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第95話 忌み子の協定


 同刻。

 賢術の学府『万』裏、黒舞高原。


 点々と木々が地面に根を張っていた高原は、ものの数分で真っ新な更地と化していた。


 「まだ折れない?」


 僅かに息の切れた柊が目の前のツギハギ服の男へ問う。


 「まだ足らねぇぜ。だが、ここまで心躍る死闘は久方ぶりだ」


 獰猛な牙を覗かせながら、篤馬波論は毒麟芽爪を構える。


 両者の鍔迫り合いは見事なまでに拮抗しており、互いが相手への渾身の一撃を叩き込めぬままの泥沼死闘へと突入していた。


 「半分と言わずさっさと全力出せよ。虎殿のジジイには到底及ばねぇぜ、今のおめぇじゃあなぁ。俺に認めさせてみろや」


 だが、互いが相手への渾身の一撃を決められていなくとも、相手から受け続けた攻撃の余波などが蓄積しており、それが少しずつ両者を蝕み始めていた。


 特に波論の方には、常人ならば既に幾度か死んだであろうほどのダメージが蓄積している。柊の黒い術水をその身に浴び続け、それでもなお柊に引けを取らない屈強さは、忌み子ゆえの産物なのだろう。


 「逆に、おめぇの一〇〇パーセントに興味が湧いてきたぜ。次に出し惜しみしたら有無も言えねぇうちに全力で殺しにかかっからな」


 「問答無用。衝動も収まってきた。正真正銘、俺の全力、ありったけを君にぶつけるよ」


 柊が地面を蹴り、同時に術水の太刀を抜き放つ。


 「仮想実現」


 柊が波論の間合いの僅か外に到達した時、柊の目の前に術水で構築された剣が二〇本生成される。それらは一斉に放たれ、波論に牙を剥いた。


 「蝕め」


 波論が正面に突き出した毒麟芽爪より、猛毒が噴出される。それらは飛来した術水の剣の全てを瞬く間に腐らせ、壊す。


 (やっぱあの得物だけか、腐らせらんねぇのは)


 目の前に迫る術水の太刀に、波論は毒麟芽爪を突き出す。だが先ほどの鍔迫り合いの際、猛毒は術水の剣には有効でも、柊が直接掌握する術水の太刀には効かないことを波論は確認している。


 戦い始めは術水の太刀を腐らせた猛毒だが、柊本人の適応と黒き術水の顕現により、利かなくなっているのだ。


 (俺の毒麟芽爪とは勝手が違ぇだろうが、可能性を操る術印ってのがある限り、大抵の理屈は度外視してるってわけだ。その時点で既に規格の範疇にはとどまってねぇがな)


 電光石火の如く突き出された柊の術水の太刀を、波論の毒麟芽爪が受け止める。ジジジジッと火花を散らしながら互いに譲らぬ拮抗を、僅かに勝る膂力で波論が押し始める。


 (やっぱり、膂力じゃ敵わないかな)


 「完全体はその程度かよ?」


 瞬間、柊が身を捻る。


 一瞬だけ背中が向いた瞬間を狙い、波論が手刀を突き出した。


 「……!?」


 波論の手刀が柊の身体を貫いた。だが、それと同時に波論の肉体が袈裟懸けに切り裂かれた。大量の黒き血が吹き上がり、それを見た波論が目を見開く。


 (斬撃を食らった……いいや、奴が斬った動きは見せてねぇ。なら別の——)


 「謎だろ?」


 背中を貫かれた柊が術水の太刀を振るう。


 「おっと」


 顔面と僅か数ミリ間を開け、波論がその一閃を躱す。だが直後、波論の前頭部がスパッと切り離された。断面から大量の黒き血が散り、大地を黒く染め上げる。


 確かに波論は、柊の一閃を寸前で躱した。柊が振い終えた術水の太刀にも、黒き血は付着していない。波論の表情に、僅かに焦燥感が覗く。


 「【一秒過去の結果を強制する可能性】」


 柊が言う。同時に、術水の太刀を下段から振り上げる。それは斜め下から波論の胴体を狙う。


 「タネが割れねぇ——」


 波論がそれを身を捻って躱すも、一秒後、波論の胴体が半分ほど切断される。波論が地面を蹴り、大きく後退して柊から距離を取った。


 「さすがに過去の結果でも、君の強靭な肉体は真っ二つには出来ないようだね」


 「何をしやがった?妙な感覚だな」


 柊が術水の太刀をクルクルと振り回しながら律儀に解説を始めた。


 「俺の《顕現印(けんげんいん)》は自分と、対象にする相手の格によって、実現できる可能性の有無が決まる。極端な例えとすると、俺の相手が普通の人間と君とじゃ、圧倒的に君相手の方が俺に取って都合のいい可能性は実現しにくい」


 柊と、その対象の相手のレベルがどれだけ離れているか、と言うことだ。差が大きいほど都合のいい可能性を実現しやすくなり、逆に差が小さければ都合のいい可能性を実現することは難しい。


 「俺とおめぇじゃ大した差はねぇんじゃねぇか」


 先ほどとは違い、柊を警戒するように臨戦体制で構えながら、波論は言う。


 「その通り。俺が全力で戦ったとしても、俺と君の実力は拮抗するだろうね」


 波論の実力を評価することにおいて特筆すべきは、既に六割から七割の力を出して戦っている柊に対し、それと拮抗している波論の方はまだ一度も術式を使用していない点だろう。


 「俺は解濁嚢(かいだくのう)の権能により君の毒を受け付けない。でも、君の毒はあくまでおまけについてくるだけで、それ以外の膂力や爪があれば十分に俺を殺せる可能性がある」


 そこまでの考慮にて生じる様々な可能性が材料となり、結果的に柊は波論に対し、都合のいいような可能性を実現することが出来ない。


 「さっきの可能性とやらは、おそらくおめぇに都合のいい可能性だろうな。要は、それがどうして実現出来たのかって話だろ」


 「そう。君との会話や戦いを経て、俺は一つの結論に至った」


 柊が人差し指を立てて説明を続ける。


 「自身の未来を閉ざすことにより、《顕現印(けんげんいん)》は強化され、格差のない相手に対しても一時的に、俺にとって都合のいい可能性を実現出来る」


 「ほぉ」


 興味深そうに波論は柊の言葉に耳を傾けている。


 「それでも、一秒過去の結果を強制するので限界だったけどね。と言っても、未来の可能性をどのくらい閉ざすことになるのか。どれくらい未来の可能性を閉ざすことになるのかは分からないから、迂闊には行えない所業だけど——」


 柊が胸を張る。


 「それくらいの覚悟を示した方が、少しは君も認める気になるんじゃないかなってね」


 柊が実現したのは、柊が術水の太刀を振るった際、一秒前に生じた結果を強制する可能性。


 例えば先の場合、柊の一閃を波論は寸前のところで躱したが、それはその時点で波論が柊の一閃をそらしたために生じた結果なのであって、一秒前は違う。


 躱す一秒前は、これから柊によって術水の太刀が振るわれるであろう剣筋上に波論は居た。その時点では、そのまま柊の剣筋上を術水の太刀が振るわれ、波論はそのまま斬られると言う結果が生じる。


 一秒前には斬られる結果が生じ、そこから波論が動いた一秒後の結果が躱した、と言うことになるため、一秒前の結果を強制することにより波論を斬ったのだ。


 「洒落たもんだなぁ、その術印は」


 溢れんばかりの笑いを抑え込みながら、波論が溜息混じりに言う。


 「虎殿のジジイにはそれでも及ばねぇが、おめぇもおめぇで、枠から十分はみ出してやがる。想定外ってやつだなぁ」


 「俺は想定という範疇では測れないよ」


 波論がふっと息を吐くように乾いた笑みをたたえる。これまでにないほど満面の笑みだった。


 「少しは満足できたかな?俺の覚悟、生半可には受け止めないでほしいね」


 柊が術水の太刀を《顕現印(けんげんいん)》に収める。


 「はっ。完全体と言え、二〇そこらの青臭ぇガキがナマ言いやがる」


 波論が言った。


 「認めてやるが、おめぇの下につくわけじゃねぇ。あくまで対等だ」


 「それでいいよ。むしろ、協定を結ぶなら対等が良い」


 波論の身体の傷は、いかなる手段か、いつのまにか完治していた。だが、柊はそれに構わず波論の元へ歩み寄る。


 そして右手を差し出した。


 「協定の証に」


 波論は一つ溜息を吐き、口を開く。


 「そりゃまだ握れねぇな」


 「理由を聞いて良いかい?」


 右手を差し出したまま、柊は顔色を変えずに問う。


 「まだ信頼もねぇのに軽々しく手は握れねぇ。俺ぁ、そういう仮初だけの温もりは好かねぇんだ。真に互いを理解し、信頼できた時に、また差し出してきな。そん時ぁ、その手を取ってやるよ」


 ふっと笑い、柊は潔く右手を引く。


 「意外と不器用な優しさを持ってるね、君は」


 「単におめぇを信頼するに足らねぇだけだ。勘違いすんじゃねぇ。俺らが結ぶのはあくまでも協定だ。言葉なんざ、裏返すも壊すも簡単だからな」


 まさか、と言った様子で柊が目を見開いた。


 かくして、篤馬波論との協定を結び、柊の意地を賭けたとも言える死闘は幕を閉じた。

 





蓋世樹の戦いの最中、忌み子と忌み子が協定を結ぶ——

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