表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/13

第3話:筆記試験

 試験官の厳格な声が会場に響いた。


「受験者の皆様、調理師一級試験の開始前に、この資格の意義について改めて確認いたします」


 会場内の私語が完全に止み、静寂が支配した。リュカの獣耳も緊張で前に向いた。


「調理師一級資格は、王国内において独立店舗の経営権を認可する、最も権威ある料理人資格です。この資格を持つ者は、単なる調理技術者ではなく、王国の食文化を担う責任者として認定されます」


 試験官の言葉に、会場の空気がさらに引き締まる。


「一級調理師には、食の安全管理、後進の指導、そして王国の食文化発展への貢献が求められます。この重責を理解し、覚悟を持って試験に臨んでください」


 彼女は深く息を吸い込んだ。この試験は単なる資格取得ではない。エルベルトが守り続けた『銀の厨房』を、そして王国の食文化を次の世代に繋げる責任を背負うことなのだ。


「それでは、問題用紙を配布します」

 配られた問題用紙の重みが、その責任の重さを物語っているようだった。


「制限時間は二時間。それでは、始め!」


 リュカは深く息を吸い込み、問題用紙を開いた。


 最初の問題は王国料理史。

『オルステリア王国における「十年燃灰期」以前の多種族料理文化について、各種族の特色ある調理法を挙げ、その後の統合過程を論述せよ』


 この問題に対し、リュカは背伸びをするように論理的な文章を組み立て始めた。


『多種族料理文化の統合過程は、以下の三段階に分類できる。第一段階では各種族が独自の調理体系を維持していた時代、第二段階では戦争による混乱期、第三段階では統合による新たな料理文化の創造期である』


 十三歳の少女が書く文章としては、明らかに大人びた表現だった。エルベルトから聞いた話と、読み耽った料理の専門書の知識を総動員して、できる限り学術的に書こうと努力している様子が伺えた。


 次の問題は素材学。

『香草類の鮮度判定において重要な要素を挙げ、保存状態による香味成分の変化について論述せよ』


 この問題を見た瞬間、リュカの獣耳がピンと立った。これは彼女が最も得意とする分野だった。

 獣人の嗅覚は、香草の微細な香りの変化を嗅ぎ分けることができる。摘みたての青々しい香り、時間が経った時の香りの変質、保存方法による違い——それらの違いを、彼女は言葉ではなく感覚として理解していた。


 しかし、それを学術的な文章で表現するのは別の技術だった。リュカは一度ペンを置き、目を閉じて記憶を辿った。


 ——『素材と対話するんだ、リュカ。香草が何を訴えているか、どんな状態にあるかを感じ取るんだ』


 エルベルトの教えが心に響く。彼女は再びペンを取り、自分の感覚を学術的な言葉に翻訳する作業に集中した。


『香草類の鮮度判定においては、第一に香気成分の揮発度が重要な指標となる。新鮮な状態では特有の芳香が明確に識別可能であるが、時間経過と共に揮発性化合物が減少し、同時に酸化による劣化臭が発生する。また保存温度および湿度環境により、この変化速度は大きく左右される』


 十三歳らしからぬ必死さで専門用語を駆使し、大人の料理人に負けまいと背伸びして書いた文章だった。


 また、アレクシスは同じ問題に対し、より科学的なアプローチで答えていた。化学的な成分分析、数値による定量評価——すべてを理論的に説明していく。


 続いて現れたのは食品衛生に関する問題。

『多種族が利用する厨房において、種族別の食物アレルギーおよび消化特性を考慮した衛生管理体制について論述せよ』


 この問題にリュカは少し戸惑った。エルベルトは確かに衛生管理に厳しかったが、それは経験に基づく直感的なものが多かった。彼女は必死に記憶を辿り、本で読んだ知識と実体験を組み合わせて解答しようとした。


『多種族対応厨房では、まず調理器具の専用化が必要である。例えば獣人向け調理と人間向け調理では使用する香辛料の種類が異なるため、交差汚染を防ぐための分離管理が不可欠となる』


 調理理論の問題に入ると、リュカの心境に変化が生まれていた。

『「料理人の心構え」について、あなたの考えを述べよ』


 この問題を見た瞬間、リュカの胸の奥で何かが温かくなった。彼女は今度こそ、背伸びではない自分の言葉で書こうと決めた。


『料理人の心構えとは、第一に「食べる人への責任感」である。料理は単純な栄養供給手段ではなく、作り手から食べ手への意思伝達である。したがって料理人は常に、自分の作る料理が誰かの健康と幸福に直接的影響を与えることを自覚し、その重責を担う覚悟を持たなければならない』


 文章は論理的だが、その奥に十三歳の少女の純粋な思いが込められていた。


『さらに、料理人は技術向上への不断の努力を怠ってはならない。なぜならば、食材は季節により品質が変動し、食べる人の嗜好も時代と共に変化するからである。この変化に対応するため、料理人は謙虚かつ情熱的に技術研鑽を継続する義務を負う』


 エルベルトから学んだ料理への姿勢を、必死に学術的な表現で綴ろうとする姿がそこにあった。


 時間が進むにつれ、リュカの中で何かが確実に変わっていった。周囲の視線や囁きが気にならなくなる。この試験を受ける意味、一級調理師としての責任、すべてが明確になっていく。


 最後の問題を解き終えた時、リュカは静かな達成感を感じていた。完璧ではないかもしれないが、十三歳の自分が持てるすべてを解答用紙に込めることができた。


「……時間です。筆記用具を置いてください」


 試験官の声と共に、午前の部が終了した。


 リュカは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。彼女の獣耳は疲労でわずかに垂れていたが、その表情には充実感が漂っていた。


「お疲れ様」

 アレクシスが静かに声をかけた。


「お疲れ様でした……」

 リュカの声は小さかったが、その中には確かな手応えが込められていた。


「それでは、午後の実技試験について説明いたします」

 試験官が再び前に立った。


「午後は二つの実技試験を行います。まず第一部として、受験者同士でペアを組み、指定された共通課題の料理を協力して作成していただきます。これは連携能力、対話能力、そして他者の技術を理解し活かす応用力を評価いたします」


 会場内がざわめいた。ペア実技は予想していなかった受験者が多いようだった。


「第二部では、個人でテーマに沿った料理を一品作成していただきます。こちらは純粋な調理技術、創造性、そして時間管理能力を評価いたします」


 試験官は続けた。


「ペア編成は受験番号順に行います。休憩時間は一時間です。昼食を取り、午後に備えてください」


 アレクシスがリュカを見た。

「どうやら僕たちは一緒になりそうだね」


 受験番号を確認すると、確かに二人は連番だった。

「昼食を取りながら休憩しよう。よければ一緒にどうかな? せっかく同じペアになれそうだし親睦も兼ねて」


 アレクシスの提案に、リュカの獣耳がわずかに前に向いた。午前中の試験を通じて、この青年への信頼感が確実に深まっていた。


「はい……ぜひ、お願いします」


 二人は会場を後にし、休憩室へと向かった。午後の実技試験、そして互いをより深く知る時間が始まろうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ