エルフの仮宿
突然だけど、ミリシアさんに豆腐をお出ししたときのことを、おぼえておいでだろうか。
あのとき僕は、鉄じいさんの倉から、木でできた小箱を入手して、絹ごし豆腐をつくった。
どういう意図でつくられ、なにに使われていたのか、当時は考えもしなかったけど。
今、あの小箱の謎が明らかになろうとしている。
「幅木の一統、川と山より、仮宿の土をお持ちいたしました。留めおかれた夏の日差しが、土を鉄のように強く鍛えますように」
「はい、ありがとうございます。幅木さんの土はすっごく強いですからね!」
「ありがとうございます。なにしろこの土は、ひいばあ様に教わったものですからなあ。よその土には負けませんなあ」
「足高さんの土なんて、いつも割れちゃうんですよ」
幅木さんと榛美さんが、たのしくお話している横で、僕は震えあがっていた。
泥っぽく見えるものがすりきりいっぱい入った、あの小箱。
持ってきたのは幅木さん、受け取って、その辺の床に無造作に投げ出したのが榛美さん。
「おっ、幅木も来てたのか。榛美ちゃん、讃歌のところも持ってきたぜ。あとは頼んだわ」
「はーい!」
泥っぽく見えるものがすりきりいっぱい入った小箱を、その辺の床に無造作に投げ出し、一瞬で帰っていく讃歌さん。
「あの、榛美さん」
「はい?」
「これって、ええと、泥っぽく見えるんだけど」
「泥ですよ」
なんでこんな時ばっかり、竹を割ったような回答をするんだい榛美さん。
「泥を、その、どうするの?」
「夏の宮で干すんですよ。泥がないと、お祭りがはじまらないですからね」
「ええと、泥を箱に入れて、夏の宮で干して、仮宿の土って言ってたから……干しれんがで小屋をつくるのかな」
「はい!」
はいじゃないよ榛美さん。
「ええと、その。昔さ、その小箱で豆腐をつくった、よね?」
「はい!」
はいじゃないよ榛美さん。
「あ、でもだいじょうぶですよ! お豆腐につかったのは、村であまってたやつですから」
それを聞いて、心底安心した。
泥を入れた後の容器で豆腐をつくりました、なんて言ったら、食品衛生責任者の資格を一瞬で剥奪される。
「なにしろ四季の宮は、鷹嘴家と踏鞴様だけのひみつですからね。みんなここに泥をあつめて、いっぺんに干すんです」
「ああ、なるほどねえ」
「オレはいいのかよ」
悪態とともに、悠太君が登場。
ひっきりなしにやってくる泥入りの小箱を抱え、夏の宮と客間をひたすら往復していたのだ。
その間、僕はただただ、震えあがっていた。
「ユウはいいんです。だってユウは四季の宮のことを知ってますからね」
「みんな知ってんだろ」
「みんな知ってるけど知らないことになっているからいいんです」
悠太君はため息をついた。
「白神、オマエも手伝えよ。どいつもこいつもまとめて持ってきやがって」
客間には、山と積まれた小箱たち。
「ごめんね。業務上の過失について、真剣に考えなくちゃいけないことがあったからさ」
「だまって手伝え」
つれないねえ。
そんなわけで、木箱を夏の宮に運んでいく。
木箱から泥のかたまりを外して、床に並べ、乾燥させる。
「毎年毎年、なんなんだよこれ。なんの意味があるんだよ」
両手いっぱいに木箱をかかえた悠太君、悪態が絶好調だ。
「このれんがで、小屋をつくるんだよね?」
「ああ。田んぼを見上げられるところに、小屋をつくるんだよ。お祭りの夜はそこで過ごすんだ。
で、昼にはぶっこわすんだぜ。ばかだろ」
「エルフの仮宿をまねているんだろうね。ほら、幅木さんから聞いたでしょ?」
出エジプトとフン族大移動を混ぜたような、エルフたちの大南下だ。
放浪生活のあいだ、エルフたちは、仮宿の中でとぼしい食事を分け合ったのだという。
「ああ、過越の道だっけ? それは分かるけど、なんでこんなことするんだ? これも、宗教ってやつなのか?」
「僕の世界にも、これとそっくりのお祭りがあったんだ。最初は、当時のことを忘れないっていう意味合いが強かったんだと思うよ。
でも、長く儀式を続けていくうちに、さまざまな意図が加わるんだ。そういうのって、同じ宗教を共有していないと分からないかもね」
ユダヤ教には『仮庵の祭り』という、テントの中で七日間過ごすお祭りがある。
そこには、『リメンバー出エジプト』だったり、『肉体が仮のものであることを自覚する』だったり、いろんな意味が込められている。
「ふうん。昔のことをくりかえすのか」
お、悠太君が興味深いときの顔をしているぞ。
「でも、干しレンガっていうのはちょっと不思議だよね。たぶん、この辺の文化ではないと思うんだ」
「そうなのか?」
「干しレンガって、雨に打たれたら溶けるでしょ?」
「あー……あー、そうだよな。言われてみたら、そりゃそうだよな」
半年の経験から断言できるけど、踏鞴家給地は夏雨型で湿潤な暖温帯だ。
こういう環境で干しレンガが建材に使用されることは、まずないと言っていい。
レンガが乾かないし、乾いても湿気で溶けるし。
おまけに、雨が降りまくるおかげで木材にことかかないから、家を建てるにもそっちを使えばいい。
「待てよ、ていうか、エルフの文化でもねえんじゃねえの?」
「どうしてそう思ったの?」
「だって、移動先でいちいち、土集めてレンガ干して小屋つくんねえだろ、普通に考えて」
「その通りだね。布をつかって、天幕を張るのが一般的だと思う。
お祭りにはね、大昔の文化が残っているんだ。なにをするのか、どんなものを食べるのか。そういうところから、昔のことが推測できる」
「おおお……!」
「干しレンガは、ものすごくかわいた土地の文化だよ。だから、ここに生きている人たちは、大昔、そういうところに住んでいたのかもしれない」
異世界の考古学だ。
根拠はなにもないけれど、妄想できるのは楽しいなあ。
悠太君は、後にした四季の宮を振り返った。
「……世界って、広いんだな」
僕はだまって頷いた。
悠太君は、ちょっとの間、何もいわなかった。
「あー、オレさ。最近、けっこうがんばってるんだけどさ」
「うん、知ってるよ」
「河笊っていたろ。あいつ、給地に残るって。踏鞴様に残れって言われたらしくてさ」
「そうなんだ。まあ、いなきゃいないで困りそうだもんなあ」
たぶん、雑事を一手に引き受けていたんだろう。
公文書の作成だとか、他にできそうな人いないもんなあ。
「松林で柴木も拾えるようになったしさ。そうそう、ピスフィが冷蔵庫一個持ってったぜ。リース契約だっけ? そういうの、なんかあるんだろ」
「いつの間に……ぬかりないなあ、ピスフィ」
「ああ。生意気だけど、あいつはすげえよ。で、オレももっと、がんばらなくちゃって思ったんだ。もっといろんなことを知って、いろんなことを考えられるようになりたいって。
だからオレ、今、なんていうかさ。楽しいんだよな。うん、そうだ、楽しいんだよ」
なんだろう、なんだか、悠太君の様子がちょっと変だな。
そわそわして、早口で、本題にたどりつきたいのに、道筋を見失ったようなしゃべりかた。
「悠太君?」
声をかけてみる。
悠太君は、ぴたっと口をとざした。
何度か息を呑んで、口をひらきかけて、ためらって。
それから、
「オマエは、世界を見に行くんだろ」
そんな風に、言った。
「どうしたの、急に」
「別に。ただ、いい加減はっきりしろよって思ってさ」
悠太君は、冗談っぽく、肩をすくめた。
「なんか、ためらう理由でもあるのか?」
冗談っぽくすくめた肩が、ふるえている。
悠太君は首を横に振って、頭をかいて、僕を見た。
「オマエさ、言ってたよな。自分の料理でだれかを救いたいって。ここにいて、それができるのか?」
「それは、もう、みんな僕の料理を……」
「よろこんで食ってるさ。でも、それでおしまいだ。オマエがやりたいのは、そういうことじゃないだろ。おいしいものを食べておいしかったね、じゃ、ダメなんだろ?
ツバメがどっかに飛んでくのと一緒だよ。オマエは、そうなるしかないんだろ?」
「それは」
「オレさ、今、すごく楽しいんだ。オマエのおかげだよ、オマエが、オレに教えてくれたんだ。間違ってるかもしれないけど、おかしいのかもしれないけど、行けるとこまで行ってみて、今、うまくいきそうなんだ。
でもオマエは、今のままでいいのかよ。それで、楽しいって思えるのかよ?」
ことごとく、逃げ道をつぶされていく。
ぞっとする反面、なぜだか、泣きたくなるほどのうれしさがある。
ここまで僕を理解してくれた人は、たぶん、いなかったと思う。
ふつうの人は、もうちょっと器用に生きているんだろう。
やりたいことがあるからって、他の全てをないがしろにしたりは、しないんだろう。
どくだみのはびこる裏庭で、感情を隠すことなく、悠太君は僕をみつめている。
「……そうだね。悠太君の言う通りだと思う。でも僕は昔、そのせいで、いちばん近い人を傷つけちゃったんだ」
悠太君があんまりにも真剣で、僕は、ずっとだまっていたことを、とうとう口にしてしまった。
決定的な事件があって、黙示録的な破滅が引き起こされたわけじゃない。
ほのかは僕に、淡々と傷つけられつづけていた。
その内ほのかは、耐えきれなくなった。
そういう話なんだろう。
ふつうに出会って、ふつうに付き合って。
でも、僕は、あんまりふつうじゃなかった。
ほのかのことを愛していた。
でもそれは僕なりの尺度でしかなかったし、僕とほのかのものさしは、きっと、別々のかたちをしていたんだろう。
自分のお店に、『ほのか』という名前を与えると告げたとき、ほのかが浮かべた、ぎこちない笑顔を思い出す。
それが本心からの笑みではなかったと気付いたのは、ずっと後になってからだ。
取りかえしのつかないぐらい、ふたりの気持ちがへだたってしまった、それぐらい後になってから。
あのとき僕は、ほのかの声を、聞きのがしてしまった。
ほのかは僕に、根気づよく、語りかけつづけてくれていたはずなのに。
声のない声で、音のない声で。
そばにいることが、当たり前だった……ちがうな、そういうことじゃない。
失ってはじめて大切なことに気付く……というのとも、ちょっとだけちがう。
自分のお店を持つことで、自分の夢をかなえることで、ほのかも幸せになるんだと思いこんでいた。
それは僕にとってすごくシンプルな真理だったし、目に見えていたのは、矢のようにまっすぐな一直線の道だけだった。
つがいになるというのは、そういうものなんだと、信じきっていた。
「僕は、自分のやりたいことにしか興味がないのかもしれない。信じられないぐらい、冷たい人間なのかもしれない。
だから、やりたいようにやったら、また、だれかを傷つけるんだと思う。また、だれかをないがしろにしてしまうんだと思う。
そうなるぐらいだったら、みんながよろこんでくれるように生きるべきなんじゃないかって、そんな風に考えちゃうんだよ」
悠太君は、僕の言葉を聞きながら、じわじわと表情を変化させていった。
深刻なあいづちから、ゆっくりとグラデーションしていって、最後はなぜだか、ものすごくきょとんとしていた。
あれ。
なんかちょっと、想定とはちがう反応だなこれ。
「あー、その、なんていうか。オマエに傷つけられたやつのことは知らねえけどさ」
なんで悠太君、かぎりなく茫洋とした表情をうかべてるんだろう。
なんかこわくて、および腰になってしまう。
「う、うん」
「そいつはオマエにさ、がんばれよって言ってくれなかったのか?」
「へっ?」
がんばれよ?
「ええと……言われたことは、多分、ないと思うけど」
まずい、これはまったく想定とちがうぞ。
どう返していいのか、ぜんぜん分からない。
「なんかさ、オレは別に、大事な人がいるわけじゃねえから、うまくわかんねえんだけど……オレ、ふてくされてた時に、親父に一度も会わなかったろ」
「うん、そうだね。たしかに」
クリームパスタをつくったときの話だ。
たしかに悠太君と讃歌さんは、いつの間にか和解していた。
讃歌さんの方では、もどってきた悠太君を、受け入れようとしていたみたいだけど。
「ずっとそうだったんだ。勝手にヘカトンケイルに行くのを決めて、勝手にしくじって、勝手に帰ってきて、勝手にふてくされてたんだ。
親父は、がんばれよって言ってくれなかったから」
苦い記憶を掘り起こして、悠太君は、語りつづける。
「こわかったんだと思う。田んぼに出ろだろ、文字なんかおぼえるなだの、オレのやってることは意味がねえだの。だからつまりさ、まちがってるんだって言われるのが。それがこわくて、親父に何もいえなかったんだ。
それで、戻ってきたら、今までのことなんてなかったみたいに、親父にやさしくされて、余計にみじめで……」
言葉を探す、しばしの間。
悠太君は、笹の葉をちぎりとって、風にあそばせた。
「オマエが、料理をつくってくれて。この村でも、田んぼに出て、鍋食って、かついで子ども作って死ぬ以外のことができるって分かったんだ。だったら、オレのやりたいことも、無駄じゃないかもしれないって、はじめて思えたんだよ。ああ、なんか、なに言ってるかわかんないよな?」
悠太君は苦笑した。
「あのとき、オレはオマエに、がんばれよって言ってもらえた気がしたんだ。それではじめて、親父としゃべれるようになった。オマエのおかげなんだよ、全部」
悠太君の言葉と瞳。
ひりひりするほどまぶしくて、僕は、目をそらした。
「それでも、僕がその人を傷つけてしまったことに、変わりはないよ」
それだけは、疑いようのない事実だ。
ほのかはたしかに、僕の前から消えていった。
それは、僕のせいだ。
「……エルフの仮宿か」
ぽつんと、悠太君が、つぶやいた。
「オマエはさ、その、仮庵の祭りっていうの、やったことあるのか?」
「え? ううん、僕はとくに、なにかを信仰していたわけじゃないからね」
「なんとなく、なんでこんなばかみてえなことするのか、分かった気がする。幅木のおっさんが言ってたこと、分かった気がするよ。
みんな、おなかいっぱいになりたいんだ。だけどみんながおなかいっぱいになろうとしたら、奪いあうしかなかったんだ。
だから、だれかに、自分のごはんをゆずってやったんだろ。それで、だれかはおなかいっぱいになって、自分はうれしかったんだ。
そういうのって、簡単に忘れちゃうんだろうな、きっと。忘れちゃいけないのに、自分のことだけ考えちまうんだろうな」
「悠太君、ごめん、どういうことか……」
「だから!」
悠太君は、地面をけっとばして、涙のにじんだ目を僕に向けた。
「だからさ! オマエだって傷ついてたんだろ、そいつに傷つけられたんだよ! お互い、自分のことだけ考えてたんだろ!
オマエだけが抱えるなよ! 自分だけ悪者にするなよ! そいつも悪かったんだよ、オマエと同じぐらい悪かったんだよ!」
頭がしびれたみたいで、言葉が出てこない。
悠太君の言葉が、うまく理解できなくて、何も言えない。
取り返せないことが、たくさんある。
ぶざまに弱って、泥びたしで、立ち上がることすらできなくて。
泥の中に、横たわって、うごけないままで。
そんな僕に、悠太君が、とどけてくれた声。
「……思って、いいのかな」
意識しないままに、言葉が口からころげおちた。
「僕だけじゃないって、思って、いいのかな」
「当たり前だろ」
考えたこともなかった。
いつだって、悪いのは自分だけだと思っていた。
自分だけが、どういうわけだかぶっこわれていて、だから、近づいてくれる人を、かたっぱしから傷つけていくんだと。
「そっか……」
そうじゃなかったのかもしれない。
僕も、ほのかも、自分のことだけ考えて。
傷つけあったんだって、そんな風に、思っていいのかもしれない。
「ありがと、悠太君」
「別に」
悠太君が、いつもみたいにそっぽを向く。
いつだったっけな。
簡単なことにこそ気づけないなんて、足高さんに、えらそうなことを言ったっけ。
納得……というか、自分をゆるすことは、きっと、できそうにない。
降りつもった後悔は、根雪のかたさで、心に溶け残りつづけるだろう。
だけど、それでも。
それでも、横たわった泥の中に、新しいものが、見つかるかもしれない。
僕のことを理解してくれる人がいて、その人が、僕をゆるすと言ってくれた。
そのことが、どれほどうれしいか。
その言葉ひとつで、どれほどたやすく、迷いが消えたか。
どうやったら、悠太君につたわるかなあ?
「だからオマエは、残ってる時間、オレに使えよ。オレが給地を変えるの、手伝えよ。それでいいな?」
おっと、これはやられた。
感謝の気持ちを伝えようとしていた気配を悟られて、先制照れかくしされてしまった。
まあ、長い付き合いだからね。
それぐらいの読み合いはするよね。
さあて、どうしようか?
「……なんか、だめな時の顔してんだけど」
「一つやりたいことがあったんだけど、とほうもなく面倒だから、今まで遠慮してたんだよね」
「うわ、なんだよそれ。前置くなよ」
「笹から紙がつくれるらしいんだ。とほうもなく面倒だけど、もしできたら、これほど便利なものはないなあと思ってさ」
悠太君は、とても複雑な表情をうかべた。
『素直によろこびたいのはやまやまですが、多々のろくでもない前例に鑑み、ひとまずげっそりさせていただきます』
の表情だった。
「で、なにからはじめるんだよ」
「まずはインクだね。村中まわって、かまどのすすを集めまくるところからはじめようか」
悠太君は、いつものようにおおきくため息をついて、それから、わらった。
「ま、最後にはおいしいからな」
「その言葉、便利だなあ。榛美さん、ほんとにすごいよね」
「榛美も連れていくんだろ?」
「来てくれると思う?」
「知らねえよ。聞けよ自分で」
「そうだね。うん、今度はちゃんと、聞くよ」
声のない声を。
音のない声を。
耳と心をそばだてて。
仮宿のエルフのように。




