中編
子供の成長は早い。
自分も含めてそれを実感する。
義務教育や高校なんてあっという間だし、大学だって気付けば卒業も見えてきた。
弟も成長目覚ましくタケノコみたいにぐんぐん身長も伸びてしまった。
そして我が弟ながらかなり格好よく、男らしく爽やかな好青年に育った。
いや、格好よさの中にも愛らしさは失われず、見上げるほどの身長だが未だ私の天使に変わりはない。
まぁ甘やかして育て過ぎたのか、もう高校生の割に少し幼いところもある。
毎朝ネクタイを一人では決して結ばないとか。
ついつい手を出してしまうのは自重すべき点だけど、弟のお願い攻撃に勝てた試しがない。
「じゃあ俺は先に行くけど、姉さん頑張ってね」
「うん、学校でね。いってらっしゃい」
学校から任された風紀委員会の仕事を朝早くから真面目に務める弟を送り出し、自分も高校へ向かう準備を急ぐ。
高校時代の担任の女性教師に憧れ大学で教職課程を取った私は、一週間前から自身の母校でもある弟の通う高校で教育実習をさせて貰っている。
乙女ゲームの世界でも私は教育実習生だった。
教職課程を取る時にその事が頭に浮かばなかったと言えば嘘になるが、別に困ることはないだろうと判断した。
私があの子に恋するなんて有り得ないし、主人公に嫌がらせなんてする筈もない。
そもそも弟を含めた彼らが主人公と恋愛をするのは賛成だ。
あのシナリオ通りに進めばかなり素敵な恋が出来るだろう。
選択によっては誰かが失恋することもあるけれど、それは青春につきものだし。きっと後々大切な宝物になる。
しかし一つだけ、容認出来ないエンドもある。
逆ハーエンドだ。
トゥルーエンドの“全員仲良しなお友だち”とは別の“全員アタイの婿”エンドが存在する。
全員で共有し独占出来ないけど仕方ないよね、という感じで主人公に侍る攻略対象達。
そんな不健全な恋愛はお姉ちゃんちょっとどうかと思う。
だから今の状況にはかなりハラハラしている。
久々の母校へ足を踏み入れてみれば、弟とその幼馴染み達は皆学校のアイドルとして祭り上げられていた。
そして、高校から出会った主人公に幼馴染み達が夢中になっているせいで学校がかなり荒れている。
弟以外全員生徒会に入っている彼らだが、彼女に夢中なあまり生徒会の仕事もしていないそうだ。
それを聞きお節介にも忠告しようとしたのだが、彼らはどうも反抗期らしく私の話など聞く耳を持たなかった。
これが弟ならば何度でも説得するのだが、他所様の子供に本物の教師を差し置き知り合いだからと喰い付くのもどうかと思い静観している。
心配ではあるが私に出来ることは少ない。
彼らはいつも主人公の周りを離れず、彼女への非難の声に毛を逆立てて無意味に威嚇している。
これは凄く逆ハーエンドに近い。
最後には周りなんてどうでもいい、と言うかなり排他的で曖昧な終わりだった。
ゲームではそれでいいのかもしれないが現実でそれは駄目だと思う。
せめてもの救いは弟がその中に入っていないことだ。
彼らには悪いが安心してしまうのは、自分も人のことは言えず排他的なのかもしれない。
だからだろうか。
心配しつつも完全に傍観を決め込んだ私に天罰が下った。
それは“相談があります先生。一人で来て下さい”という内容の一通のメールから始まった。
知らないアドレス。しかもサブアドだ。
節度を持って接する為に私は生徒にアドレスを教えていない。
不審極まりないメールだが指定場所が教室だったので大丈夫だろうと高を括ったのがいけなかった。
どうしても気になり呼び出しに応じて教室へ向かえば誰も居ないではないか。
だがその場の酷い惨状に私は思わず身を竦めた。
一つの机が薙ぎ倒され、そこから飛び出した教科書ノートがズタズタに裂かれ辺りを派手に散らかしていたのだ。
恐る恐る教室へ足を踏み入れる。
――――ガラッ
「そんなっ! 犯人は先生だったのね!」
「は? え?」
これ見よがしに床に転がっていたハサミを拾った時、私が入った方とは反対の扉が突然開き大きな声が響いた。
「どうして、先生? 私先生のこと信用してたのに………」
声の方を振り向けば、ゲームで主人公を務めていた少女がこちらを見ていた。
ゲーム同様可愛らしいその顔には涙が浮かんでいる。
弟の幼馴染み兼生徒会の彼らも彼女の背後に佇んでいたが、その顔は一様に険しい。
訳の分からない事態にあたふたしている間に、体育から戻って来たらしい他の生徒達もなんだなんだと集まってきた。
「教師を目指そうともあろう者が最低だな」
私に糾弾するのはチビでなくなった生徒会長。
主人公はワッと泣き出し、周りの生徒達から軽蔑の眼差しが私へ突き刺さる。
ああ、このシーン知っている。
ゲームで主人公への嫌がらせが私の仕業だと露呈した時とそっくりではないか。
なにこれ、なんでこんなことに?
「違います、私ではありませんよ。誰かにここへ呼び出されただけで、私が来た時には既にこの有り様でした」
内心混乱を極めている私だが、身の潔白を示すために毅然とした態度を崩さない。
ゲームでは生徒会長に責められて泣き崩れて足元にすがっていたが、これはゲームじゃない。
シナリオ通りに進んで堪るか。
私がそう決意すると同時に、咽び泣いていた主人公がガバリと顔を上げる。
「嘘! そんなの信じられない! 先生は会長のことが好きなんでしょ!? だから会長に想われる私に嫌がらせをしたんでしょ!?」
「え!?」
主人公の言葉に度肝を抜く。
いや、ゲームでは確かにそんな設定だったけど今の私を見てどうしてそんなことを思ったのだろう。
だって実習に来て生徒会長であるこの子と接触したのは一度きり。
しかも生徒会の仕事を再開するように言い募ったが「あんたには関係ないだろ」だけしか返されなかったのに。
本当、反抗期の男の子って難しい。
弟はまだ反抗期が来ないが、もうこのまま来ないことを願おう。
まじまじと会長の顔を見つめながらそんなことを考えていると、険しかった表情が戸惑いの色を帯びる。
「な、なんだよ。見てんじゃねーよ」
焦って忙しなく目線を泳がせながら口を尖らせて呟く会長。
ああ、この子全然変わってないや。
チビのあの頃のまま。
そんな子供相手に恋など出来るはずがない。
「本当に私がやったと思いますか?」
「優奈がそう言ってんだから、そうなんだろ」
優奈……そう、主人公の名前は優奈ちゃんだった。いやぁ懐かしい。
で、その優奈ちゃんがフフンという顔で私を見ているのは何故。
私の知っている優奈ちゃんと違う。
やはりここはゲームの世界なんかじゃない。
「あんた優奈に嫉妬したんだろ。俺を、す、す、好きだから………」
チラッチラッこちらを見つつボソボソ喋る会長。
なんでしょうねこの子は?
優奈ちゃんが言ったことは全て鵜呑みにしてしまうのか。
思わず呆れ返って溜め息を吐くと、既に泳いでいた会長の視線は更に高速でクロールを始める。
普段クールぶっているらしい子のそんな様子に周囲の生徒達は首を傾げていた。
「何度も言うけど誤解です。私はやってない」
「待って下さい。そんなことより、一つ納得出来ないことがあります」
人の一大事にそんなことよりとはなんだ。
クイッと眼鏡を上げて割り込んで来たのは、弟の幼馴染みの一人である副会長。
昔は少女のように可憐だった容姿は端整さをそのままに、きちんと男らしさを感じさせるクールビューティーに成長している。
「恐らく彼女の犯行理由は優奈への嫉妬で間違いないでしょう。しかしその後は明らかにおかしい。なんですか“会長を好きだから”とは、馬鹿馬鹿しい」
どうやらこの子もまた私の犯行だと思っているらしく、なんだかもの悲しくなってくる。
副会長の彼はもう一度クイッと眼鏡を上げると、見る人間によっては竦み上がるほどキツい眼差しで私を睨みつけた。知的な口調で更に続ける。
「想い余っての犯行。貴女を嫉妬へ走らせた人物は他に居るのではないですか?」
え? 今そこ重要?
容疑者(私)が犯行否定してんのに気になるのソコ?
どんな迷探偵だコラ。
昔から推理小説が好きだったけど、悪い影響が出てしまったようだ。
「優奈の近くに居た人物は会長だけではありません。例えばほら、僕だって居たわけですし」
相も変わらず目を細めて冷たく睨み付ける副会長に周りの生徒達は感心したように頷いている。
こらこら迷探偵の言葉を鵜呑みすな。
「そうだよねぇ、会長じゃないよねぇ」
ここで迷探偵の言葉にのんきな相槌を打つ人物が登場。
耳には沢山のピアス、派手に染色され緩く流れる髪、首元には指定のネクタイはなく開け放たれたシャツ。
校則違反まる出しのファッションで一見だらしなく見えがちだがそうはならない。きちんと計算されたお洒落ということが分かる高校生にはあるまじきけしからんセクシーさを醸し出している彼。
やはり弟の幼馴染みの一人で生徒会の会計をしている。
「だったら、多分この人は俺が好きなんだよぉ」
へらり、そんな音がしそうな緩い笑顔でよく分からないことを言う。
「優奈と一緒に居る時、この人遠くから俺のことばっかり見てたし。俺が優奈の頭を撫でるのが許せなかったんだねぇ」
「ちょっと待て。それはただの思い込みだろ?」
「そうですよ。そういう恥ずかしい勘違いは心の中だけに仕舞ってて下さい」
何やらぶっ飛んだ会計の子の思考に会長・副会長の子が反論する。
「ちょっと! 今大事なのはそこじゃないでしょ! 先生が私にした嫌がらせが重要なんでしょ! 私スッゴく傷付いたんだからね!!」
三人のやり取りが気に入らないらしい優奈ちゃんが目を吊り上げて怒鳴る。
優奈ちゃんよ。先生も同意見です。
でもね、先生はあなたにこんな程度の低い嫌がらせなんてしませんよ?
「だから私はここに呼び出されただけです。証拠だって残ってるし」
「メールなんて簡単に自分で偽装出来るでしょ! 証拠になんてなんないわ」
届いているメールを見せる為にポケットに伸ばそうとした手が止まる。
…………私、メールで呼び出されたなんて言ったっけ?
え………まさか………いや、でも、主人公がそんな……しかもなんてチープな。
青ざめて黙り込んでしまった私を勘違いした優奈ちゃんは馬鹿にしたように鼻で笑う。
ああ止めて、そんな分かりやすい悪役顔をしないで欲しい。
私の優奈ちゃん像がガラガラ崩れる。
「残念だけど先生が犯人としか思えません。ね、先生の話なんて信じられないよねぇ?」
可愛らしく小首を傾げて訊ねた相手は今まで言葉を一言も発していなかった書記の子。
彼もまた弟の幼馴染みで容姿端麗な男の子だ。
昔から無口でちょっと元気の足りない大人しい子だったのでイジメられないかと心配していたのだが、誰よりも大きくガッシリとした身体付きに育ったので安心したものだ。
生徒会の他三人が頼りないと判断したのか優奈ちゃんはそんな彼の腕に絡みつきもう一度上目使いで「ねぇ?」と同意を求めた。
それに書記の子もゆっくり頷く。
「俺達は、俺は……お前を、信じない」
憎々しげに吐かれた書記の子の言葉が私の胸を突き刺す。
自己主張が苦手で自分の殻に閉じ籠りがちなこの子がずっと気になって仕方なかった。
だからゆっくりと私を自分の内側にいれてくれるようになったのが嬉しかったのに。
でも反抗期の為かこの子の内側から追い出されてしまったようだ。
「……なんで、お前が、そんな顔………するっっ!!!」
「え?」
犬の咆哮のような叫びを私にぶつける書記の子。
「お前が……お前が……お、お、お姉ちゃんが、悪い、のに……くっ、っぅうう」
「え? え!? ちょっ」
私は焦った。大変焦った。
だって書記の子が泣き始めたのだ。
日本人とは思えないほど立派な体格の男子高校生が、男らしい精悍な顔をくしゃっと歪めてボロボロと涙を流している。