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どっちだ?

作者: ぱるき
掲載日:2026/02/23

 ――日本では、名字も名前も変えることができる――



 そんな話を聞いたのは小学4年生か5年生の頃だった。

 担任の先生が何かの授業の折に話してくれた。


 皆、驚いていたと思う。


 だって、名字にしても名前にしても生まれた時から自分の意思に関係なくあって、気付いたらそれと共に生活していて。

 変えられるモノではないと思っていた。

 だから、俺はその話を聞いた時非常に嬉しかった。

 だって、変えられるのだから――名字を。


 だが、実はそれが非常に難しく簡単ではない事を知ったのはその日学校から帰った後のこと。

 母親に学校でのその話を聞かせると、ウチの場合無理であることを逆に聞かされた。


 曰く、それは主に離婚するか、お父さんが亡くなってお母さんが旧姓に戻るかでないとダメである。

 曰く、それはどうしても仕方がないと裁判所が認めてくれた場合だけに限る。


 小学生の俺に、母は結構小難しい話をそれでも丁寧に真面目に分かりやすく話してくれた。実は俺が生まれて間もない頃に、父に相談して本気で名字を変えようとした時があったそうだ。それは主に両親がその名字が嫌だったからではなく、俺が将来からかわれないかと心配しての事だったらしい。

 ということで、父の知り合いの知り合いの法律事務所に相談してみたのだが、結果は『恐らく無理』。

 確かに珍しく、人に色んなものを連想させる名字かも知れないが、では誤解が生じたり生活に支障をきたすほどのものであるかというと、そこまでには至らないというのがその事務所の先生の見解だったそうだ。


 ということで俺は今正に、自分の名前を皆に明かされようとしている。

 初めての転校。高校2年生の秋。父の仕事の関係で止むを得ないとはいえ、せめて卒業するまで待ってくれたらと思う。まあ、遅かれ早かれ俺の名字は生涯ついてまわるのだけれど―誰かの婿養子にでもならない限り。


 教壇の前に立った俺の後ろで、さっき初めて会ったばかりの担任の先生がチョークを持って黒板に書き始める。

 視線が一斉にこちらに向けられている。誰かと目を合わせるのも変なので、俺は教室後ろの掲示板をただジッと眺めた。

 1文字目でインパクトがあったのだろう。至る所から「え」とか「おお」とか声が漏れてくる。

 そして先生が名前を書き終えると、教室は水を打ったように誰も一言も発さなかった。


“鬼峠 歩”


 そう書かれているであろう黒板を見ることなく、俺は挨拶した。

「おにとうげ、あゆむです。名前は怖いですけど、本人は至ってこんな感じですので。よろしくお願いします」

 頭をペコリと下げる。

 再び顔を上げると、皆こちらに視線を向けたままだ。


 感じる、無言の圧。


 ふと、どこからともなく拍手が上がる。

 するとたちまちそれは広がり、あっという間に喝采の嵐。


 これって、一応OKということなのだろうか。


「じゃあ、鬼峠君。あの彼女、………さんの横の、窓際の空いている席が君の席だから」

 先生が右手を伸ばした方を目で追うと、窓際に誰も座っていない席がひとつあった。軽くお辞儀をして、机の間を歩いていく。前から1人、2人、3人…4人目。

 

 よろしく。


 そんな眼差しで俺を見た隣の席の女子に、俺は再び会釈をして席に着いた。


 その女子は、近藤さん。先生が言っていた。

 俺がこの学校で最初に名前を覚えた人。

 ただ、何故かしっくりとこなかった。

 多分先生は『こんどうさん』と言っていたと思うし、そう聞こえたと思うのだが、聞き違えていた様にも思える。なんでだろう?


 担任の先生は数学の教師で、1時間目は数学だった。先生が変わることなくそのまま授業に入る。

 淡々と授業は進んでチャイムと同時にきっかり終わり、休み時間。

 彼女に改めて『よろしく』と言うついでに名前を確認しようと思ったのだが、結局出来ずじまいで2時間目の古典に入る。


 古典の先生は、担任の先生よりも少し若く優しそうな女性の先生だった。

 授業は『堤中納言物語』の1編、『虫めづる姫君』。

 実は前の学校の授業で習っていて、内容は知っている。虫を飼い、身なりをあまり気にしない風変わりな主人公の話。

 教科書を眺めながら少しだけ懐かしい気分に浸ったのだが、不意に耳に入ってきた先生の言葉にそれが一瞬にして吹き飛ぶ。俺は思わず顔を上げた。

「じゃあ、こんごうさん。始めのところを少し読んでください」


 こんごう?


 確かに、そう聞こえた。こんごうってまさか、あの『金剛』?

 こんごうって、誰だ?

 色んな疑問が一度に噴き出る。


 そう思ったのもつかの間、俺は度肝を抜かれた。

「はい」

 返事をして隣の『近藤』さんが椅子から立ち上がり、両手で教科書を持つと読み始めたのだ。

 そして、一瞬だけ見た彼女の教科書の背面に書いてあった。


“金剛 彩名”


「……蝶めづる姫君の住み給ふかたはらに、按察使大納言の御むすめ、心にくくなべてならぬさまに、親たちかしづき給ふこと限りなし。この姫君ののたまふこと、『人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ』……」


 そう。彼女は“金剛彩名”さん。

 しっくりとこなかったのは、気のせいではなかった。

 彼女は『近藤』さんではなく、『金剛』さんだったのだ!


 それにしても、何て流暢に読むのだろう。

 俺にとって、古典は昔の日本語とは思えないほど別モノで。

 まるで外国語の様で何かと言い淀みがちなのに。

 しかも棒読みでもない。言葉に起伏があって。


「……かくおづる人をば、『けしからず、ばうぞくなり』とて、いと眉黒にてなむ睨みたまひけるに、いとど心地なむ惑ひける」

「はい、結構です」

 先生が止める。

 金剛さんが椅子に座るのと先生が黒板に向かったのは殆ど同時だった。チョークを手にすると、先生はやおら板書を始める。

 周囲の生徒が板書をノートに書き写している中、俺は全く違うモノをノートに書いて手を止めた。


“金剛あやな”


 何故か、下の名前を平仮名で書く。


 すぐに浮かんだのは、あの金剛力士像。

 あのゴッツイ、イカツイ、筋肉モリモリのマッチョ。それこそ俺の名字と同じ鬼の様な形相で。

 けれど、彼女はそれとは程遠い。


 俺の場合は名前負けしていると言われても仕方ないが、彼女の場合は名前負けではない。完全なミスマッチだ。


 昔から、名字でいい思いをしたことはない。

 第一“鬼峠”なんて、会う前から警戒してしまう。

 俺だって間違いなく、怖い人を想像する。

 連想するものといえば『鬼ごっこ』とか『桃太郎』とか、あるいは『節分』。散々言われてきた。


 金剛さん。

 彼女は自分の名字をどう思っているのだろう。

 ………

 ………






 それから10年後。

 俺達はまだ決めていない。


 4月最初の日曜日。桜が満開になった京都の町を、俺達は歩いていた。

 彼女が持っているトートバッグには、クリアファイルに入った婚姻届とペンケースが入っている。

 

 結婚が決まって婚姻届を書いたところまでは良かったけれど。

 ただ一か所だけ、まだ空白のところがある。

 それは、婚姻後の夫婦の氏。

 今日決まる筈だった。

“決まった”瞬間に、書き込む。そう決めて、わざわざ東京から持ってきたのに――


『俺は、お前の姓がいい』

『私は、あなたの姓がいい』


 鬼峠か金剛か。

 その議論が始まって、かれこれ1ヶ月近くになる。 

 

 始まりは、全てあの日。俺が彼女の高校へ転校してきた日から。


 俺は彼女の名字に興味を持ち。

 彼女は俺の名字に興味が湧き。


 何とも奇妙なスタート地点ではあったが、俺はその日のうちに彼女に話しかけて、彼女の色んな事を知った。

 彼女もまた俺の色んな事を知りたくて、色んな事を訊いてきた。


 彼女はやはり、あの力士像を連想されがちだった様で。

 特に、歴史の授業で東大寺の金剛力士を学んだ直後に男子からつけられたあだ名は『仁王』『運慶』『阿吽』。

 俺と同じく自分の名字を呪い、変えられないか散々考えたという。

 

 それでも、どちらも滅多にない名字。

 人に与える印象は様々であるけれど、俺は鬼峠よりも金剛の方が好きだった。

 しかし、彼女は金剛よりも鬼峠の方が素敵だという。


 俺達はどちらもひとりっ子だったが、お互いの両親ともどちらを名乗ろうが構わない、と言ってくれて。

 むしろ、誰かひとりでも選んでくれたら楽だったのに。

 それが、俺達の議論に余計に拍車をかけた。

 もういい加減、自分の名字を変えたい。お互いに必死で。


 議論が並行していたある日、テレビを眺めながら俺はふと妙案が浮かんだ。

『くじ引きにしよう』

『安直すぎ』

 即座に彼女は反論する。俺は首を横に振った。

『ただのくじじゃなくて、おみくじ』

『おみくじ?』

 首をかしげる彼女だったが、テレビを見る俺につられてテレビの方に顔を向ける。

 ニュースだった。

 桜が満開になった京都の神社を、女性アナウンサーがレポートしている。

 それを眺めている彼女に、俺は自分なりの案を言った。

『つまり、俺達が神社のおみくじをそれぞれ引く。吉凶の運勢を見て、良い方を引いた方が名字を決める。神様のお告げと思えば公平だろ?』

 それでも、彼女はまだ納得できない様子だった。

『でも、たった1回のおみくじで名字を決めるのも何だかなあ』

『だから、1回では決めない。5箇所回って、最終的に多く良い運勢が出た方で決める』

『5回』

 彼女の表情が緩む。

『元々俺達、京都が好きだし。好きな町の神社を巡って将来の俺達の事を決めるのも悪くはないと思う』

 

 俺は転校してきた日、彩名が朗読した『虫めづる姫君』に聴き入って。

 古典だけじゃない。

 和のモノがお互いに好きだった。

 でもって、好きな町は京都。

 今日まで何度、一緒に訪れたか知れない。


『分かった。じゃあ、5回で』

 大きく頷きながらそう答えた彩名が、食卓の上で身を乗り出した。グイっと顔が間近に寄ってくる。

 その真剣な眼差しに、俺は思わずたじろいだ。

『な、なんだ?』

 目をぱちぱちさせた俺に、

『どの神社へ行くの?』

 彩名が言った。



 ということで俺達は今、今日最後の神社を訪れようとしている。

 これは果たして偶然なのか、あるいは神様の間でも議論が白熱しているのか。


 吉、吉

 小吉、小吉

 中吉、中吉

 吉、吉

  

 4箇所目の神社でお互いにまた同じ『吉』を引いた時は思わず顔を見合わせて笑ってしまった。

 名字を決める大事な日だというのに、神様も『あなた達で決めなさい』と言いたいのだろうか。

 4回続けて2人が同じ運勢を引く確率って、一体どのくらいなんだろう? そんな事すら考える。


 ともあれ、最後の神社。

 ここで決める。決まって欲しいのだが、

「もしまた同じだったらどうする?」

 彩名が俺の心境を代弁するかの様に訊ねてきた。

「そりゃあ決まるまで、サドンデスだろ」

 自分に言い聞かせる様に俺は答えた。

「えー!だってもう、夕方だよ?」

 彩名が苦い顔をする。

 だが、俺もまた内心ハラハラしていた。

 2度あることは3度ある、どころではない。4回同じだったのだから。5回目が起きても不思議ではない。


 気付けば、授与所の前に来ていた。

 巫女さんにおみくじを引く旨伝えて、2人分のお賽銭を渡す。


 先に彩名が、続いて俺が箱を振ってみくじ棒を出した。

 彩名は33番、俺は5番だった。

 おみくじを巫女さんから貰う。

「これでまた同じだったら私達、今日一日何をしてたんだって話だよね」

 彩名が囁く様に言った。


 そんな、身もフタも無い事言うな。桜、どこも綺麗だったじゃないか。

 おみくじそっちのけで喜んでいたクセに。


 授与所から少し離れたところで俺達は立ち止まった。

「じゃあ、いいな?」 

 俺が訊ね、彩名は黙って頷いた。

 息を整える。

「「せーの」」

 ふたりで同時に声をかけ合い、おみくじを開いた。


 ………

 ………

「中吉」

 俺は彩名に自分のおみくじを見せた。



 サドンデスにはならない、と俺は分かった。

 彼女の表情が変わる。



 鬼峠か、金剛か。



 彩名、どっちだ?

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