第四章:意思を継ぐ本、刻印の呪縛
部屋に戻り、机の上で本を開く。やはりそこには、ハクレンには見えないはずの文字が躍っていた。
「やっぱり、書いてある……。でも、読めない。これじゃ意味が……」
ページを繰る指が止まる。突如として、抗いようのない強烈な睡魔が私を襲った。修行の疲れか、それともこの本の影響か。
「やばい、意識が……」
私は本を机に残したまま、吸い込まれるようにベッドへと倒れ込んだ。
――その瞬間、机の上の本が、静かに、だが力強く脈動するように光り始めた。
「……ここは?」
目を覚ますと、私は何も存在しない真っ白な空間に立っていた。
「ハクレンに預けたあの本を、読める人が現れるなんてね」
背後から響いた凛とした女性の声。振り返ると、そこには見知らぬ女性が立っていた。
「誰……? ハクレンさんを知ってるの? それに、この場所は……」
「私は川谷鈴(かわたに すず)。貴方と同じ異世界人よ。……といっても、もう死んでいるんだけどね」
「死んでる……?」
衝撃を受ける私に、彼女――鈴は淡々と告げた。
「この私は、本に移植された意識の残滓。出会えたことには意味がある。……時間がないわ、夏。ハクレンに聞きなさい。『異世界人専用、解呪不可の刻印』について。また時が来ればこの本を通じて会えるはず。それまでに、この世界の形を知りなさい」
「待って! まだ聞きたいことが!」
叫びと共に手を伸ばした瞬間、視界が弾けた。
気がつくと、私は自室の天井を見上げていた。伸ばした右手は虚空を掴んでいる。
「……断片的すぎて、何も分からなかった。でも、ハクレンさんに聞けば何かが分かるはず」
私は飛び出すように部屋を後にした。その拍子に、廊下を歩いていた桜と正面衝突し、派手にお互い転んでしまう。
「あ痛っ……ごめん桜、大丈夫!?」
謝ろうとして、彼女の顔を見た私は息を呑んだ。
「桜……その目、どうしたの? 凄く腫れてる……。泣いてたの?」
桜は一瞬だけ表情を強張らせ、すぐに視線を逸らした。
「……違います。目にゴミが入って、それで腫れているだけです。夏様こそ、気をつけてください。危ないですから」
突き放すような口調。彼女は足早に立ち上がり、奥の部屋へと消えていった。
「目にゴミ、なんて……絶対嘘だ」
何かに怯え、絶望しているような彼女の瞳。私は胸のざわつきを抑えながら、ハクレンの待つ中庭へと向かった。
中庭では、ハクレンが静かに座禅を組んでいた。
「ハクレンさん、あの、お聞きしたいことが……」
彼は薄く目を開け、私を一瞥した。
「日課を終える所だった、構わんぞ。中で話そう」
部屋を移動し、対面して座る。私は意を決して、鈴に言われた言葉を口にした。
「……『異世界人専用の解呪不可の刻印』について、教えてください」
ハクレンの顔色が劇的に変わった。その瞳に、隠しきれない真剣さと痛ましさが宿る。
「……どこでその名を聞いた? まさか、あの本に書かれていたのか?」
「鈴さんに会ったんです。本の中で、ハクレンさんに聞けって」
「……鈴とか。そうか、あやつ……」
ハクレンは重い溜息をつき、静かに語り始めた。
「その刻印は、今は亡き最強の魔王、エリーズ・クレアが作り出した呪いじゃ。異世界人を完全に支配するためにバラ撒かれた。一度刻まれれば、死ぬまで自由を奪われ貰った能力すらも封じられる。鈴もまた、王によって無理やり刻印を打たれ、一人で魔王討伐へ狩り出され……命を落とした」
「解呪は……できないんですか?」
「国のトップですら不可能じゃ。かつて唯一の希望だったのは、鈴の『創造魔法』という能力だった。それを恐れた王が、彼女を抹殺するために戦地へ送った……。ワシは抗議したが、握りつぶされた。だからワシは隊を降りたのじゃ」
魔王の残した呪い、そしてそれを利用して異世界人を道具にする国家。
あまりに理不尽な事実に、私は言葉を失った。
部屋に戻った私は、再び本を開いた。
「鈴さんは、何のためにこの本を……。能力を持たない私にしか見えない細工をしてまで、何を伝えようとしているの?」
読めない文字を、必死に指でなぞる。
すぐ傍で、桜が自分を売ろうとしていることも、ハクレンに危機が迫っていることも知らないまま。私はただ、失われた鈴の言葉を解き明かそうと没頭し続けた。




