第94話 混戦
山蓋地区、蓋世樹の幹元。
蓋世樹が根を張る大地を、黒き爆炎が抉る。
「小癪なものだ」
朱色の紋様の入った制服を靡かせ、その燃える大地を歩くのは、餓吼影の配下の魔術骸、屍轍怪である。
足元に死体があれば構わずそれを踏み歩き、燃え盛る焔があればそれは屍轍怪の魔源に反応してさらに燃え広がった。
山蓋地区の蓋世樹調査中に強襲を受け、派遣された本部の賢術師十数名が黒灰と成り果てた。
ある者は焼かれ、ある者は貫かれ、ある者は引き裂かれた。僅かに息のある者も居たが、間も無く黒き焔に苛まれ、死んでゆく。
「矮小な賢術師を数匹寄越した程度で俺に敵うとは、我々も舐められたものだ」
屍轍怪が呟く。
それは、ただの独り言ではなかった。
「隠れているのなら悟られぬことだ。出てくるがいい」
屍轍怪の言葉は、とある人物へ向けられていた。蓋世樹の影からその朱色の制服を観察する人影が、屍轍怪の目の前に姿を現す。
本部指揮長、風原楓真。
彼の表情には、明らかな怒気が宿っていた。
「遅かったな、賢術師。先に来ていた賢術師どもは、全て殺してしまった」
淡々と事実を述べるように屍轍怪が言うと、楓真は眉間に皺を寄せた。
「先に任務が入った方の骸どもは蹴散らしてやったぞ。お前の仲間なんじゃないか?」
怒気の籠った声だった。
楓真の足元には、彼の部下の賢術師の亡骸が複数転がっている。
「波瑠明から聞いていた。お前が本部から江藤紗香さんのご遺体を盗み、あろうことか骸どもを孕む魔術骸にしてくれたそうだな」
まるで胸糞悪く、やるせない感情を全面に引き出すような声で、楓真は咎めている。
「憤っているな。死んだ人間など残しておいたところで役に立たぬだろう。それを最期の器として全うさせてあげたに過ぎない」
挑発するように屍轍怪が楓真を煽る。
「お前たちは、なぜ人間を弄ぶ?既に亡くなった人間の亡骸に悪戯に魔術骸を孕ませ、その苦悶に構わず強制的に産ませる行為ははっきり言えば非道だ。人道では到底あり得ない」
燃える大地に楓真が脚を踏み入れる。瞬間、大地をも焼く焔は楓真の脚に纏わりつき、足元から制服を燃やしてゆく。
だが、それも意に介さないといった様子で楓真はそこに留まった。
「これが、君らが味わった苦痛か。いいや、これ以上だろうな」
足元に転がるのは、楓真の部下の賢術師だ。
彼は、亡き同胞へと言葉を投げかける。
「君らが死んだのは俺の責だ。その咎はとても償いきれないが、せめて君らの死が無駄ではなかったと言えるように」
楓真は数メートル先の屍轍怪へ視線を向ける。
「《空鱗印》——」
言葉と同時に、楓真の全身から術水が放出された。
「深海にて轟く鐘楼は鱗となりて我を包み込む」
詠唱が行われると、楓真の放出した術水は楓真を中心に螺旋渦を巻き、魚鱗の如く楓真に纏わり付く。さながら鱗が成す鎧のようだ。
「燃やし尽くしてやる。《怨恨呪焔》」
ニヤリと口角を上げ、屍轍怪が掌に黒き火球を構築した。それは瞬く間に肥大化し、ついに視界には収まりきらないほどの爆炎球となった。
「受け止めてみろ」
人間の顔のような模様が表面に蠢く黒き爆炎が放たれる。楓真の頭上まで迫ったそれに、楓真は右手を突き出した。
「一式、[鹵赫鱗]」
瞬間的に広範囲に鱗の膜が展開される。それは黒き爆炎を迎え、瞬く間に包み込んだ。
黒き爆炎と、それを抑え込まんとする鱗の膜が威力を相殺し合い、バチバチと火花を散らしては鎬を削る。
「この蓋世樹に何のようだ?」
「我々魔術骸の時代の礎になってもらう。この樹は格好の適任だ」
意気揚々と屍轍怪は語る。
「人間を殺した挙句、その文明の象徴まで奪うと言うことか。どれだけ傲慢なんだ、お前たちは?お前たちの時代など訪れさせはしない。その野望を、無関係な俺ら人間にまで押し付けようとしてくれるなよ」
「無関係?ふふふ、ふはははっ。聞くに堪えぬ浅はかさだ。愚の骨頂とは、まさにこれだ」
屍轍怪が魔源にて弓を構築する。そこに黒き焔の矢を番えると、それを放つ。
「《呪滅穿矢》」
黒き爆炎を抑え込む鱗の膜に、《呪滅穿矢》が突き刺さる。
(瓦解している……?)
鱗の膜は楓真の予感通り、屍轍怪の弓矢にて穿たれた穴から瓦解し始める。忽ち半分ほどまで崩れた鱗の膜だが、楓真はその場から動こうとはしない。
「《空鱗印》、四式——」
(背後にこれを手放せば街が爆散する。この場で爆散すれば、俺の部下を巻き込むことになり、何より蓋世樹の根が張るこの大地をこれ以上燃やすわけにもいかないな)
黒き爆炎が鱗の膜を破ろうとしたその刹那。
「[折鱗囮災]」
鱗の膜の代わりに次は、鱗が格子状を成した檻が広範囲に展開される。それは黒き爆炎が楓真に迫る速度を遥かに凌ぐスピードで、それを包み込む。
「《歪鈍重力爪》っ」
その瞬間、楓真の真横に屍轍怪が現れ、同時に肥大化した爪を横一閃に振るう。
「そっちから来てくれるなら好都合だ」
先に楓真に到達した爪撃を、しかし楓真は寸前のところで鱗の膜を張ることで防いでいた。同時に、屍轍怪が驚愕の表情を浮かべる。
「俺の火球を……!?」
「抑え込むのに少々骨を折ったが、これしき、まだ足りないくらいだ。存分に食らえ」
楓真の手に、[折鱗囮災]の檻に囚われた黒き爆炎が圧縮されていた。そのサイズ、およそ千分の一程度だろうか。
「がぼほぉっ……」
楓真がそれを握った手で、肉薄した屍轍怪の腹部を貫いた。それを即座に引き抜くのと同時に、鱗の檻にて圧縮された黒き爆炎を屍轍怪の体内へ残す。
楓真が地面を蹴ってその場から退いた。
同時に屍轍怪の身体に開いた穴から眩いほどの光が漏れ出し、次の瞬間、派手に爆ぜた。
「ぬあああああ——」
屍轍怪の断末魔が絶える。蓋世樹の頂点まで届くほどの黒煙がその場に立つも、大地は燃えていない。それどころか今の爆発の余波で燃えていた大地は鎮火し、そこにはただ焦げた地面のみが残った。
「これが報いだ」
***
同刻、水園地区の蓋世樹。
こちらの戦局は蓋世樹を挟み、二つに分かれていた。
「宏紀副官。本部への連絡、完了いたしました」
「分かりました。ではこれより、私も魔術骸討滅に当たります」
クイッと眼鏡を上げながらその男は言った。
本部副指揮長、細川宏紀。
本部司令において、楓真に次ぐ権威と実力を持つ賢術師だ。
彼の目の前では、蓋世樹の根本に突如として出現した無数の中級レベルの魔術骸が街に溢れんとしていた。街を背負いそれを迎え撃つは、宏紀直属の部下の賢術師たちだ。
幾度となく術式が放たれ、骸たちを殺していくものの、減るどころかむしろ骸たちは先ほどよりも数を増やしている。
「なんだこの数っ!?」
「くそ、いくら殺しても減らないぞっ!魔術骸がまだ現れていないのが幸いだが、それでもこの数なら街に進出されるのも時間の問題だぞっ!」
凡そ数分にわたって無数に湧く骸の群れを殲滅し続けるも、既に賢術師たちの術水の消耗は想像以上のものであった。
「皆さんは暫し、休息を。ここは私が」
宏紀が前線へ出たのは、そんな時だった。部下の賢術師たちが皆、宏紀へ目を向ける。
「宏紀さんっ!」
「後衛はお任せ下さいっ!」
宏紀が前線へ出た瞬間、賢術師たちが安堵の表情を浮かべ、同時に後退する。
「殺り逃しはしません」
彼一人の目の前に、少なく見積もっても数百は下らんほどの骸が迫る。
「《幻縫印》——」
そう詠唱する宏紀の頭上で、どこからともなく現れた純白の糸が繭を作る。その繭はやがて握り拳程度の大きさになると、宏紀はそれを右手に纏った。
「二式、[糸肢鋸]」
詠唱を終えるのと同時に、宏紀が繭を纏った右腕を横一線に薙ぐ。
「ウオオオッ……」
「アアァァァッ……」
瞬間、骸たちの群れから絶えず聞こえていた呻き声が途絶えた。
「やっぱ、指揮長や副指揮長となれば別次元だな」
「あぁ……」
数百体はいたはずの骸、その全ての胴体が真っ二つにされており、全ての骸が死亡していた。
無数に転がる骸の死体群を見つめ、宏紀が言った。
「あなたたちは死体処理を。わたしが骸全てを相手しますので、そちらに専念して下さい」
凛々しい態度で宏紀が指示を出すと、背後で待機していた賢術師たちが即座に動き出す。主に《業焔印》の術者を筆頭に死体の焼却、処理を開始した。
その間も蓋世樹の根本付近から湧き続ける骸群へ、宏紀が睨みを利かせていた。
(なぜ蓋世樹の根本から……?)
再び宏紀の右腕が放たれた瞬間、目の前に広がる骸の軍勢が一瞬にして切り刻まれた。
(各地の蓋世樹で異変が起きていると聞きますが、それと関係はあるでしょう。しかし、どのように関係があるのか……?)
再び湧いて出た骸の軍勢も、宏紀は瞬きする間に全て切り失せた。
「蛆のように湧きますね」
宏紀が次々に骸を切り失せる一方。
蓋世樹を挟む反対側でも一つの戦局が展開されている。
「《蒼河印》一式、[永海領]っ」
広範囲に大地を覆う、飲み込んだものを分解する海が骸を次々に飲み込んでゆく。
本部の賢術師と共に骸の軍勢と交戦するのは、輪慧と希空である。
術水球破壊訓練の成果か、その範囲や飲み込む速度が以前よりも段違いに上がっている。
「希空っ、存分に使えっ!」
「言われなくてもっ!《戯憑印》一式——」
万物を飲み込み分解する海へ、希空が憑依する。輪慧の[永海領]から希空の憑依した一部が分離し、意思を持って稼働する。
「くっそ……にしても数が多い——」
一瞬だけ余所見をした輪慧の目の前に骸の爪が迫っていた。
「しまっ——」
「ウガアアアアアアアアアァッ!!?」
輪慧が身を屈めた瞬間、その骸の腹部を何かが貫き、その骸がその場にバタリと身を打ち付けた。
輪慧が見ると、数メートル先の混戦の中に見覚えのある賢術師が立っていた。
「ぼーっとするなよ、少年っ!」
「あ、ありがとうございますっ!」
本部出動部隊所属、古黒晃楽。
彼の術式が骸を穿っていたのだ。
「スピード上げろっ!骸の数が加速度的に増えてきているぞっ!」
骸の大群の中で混戦を強いられる複数の本部の賢術師と、輪慧と希空へ、晃楽が声を張る。
「「了解っ!!」」
混戦の最中だと言うのに、まるで打合せていたかのように賢術師たちは声を揃えた。それだけ団結し、骸の大群と戦えていると言うことの表れだ。
「《霊僭印》——」
晃楽が骸共の攻撃を悉く躱しながら、我が身に襲いくる骸たちへ反撃の鞭を振るう。
「——四式、弐。[珠烈乃蔓]」
鞭が目にも止まらぬ速さで骸たちを一息に薙ぐ。同時に味方を、そして己を鼓舞するよう、彼は再び声を張り上げた。
「来るんならどんどん来いやぁっ!」
続々と展開される戦局、続々と登場する新キャラ、新術式……




