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【コミカライズ配信中】康太の異世界ごはん  作者: 6k7g/中野在太
第二部 中つ海編 第一章 時述べの巫女

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エルフの森の少女

 あたしがこの話を聞いたのは、十三歳のころ、おばあちゃんが末期がんだって判明したとき。

 死ぬまでの一直線が、ジェットコースターみたいな猛スピードで、おばあちゃんをあの世めがけて運びはじめたとき。

 お父さんから聞いたのは、絶対完璧にまちがいなく近々(きんきん)に死ぬと知らされた人が、どうやって自分の死を受け入れるのかっていう話だった。

 否認、怒り、取引、抑うつ、受け入れの五段階を経て、人は死んでいくらしい。


 おばあちゃんは、最後まで死を受け入れなかった。

 一年近く、みっともなくもがいてあがいて、わめきながら死んでいった。


 あたしの場合は、わずか一秒。

 もしかしたらもっと短いかもしれない。

 あれは多分、地震だったとおもう。

 かえるみたいに世界が跳ねて、そのときあたしは、いつもみたいに部屋にいた。

 築四十年の家は、どうやら揺れに耐えられなかったみたい。

 二階分のがれきが、あたしに向かって落ちてきた。


 死ぬと直感したあとの心の動きは、すがすがしいぐらいのスピードだった。

 まずは否認(うそでしょ、こんな急に死ぬわけないじゃん)。

 そして受け入れ(よかった、これでやっと終わりだ)。


 自殺することすらできなかった下らない人生が、うやむやのうちに終わってくれる。

 これこそ、あたしの望んだ死に方だった。

 あたしはよろこんで、がれきを受け入れた。

 もうちょっと時間があったら、キスぐらいしてたかな。

 あたしのキスになんの価値があるのかは、知らないけど。


 だけど、なにも変わらなかったんだよ。

 うやむやのうちに終わったはずの人生が、うやむやのうちに、またはじまって。



 あたしは今、異世界で生きている。

 エルフの住む、深い森の中で。



 鼻先で水滴がはね、あたしは目を覚ます。

 ここはエルフたちの小屋で、あたしは異世界にいて、秋の終わりを迎えるのは二度目だ。

 もう、枝と葉っぱを積みあげただけの床には、慣れた。

 じめじめしている上、木の枝を組み合わせただけで雨漏りする天井にも、慣れた。


 小屋から出ると、そこは深い森。

 どんぐりみたいな実をつける大きな木が、枝を絡めあい、空を覆っている。

 歩き出すと、地面を這いまわる木の根っこに、足を取られそうになる。

 だけどあたしは、パーカーのポケットに手をつっこんだまま、フードを深くかぶったまま、進む。

 なるべく不機嫌に見えるように。

 この世界が気に食わないんだって、誰にでも分かるように。

 誰も見てないのは、分かってる。


 ちょっと歩くと、広場に出る。

 小屋みたいな木々の寄せ集めと、石を組んでつくったかまどがあるだけの場所。

 霧雨の中、エルフたちが朝ごはんの支度をしていた。


白茅ちがや、朝めしには間に合ったなァ」


 あたしに気付いたエルフの男が、うれしそうに笑った。

 名前は、ヤオジン。

 あいかわらず、ひどい恰好。

 たとえていうなら、毛糸でつくったすだれ。

 それを、コートっぽいかたちにしている。

 木を削ったボタンだけが、なぜか、ぴかぴか光っている。

 おまけに右手に、石斧を持っている。


 一年過ごして分かったこと。

 この世界の文明は、まだ縄文時代ぐらいなんだってこと。

 鉄もまともな家もない。

 みんな、森の中をぷらぷらして、毎日過ごしている。


「食べるだろ、白茅」


 なるべく不機嫌に見えるよう、うなずく。

 この一年で、エルフたちの言葉も、分かるようになってきた。


 木をけずったお椀を、ヤオジンがさしだす。

 受け取って、味のないおかゆを喉の奥に流しこむ。

 浮かんでいるのは、鳥のエサみたいな小さくて白い粒。

 噛んでも、なんの味もしない。


「まだ食べるかァ?」


 あたしは首を横に振って、ヤオジンにお椀を突きかえした。

 このおかゆにも、もう慣れた。


 うっとうしい霧雨なんか、エルフたちには関係ないみたい。

 横になって空を見上げたり。

 子ども同士で、はしゃいで駆けまわったり。

 四人ぐらい集まって、早口で、なにかしゃべったり。

 石斧に、つるを巻き直したり。


 広場に背を向けて、小屋に帰る。

 寒くて暗くて湿っぽい小屋でも、外よりはましだから。



 異世界だったら、なにか、変わるかもしれない。

 そんな空想をもてあそんだことぐらいは、ある。


 学校にも行かないで、うすぐらい部屋の中に、閉じこもっていた日々のこと。

 時間が過ぎてくれること、それだけを祈りながら、布団にくるまっていた日々のこと。


 なんだかなんとなく、ある日とつぜん、疲れていることに気付いたんだ。

 おおきな事件に直面したわけでも、だれかに幼い頃のトラウマを掘り返されたわけでもなく。

 なんだかなんとなく、ある日突然、ぐったりしたんだ。


 今でもうまく説明できないな。

 あたしはいつだって、他の誰よりも劣っている気がして、他の誰よりも、たいくつな気がして……

 ちっぽけな無数のできごとが降り積もって、いつの間にかあたしは、外に出られなくなっていた。


 もしも、異世界に行けたら?

 手持ちの知識をうまく使って、たくさんの人に認められたら?

 たとえば、たとえば……なんでもいいんだ、ちょっとしたことでいい。

 ただ、二十一世紀の日本に生きていたってだけで、たったそれだけのことで、異世界にとっては、すごいことのはずなんだ。

 ここじゃない場所。

 今じゃない時間。

 そうであれば、あたしだって。



 でも、異世界は、こんな風だった。

 縄文時代のエルフと、味のない、鳥のエサが入ったおかゆ。

 そして縄文時代のエルフは、縄文時代なりの楽しさで、日々を生きている。

 あたしの知識が役に立つことなんてない。


 あたしは石斧をつくれない、

 あたしはどんぐりを上手く拾えない。

 あたしはすだれみたいな服を編めない。

 あたしは鳥のエサみたいな粒が、どこにあるのか知らない。


「白茅! 白茅!」


 血相を変えたヤオジンが、洞窟に飛び込んできた。

 雨だけのせいとは思えないぐらい、全身、びしょぬれだ。


「白茅! 助けてくれ! 巫女さんの力が必要なんだ!」


 あたしはうなずいた。

 そうそう、一つだけあるんだよ。

 この世界で、あたしが、役に立てること。


 広場には、森中のエルフが集まっていた。

 ぐるっとなにかを囲むように、人だかりができている。


「白茅! ああ、白茅!」


 あたしに気付いたエルフたちが、すがるような声をあげる。

 泣いているエルフ、あせっているエルフ、怒っているエルフ。

 みんなの視線が重くて熱くて、気分が悪くなってきた。


 エルフたちが、道を空ける。

 ちいさなエルフの女の子が、草の上に、横たわっている。

 ヤオジンと同じように、びしょぬれだ。

 裸の身体は、透けてしまいそうなほど真っ白。

 静脈の青さが、なんだか生々しくて、目をそらしたかった。


「白茅、平気かァ?」

「だいじょうぶ」


 ヤオジンに問われて、思わず日本語で返事をしてしまっている。

 足が震えている。

 頭が痛くて、吐き気がひどい。

 視界が狭くなって、世界から色が消えていくのを感じる。


 あたしは歩いていって、地面に膝をつき、エルフの女の子の頬に触れた。

 ぞっとするほど冷たい。

 川の水みたいだ。


「溺れて、水を飲んだんだ。助けた時、もう息をしていなかった」


 あたしの背中に、ヤオジンの声が降ってくる。

 霧雨みたいな、弱弱しい音だった。


「白茅、救ってくれ」


 救う。

 それが、あたしにできる、唯一のこと。

 目の前で死にかけている、ちいさなエルフの女の子を、救う。


 冷たい頬に触れたまま、目を閉じる。

 ゆっくりと、一定のペースで呼吸する。

 そうしながら、日本にいたときのことを、思い浮かべる。


「さァ、もう大丈夫だからなァ。時述べの巫女が来てくれた」


 横たわる少女も、ヤオジンの声も、遠くなっていく。


 午後が深くなって、世界が少し暗くなる瞬間の、うしろめたさ。

 学校帰りの子どもたちの、楽しそうな声が聞こえてきた瞬間の、うしろぐらさ。

 心臓から左足の付け根にかけて走る、痺れるような焦り。

 胸とおなかのあたりを暴れまわる、世界のありとあらゆるものに対する不安。

 布団の中に作り出した暗闇の中でこぼす涙と、自分の吐息のにおい。

 あたしは祈る、時間がたちまちのうちに過ぎ去ってくれることを。


 あたしは全部思い出す。

 あのときの焦りと不安と涙と祈りを。


 目を開く。

 視界に浮かぶのは、互いちがいに回転する、青くかがやく二重の円。

 円の内側には、アナログ時計みたいな模様。

 魔法陣。


 あたしの力。

 この世界で手に入れた力。

 誰かの役に立つための力。


 その力で、エルフの少女のからだを、撫でる。

 少女が、目を、うすく開く。

 ひすい色の瞳。



 『助ける』と『救う』を、エルフがどう使い分けているのか、理解したのはいつだっけ。



 ひすい色の瞳が、見る見る内に、白くにごっていく。

 真っ白な体に、紫色の斑紋が、いくつも浮かんでは消える。

 青ざめた静脈が、針金でしばった痕みたいに、からだに浮かび上がる。

 少女のお腹がふくらんで、薄茶色の体液が、穴という穴から流れ出ては、たちまちのうちに、消えていく。


 それから、少女の体が、乾いていく。

 金色の髪が、音もなくしおれ、抜け落ちる。

 眼球がしぼんで、粉になって、眼窩の奥に流れおちていく。

 水分の失われた膚が、こげ茶色の、木の皮みたいなものに変わる。

 てのひらに触れていたやわらかい頬が、ひからびていく。


 乾ききった少女から手をはなして、立ち上がる。

 ヤオジンは涙を流していた。


「よかったなァ。ああ、救われた、よかったなァ……」


 少女だったものの額だった場所に指を触れ、ヤオジンが泣いている。


「ありがとう、白茅。救われたんだよ……」


 感謝の声、泣いた声。

 あたしはエルフたちを振り切って、走った。

 根っこに足を取られて転んで、その拍子に、吐いた。

 さっき食べたおかゆを、ぜんぶ、地面にぶちまけた。


 仰向けになる。

 絡みあった枝が、空を覆っている。

 胃酸のにおいと、喉に残った吐瀉物にむせながら、あたしは叫んだ。

 声にならない声で、何度も叫んだ。


 これが、あたしの力だ。

 触れたものの時間を、早まわしにする力。

 エルフたちはあたしを、時述べの巫女と呼ぶ。

 死体を、手ばやく安全に、ミイラにしてくれるから。

 それ以外のことを、エルフたちは、あたしに求めない。


 だれか、笑ってほしい。

 それでもあたしは、自分で死ぬだけの勇気さえ、持っていないんだよ。

 おばあちゃんみたいに、みっともなくあがいて、もがいて、わめいているんだよ。


 なにも変わらなかった。

 あたしは、なにも変えられなかった。

 世界のことも、あたしのことも。



 布団にくるまって、ずっとネットばっかりしていたけれど、肝心なことは何一つ分からなかった。


 たとえば、異世界で縄文人みたいなエルフと暮らしはじめた場合、どうすればいいのか。

 たとえば、異世界で生理が来た場合、どうすればいいのか。

 たとえば、異世界の縄文エルフが、生理中の女性を集落から追い出して、変な洞窟に軟禁する文化を持っていた場合、どうすればいいいのか。


 あたしはそこを、隔離小屋と名付けた。

 『大事なもの』と『火から遠ざける』という、二つの言葉を組み合わせた感じの言い方で、エルフたちは呼んでいる。


 地面に敷いた枝や葉っぱはすぐに腐るから、毎日、取り替えなくちゃいけないけれど。

 しかも、最低の手仕事を押しつけられるけど。

 とにかく、一人にはなれた。


 水の流れる音で、あたしは目をさます。

 隔離小屋は、川のすぐ近くにある。


「かゆ……」


 つぶやいて、泣きたいような気持ちになった。

 柱に手をついて、そっと、慎重に、立ち上がる。

 その動きだけでまたあふれ出して、いっそどうでもよくなってきた。


 脱いだ下着は、ネズミを一匹くるんで握りつぶしたみたいに血まみれだ。

 格子柄で、ミルクレープ色の、綿の下着。

 何度も何度もあたしの血で染められて、古い十円玉みたいな色になっている。


 コンビニで買った、こんなずたぼろの布きれに、あたしはすがりついている。

 縄文エルフたちの下着は、薄い巻きスカートみたいなもので、あたしはそれを受け入れない。

 そうしたら、この世界と縄文エルフの生き方を、受け入れることになってしまいそうだから。


 血まみれの下着を手に、川におりた。

 コケの生えた岩に足を取られながら、くるぶしまで水につかる。

 秋の水は冷たくて、おなかも頭も痛くて、気分は最低だ。


 子どもを産む準備なんて、なんの意味もないのに。

 頭も体も定期的におかしくなって、その度死のうと思うのに、自分を殺すこともできないでいる。

 朝起きれば顔を洗いたいし、そうすればおなかがすくし、夜になれば眠たくなる。

 心に関係なく、体は淡々と、生きつづけることを選びつづけている。


 下着を川で洗う。

 水面から突き出した岩のあたりで生まれた泡が、わずか赤茶色に染まって、はじける。


 めまいがした。

 ちかちかして、倒れるまいと右足を出して、すりへったクロックスの底は、岩の上のコケをつかまえられない。

 世界が高速で後ろに流れ去っていって、あたしめがけて岩が迫ってくる、そうじゃない、あたしが岩めがけてつっこんでいるんだ。


 あの時のことを思い出す。

 あたしの死を祝福してくれた、たくさんの愛しいがれき。


 岩の鋭さを、それが目に食い込む瞬間を、あたしは想像する。

 抱きしめて、キスしてあげたかった。

 こんな風に、何気なく死ぬんだな。

 貧血で冷たい水に入って、たちくらみで転んで。

 あっちでも、こっちでも、なにもできずに。

 なにもかも、誰かより劣っているあたしのままで。

 変わらないままで。


 だけど。

 岩のかわりに、あたしは、なんだかあたたかいものにぶつかる。

 なにかがあたしの体重を受け止めて、どうしてだか、なつかしいにおいがする。


「うわあ僕すごい、これ間に合ったのすごいぞ。今からでもアスリートになれるかな」


 あまりにもなつかしい、それは、あたしの知っている言葉。

 日本語。

 日本語だった。


 顔を上げると、男の人がそこにいた。


「あ……あああ……」


 言葉が出ない。

 うめき声しか、出てこない。


 なにか、言わなくちゃ。

 なにを言えばいいんだろう?

 日本人がいた。

 縄文時代のエルフの異世界に、あたしと同じで、迷いこんだ人がいた。

 どうしよう、だって、男の人だ。

 大人の男の人と、しゃべったことなんてない。

 まだ学校に通っていたとき、大学生と付き合っていることを自慢する子がいた。

 あたしは、そんなことを自慢する心の貧しさを、心底から、けいべつして――

 そうじゃないって!

 ちがう、どうしよう、どうしよう、どうしよう?


「あ、あのっ」

「うん」

「その、あ、あの、ええとっ」

「うん」

「ねえ、最新のドラクエって、いくつ?」


 は?

 なんで?

 あたしはいま、なんて言った?

 なんでそんなことを聞いた?

 気づいていないだけで、本当にあたまがおかしくなっていたの?

 もうやだ、死にたい、大人の男の人がいて、あたしを助けてくれて、日本人で、やさしそうで、あたしはばかなことを聞いて、ああ、もう、いやだ、死にたい、死にたい!


 だけど男の人は、おだやかにほほえんだ。

 この世の善意という善意を、根こそぎかき集めてきたみたいな、笑顔で。


「うわ、それクロックスだよね、なつかしいなあ。ええと、ドラゴンクエストヒーローズ」


 そんな風に、答えてくれた。


「2じゃなくて?」

「えっ、2出るの? まいったなあ、異世界なんて来てる場合じゃなかったぞ」

「2は、あ、あの、もうすぐ発売で」


 うまく呼吸ができない。

 あたしは、泣きながらしゃべっていた。

 くだらないことを、あわててしゃべろうとしていた。

 おぼれている人が、水面に顔を出したとき、必死で呼吸するみたいに。


「ええっ? 知りたくなかったなあ、それは。君はドラクエ好きなの?」

「あ、あんまり知らないけど」

「そっか。でも、異世界で出会った初対面の日本人相手になにを聞くかっていえば、ドラクエはとても適切だと思うよ」

「2は、もうすぐ、出て……」


 男の人の服に、爪を立て、しがみついていた。

 男の人が、あたしの背中を、やさしく、くりかえし、たたいていた。

 とても小さい頃、おかあさんがそうしてくれたみたいに。


紺屋こうや康太こうたといいます。あなたのお名前は?」


 優しい声があたたかい霧雨のように降る。


鵆川ちどりがわ白茅ちがや


 あたしはすがるようにあたしの名前を口にする。

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― 新着の感想 ―
どれだけ無様な生活をしていても、どんなに学がなくても、どんなに余裕のない状況でも、目の前の憔悴しきった誰かを安心させられるだけの落ち着いた態度を取ることが大人になるということだと康太さんに教わった冬。
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