穀斗さんのラベンダーはちみつ
集めた土とホップは、幅木さんが持ちかえった。
最終的には、榛美さん家でお酒をつくるんだろうけど。
そこはさすがに宗教儀礼、よそものの僕が気軽に参加できるものではないだろう。
それにしても、ずいぶん疲れた。
板の間のつめたい床に横たわってぐったりするのが、とてもたのしい。
「なんだか、なつかしい匂いがするのよ」
横にいるのは、松切り番さん、じゃなくて、樫葉さん。
最近は村のあちこちに泊めてもらっているけれど。
いろんな料理の作り方をおぼえたいということで、榛美さん家に来ることも多い。
「なつかしい、ですか? ホップのにおいかな」
鼻がなれちゃって分からないけど、あれだけ興奮して収穫しまくったのだ、においが移ってもおかしくはない。
「ああ。穀斗はこういうにおいのするものを作っていたのよ。すごくいい匂いがして、一口なめたら、すごく苦かった」
またも穀斗さんが出てきた。
あの人、本当に色々やってるなあ。
「松の葉でつくった飲みものも、穀斗さんに教えてもらったんですよね」
「おお、おお! そうよ、穀斗が教えてくれたのよ! 蜜を蜂の巣から採ってくるやり方も、穀斗におそわった!」
おっと、意外な新事実だ。
蜂の巣をぶっこわして蜜を奪い、蜂蜜酒をつくる人たちは、割とたくさんいる。
砂糖を簡単に得られない給地で、穀斗さんもあれこれ試してみたんだろう。
「お父さんのはなし、ですか?」
板の間に榛美さんがやってきた。
樫葉さんが、やさしげに目をほそめ、うなずく。
「おお、そうよ。なつかしい……穀斗のいたころ、榛美はまだ小さなエルフの女の子だった。
でも、なんで穀斗は、どこかに行った? どうして榛美を置いていった?」
問われて、榛美さんは、目を伏せた。
まいったな。
そういう話の一つも、そりゃ、出てくるよね。
榛美さんの父親、穀斗さん。
白神で、『灰色港のキアダン』を名乗り、世界中を巡っているらしい。
月句が政務を放棄してぼろぼろになった給地を、魔述と知恵で、見事にたてなおした。
それだけだったら、まあなんていうか、『アーサー王宮廷のヤンキー』式の、さもありなんな異世界転移話だ。
だけど、榛美さんは置き去りにされた。
踏鞴家給地を問題なく運営するための、歯車として。
「あの……お父さんって、どんな人でした?」
「そりゃあ、榛美もよく知っている穀斗だった。やさしくて、なんでも知っていて、そうよ、康太によく似ていたのよ」
「僕に?」
「ああ、ああ。まちがいねえ。康太と穀斗は、よく似ていた。困っている人がいりゃあ、ほうっておけなかったのよ。弱っている人がいりゃあ、必ず味方になったのよ。
だから樫葉も、穀斗にたすけられた。そうよ、棒で突っつきまわされて、追いはらわれたとき、穀斗が樫葉を助けてくれたのよ」
榛美さんは、樫葉さんの話をだまって聞いている。
「ちょうど、これぐらいの時期だったのよ。お祭りがあって、樫葉はそれを見に行った。そうよ、樫葉はとおくから、見るだけのつもりだったのよ。
広い場所に火がたかれて、人があつまって、たのしそうで、樫葉はうらやましかった。さむくて暗い木陰から、じっと、お祭りを見ていたのよ。
だけど気づかれて、それで、みんなはひどく怒った。樫葉は、鳥みたいに棒でおどされて、森の中に逃げたのよ」
ああ、そういうことだったのか。
給地のみんなが、総出で樫葉さんを追いかけまわすというのは、なんだかイメージできなかったけど。
お祭りによそものが迷い込んで、おまけにそのよそものが、いつもこちらになんくせをつけていたのだとすれば。
仕方ない、かはともかくとして、理屈は分かる。
「森はまっくらで、木のかたちが、樫葉を痛めつける大きな手みたいに見えた。そうよ、森はほんとうに、こわかったのよ。だからさむくて、こわくて、ふるえていたら、穀斗が追いかけてきたのよ」
穀斗さんは酒の杯を片手に、ふらりとやってきて。
木の根に腰をおろし、自分で一杯やってから、樫葉さんに杯をさしだしたのだという。
「それで樫葉は、はじめてお酒を呑んで、ひどくむせたのよ。すっぱくて、苦くて、甘くて、喉がやけて、のみこめなかった。
こんなものを呑ませるなんて、とんでもねえ人だと思った。ひでえ人だと思ったのよ」
穀斗さんは、樫葉さんに謝ってから、いたずらっぽくほほえんだのだそうだ。
『おわびに、とっておきの秘密をお教えしますよ、松切り番さん。娘も知らない、私だけの秘密です。明日の朝はやく、だれにも見つからないよう、領主林で落ち合いましょう。
さ、今日はもうお帰りなさい。お祭りというのは、彼らにとって、とても大事なものです。棒を片手に追いかけ回すことまで正しいとはいえませんが、あなたにも非はあるのですから』
そして翌日、穀斗さんが持ってきたのは、小瓶いっぱいのはちみつだったらしい。
『非加熱のラベンダーはちみつです。娘には与えられません。さ、一口おなめなさい』
樫葉さんは、はちみつの味を思い出すように目を閉じ、喉をならした。
「そりゃあもう、樫葉は、おどろいたものよ。こんなに甘くておいしいものがあるだなんて、樫葉は知らなかった。
それから樫葉と穀斗は、なかよくなったのよ。穀斗は、たくさんおいしいものをつくってくれた。ああ、そうよ、康太によく似て、やさしい人だった……」
樫葉さんの話が終わっても、榛美さんは、だまったまま。
どう反応すればいいのか分からないのは、僕も同じだ。
鉄じいさんが語った穀斗さんは、血も涙もない官僚で、容赦ないシステムの歯車だ。
一方で樫葉さんは、穀斗さんをしたっている。
給地のみんなも、穀斗さんのやり方に、疑問を抱いたりはしていなかった。
榛美さんだって、おいしいものをこっそり作ってもらったり、親子関係はおおむね良好だった。
どれが、本当の穀斗さんなんだろう。
話を聞けば聞くほど、分からなくなった。
「どうしてお父さんがいなくなったのか、わたしにも分からないんです」
長い時間があって、榛美さんが、口をひらいた。
「でも、おぼえているお父さんは、おっきくて、やさしくて、あったかかった。樫葉さんの言うとおり、康太さんに、よく似ていました。
あ、でも、康太さんの方が、かわいいところありますよ」
言うねえ。
「樫葉には、わからねえ。なんで榛美が置いていかれたのか、穀斗がそのとき、なにを考えていたのか、わからねえのよ。
だけど、穀斗が悪いやつなわけがねえ。そうよ、わけもなくだれかを助けるような人が、悪いやつだとはどうしても思えねえのよ」
「……わたしは」
言葉を切って、僕を見上げる榛美さん。
榛美さんが泣いた日のことを、つないだ手が冷たかった日のことを、おぼえている。
僕がなにか言う前に、なんだか榛美さんは、自分で納得したみたいに、ちいさくうなずいて。
「そろそろ、ごはんつくりましょうか」
そう言った。
榛美さんが穀斗さんのことをどう思っているのか。
ふっきれたのか、まだ悩んでいるのか。
気持ちをたずねられるのが怖い、榛美さんは、そんな目で僕をみた。
「そうだね」
榛美さんの言葉に、そんな答えを返して。
僕はよたよたと立ち上がった。
「樫葉も、少しずつ分かってきた。いつもの鍋なら、もう樫葉にもつくれるのよ」
「それじゃあ、今日はお任せしちゃおうか? 榛美さん、いっしょになにか、ちまちましたあてでも作ろうよ」
「はい!」
榛美さんが、笑顔をむけてくれた。
どんな気持ちでいるのかは、分からないけれど。
ごはんの仕込みを終えれば、もう夕暮れだ。
川のにおいの風が、格子戸をそっとゆらしながら、客間にふきこんでくる。
すこしだけ冷たくて、なんだか、なにかを思い出しそうな、なぜだかなつかしく思えるような、そんな秋の風。
「ピスフィを迎えにいってくるね」
「おねがいします」
台所の榛美さんに声をかけ、外に出る。
谷から見上げる山肌は、気のはやい紅葉と深い緑色が、まだらになっていた。
ぎゅうぎゅうに密生したケヤキも、わずか、色づきはじめている。
すっかり僕の足になじんだ、川っぺりの、ほこりっぽい道。
ピスフィとミリシアさんが、川向うからこちらへと歩いてくる。
手を振って、駆け寄った。
「ただいま、こうた」
「おかえり、ピスフィ、ミリシアさん」
「康太、私はおなかがすいた」
「今日はキクラゲとビーフンの酢の物がありますよ」
「ほう。たのしみじゃ。ミリシア、マントの用意はいいじゃろうな?」
「もちろんです」
ピスフィの冗談に笑って、夕日を背負い、帰路を行く。
みんながいて、ここは、すごく居心地のいい場所だ。
もちろん、いつまでもこうってわけには、いかないんだけどね。
「少々、この地をはなれるつもりじゃ」
その夜、ピスフィが、そんな風に話を切りだした。
「なにか用事でもあるんですか?」
「祭りがあるのじゃろ。よそものが居座っては、みな、よい心地はすまい」
「悪いな、気をつかわせちまって」
僕たちが囲む床几に、讃歌さんがやってきた。
「領主様をかかげての、はじめてのお祭りだからなあ。なにがどうなっちまうのか、分かったもんじゃねえ」
「もとより、どこかで従業員と話をせねばならぬところじゃった。間もなく出航ゆえ、日取りの調整をせねばならぬからな」
「ああ、もう秋だもんなあ。そろそろ例のキノコが採れるってことか」
「うむ。しかしこちらこそ、讃歌殿には、かえって気をつかわせてしまったようじゃな」
「好きで勝手にやってることさ。気にしないでくれよ」
「ありがとう、讃歌殿」
床几からはなれていく讃歌さんを見送ったピスフィが、こちらに目を向けて。
「祭りが終わるころ、もどってこよう。答えはそのときに聞く」
断定的な口調で、刻限を告げた。




