心尽くしの小さき饗宴
半個室を出ると、榛美さんが、パーティションから顔を突き出して、不安そうな表情でこっちを見ていた。
拳をにぎって笑みをうかべると、榛美さんは、
「康太さん!」
パーティションを派手に蹴倒しながらこっちに向かってものすごい速度で走ってきて。
なんか二メートルぐらいの距離を跳躍し、抱きついてきた。
もちろん抱きつかれるつもりはなかったので、僕はひっくりかえった。
板張りの床に背中を強打すると、しばらく息ができなくなるんだと知った。
「ああ、康太さん! やったんですね! やっぱり康太さんはすごいんですね!」
榛美さんがほっぺをこすりつけてくる。
耳がぺしぺし当たって痛いよ榛美さん。
「うん、まあ、うまくいったみたいだよ」
「すごいです、康太さん、ほんとに……ううう……わたし、もうだめだって……ヘカトンケイルの人を怒らせちゃって、もう、わたし……」
感極まったのか、緊張の糸が切れたのか。
ほっぺにほっぺをくっつけたまま、榛美さんは声をあげてないた。
「よしよし。しんどかったよね。もう大丈夫だよ」
「はい、はい……! こ、康太さんがいなかったら、わたし、わたし……」
背中をぽんぽん叩いてやると、榛美さんはますます泣き出した。
「うううううなでてくださいううううう」
嗚咽の合間に要求をねじこんできた。
すごい高度なテクニックだ。
いわれるがままに、髪をなでる。
そしたら榛美さんはもっと泣き出した。
「全く、ゆっくり飲ませてはくれんのだな」
呆れ声が降ってきた。
うさ耳騎士が、コップ片手に、僕たちを見下ろしている。
「申し訳ありません。スタッフを落ち着かせている最中でございまして」
「その有様で体裁を保とうとするな。馬鹿馬鹿しくて笑いが出る」
ちょっと朱の差した顔で、うさ耳騎士はにっこり微笑んでみせた。
「見ろ。集まったお客様たちも呆れ顔だぞ。とりあえず立って、給仕らしく引っ込んでいろ」
「そうしたいのはやまやまなんですけどね」
榛美さんの涙はひりひりするぐらい熱くて、しかも口にどんどん入ってきてしょっぱい。
「やれやれ」
うさ耳騎士が、榛美さんの服の襟首をつかんで、猫みたいにひょいっと持ち上げた。
「皆、すまないな。私の我儘でしばし場を借りてしまった。本日限りの余興だと思い、忘れていただきたい」
榛美さんを持ち上げたまま頭を下げ、うさ耳騎士は台所の方にひっこんでいった。
後に残された僕は、なんだかとても鋭く、殺気のこもった視線を一心に浴び始めていることに気付いた。
『お前は榛美のなんなんだ? なんにせよ今からやつざきにするけど』
みたいな感じの。
「あ、ええと……失礼します」
頭を下げ、二人の後を追う。
榛美さんが蹴倒したパーティションを立てて、視線をさえぎって、と。
台所では、榛美さんがおろおろしていた。
なぜなら、うさ耳騎士が頭をさげていたからだ。
「あ、あの、康太さん……」
いや、助けをもとめられても。
「私の言葉について、この通り、深く謝罪する。すまなかった」
「あ、あの、いえ、そのっ、あの、な、長旅で、その、疲れてて、怒りっぽく、その……」
「言い訳にはなるまい。私の身勝手さがお前を傷つけたことに変わりはない」
「こ、こ、康太さん……」
うさ耳騎士は顔をあげてこっちを見た。
と思ったら、また頭を下げた。
「そして、店主よ、深く感謝する。お前が出来得る限りの努力を払い、私をもてなそうとしてくれたその思いは、たしかに伝わった。
照明、衝立、テーブル……空間に、行き届いた配慮を感じたよ。実以て、心尽くしの小さき饗宴であった」
「ありがとうございます」
「料理も素晴らしかった。華美を排し、単純な食材を単純な料理法で逸品に仕立てるその手際もさることながら、だ。
何よりも深く感じ入ったのは、お前の、この村への心遣いだ。
この村で採れる当たり前の食材を信用するからこそ、単純であることにこだわったのだろう?」
見抜かれてたか。
苦笑して、うなずいた。
川魚を使ったり、そこら辺で野鳥を獲ったりする手もあった。
もっとお酒に合う、凝った料理を作ることもできた。
でも、あえて、そうしなかった。
榛美さんのために。
だって榛美さんは、自分の生まれ故郷を否定されたんだ。
榛美さんも、自分の生まれ故郷を否定しているんだ。
だったら、僕が肯定してやる。
この村がどれほどすばらしい場所なのか、料理で証明してやる。
それは、独りよがりの意地だ。
でも、一人の料理人として、どうしても押し通したい意地だった。
「その通りです。試すような真似をしたつもりはないのですが……気を悪くされたのでしたら、申し訳ございません」
「私がどれほど愚かな言葉を口にしたのか、気づかされたよ。その点は、少し痛かったな」
うさ耳騎士は苦笑して、今度は榛美さんに向きなおった。
「なにもない寒村という言葉は撤回する。
この村はとても豊かで、それに、人々の心もあたたかいようだ」
やにわに、うさ耳騎士がパーティションをつかんで引っ張った。
村人たちが、
「どひゃあ!」
みたいな声をあげながらなだれを打って転がり込んできた。
パーティションの裏で聞き耳をたてていたらしい。
道理でずっと静かだとおもった。
「その手の鎌で、私をどうするつもりだったんだ?」
たのしそうに微笑みながら、うさ耳騎士が言う。
「そ、そりゃあおめえ、榛美ちゃんを傷つけるつもりだったらおめえ、稲刈りの要領でおめえ……」
声をかけられた男が、凶悪な言葉をしりすぼまりにつぶやいた。
うさ耳騎士は声をあげて笑った。
「見ろ! この村の人々は、ヘカトンケイルの賓客をやつざきにするつもりだったと見えるぞ!
娘、お前はとてもめぐまれた生き方をしているな。羨ましく思えるよ」
榛美さんは、ぽろぽろ、なみだをこぼしていた。
泣きながら、笑っていた。
「はい……はい!」
榛美さんが、僕の肩におでこをくっつけた。
僕は榛美さんの頭をなでてやった。
「さあ、疑惑は解けただろう? 宴に戻るがいい。店主と娘を、もう少し借りておきたいのでな」
「そ、そりゃおめえ、なにもねえってわかったらおめえ、稲刈りの要領はおめえ、いらねえって……」
しりすぼまりの人を筆頭に、村人たちはなんかぶつぶついいながら客間に戻って行った。
「さて、一つ聞かせてもらいたいことがあるのだが。
店主、最後の酒は、驚くほどに美味かった。あれは秘蔵のものなのか?」
「お昼にお出ししたものと同じですよ。でも、組み合わせには気を遣いました。ワインじゃありませんが、“マリアージュ”ですね」
「マリアージュ……詳しく聞かせろ」
うさ耳騎士のうさ耳が、一瞬ふわっと持ち上がった。
興味を持ったぞ! というサインなのだろうか。
そんなたいそうなことでもないんだけどね。
「お酒とあての味をどう合わせるか、というだけの話ですよ。あのお酒はとても酸味が強いので、濃厚な豆乳で作った、甘味の強い絹ごし豆腐を合わせました。豆腐に塩を打ったのも、甘さを引き立てるためです。
甘味を感じた舌に酸味が入ると、口の中で味が調和します。
長旅で疲れた体には、酸が心地よかったことでしょう。ですから、お客様ははじめ、あのお酒を気に入られたのだと思います」
クエン酸には疲労回復の効果がある。
また、どぶろくは、干し肉ばかり食べて酸性に寄っていた血液のPHをさげて、弱アルカリ性に傾けるちからをもっている。
更に、代謝を高めるアルギニン、アルギニンの効果を高める葉酸などなど、栄養がたっぷりだ。
うさ耳騎士の身体は、どぶろくを求めていたのだ。
「ああ、たしかにそうだ。コップはべたついていたが、思わず飲み干してしまった」
視界の端っこで榛美さんが死んだような目になった。
「しばし休んで疲れを取ったところでは、強い酸味が邪魔になるはず。
ですから、甘いあてでお酒の酸味をやわらげ、旨味に変えた、という、種明かしをすればそれだけのことですよ」
「まるで魔述だな」
「ただの理屈ですよ」
「“白神”の世界の理屈か」
あ、またその単語が出た。
さっきはぐらかされたし、ここはちゃんと聞いておこう。
「あのう……白神ってなんなんですか?」
「は?」
うさ耳騎士は目を丸くした。
「お前、召ばれたのではないのか?」
…………えっ?




