ミリアーナの結婚
結婚式当日に結婚が認められない事がわかったミリアーナは、幸せになれるのでしょうか。
誤字の修正を致しました。
その日は、私にとって大切な日でした。そう、私、ミリアーナ・マウンテの結婚式でしたから。
一年掛けて作り上げたウェディングドレスは、シルクタフタを贅沢に使った物でプリンセスラインのドレスの全体には、金糸の刺繍が施されています。黄金色の髪は結い上げ、白い薔薇の花で飾られています。胸元に輝く大粒のエメラルドは、私の瞳の色だと彼から贈られた物。鏡の中の私は、少し緊張気味だけれど、誰が見ても美しいと褒めてくれるはず。
お祝いに駆けつけてくれた友人達は、私のことを羨ましそうに見ています。これから、私が結婚するのは、皆が憧れる侯爵家の嫡男フィッツ・ドルクエッドなんですもの。容姿端麗なんて言葉じゃ物足りないほどの美人。プラチナブロンドの髪に透き通ったマリンブルーの瞳。彼が微笑めば、世の中全ての女性が恋に落ちるとまで言われる人。真面目で誰にでも優しい非の打ち所のない人。
その彼が、大失態をやらかしていたのです。そうです、最悪の失態を!
参列者が席に着き、パイプオルガンの音が響く聖堂の中を私は、父であるマウンテ伯爵に手を取られ、優雅に歩いていきます。彼は、深い海を思わせる濃紺の生地に金糸の刺繍が艶やかな衣装を来て私を待っていました。
私は、父の手から彼の手に委ねられる。二人ではにかみながら微笑みました。
「ミリー、とっても綺麗だ」
「貴方も素敵ですわ、フィッツ」
そんな二人の会話を漏れ聞いた人達が、甘い溜め息を付いています。今日、式を執り行ってくださる神殿長は、ドルクエッド侯爵、お義父様の古くからのお知り合い。フィッツの洗礼もなさった方だそう。特別にお引き受けになったと伺ったけれど感極まって少し涙ぐんでいらっしゃるわ。
私もつられて涙を溢しそうになったけれど、お化粧を崩す訳にはいきませんから、ぐっと我慢、我慢。嫌だ。フィッツまで目が潤んでるんですけど。
「良い伴侶を得られましたね。グスッ」
「はい! 僕には勿体ない貴女なんです。グスッ」
褒められてるし、泣いてるし、つられそうになった時、後ろの席から大きく鼻をかむ音がしたのでこそっと振り向いてみると、お義父様が『良かった、良かった』と呟きながらおいおいと泣いていらっしゃる。何だか一気に涙が引っ込みました。
さて、気を取り直して、式の進行に戻ります。神殿長とのお決まりの言葉の応答がなされ、最後に二人で声を揃えて、
「「誓います!」」
「では、この誓約書にサインと血判を」
この誓約書は、特別な物で魔法契約を成す物。一度、契約を結んだならば、二人の同意がなければ取り消せない。どうしても別れたい時は、裁判所に訴える事も出来るのですが費用も時間もかなり掛かるので、なかなか訴える人はいないのです。
ちょっと理不尽な気もいたしますけれど、お祖父様の世代にやらかした王子がいらして、次から次に結婚と離婚を繰り返したとか。王子がそれならと後に従う馬鹿者が増えたのです。
結果、跡継ぎだと言う者達が、大勢名乗り出る事となった訳で。浮気なんて論外なんですけれど、まあ、庶子は家を継げませんから御家騒動には繋がらないのですが。しかしながら、婚姻関係にあった時期の子供だと話は違ってくるのです。王家もそれに倣った御家は、大混乱。それ以来、この誓約書が用いられるようになったのです。結婚相手を慎重に選ぶようになったことだけは僥倖かしら。
という訳で、二人で署名と血判と言っても針で少し刺すだけでいいんですけれど、ああ、大好きなこの人と結婚するんだって実感が沸いた瞬間でした。これで誓約書が金色に光って消えてその後、誓いの口づけを? 金色に光って消えて、消える筈なんですけれど消えない!? 参列者からもどよめきが起きました。
「重婚!? ミリー、君、けっ結婚してたのか」
「してるわけありませんわ! 口づけだってしたこともありませんのに!」
私は由緒正しい良家の令嬢として清く正しい行いを、じゃないわ! 余計な事まで暴露してしまいましたわ。一瞬、参列者のざわめきが消えたと思いましたら、女性陣はな~んだ期待外れって顔をなさって、男性陣は何だか目をきらきらさせて私を見ていますわ。
「フィッツ、貴方こそ何方かに騙されて何かにサインをした覚えはございませんの」
「そんな事していないよ。無い、無い……無い、無い?」
「ございますの? ございませんの? はっきりなさいませ!」
「こ、子供の頃に近所の子と遊びで書いた事が……あったかな」
「「「はあ?!」」」
彼の一言で、会場が一斉に和声を奏でました。
このままで埒が明かないので、結婚式は中止となりました。神殿の一室をお借りして、両家と神殿長を交え話し合いの場を儲けることになりましたが……。
お父様とお母様は、怒り心頭まっ赤なお顔でフィッツを睨み付けています。お兄様は、呆れ返ってソファに踏ん反り返っています。神殿長がいらっしゃる前で次期当主としてそれは駄目でしょ。
ドルクエッド侯爵は青を通り越して白い顔をしているし、夫人は『ごめんなさい』を連呼して泣き崩れてしまっています。当のフィッツはと言うと呆けた顔をして何を考えているのかわかりません。私は一度頭に血が上り切ったせいか逆に落ち着いていました。
「で、お相手は何処の何方ですかな」
「えっ? ああ、サマンサ・カールトン男爵令嬢……かな?」
「かな? って何ですか。フィッツ様、はっきりしてくださいまし。それとも他にもいらっしゃるのかしら」
「いいや、サマンサ以外にそんな事していません」
侯爵の平手がフィッツの後頭部にクリーンヒットしました。そんな事ってどんな事よって思ったのは、私だけじゃなかったようです。
彼の説明によると、六才くらいの話らしい。夫人と一緒に隣接する男爵邸を訪れる機会があった。そこで一つ年上のサマンサと一緒に遊んでいたのだが、大々的に転んでしまい擦りむくわ、鼻血は出すわの大惨事に見舞われた。直ぐに屋敷で手当てをしてもらったのだが、その時にサマンサから『あなたみたいにドジな子は、あたしがずっと守ってあげる』と言われて、何やら紙に書いて一番下に名前を書かされた覚えがあるとの事。血判は、鼻血なのでしょうね。
カールトン男爵家は、商会を運営していて当時はなかなか羽振りが良かった。隣家とはいえ、男爵家が侯爵家と関われたのはそのお陰もあったようで。今はと言うと新たに手を出した事業に失敗して折角波に乗っていた商会も手放し、借金を抱え爵位も返上して行方知れずとのこと。
行方知れずって、どうなさるの? お兄様ではないですが、踏ん反り返りたい気分ですわ。皆で頭を抱える事になったけれど、子供がどうやって魔法契約書なんて持っていたのかとお父様が問うと、商売柄、契約書はたくさん扱っていたそうなので、そこから持ってきてしまったんだろうと侯爵が補足説明をしてくださいました。
「で、この不始末。如何されるのですかな」
「僕が、僕がサマンサを探します。そして、直ぐに解除してもらってきます。ですから、少しだけ猶予を」
「探されるのは結構ですが、娘は大恥を掻いたのですよ。一生に一度の結婚式で。まして、貴方は言うに事欠いて娘に結婚してたのかなんて暴言を吐いて!」
「お怒りはご最も。申し訳ない!」
侯爵が頭を下げられると同時に再び、フィッツの後頭部を叩きました。フィッツは、勢い余ってテーブルに額までぶつけてしまいました。侯爵も死力を尽くして探しますと頭を下げられ、神殿長からの口添えもあり猶予を与える方に傾いたところで、放たれたお兄様の一言で一同口を噤む事となります。
「その娘ん家、没落したんでしょ。侯爵家嫡男との結婚なんて美味しい契約、破棄してくれるのかな」
悲惨な結婚式から二週間が経ちました。今、カールトン元男爵一家は王都に住んでいるとの事でした。急遽、フィッツと侯爵自らも王都に足を運んだとの報告が我が家に届きました。
私はと言うと、この二週間、何も手に付かず、朝からお菓子ばかりを口にして、折角、結婚式の為に痩せたのに元の木阿弥状態になっておりました。
活力溢れるお母様は、侯爵家相手だと言ってもあんな頼りない男の元に私を嫁がせるのは、心許ないと早速次の婚約者探しに力を注いでおります。まだ、破棄も解消もしてないんですけれど。
社交界では、友人達を筆頭に私を心から哀れむ方々、羨んでいた人達からはいい気味だと嘲笑われ、何故か式での私の一言に昨今珍しい淑女だとかで是非嫁に欲しいと釣書を寄越す方々、兎に角、私達の噂で大盛り上がりとなっておりました。
一週間後、王都から戻ったお二人は、疲れきったお顔で我が家を訪れました。フィッツなんか、ずっと泣いていたんでしょうか。目が腫れまくって別人の様なお顔になっています。
「サマンサ嬢には、お会いになれたのですかな」
「会えたには会えたのですが……」
「やっぱり、うんとは言わなかったんじゃない?」
明け透けなお兄様の言葉にお二人が項垂れます。
「サマンサ様は、なんとおっしゃったのですか」
「彼女は嫌だって。解除は絶対しないと……グスッ」
「あの娘は、なんと言いますか、如何わしい酒場で女給として働いておりまして、この生活から抜け出せる絶好の機会だと申し、正式に侯爵家の嫁に迎えろと」
侯爵の言葉が終わらないうちに、わっとフィッツが泣き出しました。『ミリーを愛してるんだ。あんな女絶対嫌だ!』って泣きたいのは、私の方なのにいい加減にしてくださいませ。
侯爵家としては、裁判に持ち込むとの事でしたが、子供の頃とはいえ絶対的効力を持つ魔法契約書、同意を得られないならば解除まで何年掛かるかわからないとの事でした。
お父様の判断は早うございました。婚約破棄。侯爵からは、せめて解消にと懇願されましたが諾とは申しませんでした。私達が好き合ってるとかの問題ではありません。伯爵令嬢として受け入れなければならないのです。お願いです。フィッツ、そんな目で見ないで。私の目から涙が一筋零れました。
一方的に相手側に問題があっても私の方にも瑕疵が付きます。持参金の返金、結婚式までに掛かった諸費用、そして、慰謝料。かなりの金額になったけれど、私の疵は消えません。侯爵家は、これから裁判に何年掛かるのかわからないのですから、費用もそれなりに掛かるでしょう。衰退しないことを祈るばかりです。大好きなフィッツに不幸になって欲しくはないのですもの。
私は、是非にと望まれてドルクエッド家と同じ家格のアルト・バーモント侯爵と新たに婚約を結びました。彼は、私より五才年上の方で既に侯爵位を継いでいらっしいました。三年前、政略結婚をする予定だったご令嬢が彼女の護衛騎士と共に逃げてしまったという経歴を持つ方でした。政略とはいえ、花嫁に逃げられた男と言われるのに疲れ、結婚に消極的になっていたそうです。フィッツが華やかだったのに対し、アルト様は爽やかな印象の美人でした。
フィッツとの事があったので、お式は身内だけでと申し出たところ、逆に『貴女には何も瑕疵はないのだから、きちんと皆に祝福していただきましよう』と言われました。それは今の私にとって、とても嬉しい言葉でした。
結婚式は、半年後に執り行われました。バーモント侯爵家も神殿長と懇意にされていたそうなのですが、流石に気まずかったのか、お断りなられたそうで別の方が執り行ってくださいました。
バーモント侯爵領は、大きな港を有しており、貿易で栄えています。その為か、参列者には海外の方も多くいらっしゃり、其々のお国の礼装だけでも華やかなお式となりました。
二度目のウェディングドレスは前の時と違って体に添ったマーメイドラインで、アルト様が異国から取り寄せてくださった総レースで作られています。髪には大降りの百合の花を飾り、彼に合わせて少し大人っぽく纏めました。
式も滞りなく終わり、夕刻からは式に参列できなかった方もご招待して披露宴をタウンハウスで行いました。二度目の参列をしてくれた友人が少し言い難そうに小声で伝えてくださいました。
「後で噂で耳にするよりは宜しいかと思って……」
「どうなさったの?」
「あのね、神殿にフィッツ様が来ていたの。式に出ていた方の何人かは気が付かれたと思いますわ」
「えっ?」
「だって、泣いていらしたんだもの。まだ、例の件は片付いてないんでしょ?」
「まだ、みたい。そう、いらしてたの」
本当に馬鹿な人。噂の種を自分で蒔きに来たなんて。侯爵様にまた頭を叩かれますわよ。はにかみながら微笑むあの人の顔を思い出しました。恐る恐る繋いだ手。大きくてちょっとゴツゴツしてて。すっと、私の手が握られました。見ると、アルト様が声に出さずに『大丈夫?』と聞いてくださっています。私は、頷いてその手を握り返しました。あの人とは違う大きいけれど柔な手を。
二年が過ぎました。私は、侯爵夫人として精一杯勤めています。アルト様もお忙しくとも私との時間を取ってくださっています。穏やかだけど何か物足りない日々を私は送っていました。
そんなある日、お茶会でフィッツの噂を聞きました。彼は侯爵家を出てサマンサ様と暮らし始めたのだというのです。信じられませんでした。そろそろ、契約解除が出来たと言う知らせを耳にする頃かと思っていたのに。私は、詳しく聞ける相手もなく、そのまま家に帰ることしかできませんでした。
三日ほど経った夕食の席でアルト様から話が振られました。
「ドルクエッド侯爵令息の話は耳にしたかい?」
「えっ?」
「令息は家を出て、係争中だった元男爵令嬢と一緒に暮らしているそうだ」
「お茶会で耳にしました」
「裁判費用も嵩んできていたところに幾つか侯爵家の仕事の話が続けて流れたそうだ。裁判に勝っても多額の慰謝料は払わなければならないだろう。ならば、一緒になる方が安く済む」
「安く済むって……」
「侯爵家にこれ以上の負担は掛けられなかったんだろう」
「侯爵家はどうなりましたの? ご子息お一人でしたのに」
「従兄弟を養子に迎えたそうだよ」
「そうですか……」
今更、どうなることでもないのに、その後の食事は何も味がしませんでした。
そこから、更に二年が過ぎました。アルト様と私の間には、なかなか子ができませんでした。三年、子が出来なければ離縁されるのが常識なのに周りからの軋轢にアルト様は四年耐えてくださいました。伯爵家は既に結婚したお兄様が継いでおります。戻ってくればいいと言われたが、迷惑は掛けたくありませんでした。修道院に入るか迷いましたけれど、私は市井に降りることにいたしました。
王都に小さな家を借りて、手芸の店を始めました。偶然立ち寄った商家のお嬢さんが、私の刺繍を気に入られ、お友達をご紹介くださり、また、その方がお友達をとなかなかの評判となり、一人で暮らして行くには十分な稼ぎを得ることができました。後からわかったのですが、友人達が家に出入りしている商家の娘さんに私の店を紹介してくれていたそうです。
ある日、五つくらいの女の子と赤ちゃんを抱いたご夫婦がお店にいらっしいました。奥様は、派手なお化粧と少し恥ずかしいほどの露出をしたドレスをお召しになっていました。ご主人は、キャスケットを目深にかぷり、日に焼けたご様子から労働階級の方のようです。
「いらしゃいませ。何かお探しですか」
綺麗に畳んであった商品を雑に扱いながら、奥様がおっしゃいました。
「もっと、こう派手な柄はないの? パッとしたやつよ」
「お日にちをいただければ、ご希望の柄を改めて刺しますが」
「ミリー……?」
「はい?」
ご主人のお顔を見て驚きました。日に焼けて少し逞しい体格になられてはいましたが、フィッツに間違いありません。
「何故、君がここに?」
「お久しぶりです。ここは私の店ですから」
「アルト様とは」
「フィッツ、あんたの知り合いなの。じゃあ、少し負けてよ」
「あ、はい。柄はお決まりですか」
「これとこれと合わせて、もうちょっと派手な色がいいわ。一週間で出来る?」
「畏まりました」
女の子が猫の絵柄のハンカチをじっと見ているのに気がつきました。
「お嬢さん、気に入りましたか」
「……」
「おばさんからの贈り物です。良かったら使ってください」
「駄目だよ。商品だろ。料金は払う」
「売れ残りなの。気に入った人に使ってもらいたいわ。ね?」
「……ありがとう、おばさん」
「悪いわね。遠慮なくもらうわ。じゃあ、一週間後ね」
「はい。お待ちしております」
しかし、奥様は一週間経っても十日経っても取りに来ませんでした。もう、取りには来ないのねと思って品物を奥の棚に片付けようとしたところにフィッツが現れました。
「奥様は?」
「妻じゃない」
「えっ? あの方がサマンサ様ではなかったのですか」
「彼女とは、同居していただけだ。妻ではない」
「お子様だって」
「俺の子じゃない。彼女には、指一本触れていない」
「そ、そう。お品物ですよね」
「それは、彼女の結婚式に使うんだ」
「そうですか。おめでとうございます」
「漸く、解放されるんだ。彼女、子供達の父親と漸く結婚するんだ」
「そう。えっ?」
フィッツの話によると、初めて侯爵と訪ねた時からサマンサには、内縁の夫がいたそうです。只、彼にも家庭があり離婚の手続きに時間を要したとのこと。なかなか大きな商家の跡取りで両親も実の孫達を受け入れているとの事でした。侯爵家を出たフィッツからは、お金は搾り取れないとわかると商家の息子と一緒になれるまでの保険だと言って解除を先延ばしにされていたそうです。
「ミリー、一緒になってくれないか」
「……子供は望めないかもしれませんわ」
「子供が欲しいんじゃない。ミリーと一緒になりたいんだ」
涙が零れそうになったのにフィッツの方が先に泣いているんですもの。相変わらず、泣き虫なんだから。今日は、私だって負けてられませんわ。いっぱい、いっぱい泣きます。貴方に六年近くも待たされて来たんですもの。
フィッツが優しく私の手を取りました。以前よりもっとゴツゴツした手になっていたけれど、それは、恐る恐る私と繋いでいた手に間違いありませんでした。
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