シェントウジャン
なんだかむやみにあたたかい夢で、ふっと目をさました。
夜明けすれすれの、わずかに明るい時間。
とらつぐみが、ぎーっとかきーっみたいな、およそ鳥っぽくない声で鳴いている。
右を見る。
エルフの娘さんの、半びらきの口。
左を見る。
ノーブルのお嬢さんの、宇宙から見た海みたいな色の髪。
その向こうには、膨張色のうさみみ。
なんか、四人がひとかたまりになっている。
もちろん、常日頃からこんな感じでねむっているわけではない。
なんとなく客間を二分割して、榛美さんと僕が東の方、ミリシアさんとピスフィが西の方、というのがいつものこと。
それにしたって、僕と榛美さんがひっついているわけではない。
朝起きたらひっついていることはあるけど。
榛美さんはまあいいとして、ピスフィとミリシアさんまでというのは、どうしたことだろうか。
なんだか気まずくて、かたまりから這い出ると、その理由がわかった。
「さむっ……」
格子戸から吹き込む夜明けの風が、べらぼうに冷たいのだ。
なるほど、これはひとかたまりになりたくなるなあ。
踏鞴家給地に迷い込んで、かれこれ半年ほど。
季節は確実にめぐっている。
風にあおられて、寝汗を吸った服が冷たかった。
あのひとかたまりの中にもぐりこんで、なんだかむやみにあたたかい夢のつづきを見るのは、ちょっと気が引ける。
「朝ごはんでもつくろうかな」
かまどを起こしたら、お湯を少しばかり沸かす。
塩ゆがきにして干しておいたテナガエビを、ざらっとお椀にあけ、熱湯を注いで戻す。
お鍋にたっぷりのなたね油をあたため、一口大に刻んだおもちを落とし、揚げる。
揚げと並行して、豆乳を火にかけよう。
お鍋に豆乳を張ったら、塩をひとつまみ、腐乳をほんのちょっぴり、それから、干しえびは戻し汁も身もまとめて入れてしまう。
人数分のお椀を用意して、よく熟れた酢とたまり醤油を、ちょっぴり注いでおく。
「こうた、はやいの」
素足のピスフィが、台所におりてきた。
スウェット素材の、ねずみ色のワンピースに、ねぐせのついた髪。
この上なく寝起きの格好だけど、宇宙から見た海みたいな色の瞳は、さっそく、好奇心にかがやいている。
「おはようございます、ピスフィ」
「うむ、おはよう。朝が冷える季節じゃの」
「嬢」
ミリシアさんがすっとあらわれて、ピスフィの肩に毛織物をはおらせた。
「佳いはたらきじゃ、ミリシア。して、こうたよ。今日の朝ごはんは?」
「今日はやけに冷えますからねえ。鹹豆漿にしようかなって」
「耳慣れぬ言葉じゃの」
「なあに、嬢。どの道おいしいものでありますよ」
「理にかなった考え方じゃ、ミリシア」
ピスフィは、皮肉と冗談の中間みたいなことをいうと、素足をぺたぺたいわせながら客間に戻っていった。
ミリシアさんが、部屋の隅に立てかけてあった床机を一脚、持ち上げた。
ピスフィが、榛美さんをゆさぶった。
とらつぐみの空気を切るような澄んだ鳴き声が、ひよどりのけたたましさに取ってかわった。
窓の木戸を、押し開ける。
だいだい色の光が差し込んで、寝汗に冷えた体をあたためていく。
目を細め、大きく息を吸う。
空気は、すこし冷たくて、すこし乾いていて、すこし濡れている。
秋のはじまりの、とある一日。
沸かない程度にあたためた豆乳をお椀に注ぎ、揚げたもちを浮かべる。
台湾なんかではごく一般的な朝ごはん、鹹豆漿のできあがり。
もうみんな起きていて、床机を囲んでいる。
「はい、どうぞ。底にお酢と醤油を沈めてあるから、かきまぜながら食べてください」
配膳したら、すばやく、目立たないすみっこで壁にもたれて立つ。
おかわりに即応するための、油断なき姿勢だ。
「ふわぁあああいただきます」
おおあくびがてら、榛美さんは木さじを椀につっこみ、くるりとかきまわした。
「ふおおお……?」
ねむそうだったひすい色の瞳が、ぱっとひらかれる。
「康太さん! なんか、お椀の中身がなんかしましたよ!」
「うむ、ふわふわしてきたな」
「ええ、ふわふわでありますね、嬢」
お椀の中で起きた変化に、みんな、びっくりしている。
お酢と混ざった豆乳が、もろもろになったからだ。
秘密は、お椀にひと垂らししたお酢。
酢酸とクエン酸の力で、豆乳のなかのたんぱく質が分離する。
こないだ悠太君のためにつくった、豆乳カッテージチーズと同じ原理だね。
「ふわあ……これ! おいしいですねこれ! なんか、なんか、大きいかたまりのところはぷるぷるで、小さいかたまりのところはふわふわです!」
ひとくち食べた榛美さんが、興奮して座ったままぴょんぴょん跳ねる。
「混ぜるたびに味が変わるのが佳いな。薄味になじんだところで、お酢と醤油がうれしくある。ところで嬢、このスープのベース、どこか懐かしい味ではありませんか?」
「えびのスープじゃの。見よ、ミリシア。小さなえびが出てきたぞ」
「ええ。うれしくあります」
さすが、ヘカトンケイル組は舌が肥えている。
椀の底から干しえびをさらって、うれしそう。
ヘカトンケイルは四方を海に囲まれているらしいから、えびだしは郷の味なんだろう。
「揚げたもちに、かたまった豆乳がよく絡む。佳良な一品じゃ」
「ありがとうございます」
朝からほめられて、がんばった甲斐があった。
「はあー、なんだかぽかぽかになってきましたよ。なにしろエルフにはつらい季節ですからねえ」
榛美さんは、自分のエルフ耳を指でつっついた。
あれだけ表面積が大きいのだから、熱の逃げ方といえば、ただごとではないんだろう。
「みどもらはエルフ用の耳当てを持ってきておる。ミリシア」
「後ほど取ってまいります」
「えええ? いいですよそんなの! さむい時は康太さんに耳をぴったりするから平気ですよ! ね、康太さん!」
「まかせておいて。耳をぴったりされるのは得意な方だよ」
「もとより、この地にエルフが住まうと聞き、みつぎものとして用意した品じゃ。主ゃが使ってくれねば無用の長物になってしまう」
「嬢の好意をむげにするものではないぞ、榛美」
ピスフィとミリシアさんに言いくるめられる榛美さん。
わたわたしながらも、結局はふたりの好意を受け入れて、うれしそうにした。
なんだかんだで、たちどころになじんだなあ、このふたりは。
悠太君が服を食べられたときは、どうしようかと思ったけれど。
立ったままで、鹹豆漿を一口すする。
口当たりといえばとろとろでなめらかで、喉の奥まで滑り込むなり、からだを内側からあたためてくれる。
干しえび、醤油、腐乳と、うまみ成分をぎゅうぎゅう詰めにした汁は、目が覚めるようなおいしさ。
お酢の酸味と、揚げもちから染み出た油が、寝起きでがたがたの体に、活を入れてくれるよう。
これはいいなあ。
朝ごはんのルーチンに加えておこう。
豆乳づくりからはじめなければならないのが、べらぼうにしんどいけどね。
これをたとえば、鮎だしなんか引いて、豆腐のすり流しにしたら、どうだろう。
低温で色変わりしないよう揚げたおもちなんか添えたら、よさそうだ。
黒豆豆腐の紫と、おもちの白。
うん、なかなかおいしそうじゃないか。
僕とピスフィは、この地の領主である踏鞴月句に、饗宴を仕掛けるつもりだ。
今はレシピについて頭を悩ませている最中だけど、ひとつ、光明が見えた。
むやみにあたたかい夢と、ちょっとした気まずさのおかげだね。
陽の光が谷間の寒村をあたためはじめる。
山並みは霧の向こうで青くぼんやりしている。
川沿いの道は、まだ夜露にしっとりと濡れている。
「本当に食ッたンだろォなァ? えェ?」
「間違いありません」
鉄じいさんと葛乃さんという、めずらしい組み合わせのふたりが、僕の先を歩いている。
「おいしい草でした。そこにしか生えていません」
「ありえねェ話じゃねェが……」
「間違いありません」
「お、おォ、そォかよ。そンなら、俺だッて文句はいわねェさ。そいつァおおかた、エルフの野草園だろォよ」
葛乃さんの迫力に気圧された鉄じいさん、なんか、語尾が煮えきらない。
ふたりがなにを話しているのか。
鉄じいさん言うところの『エルフの野草園』について説明する必要がある。
その前に、踏鞴家給地の歴史について、少々おさらいしておこう。
鉄じいさんは、踏鞴家給地の初代領主だ。
そして鉄じいさんが封じられたとき、この土地にはなにもなかった。
もっと正確に言えば、一応、遺跡みたいなものは点在していた。
たとえば、かつて灌漑農地だったアブラナ畑の残骸とか。
棚田っぽい斜面とか。
かつてこの地にはたくさんのエルフがいて、畑作や水田耕作を営んでいた。
エルフの里山があったわけだ。
しかし、エルフたちの多くは、寒冷化に耐えられず、この地を捨て南に向かったという。
農村を営めるほどの人口を維持できなくなったエルフたちは、ちりぢりになってしまった。
そして、わずかばかりのエルフがこの土地に残った。
ここにはエルフたちの宝、淡雪の林があったからだ。
そんなわずかばかりのエルフと、初代領主である鉄じいさんが出会った。
ついでに、鉄じいさんが連れてきた、最初の領民とも。
鉄じいさんたちのふところは、絶望的にすっからかん。
エルフたちに頼るほか、生きるすべはなかった。
給地の主食となっている米と黒豆は、エルフにもたらされたものだ。
では、棚田を整備し、主食の供給が安定するまで、彼らはどうやって食いつないできたのだろうか?
エルフに備蓄があった?
魔述的ななにかで、食料を大量生産できた?
実はお金ならあって、輸入できた?
そのどれでもない。
彼らは、エルフの畑の跡地から、半分がた野生化した栽培植物をほじくりだして、日々の糧としたのだ。
「それが、エルフの野草園ッてわけだ。しかしまァ、そンな百年も昔のこと、今の今まで忘れちまッてたぜ」
鉄じいさんはあごひげをしごいた。
「菜摘みに出ていて、たまたま見つけました。柔らかく、食べられる草ばかりです」
忘れ去られたエルフの野草園を発見したのが、葛乃さん。
その情報が人づてに鉄じいさんと僕の耳に入る。
そうなれば、これはもう探検するほかないだろう。
饗宴に必要な食材が見つかるかもしれないしね。
アブラナ畑の更に下流。
川の流れが不自然にまっすぐで、地面に目を向ければ、用水路の跡っぽい不自然なえぐれが目立つ場所。
えぐれに四角く切り取られた一角が、どうやら、エルフの野草園らしかった。
はた目からは、雑草が生い茂っているようにしか見えない。
だが葛乃さんは雑草の中に迷いなくずんずん入っていく。
やがてとある一点で止まり、しゃがんでごそごそやりはじめたかと思えば。
「これです」
一枚の葉っぱを、僕たちの前まで持ってきた。
繊維っぽそうな青い葉っぱと、白っぽい軸。たしかに青菜らしい見た目だ。
「おォ……懐かしィもンがでてきたじゃねェか。こいつだ、この葉ッぱだ。間違いねェ」
「間違いありません」
「食ッてみろ、白神」
虫食いだらけの葉っぱを押しつけられ、素直にひとかじりしてみる。
「んんん? これは……なんだろ。ちょっと辛いなあ。アブラナ? いや、うーん、高菜? あ、なんか甘い。キャベツっぽい」
繊維っぽいけど、噛みきれないほどではない。
青くさくて、ぴりっと辛くて、でも、甘みもある。
もう一口いってみよう。
「あ、渋い。水菜っぽく渋い。うわあなんだこれ。この草、おもしろいなあ」
葉っぱの、ちょっと厚みのある、白っぽい部分にかぶりつく。
汁気が口の中にあふれた瞬間、はっとした。
この苦みばしった汁気を、僕はよく知っている。
「……白菜だこれ」




