仮宿のふたり
後かたづけをしたら、仮宿にもどる。
かがり火は燃えつづけ、宴もまだまだつづいている。
「はー、たのしくておいしかったですね、康太さん!」
「そうだね、たのしくておいしかった」
敷きつめられた藁に、倒れこむ。
火と水と、おひさまの香りだ。
疲れが、体をじんわりとここちよくしびれさせている。
「康太さん」
「うん」
僕の腕をひっぱりだして、枕にする榛美さん。
話すこともなく、ふたりして、天井をみあげる。
くらやみはどこまでも親しげで、ふたりきりの静かな時間。
耳をすませば、榛美さんの、心臓の音まで聞こえてきそうだ。
やがて、かがり火にくべられた薪の爆ぜる音がして。
「あのさ、榛美さん」
僕は、口をひらいていた。
「ピスフィといっしょに、旅に出るつもりなんだ」
劇的な瞬間なんてものは、なにもなかった。
ただ、自然と、言葉がすべりでた。
自然と出てくる言葉に、身をまかせようと思った。
「足高さんや湖葉さんに、よろこんでもらったみたいにさ。多くの人を、僕の料理で、幸せにしたいんだ。きっと僕には、それだけの力があるはずだから」
榛美さんは、なにも言わない。
だけど身体はこわばっていて、緊張がつたわってくる。
体を横にたおして、榛美さんと向き合う。
見つめあって、触れあうような距離で。
森の中の、ひだまりの香りがした。
榛美さんの香りが。
「榛美さんと、いっしょに行きたい」
その瞬間に思ったこと、それだけが、口をついた。
ひすい色の瞳が、僕のすぐ近くにある。
榛美さんが、息を呑む音。
口をひらきかけては、こまったように、あきらめる、その仕草。
「康太さんは……どうして、わたしといっしょにいたいんですか?」
かすれてふるえた声。
知りたいけれど、答えあわせがこわくて、ためらって、とまどって、それからようやく、出てきた声。
声のない声が、音のない声が、僕に、祈っている。
届く声で語るように、祈っている。
これまで、多くをあやまった。
戻ってこないものばっかりだ。
だけどそれは、過去にすぎないから。
灼かれるのは、僕の心だけだから。
エルフたちの、果てしない旅。
踏鞴家給地のひとびと。
長い長い歴史があって、ここに、榛美さんがいること。
なにかひどい手ちがいであっても、僕がここにいること。
ふたりで、ここにいること。
そんなちょっとした偶然が、永久につづいてほしいと思っている。
わらった顔を思い出す。
泣きべその顔を思い出す。
おいしいときの顔を思い出す。
それから、口を半びらきにした顔。
それから、人をたたくのにちょうどいい長さの棒をふりまわすときの顔。
それから、僕をはげましてくれる顔。
それから、それから――
その全てを、知りたい。
その全てを、大事にしたい。
その全てを、守りたい。
その全てを、肯定して、祝福したい。
本当はずっと、分かっていた。
傷つけるのがこわかったし、傷つくのは、もっとこわかった。
だけど僕は、この地で、触れあったみんなから、多くのものをもらえたから。
後悔で灼かれながら、前に進もうと、思えるようになったから。
「愛してるよ、榛美さん」
言葉にも思いにも、迷いはなかった。
榛美さんは何もいわず、僕を抱きしめた。
強く抱きしめた。
僕も榛美さんを強く抱きしめた。
あたたかいくらやみには、ふたりだけだった。
腕にこめられた力が、声のない声だった。
お互いの身体にふれる指先が、音のない声だった。
僕たちは言葉なく、声を届けあっていた。
時間がなくなって、いつまでも僕たちは、そうしていた。
ふと気づけば、葛布の隙間から、朝の光がさしこんでいた。
鳥たちが鳴き交わす声がして、僕たちは、ふたりで一つのような気持ちから、ゆっくりと覚めていった。
「なんか……朝ですね」
榛美さんがもっともなことを言って、僕はわらった。
「いつの間にか朝になっちゃったね」
体を起こそうとしたら、榛美さんにぐいっとひっぱられた。
「まだいっしょがいいです」
「実は、僕もそう思っていたところなんだ」
ふたりしてまた、藁に体をあずける。
「あのね、康太さん。わたしも旅に出たいって、ほんとは思ってたんです。あの、それは、康太さんといっしょにいたいからじゃなくて、あ! ちがう! いっしょにいたいのはそうなんですよ! ほんとですよ、わたしだって康太さんをあいしてますからね! ぎろんのよちなくです! それで、ええと、あれ?」
榛美さんが、びっくりするぐらい迷子になっている。
「それだけじゃなくて?」
助け船を出してあげると、びっくりするぐらい顔がかがやいて、その表情の変化がおもしろかわいい。
「ああー、それです、そうです! それだけじゃなくてのやつです! それだけじゃなくて、あの……お父さんを、探したいなって」
「穀斗さんを?」
「はい」
榛美さんは、真剣にうなずいた。
「わたしや樫葉さんの知っているお父さんは、やさしくて……でも、鉄じいさんの知っているお父さんは、こわい人でした。
どっちが本当のお父さんなんだろうって、知りたいんです。それで、聞いてみたい。どうしてわたしを、捨てたのかって」
榛美さんは、『捨てた』という言葉を、はっきりと容赦なく、つかってみせた。
「……もし穀斗さんと会えたとして。望む答えが、返ってこなかったとして。それでも榛美さんは、だいじょうぶ?」
そう、問うてみる。
榛美さんは、にっこりとわらった。
「はい。だって、康太さんがいっしょにいてくれますからね。わたしが泣いたら、あいしてるって言ってください」
ちょっと、わらいそうになってしまった。
なんか、『愛してる』が、軽い。
僕がこの言葉を口にするまで、どれだけ無駄に、のたうちまわったことか。
でもこれが、エルフの娘さんのすてきなところだ。
「約束するよ、榛美さん」
榛美さんは、照れたようにわらった。
「それならだいじょうぶです! なにしろ康太さんは、わたしのことをあいしてますからね!」
これはさすがに、誰でもわらうでしょ?
「あー! なんでわらってるんですか康太さん! おかしな話ですよ康太さん!」
一世一代の告白をしてはみたけれど。
どうやら、僕たちの関係性が変わるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
まあまあ、エルフの娘さんといっしょに歩くすべての時間を、のんびり楽しんでいこうか。
その日の夕方までに、仮宿はきれいさっぱり片づけられて。
たちまち、給地は日常を取りもどした。
終わってみれば、なんだかなにもかも、うそみたいだ。
榛美さん家には、いつもと同じく、みんな集まっている。
「それでね、康太さんがね、あいしてるって言ったんですよ!」
「やるじゃねえかおめえ! 康太おめえ! 言ってやったなおめえ!」
「ね! 康太さん言いましたもんね!」
ああ、決してうそではなかった。
まちがいのない事実として、エルフの娘さんが、『愛してる』という言葉をことのほか気に入っている。
そんなにぽんぽん使うようなもんじゃないよ榛美さん。
二週に一回ぐらいのペースが僕にはちょうどいいよ榛美さん。
「しかし、そうかあ。いよいよ白神様ともお別れかあ」
讃歌さんが、しみじみとつぶやいた。
「たまには戻ってくると思いますよ。ピスフィは、この地の商業をしっかり育てたいみたいですから」
踏鞴家給地は、産業化しそうなものを、いくつも抱えている。
交易の歯車が回りはじめれば、莫大な富を生むだろう。
「それで、いつになるんだい?」
「ピスフィ次第ですね。戻ってきたら、話をしようと思います」
「では、明日にでも発とうかの」
「うわああああ!」
みんなが一斉に悲鳴をあげてひっくりかえった。
いつの間にかピスフィがいて、松葉サイダーをのんでいる。
「わあびっくりした! わああびっくりした! ピスフィちゃん、いつ来たんですか!」
「たった今じゃ。祭りも無事に終わったようで、なによりじゃの」
けろっとこういうことを言うのが、ピスフィだ。
いい性格してるよね。
「あー、ええと……なんか、順番が変になっちゃいましたけど、聞いての通りです。いっしょに連れていってくれませんか?」
ああもう、ピスフィが一いたずら仕込んだせいで、すこぶる間の抜けた感じになっちゃったよ。
「刃の行く末、見さだめられたかの?」
「はい」
鋭い瞳を受け止めて、うなずく。
ピスフィはくちびるの端をわずかに持ち上げ、ほほえんだ。
「よろこばしいことじゃ。主ゃがおれば、アロイカでの戦い、必ずや勝利できよう。して、はしばみも共にゆくのであろ?」
「あれ? なんでわかるんですか?」
「分からぬ方が不思議じゃな」
「ええー? そうかなあ。でも康太さんは、わたしのことをあいしてるからなあ」
さすがのピスフィも、松葉サイダーをふきだした。
「嬢」
どこからともなく現れたミリシアさんが、激しくむせるピスフィを、マントで覆いかくす。
ああ、いつものこの流れ、安心するなあ。
「ミリシア、佳い働きじゃ」
「光栄です。しかし、愛とは。白神の言葉でありますね」
「もっとも強い言葉じゃの。こうたが、愛していると言ったか。おどろきじゃ」
恥ずかしすぎて、今すぐ埋まりたくなってきた。
「それにしても、明日っていうのは冗談ですよね?」
むりに話題を変えると、ピスフィが、なんだかうすぐらい表情をうかべた。
「実はの、寒川家給地にて、つまらぬ問題が持ち上がっておるのじゃ」
「つまらない問題、ですか?」
「ああ。まったく、つまらぬ問題じゃ」
ピスフィは、感情をむきだしに、吐き捨てるような口調で言った。
なんだか、めずらしいことだ。
「それゆえ、あまり間を空けたくない。明日の朝とまでは言わぬが、三日もあればよいかの?」
「ええ、それぐらいあれば……」
榛美さんに目をやる。
「はい。だいじょうぶですよ」
そっか。
本当に、給地のみんなとは、お別れなのか。
なんだかあんまり、現実感がないなあ。
「それじゃあ明日から、お世話になった人にあいさつしなくちゃですね」
「ああ、うん、そうだね」
「ここのごはんは、しばらく樫葉さんがつくってくれるみたいですよ」
「え? そうなの?」
「はい! お昼に話しておきました」
うわ、なんだか急に手まわしがいいぞ。
「樫葉さんは、康太さんが旅に出ること、なんとなく分かってたみたいですよ」
「ああ、そうなんだ。そっか、だから料理を覚えようとしてくれていたんだね」
「そうみたいです。あんしんですね」
「旅装はみどもらが用意しよう。主ゃらは身一つでかまわんよ」
「ありがとうございます、ピスフィちゃん。康太さん、なにか持っていくものあります?」
「え? え? ええと……なんだろ」
まずい。
なんだか知らないけど、あっという間に置き去りだ。
「こういうときは、女の方がしっかりするものだな」
ミリシアさんが、感心したようにうさ耳をひねった。
「あ! ねえねえ、あの、籐編みの長持はもっていきますよね! ほら、康太さんが水あめをつくってくれたやつ!」
「ええと? うん、そうだね、それはぜひとも持っていかなくちゃ」
「やっぱり! 康太さんならそう言ってくれるとおもいました!」
なんだこれ、しみじみしているひまがない。
どんどんものごとが進んでいく。
ピスフィと榛美さんが話をして、口を挟むひまもなく、三日後の出発が決まってしまった。




