パウダー師匠の金言
プロジェクトの打ち上げ。その宴会の席で、一条哲也は絡まれていた。
「師匠、パウダーの極意を教えてくださいよぉ〜!」 後輩の小山ゆうきだ。宴会が始まった時は、離れた席で若手同士楽しそうに騒いでいたはずなのに。いつの間にか、獲物を狙う虎のような目つきで哲也の隣に陣取っている。
完全に逃げそびれた。 だが、幸い同じテーブルには山崎も残っている。ここは彼に振るのが得策だ。 「私はもうスキーを引退して10年以上経つ。今の道具も技術もさっぱりだ。そこの山崎くんは現役だし、最近の動向にも詳しいんじゃないか。おい山崎、スキーの話題だぞ!」
小山は山崎の方を向き、あからさまに「ちっ」と舌打ちをした。 「……いや、無理っす! 俺、スキーからボードに転向しましたから」 「えっ、いつの間に? いつからボードやってるんだよ」 「来週からです。パウダーの滑り方を誰に聞いても『普通に』としか言われないんで、もう悟りました」 「いや、来週からって……それはまだ未来の話だろう。現時点ではスキーヤーじゃないのか」
「ほらぁ! 師匠は私をこんな体(パウダー中毒)にした責任を取らなければならないのです!」 小山が何やら不穏なことを言い出した。とりあえず、落ち着かせるために話を聞くことにする。
「それで、何を知りたいんだ。最近のトレンドは分からないぞ」 「そんな、引退した師匠に最近のことを聞くほど殺生なことはしませんよ。私が知りたいのは『来週』のことです」 「未来の話か。ますます分からんな……予報のことかな?」
「私、ゲレンデを選ぶ時はSNSの評判を参考にするんです。でも、評判の良い場所に行っても、実はその日は別の山が最高だったとか、『THE DAY(最高の日)』だったとか、帰ってから知ることが多くて。いつも情報を後追いしている感じがして、スッキリしないんですよ」 そりゃあ小山さん、SNSを見てから動いているなら物理的に後追いになるのは仕方ないのでは……と、哲也は飲み込んだ。
だが、情報を先読みしたいというその情熱はよく分かる。 「今のネット社会とは情報源が異なりますが、昔、私がやっていた方法を話しましょう。……自分で予想するのです」 「おおっ!」 「そもそも、日本が世界でも類を見ない豪雪地帯である理由、それはシベリア寒気団にあります」 「どえらい遠くから話が始まったー!」 酔っ払った小山がはしゃぐ。
「大陸由来の寒気は、もともとは乾燥した空気です。それ自体が雪を降らせるわけではありません」 「ふんふん。思わせぶりなだけの、ただの冷たい男なのね」 「その通り。でも、その寒気が日本海の上を通る時、海面から大量の水蒸気を吸収するんです」 「ダメな男が、急に大金を手に入れて成金になった感じね。それで?」 (なぜ彼女は寒気を男に例えるのだろうか……)
「そして日本に到達し、山脈にぶち当たって上昇気流に変わる。水蒸気を含んだ寒気は一気に温度が下がり、雪雲に変わる。これが降雪の基本です」 「じゃあ、水蒸気が多いところを探せばいいんですね!」 「理論上はね。でも昔はピンポイントで水蒸気量なんて分からなかった。だから、雪雲になりやすい『地形』を探すんです。海から平坦な場所だと上昇気流が起きにくいから、大きな雲は出ない」
「師匠、もったいつけますねぇ」 「もし、この風の通り道に、高い山が壁のように立ちはだかっていたら?」 「行き場をなくした風は、上に逃げるしかない……。つまり、そこで雪雲が爆発するんですね! そこに行けばいいんだ。完璧だ!」
「焦らずに、もう少し聞きなさい。もし山が二つあって、その間に隙間があったら?」 「風は、そこに向かってギュギュッと集中しますね」 「その隙間が吹き抜けじゃなく、奥が行き止まりの『谷地形』だったら……?」 小山の目が、パッと輝いた。 「師匠! ということは……!」
「高層天気図や気圧配置から風向きを予想し、その風を正面から受け止める『開いた谷地形』のゲレンデを探すんだ。昔は、そうやって直前に行く先を決めていたものだよ」 「さすが師匠! 金言です! 現代の陰陽師ですね!」
「いや、言い過ぎだ。情報が少なかった時代の、あくまで個人的なやり方だよ。まあ、当たればラッキー、くらいの気持ちでね。知らんけど」 「『知らんけど』ですか! お約束ですね(笑)」 小山は心底尊敬しているような表情を浮かべ、横にいた山崎も感心している。
「ところで師匠、パウダーのどんな感覚が好きだったんですか?」 「浅いパウダーを蹴散らすのもいいけど、膝を超えて胸まで雪が溢れ、粒の塊が体を流れていくあの感覚かな。意識が研ぎ澄まされて、頬を雪の粒が撫でていく感触……」 「最高ですよね! 私も大好きです。特に、腰まで埋まるような深雪の時、股間を雪の粒がサラサラと流れていくあの独特の感触が、もうたまらんのです!」 「分かるよ、まさに無数の粒に包まれる快感だよね」
隣で聞いていた山崎が、驚愕の表情で固まっている。何かを言い出そうとした山崎を、哲也は手で制した。 「山崎くん、ストップだ。今、君が言おうとしたことはセクハラになるからね」
自称「パウダー・フェチ」の小山ゆうき。 彼女は間違いなく、大物だ。




