決戦
決戦
「榛美さん、お湯沸かしといて。豆乳も、火にかけて……榛美さん?」
振り返ったら、榛美さんはうずくまっていた。
「…………おなかいたいです」
ストレスで胃酸がびゅうびゅう出てきたらしい。
うさ耳騎士、三十分にも満たない滞在時間で、よくもまあここまで他人に重圧をあたえられたものだ。
「だいじょうぶ? 休んでいていいよ」
「い、いえ……豆乳と、お湯、ですね。豆乳は、とろ火のほうがいいですか?」
ふらふらと立ち上がった榛美さんの顔色はまっさおだ。
でも、なにか作業をさせておいたほうがいいだろう。
「うん、お願い。じゃあ、いってくるよ」
「はい……ぶじに、もどってきてくださいね」
そういう榛美さんの表情があまりにも真剣だったので、おもわず、
「当たり前だよ。必ず、生きて戻ってくる」
僕まで真剣な表情で真剣なことをいってしまった。
客間に移る。
入口には、うさ耳騎士が立っていた。
いや、騎士というか。
「……御令嬢?」
うさ耳騎士は、ドレス姿だった。
瞳の色にあわせた、真紅のワンピースドレス。
ふんわりした素材は、木綿の平織か。
胸元はざっくりあいていて、真紅の生地に白い膚がいっそう映えている。
スカートはひだをたっぷりつけているが、よく見るドレスみたいにふくらませてはいない。
ひだで量感を出しているのだろう。
そしてとにかく、うさ耳のとってつけたような感じがすごい。
色がぼやけたベージュなのがまたなんともミスマッチだ。
肘まである白い手袋は、きらきら輝くしゅす織。
戸口から夜風がふきこんで、ふわりと、かんきつの香りが鼻を撲った。
香水だろうか。
「このような格好で失礼する。領主館での夕餉から、飛び出してきたものでな」
「お待ちいたしておりました」
帽子をとって一礼。
「こちらへどうぞ」
差し出された手を取り、パーティションで仕切られた半個室に案内する。
照明なんてのは床几のあちこちに置かれたオイルランプだけで、しかもなんの油なのか、やたらと黒い煙が出る。
半個室には、ほとんど光がとどかない。
さっき用意してもらった蝋燭は、いちど溶かした蝋を陶器に注ぎ直して、これに火をともす。
テーブルの上だけが、ぼんやりと照らされる。
「ほう……体裁は整えたようだな」
「突貫工事ではございますが」
「領主館のぎらつくシャンデリアよりは、よほど好みだ」
椅子を引いて、うさ耳騎士にすわってもらう。
「ありがとうございます。まずはお酒と、軽いものからお持ちしましょう」
「鳥肉だけはやめてくれ。先ほどさんざん食わされた」
「その点は、ご納得いただけるかと思います」
「料理は何品用意している?」
「三品です」
「それで構わん。持って来い」
「では、少々お待ちを」
ああ、どきどきする。
誰かに料理を出すときは、いつも緊張する。
この人は僕の料理を、よろこんでくれるだろうか?
ちゃんとおいしいって、思ってくれるだろうか?
台所に移る。
さあ、まずは豆乳の様子を……うん、いいね。
「あの、膜がはってきちゃったんですけど」
「それでいいんだよ。お箸ってある? あー、えーと、手ごろな木の棒でいいんだけど」
「笹なら」
「それで」
二本の笹の棒をつかって、豆乳の表面に張った膜を、そっとすくいとる。
やぶけないよう、慎重に皿に盛る。
湯葉が引けた。
ちょっと味見してみる。
「おお……なんだこれ」
濃厚な豆の旨味に甘味、そして、遠くの方に、きゅうりのような、さわやかでみずみずしい香り。
青大豆から引いた湯葉みたいだ。
もちもちっとした食感も楽しい。
さて、沸かしてもらったお湯には、葛の葉をなげこんでさっとゆがく。
葉っぱの色が深くなったら引き上げて、水気をよく切り、湯葉の上にかさねる。
これを何度か繰り返し、層をつくったら、食べやすいサイズのサイコロ状にカットする。
ここに、味噌のうわずみを垂らしたらできあがり。
「榛美さん、作ってからちょっと時間が経っちゃったお酒ってある?」
「ありますけど……でも、分離しちゃってますよ」
「それがいいんだ」
榛美さんが教えてくれた甕を開ける。
暗くてよくわかんないけど、たしかに分離しているっぽい。
作って時間の経ったどぶろくは、澱が沈殿するからね。
ひしゃくにすくって、注いだコップはもちろんていねいに拭う。
台所に点されたオイルランプに透かして見れば、なんとも美しい、琥珀色の澄んだお酒……つまり、清酒だ。
ああ、これこそ、清酒本来の色合い。
うう、のみたい。
のみたいけど、がまんだ。
「おまたせいたしました。『葛葉の湯葉重ね』と、清酒でございます」
「ふむ」
目の前に置かれた二品を、うさ耳騎士は興味深そうに眺めた。
「湯葉か。ちゃんと白いのだな」
「気を遣って調理いたしましたので。どうぞ、お召し上がりください」
「ああ」
うさ耳騎士は木匙で葛葉の湯葉重ねを無造作にすくい、口に放り込んだ。
「ほう……」
朱い瞳が、見開かれる。
「これは……食感の妙だな。湯葉のもち味と、葛葉のしゃきっとした歯触りが、舌と歯にとても心地いい。このかけだれは?」
「味噌のうわずみです。たまりとも呼びますね」
「なるほど。この塩っ気の強さと、葛葉のわずかな苦味が、湯葉の甘みと釣り合っている」
そして、お酒を口にする。
「む……これは。酸味が弱いな。なんとも香しい。熟した西瓜のような香り……うん、舌にしっかり感じる旨味も佳い」
「先ほどお出しいたしましたお酒の、上澄みでございます」
「ほう。それは面白い」
クエン酸は、沈殿した澱のほうに多く蓄積されている。
上澄み、つまり清酒は、軟水で仕込んだ日本酒のような華やかさをもっている。
「折を見て、次の皿をお持ちいたします」
「ああ」
よし、悪い感触ではない。
領主館ではごちそうを食べてきただろうから、お酒もあても、さっぱりしたものを出したのだ。
次は、ネマガリタケでいこう。
ネマガリタケは、皮をむしってゆがき、一口大に切る。
平たい皿に、重ねるようにしてもりつける。
皿の端には味噌を添える。
そうだ、この味噌もちょっと味見……
「しょっぱ!」
頭の先がしびれるほどしょっぱい。
なんだこりゃ。
「しょっぱい、ですか?」
「うん、かなりあたりがきついね。普段からこれぐらいなの?」
「はい。お塩はたっぷり使います」
「はー……なるほどなるほど」
富山県に、富山ブラックというご当地ラーメンがある。
富山に旅行したとき、元祖のお店で食べたのだけど。
醤油スープにはキレがあり、中太のストレート麺は食感がよく、なにより、べらぼうにしょっぱかった。
となりにすわった老夫婦が、ひとくち食べてお店を出て行ったのが、とても印象ぶかい思い出になっている。
由来を聞くと、肉体労働の人のために開発されたラーメンらしい。
汗でうしなった塩分を補うため、スープのあたりをとにかくきつくしたのだとか。
この味噌も、それと同じだ。
日中、太陽の照る中、必死になって働いた人たちのために、塩をたっぷり使っているというわけだ。
かつまた、ここの人たちが野菜中心の食生活を送っていることもおおいに関係しているだろう。
野菜にふくまれるカリウム塩は、ナトリウム塩、つまり食塩を体から排出するはたらきをもっている。
出ていく分をおぎなうために、たっぷりの食塩が必要というわけだ。
理屈はともかく、こんなしょっぱい味噌をつかっては素材の味がぶちこわしになる。
なんとかならないだろうか。
「うーん……」
思案していて目に留まったのは、木桶の中で、己の運命も知らずのんびり泳いでいる、鮎一尾。
たぶん、あのごった煮の具が足りなくなり次第、鍋にぶちこまれるのだろう。
「榛美さん、この鮎、内臓だけちょっともらっていい?」
「はい、どうぞ。でも、内臓なんてどうするんですか?」
「まあ、ちょっとね。包丁借りるよ」
分厚い包丁を手にする。
ずしりと重たい片刃で、なんていうか、出刃包丁の御先祖様って感じだ。
ほんのり浮いた黒錆と、ぎらぎら輝く刃。
しっかり鍛造された鋼が、行き届いた手入れによって長く使われている。
使いこまれた歴史を感じさせる、すばらしい包丁だ。
鮎の尻から包丁をいれ、内臓を刃先でかきだす。
胆嚢を取り除いて、残ったものを味噌と和える。
分量は一対一ぐらいにしておこう。
それに酒を垂らして練り、木匙にうすくのばして、しっかり炙る。
味見してみる。
ほろ苦さと、鮎の、夏の香り。
内臓のたしかな旨味が、塩っ気としっかりつりあっている。
いい鮎味噌だ。
これを匙に載せ、たけのこの皿に添え、清酒をもう一杯。
笹の串も添えておく。
「お待たせいたしました。『ネマガリタケの鮎味噌添え』です。少しの味噌で和えてお召し上がりください」
「ふむ」
ネマガリタケを笹串で刺し、みそをすくって、かじる。
「ん……このタケノコには、臭みがないのだな。ほのかな甘みと、ごりごりした食感が、かえって味噌の苦味と調和している」
うさ耳騎士は清酒を一口やってから、料理を品評した。
「肝だけで分かるぞ、よい鮎だ。ここで獲れた鮎ならば、ヘカトンケイルでも売り物になるだろう」
「ありがとうございます」
アドリブだったけど、うまくいったみたい。
しかし、うさ耳騎士の料理評が、さっきから的確だ。
こちらの意図を完璧にみぬいている。
きたえあげられた舌の持ち主だ。
なんぎな相手だな。
何を出しても知っている味ということは、つまり、だまらせることができないということだ。
うさ耳騎士は片田舎でおもったより美味しいものが食べられて満足かもしれないけれど、こっちの溜飲がさがらない。
こいつは、僕と榛美さんの雪辱戦なのだ。
「では、最後の品をお持ちいたします」
「ああ。酒もな」
さあ、いよいよ、さんざん苦労した豆腐だ。
水から引き上げた豆腐の端っこを切り落として、かじってみる。
「うはっ」
「康太さん?」
「ちょっと食べてみて」
奇声をあげたら寄ってきた榛美さんの口に、匙をつっこむ。
「えっもごっ……うはっ」
この『うはっ』がなんの『うはっ』かといえば、おいしすぎてちょっと笑いが出てきたときの『うはっ』である。
「これは……すごいな。なんだこれ」
湯葉のときも感じたけれど、ここの黒豆のポテンシャルはすさまじい。
鞍掛大豆という、黒豆と青大豆をかけあわせた豆のような、旨味とさわやかさ。
タマフクラ大豆という、丹波黒豆と鶴の子大豆をかけあわせた豆のような、強い甘味。
それらが豆腐として凝縮したときそこにあるのは、甘く、香り高く、豆の味がしっかり立った、ちょっと信じがたいほどの美味しさだった。
「これは……なんだこれ。豆腐? ほんとうに豆腐?」
「わ、わかんないです……お豆腐なんですか?」
「わかんないからもう一口たべてみよう」
「はい、それ、すごくいい考えだと思います」
「うはっ」
「うはっ」
そんなことをやってるとうさ耳騎士に出す分がなくなるので、断腸の思いで切っていく。
ちょっとにがりが多すぎたか、絹ごしにしては、若干固めの仕上がりだけど、ちょうどいい。
これもサイコロ状にして、塩を打つ。
鞍掛大豆の豆腐の食べ方だ。
お酒は、しっかり濁った、酸味の強いどぶろく。
「お待たせいただいました。黒豆豆腐に、どぶろくです」
「なんだ、変わり映えのしない盛り付けだな」
皿を一目見たうさ耳騎士が、鼻を鳴らした。
同じような皿に、同じように切った、同じような色合いのものが載っていれば、そうも言うだろう。
「まあいい。いただくとしよう」
乱暴に匙ですくった豆腐を、一口。
うさ耳騎士の動きがとまった。
匙を口につっこんだまま、完全に停止した。
うさ耳騎士が僕を見上げた。
匙を口につっこんだままで。
それから豆腐を見て、僕を見て、また豆腐を見て、匙がひゅんひゅん風を切った。
ようやく匙を口から抜いたうさ耳騎士が、どぶろくに口をつける。
一口、二口、静かに呑む。
目を閉じて、鼻から、長く、息を抜く。
背もたれに体重をあずけ、天井を見上げるうさ耳騎士の口元には、笑みが浮かんでいる。
「ああ…………美味い」
ぞわぞわと、感動が肌を粟立たせる。
この一言。
美味いの、一言。
この、たった一言が聞きたかった。
この言葉を聞くためだったら、どんなことでも忘れられた。
殺されたことも、異世界に飛ばされたことも、この先を考えてパニックに陥ったことも。
すべてがふっとんで、僕は、純粋な存在になれた。
目の前の人間をだまらせるためなら全てを投げ打てる、料理人っていう、純粋な存在に。
「ありがとうございます」
万感の思いで、深く静かに、頭を下げた。
もう、言葉は要らない。
静かに、お酒とあてを愉しんでもらおう。




