第ニ章:指導と、夜明けの決意
体が緩やかに揺さぶられる感覚で、私は重い瞼を開けた。
「ご夕食の時間ですので、お起こししました。……ご迷惑だったでしょうか?」
枕元に立っていたのは、申し訳なさそうに身を縮める桜だった。私は大きな欠伸を一つして、強張った体を伸ばした。
「ふわぁあぁ……。ううん、ありがとう起こしてくれて。えっと、桜だったよね?」
「はい、藤牧桜です。……失礼ですが、貴方様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか。まだ存じ上げないので」
そういえば、ハクレンさんにも名乗っていなかった。
「私は藤木夏。皆からは夏って呼び捨てにされてたから、そう呼んでよ、桜」
「藤木夏様。……では、夏様とお呼びしますね。ハクレン様がお待ちですので、食堂へご案内いたします」
「ちょっと、様はいらないってば! ……あ、待ってよ桜!」
足早に歩き出す彼女の後を追いながら、私はこの世界に来て初めて、誰かと普通に会話している自分に気づいた。
案内された食堂には、すでにハクレンが腰を下ろしていた。
「ようやく来たか。では、食事にしようかの」
私が席に着くと、桜は座ろうとせず、私たちの後ろで静かに直立不動の姿勢をとった。
「あれ? 桜は一緒に食べないの?」
私の問いに、桜はビクリと肩を揺らした。
「……夏様。私はお二人が召し上がった後、余り物をいただきますので。どうぞ、お気になさらず」
(余り物……?)
ショックで言葉に詰まる私を余所に、ハクレンが厳格な声を出した。
「桜よ、お前も座れ。お前が以前いた場所とは違うのだと言っているだろう。気にせず箸を持て」
「ですが、ハクレン様……私は……」
頑なに拒もうとする桜。私は思わず立ち上がり、彼女の細い手を引いて強引に椅子に座らせた。
「桜、私は貴方と一緒にご飯が食べたいの。ハクレンさんの言う通りだよ。ね? 一緒に食べよう」
私の勢いに押されたのか、桜は戸惑いながらも小さく頷いた。
三人で囲む食卓は、どこかぎこちないけれど、不思議と温かい味がした。
食後、食器を片付けに桜が席を外すと、ハクレンが鋭い視線を私に向けた。
「夏と言ったな、お前さん。……これからどうするつもりじゃ。双子の片割れを探しに行くのか?」
「……はい。今もどこにいるのか、酷いことをされていないか、心配でたまらなくて。でも……あの子は私よりしっかりしているから、案外うまくやっているのかも、なんて思ったりもして」
「ふむ……。だがな、夏。今のお前には自分を守る術が何もない。その状態で探しに行くのは無謀を通り越して自殺行為じゃ」
ハクレンは腕を組み、重々しく告げた。
「どうだ。しばらくの間、ワシが護身の術を指導してやっても良いぞ。無理にとは言わんが、どうする?」
今日のゴブリンの恐怖が蘇る。冬を助けるどころか、今の私では再会する前に死んでしまう。
「……お願いします。どうか、ご指導をよろしくお願いします!」
私の決意を聞き、ハクレンは不敵に笑った。
「そうか。では、明日の早朝から始めるとしようかの」
「えっ、早朝……? 空いた時間とかじゃなくて?」
「何を言っておる。お前の鈍った体を叩き直すには、ビシビシ鍛えねばならん」
「あの……私、こう見えても女の子なんですけど? お手柔らかに……」
「男も女も関係ないわ。……明日の様子次第で考える。今夜は早く寝るのじゃぞ」
ハクレンが去った後、私は「選択を間違えたかも……」と肩を落とした。そこへ、食器を洗い終えた桜が戻ってくる。
「夏様。ハクレン様はかつて、王直属の『特別護衛部隊』の隊長を務めていた方だと聞いています。……非常に厳しい修行になるはずです」
「元、王直属の隊長……!? そんなすごい人だったの?」
「はい。誰が頼んでも指導を断り続けていた方ですから、夏様を教えるというのは、本当に珍しいことなのです」
桜の言葉に、私は背筋が伸びる思いだった。
「……冬と再会するためだもん。頑張るよ。教えてくれてありがとう、桜。また明日、お話ししようね!」
私が部屋へ戻ると、食堂には桜だけが残された。
彼女は夏が去った扉をじっと見つめ、消え入りそうな声で呟いた。
「夏様……私も、仲良くなりたい。歳も近いし、本当は……。……いえ、ダメ。私は誰とも仲良くなってはいけない。そんな資格は……」
翌朝。外がまだ深い藍色に包まれている頃。
「夏様、おはようございます。ハクレン様が中庭でお待ちです」
桜の声に起こされ、私は意識を強制的に覚醒させた。
「まだ、夜じゃない……? 今、何時なの?」
「朝の5時前といったところでしょうか。この世界ではまだ薄暗い時間です。……動きやすい服を用意しました。着替えて中庭へ向かってください」
手渡された服に着替えながら、私は窓の外の冷たい空気を見つめた。
(やるって決めたんだから、やるしかない!)
私は気合を入れ直し、伝説の老兵が待つ暗い中庭へと踏み出した。




