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第57話 死ぬより嫌なこと 

「はぁ……はぁ……」


 踊り場の床は氷のように冷えていて、うつ伏せに倒れている俺の腹や胸を容赦なく冷やしてくる。左腕は折れているのか、少しも動かすことができない。肩と太もも、左足からも大量の血が流れているのがわかる。


「ぎゎおおぉぉぉ」

階段の上から、恨めしそうなあいつの鳴き声が聞こえてくる。おそらく、上から俺を見ているのだろう。

 

「はぁはぁ……、危なかった」

 

 あと数秒、階段に飛び込むのが遅かったら確実に殺されていた。逃げ回る中で下への階段を見つけられたのは幸運だった。


「うっ! あぁぁぁっ!!」


 奴に噛まれた左足から激痛が届き俺は悶えてしまう。限界を超えてスキルを使ったため頭も割れるように痛い。師匠の元でレベルを上げていなければ確実に死んでいただろう。体力が底上げされているため、身体がぼろぼろでもまだ生きていられる。しかし、もう体も心も限界を迎えていた。


「うっ、ううーーーーー」


「あああぁぁぁぁーーーーーー」


 しばらくの間、痛みに耐えていたが痛みは治まらずさらに強くなってきてしまう。

俺の精神は徐々に崩壊していく。


(所詮無理だったんだ。俺なんかがルーナさんを助けるなんて……。痛すぎる……。もう限界だ……)


 むなしさや後悔。諦めや絶望。ありとあらゆる負の感情が心の底からこみ上げてくる。


(なんて俺は馬鹿だったんだ……。奇跡的にここまで来れたけど、これ以上進んだら確実に死ぬ。あのモンスターに出会った瞬間に終わりだ。他のモンスターだって、みんな俺よりはるかに強い……)

 

 冷静に考えると、いまどんなに自分が馬鹿なことをしているかわかってしまった。今まで考えないようにしてきた現実が俺に突き刺さってくる。


(じいちゃんの刀もないのに、俺なんかが救えるわけなかったんだ……。くそ、痛い……。これ以上は無理だ! )


 今までなんとか保ってきた。執念の糸が切れた。


 トラックに轢かれて死んだ時とは違う。一秒毎にじわじわと死に近づいていく感覚が怖くてたまらない。


 もう一歩だって前に進む自信が無かった。


「痛い……、怖い……、死にたくない」


 あまりの痛みに涙が溢れてしまう。心から帰りたい。全身を恐怖の心が支配していく。


「ぐぅあぁぁぁーー」

 再び津波のように全身に痛みが押し寄せてきた。もう1秒だって耐えていたくなかった。俺はたまらずアイテムボックスに手を突っ込み、帰還の翼を一枚手につかんで取り出した。


「もう無理だ」


 俺は帰還の翼を使おうとした。しかし、その間際、雪の日のルーナさんの姿が脳裏に浮かんだ。


 生きることに絶望していた俺に対して、女神のように優しくしてくれた。あのときの優しい笑顔が鮮明に思い浮かび頭の中に広がっていく。


 その瞬間、全身を貫くような衝撃が身体中に走った。


 俺は手に掴んでいた帰還の翼を固く握りしめ、右手を思いきり地面に打ち付ける。


「ばかやろう! ばかやろう! くそっ! くそっ! そうじゃないだろ!」


 弱い自分に支配されそうになる自分の心をねじ伏せるように、何度も何度も地面を殴りつける。


(あの人は、助けてくれた。見ず知らずの俺を……、誰もが見捨てた俺を……)


 人間なんて所詮は、自分のことしか考えないエゴイストのはずなのに……。あの人だけは俺を見捨てなかった……。あの人だけは俺を助けてくれた。こんなクズな俺を。


(なんのために、俺はここまで来たんだ! ルーナさんを助けるためだろ!! 逃げるなんてありえない!!)


「こ、ここで、逃げるわけにはいかない。たとえ命を落とすことになったって、あ、あの人だけは助けて見せる……」


 全身に再び、力が漲っていく。体の底から熱い思いが溢れてきて止まらない。


「死なせない! 絶対に死なせないぞ!!」


 俺は、地面に手をつきゆっくりと立ち上がろうとする。身体の痛みで頭がおかしくなりそうだった。眼からは自然と涙が溢れてくる。立ち上がった瞬間、急に目の前が真っ暗になり、俺は片足をつく。血を流しすぎているのかもしれない。


 しかし、もう不思議と心に迷いはなかった。ここで逃げ出すわけには絶対にいかない。胸の中で熱い何かが燃えていた。


「負けない! 負けないぞ! 助けるんだ! 約束したんだ!!」


 俺は自分に気合いを入れると、ゆっくりと立ち上がり、暗闇が続いている階段を再び降りて行った。

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