて、紺屋さんは顔をあげた。
「鵆川さんは、いつもこれを食べているの?」
あたしは首を横に振った。
「いつもじゃない、けど……」
どこからはじめて、どんな風に説明すればいいのか、分からない。
紺屋さんが辛抱強く無言でいてくれて、その沈黙が耐えられなくなりそうだった。
どれぐらい、長い時間があったのか、本当は一分もしなかったんだろうけど、あたしには千年ぐらいに感じるほど時が経ってから、シェアンが隔離小屋に入ってきた。
エルフの少女は、目を大きく見開いて、洞窟の入り口で身を竦ませた。
「こんにちは。紺屋康太です」
紺屋さんが、先手を打って挨拶する。
信じられないほど優しそうな笑顔で。
シェアンは、木の枝を編んでつくったカゴを両手に抱えたまま、立ち尽くしている。
木の葉色の瞳が、紺屋さんをじっと見つめている。
立ち上がった紺屋さんが、腰を落として、シェアンと目を合わせる。
シェアンは、おおきな目で、じっと紺屋さんを見る。
「旅人なんだけど、実はこちらの鵆川さんと故郷が同じでね。ちょっとお話をしていたところなんだ」
シェアンはうなずいた。
「ついでにどうやら、途方もなく迷子みたいでさ。少しだけ、ここにいてもいいかな? おとなの人を呼んでくる?」
首を横に振って、シェアンは紺屋さんの言葉を否定した。
「おとなの人は、ここに来れないのよ」
あたしが言うと、紺屋さんは振り向いた。
「そっか、そういう文化か……なんとなく分かってきたぞ」
それだけで、なにかを察してくれたみたいだった。
言葉を出す必要がなくなって、あたしは、心からほっとする。
カゴと紺屋さんとあたしの間で、シェアンの視線が行き来する。
やがてシェアンは、カゴを紺屋さんに押し付けた。
「ん? なんだろこれ。なんかの幼虫?」
「てしごと」
シェアンが、短く言う。
この子はあまり、言葉を口にしない。
「お手伝いしろってこと?」
シェアンは、何度もこくこくとうなずいた。
「なるほど、安いものだね。僕にできることだったら任せておいてよ」
シェアンは返事をせず振り返ると、洞窟を出ていった。
「あ、あの、手仕事だけど、あたしの仕事だから。紺屋さんは、しなくていいから」
紺屋さんの手から、カゴを奪い取る。
恥ずかしくてみじめで情けなくて、見てもらいたくない。
日本人に、あたしが、縄文エルフがなにをしているのか、知ってほしくない。
カゴの中には蛾の幼虫が山盛りで、糸を吐いたり、糞をしたりしながら、うごめいている。
あたしは紺屋さんに背を向けて、カゴを隠そうとする。
「カイコっぽく見えるけど、育てて絹でも織っているの?」
「ちがうわ。これを使うの」
最低だ、なんでこんなときにこんなものを持ってくるんだろう。
知られたら、きっと紺屋さんは気持ち悪がってしまう。
やっと日本人に会えたのに。
この縄文時代みたいな異世界で、たったひとり、日本人で、おとなの男の人なのに。
「……テグスだ!」
「いひゃっ!?」
いきなり紺屋さんが絶叫して、誇張抜きにあたしの身体は数センチ浮いた。
心臓が破裂するかと思った。
「おおお……こんなところで出会うことになるとは。ねえねえ鵆川さん、テグスをつくるんだよね?」
「て、て、てぐす?」
「うん、なんか糸みたいなやつ」
「なんっ、なんで分かるのよ?」
おそるおそる、振り返る。
紺屋さんの顔を見る。
カブトムシを見つけた少年みたいな表情だった。
たぶん外国にしかいない角が六本ぐらいあるやつ。
「やり方教えてくれる?」
あたしが出会った日本人は、ふつうじゃなさそうだった。
平底の木の器を用意して、幼虫の頭とおしりを、つまようじみたいなもので留める。
水を張る。
水中でもがく幼虫の身体を石のナイフで裂いて開き、つまようじで固定する。
「この、白っぽいのが……」
「絹糸腺だ! へえー! へえー! すごいなあ、こういう風になってるんだ!」
身を乗り出して、あたしの作業をじっと見つめる。
やりづらい。
人に見られていると手が震えて、頭がまっしろになってくる。
「それで、これを、取ったら」
「知ってる! 酢に漬けるんだね!」
「そ、そう」
うるさいし、先回りしてくる。
「はあー……すごいなあ。テグスづくりなんて、本朝食鑑ぐらいでしか見たことなかったなあ」
白いものを水と酢を混ぜたものに漬けて、やわらかくなったら、手で伸ばす。
「ほぉー! へぇー!」
うるさい。
「それで、伸ばしたのを水に漬けて、乾かして、おしまい」
「うん、だいたい分かったぞ。ちょっとやらせて」
「えっえっ?」
生理の度にこんなことをやらされていて、それでも未だに、嫌悪感はぬぐえない。
だというのに紺屋さんは、いきいきと、幼虫を開きにしはじめた。
「これが絹糸腺かあ。うはっ思ったより伸びる。すごいなあ、一匹で二メートルぐらい取れるんだ」
すごく、楽しんでいる。
この人は何者なんだろう。
いきなり現れ、あたしを救ってくれて、今、幼虫をどんどん裂いている。
もしかしておとなの男の人は、みんなこうなのだろうか。
あの子と付き合っていた大学生も、幼虫を裂いて糸をつくれと言われたら、よろこぶのだろうか。
裂いて、取り出して、漬けて、伸ばす。
紺屋さんの手つきは、あたしよりもはるかに軽やかだった。
「紺屋さんは……こういう仕事、していたの?」
「慣れているように見える?」
あたしがうなずくと、紺屋さんは苦笑した。
「日本じゃ居酒屋の店主をやってたんだ。だからまあ、なにかを切ったりするのは他の人より得意だと思うよ」
「居酒屋……?」
「うん。こっちでうまいこと、たいそうえらい商人のお抱え料理番になれたんだけどさ」
「商人? そんなのいるの?」
紺屋さんは目を丸くしたあと、隔離小屋の全部をざっと見回した。
「そっか。鵆川さんはずっとこの森にいるんだね」
「……あたしのまわりは、縄文時代みたいだわ」
「分かるよ。せめて中世ヨーロッパみたいなところだったらね」
「うん。ほんとに」
あたしは力強く同意した。
心から、本当に、その通りだ。
縄文時代の森の中で、日本人になにができるっていうんだろう。
「でも、それじゃあ、なんでこんなところに」
「そう、それなんだよねえ……」
紺屋さんはため息をつきながら糸を伸ばした。
「まあなんていうか、とにかく色んなことがあってさ」
それではそろそろ、僕のお話。




