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第9話:色のない王子の激情


 実技試験が終了した会場内は重い沈黙に包まれた。


 受験者たちの料理が並ぶ調理台は、まるで戦場の跡のように、それぞれの奮闘の痕跡を残している。

 五人の審査員は、厳格な表情で会場を見渡す。


 彼らは王国料理界の重鎮たちで、その一言が料理人の運命を左右する存在だった。


「審査を開始いたします。各審査員から講評を行いますので、受験者は自分の調理台の前で待機してください」


 筆頭審査員の声が響くと、受験者たちは緊張した面持ちで自分の位置に着いた。


 審査は受験番号順に進められる。リュカとアレクシスの番号は最後の方だった。二人は自分たちの順番を待ちながら、他の受験者が審査を受ける様子を見守っていた。


「三十番、牛肉の赤ワイン煮込み。技術的には及第点だが、季節感の表現に工夫が見られない」

「三十一番、鴨胸肉のコンフィ。火入れは適切だが、独創性に欠ける」


 審査員たちの講評は簡潔で、時には厳しかった。

 彼らは一口味見をすると、短いコメントを残して次に移っていく。

 多くの受験者は緊張で顔を強張らせていた。


 リュカの獣耳は、審査員たちの足音と料理を味わう時の微かな音を拾っていた。

 彼らの反応から、各料理への評価がなんとなく伝わってくる。感心したような息遣い、困惑するような間、失望を示すため息──。


 そしてアレクシスは静かにリュカの横に立っていた。

 彼の銀青色の瞳は、リュカへの料理に対する、ある確信を得ていた。


 ──この子の料理は、本物だ。


 アレクシスの胸の奥で、この事実が燃えていた。


 リュカの料理を見た時、彼の中で十二年間封印されていた記憶が鮮明に蘇った。

 七歳の自分が、初めてエルベルトの料理に触れた瞬間。世界に色が付いた、あの感動。


 今日、リュカの料理を食べた時、再びその感覚が戻ってきた。

 胸の奥が熱くなり、何かが溶けていくような温かさ。


 アレクシスの拳が無意識に握りしめられる。


 ──僕の料理は『空虚』だ。でも、せめて彼女だけは──


「四十一番」


 ついに、リュカの隣の受験者の番になった。彼女の番はもうすぐだった。

 やがて、審査員がリュカとアレクシスの調理台に近づいてくる。


 五人のうち三人は、これまでと同じように公正な評価をする構えを見せていたが、残る二人の表情は明らかに違っていた。


 その二人──初老の男性審査員と中年の女性審査員──は、リュカを見るなり、顔をしかめた。


「……獣人か」

 男性審査員の声には、隠しきれない嫌悪感が込められていた。


「しかも子供。いったい何歳だ?」

「……十三歳です」


 リュカは小さな声で答えた。彼女の獣耳が緊張で後ろに倒れている。


 アレクシスの心臓が激しく鼓動し始めた。リュカの震える声、萎縮した獣耳──その姿に、彼の中で何かが沸騰し始める。


「十三歳で一級試験とは、ずいぶんと生意気な」

 女性審査員が冷ややかに言い放った。


「どうせ記念受験でしょう。時間の無駄だわ」

 その言葉に、リュカの体が小さく震えた。


 ──時間の無駄……?


 リュカの脳裏に、エルベルトの最期の姿が鮮明に蘇った。

 病床で痩せ細った手が、それでも優しく彼女の頭を撫でてくれた。

 周りから獣人だからと疎まれようが、蔑まれようが、それでも諦めなかった。

 お父さんが守ってきた『銀の厨房』を、私が守らないと──。


 『好きなように、生きなさい』


 リュカの脳裏に、エルベルトの最期の姿が鮮明に蘇った。

 病床で痩せ細った手が、それでも優しく彼女の頭を撫でてくれる。



 ──侮蔑の視線を向けられても、劣った食材を渡されても、私なりの一皿を作った。

 翡翠色の瞳に、悔しさがにじむ。獣耳が痛みを感じるように後ろに倒れた。



 ──でも、そんなことは関係ないんだ。私が獣人だから。子供だから。

 リュカは唇を噛みしめた。血の味が口の中に広がる。



 ──それでも、料理人として立っていなければ。

 お父さんが教えてくれた、料理への誇りを守らなければ。



 リュカは震える膝を必死で支え、背筋を伸ばそうとする。

 しかし、差別の言葉は鋭い刃のように、彼女の心を切り裂いていく。



「獣人の子供の料理など、見るまでもない」

 男性審査員は料理に目もくれず、そう断言した。



 ──見るまでもない?


 アレクシスの視野が赤く染まり始めた。


 ──あの劣った食材から、あれほど見事な一皿を作り上げた技術を?


「年齢も種族も考慮すれば、不合格は妥当でしょう」

 女性審査員も同調する。


 ──妥当?


 アレクシスの拳が震え始めた。


 ──何が妥当だ。君たちは料理を見たのか? 香りを嗅いだのか? 一口でも味わったのか?


「それに、こちらの青年は──」

 審査員の視線がアレクシスの料理に向けられた。


「魔素入り香辛料を使用している。食の安全性をまるで理解しておらず、危険極まりない」


「適切な技術もないくせに、見栄を張って。両方とも『失格』で構わない」


 その瞬間──


 アレクシスの中で、すべてが爆発した。

 これまで、灰色の世界で生き続けてきた孤独。

 『あの料理人』への憧憬と、自分には『心』がないという絶望。


 獣人の少女の料理に感じた、生きていることの実感。

 そして今、目の前で繰り広げられる理不尽な差別。

 すべてが重なり合い、胸の奥で燃えていた炎が一気に爆発した。





「ふざけるな!!!!」






 アレクシスの怒声が会場全体に響き渡った。

 その瞬間、会場の空気が凍りついた。


 調理器具を片付けていた受験者の手が止まり、金属製のボウルが床に落ちて甲高い音を立てた。誰も拾おうとしない。全員が息を呑み、信じられないものを見るような目でアレクシスを見つめていた。


 会場にいた他の受験者たちの顔には、驚愕と困惑が入り混じっていた。そして、リュカも突然の出来事に驚きを隠せていなかった。


 差別的な発言をした二人は、まるで雷に打たれたように硬直している。他の審査員たちは、困惑した視線を交わしながら、事態の収拾方法を探っているようだった。



 静寂が会場を支配した。



 アレクシスの荒い呼吸音だけが、張り詰めた空気を震わせる。まるで時間が止まったかのような、息苦しいほどの緊張感が会場全体を包み込んでいた。


「食べもせずに評価するとは何事だ!」


 アレクシスは一歩前に出た。その瞬間、彼の周りの空気が変わった。

 彼がこれまで教育として培われてきた、王族としての威厳ではない。純粋な『料理人』としての怒りが放つ圧倒的な迫力だった。


「その一皿に込められた想いを、味わいもせずに否定する権利があなた方にあるとでも思っているのか!」



 ──僕の料理には『心』がない。


 アレクシスの胸の奥で、静かな声が響いた。


 ──でも、『心』がある料理がどれほど尊いものか、僕は知っている。



 彼の銀青色の瞳が、炎のように燃え上がった。


「あなた方はそれでも料理人か? それとも偏見に凝り固まった、ただの差別主義者か!?」


 アレクシスの声は震えていた。しかし、それは恐怖ではなく、怒りによるものだった。


「彼女は──」


 彼はリュカの方を振り返り、その後再び審査員を睨みつけた。


「彼女は劣った食材にすり替えられても、文句一つ言わずに最高の一皿を作り上げた! その技術を! その努力を! その純粋さを! あなた方は何も見ようとしていないのではないか!!」


 アレクシスの拳が握りしめられ、関節が白くなった。


「私は今まで、多くの料理人を見てきた。王都で、学校で、街で。しかし、彼女ほど真摯に料理と向き合う人間を、他に知らない!!」


 ──これが、憧れ続ける者にできる唯一のことだ。

 アレクシスの声が一層大きくなった。


「あなた方は料理人の資格を問う前に、料理人としての品格を疑うべきだ!!」


「何を生意気な!」

 男性審査員が怒気を露わにしたが、アレクシスはひるまなかった。


「はっ、生意気だと?」

 アレクシスは笑った。しかし、それは嘲笑だった。


「私が生意気だというのか? 食べもせずに『時間の無駄』と断ずる方がよほど生意気ではないか!!!」


 彼の声は会場全体に響き渡った。

 アレクシスの銀青色の瞳が、鋭く審査員を貫いた。


 アレクシスの胸が激しく上下した。


 ──だから、せめて──


「彼女の料理を食べてから評価したまえ!! その上で判断するべきだ! それが、料理人としての、料理人への礼儀であろう!」


 会場は完全に静まり返った。

 受験者たちは息を呑み、審査員たちは言葉を失っていた。

 そんな中、他の審査員たちが駆け寄ってきた。


「何事だ?」


 筆頭審査員の厳しい声が響いた。

 アレクシスは深く息を吸い込み答える。


「審査員として不適切な発言があったため、抗議しています」

「不適切とは?」

「食べもせずに『時間の無駄』『失格』と断じました。これが公正な審査と言えるでしょうか」


 筆頭審査員の表情が厳しくなった。彼は差別的な発言をした二人の審査員を見つめる。

 差別的な発言をした男性審査員は、一瞬たじろいだが、すぐに顔を真っ赤にして反論した。


「筆頭審査! 私どもは調理の工程をみた上で審査を下しています! こちらの獣人は劣悪な肉を使い、この青年は魔素を使った香辛料を使いました。あまつさえ料理人として、彼らはしてはいけない選択をしているのです!」


 リュカに軽蔑の眼差しを向けていた審査員の一人が抗議する。


「失礼ですが、お二人は料理を味わいましたか?」

「味わう必要などないです! 獣人の──」


「それこそが問題なのではないかと、こちらの青年が言っているのだろう。獣人だろうが、ここにいる受験者の全ては、王国の食文化発展と権威に誇りを持っている料理人たちのはずだが」


「しかし……」

「試験の結果はどうであれ、味わうこともなく判断を下すのは尚早ではないか?」


「筆頭審査員! たとえ味が良くても、獣人の子供に一級資格を与えるなど前例が──」

「前例?」


 筆頭審査員の声が冷たくなった。


「我々は前例を守るためにここにいるのではない。真の料理人を見出すためにいるのだ」


「ふむ……」

 筆頭審査員はリュカが調理した料理を一瞥する。そして、その技術の高さを理解した。


「これが、劣った食材から作られたものか」


 筆頭審査員は慎重にフォークを手に取った。

 皿に近づくと、まず立ち上る香りが彼の鼻腔を刺激した。


 ──これは……?


 山椒の爽やかな香りが、肉の深い旨みと絶妙に調和している。初夏の朝の風のような、清涼感のある香り。それでいて、肉料理としての重厚さも失われていない。


 彼はゆっくりと肉を切った。ナイフがすっと入る。繊維に逆らわず、しかし崩れることもない、完璧な火入れ。切り口からは、薄いピンク色の肉汁がじんわりと滲み出てきた。


 一切れを口に運ぶ。

 その瞬間、彼の目が見開かれた。


 最初に感じたのは、肉の柔らかさだった。歯がすっと入り、噛むと繊維がほどけるように崩れていく。しかし、決して崩れすぎない。肉の旨みが口いっぱいに広がり、それを山椒が優しく包み込む。


 ──待て、これは本当に、あの劣った肉なのか?


 筆頭審査員は、もう一度じっくりと味わった。


 確かに、上質な肉特有の脂の甘みはない。しかし、それを補って余りある工夫がされている。肉の表面は香ばしくカラメリゼされ、蜂蜜の優しい甘みが肉本来の味を引き立てている。山椒は主張しすぎず、後味に爽やかな余韻を残す。


 そして何より驚くべきは、この統一感だった。劣った食材を使ったとは思えないほど、すべての要素が調和し、一つの完成された世界を作り上げている。


「これは……驚異的だ」


 ──この少女は、劣った食材の欠点を理解し、それを補う方法を瞬時に判断し、実行した。

 しかも、単に欠点を隠すのではなく、新たな魅力として昇華させている。


 他の公正な審査員たちも続いて料理を味わった。


「信じられない。この技術、この感覚……」

「十三歳でこれほどの料理を?」

「しかも劣った食材から、これだけの一皿を」


 形勢は一気に逆転した。


 差別的な発言をした二人の審査員は、黙り込んでしまった。他の審査員たちの称賛の声が、彼らの偏見を完全に打ち砕いていた。



 一方でアレクシスは肩で息をしながら、リュカを見つめた。

 彼女の瞳には、驚きと感謝が宿っている。しかし、アレクシスは動揺していた。


 ──なんだ、これは?


 アレクシスは自分の震える手を見つめた。胸の奥で、まだ何かが燃えているような感覚があった。怒り。純粋で、激しい怒り。それは七歳の時から感じたことのない、生々しい感情だった。


 ──僕は、怒った? 本当に、心の底から?


 彼は困惑していた。かつて王宮で「料理人になる」と宣言した時、貴族たちの嘲笑も、兄弟たちの軽蔑も、陛下──父上の失望も、何一つ彼の心を動かすことはなかった。


「王宮の厨房に入り浸っているらしい」

「何考えてるかわからない子だわ」

「第十一公子は頭がおかしくなった」

「王族の品位を汚す恥知らず」

「あの無表情な化け物が、ついに正体を現した」


 どんな罵倒も、彼にとっては遠い風の音のようなものだった。

 興味も感心も、傷つくことも、怒ることもなかった。

 ただ、灰色の世界で、淡々と自分の選んだ道を歩いていただけだった。


 それなのに──


 たった今日出会ったばかりの獣人の少女のために、僕は本気で怒った。

 それも自分ではなく、他人のために。



「君、名前は?」

 筆頭審査員がリュカに声をかけた。


「リュカ・ヴァレンと……申します」

「四十一番、リュカ・ヴァレン。素晴らしい料理であった」


 筆頭審査員がそう告げると、続いてアレクシスの料理に視線を移した。


「そしてこちらは……魔素入り香辛料を使用しているが」

 筆頭審査員が慎重に料理を味わう。


「完璧だ。毒性の除去、風味の調整、すべてが理論通り。この調理法は、古典調理だな。よく理解し、自身の技術として昇華させている。まさに、伝統と革新のような料理だ」


 他の審査員も感嘆の声を上げた。


「しかも、これほど高度な技術と料理への深い理解、この年齢で身につけているとは」

「まさに天才的な技量です」




 アレクシスは称賛を受けながらも、心にはどの言葉も届いていなかった。

 確かに技術的には完璧だった。


 魔素の扱いも、理論も、すべてが思い描いていた予定通りの完成度。しかし──


 ──彼女の料理には、僕にないものが確実にある。


 それが何なのか、まだ言葉にはできない。


 審査が終わると、審査員たちは別室で合否を協議するため退場した。会場には受験者たちだけが残され、重い沈黙が流れた。


 リュカは調理台に寄りかかり、安堵のため息をついた。彼女の獣耳は疲労で垂れていたが、その表情には確かな手応えがあった。


「お疲れ様」

 アレクシスが静かに声をかけた。まだ興奮が残っているのか、彼の頬は紅潮していた。


「そ、その……ありがとうございました」

 リュカは心から感謝を込めて答えた。


「あなたが庇ってくださらなければ、私の料理を見てもらうことすらできませんでした」

「当然のことをしただけだ」


 アレクシスは拳をゆっくりと開いた。


 ──これは、心配? いや、もっと別の何か──


 十二年ぶりに、自分の中に『あの料理人』の料理を食べた時のような「感情」が生まれている。

 それも、誰かのために。


「君の料理には、僕にないものがある」

 アレクシスの言葉に、リュカは首をかしげた。


「そんなことは……」

「いや、確実にある。それが何なのか、僕にはうまく表現することはできないけど」


 アレクシスは遠くを見つめるような目をした。


「今日、君の料理を食べた時、十二年ぶりに感じた。料理の本当の力を」

 リュカは彼の横顔を見つめた。そこには深い憧れと、同時に静かな決意が宿っていた。


「アレクさんの料理も素晴らしかったです……」

 リュカの素直な言葉に、アレクシスは苦笑いを浮かべた。


「技術だけなら、ね。でも、君には完敗だよ。これが料理対決であれば」


 アレクシスは震える手を握りしめ、深く息を吸った。灰色だった世界に、また少し色が付いたような気がした。そして、それは目の前にいる『獣人の料理人』という存在がもたらしたものだった。


 やがて扉が開き、筆頭審査員が現れた。手には結果を記した書類が握られている。


「合格発表を行います」


 会場内の空気が一気に緊張した。

 長い沈黙の後、筆頭審査員の口が開かれようとしている──




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