第93話 蓋世樹
時を僅かに遡る。
蓮辺地区の山岳地帯。
「うわ、でっけぇ……」
俺らは正面の巨大な樹木を目の当たりにし、驚愕していた。
蓋世樹。
各地に存在する巨大な樹木のことをそう呼ぶ。長いものは数百年という歴史を持つことから地区の住民にとっては地区の象徴とされている場所も多く、また愛されている。
「にしても、聞いてた通り特徴的な形ね」
隣で玲奈がそう言う。
と言うのも、蓋世樹は玲奈の言う通り、特殊な形をしている。一般的な樹木は上へ行けば行くほど緑の王冠の如く生い茂るのが普通だが、蓋世樹はその逆だ。
つまり、根本の方へ行けば行くほど緑の衣を幾層にも纏い生い茂っているのだ。
上の方はどうなのかと言うと、緑黄を纏わぬ無数に分かれた枝がまるで噴水のように外側へ向けて広がっている。
巨大な樹木の根本から世界へ向けて根を張っているような堂々としたその姿には、まさに蓋世樹という名前が相応しいと言えるだろう。
「遥希くん、玲奈さん。そろそろ本部の賢術師の方々がいらっしゃいます。くれぐれも粗相のないように」
俺と玲奈と同行している圭代先生が俺らの顔を見て言う。俺らはそれに頷いた。
俺らがここに来たのは、本部と共同してとある問題を解決する任務のためだ。
象徴たる各地の蓋世樹がここ最近、次々と生い茂った緑黄を枯らしているのだと言う。
地区の保全団体とやらが調査を行うも原因解明には至らなかったと言うことで、魔術骸関連ではないかと、賢術師たちの方へ依頼が来たという。
「輪慧と希空は、確か水園地区の方だったか?」
「そうね」
黒舞地区に蓋世樹は無く、その他の蓋世樹のある地区へ俺らは疎らに配置された。二年生の先輩も何人かは、この任務に参加している。
「それにしても、蓋世樹に異変とは私も初めてですね」
蓋世樹を見上げながら、圭代先生がそう呟いた。
「そうなんですか?」
「えぇ。蓋世樹は歴史の長い象徴たる樹木。故に、その樹には様々な言い伝えや逸話があるとされています。例えば、この蓋世樹の逸話の一つに、『世界を支え決して潰えぬ樹』というものがあります」
蓋世樹の存在は知っていたが、逸話に関しては初めて聞く。
「樹木の葉の凋落は、その樹木が寿命を迎えたことを表し、同時に新たな季節の息吹きを感じさせます。ですがこの逸話によれば、この蓋世樹は違う」
蓋世樹の根本の枯れた葉へ視線を移しながら、圭代先生は続けた。
「蓋世樹の葉の凋落は、根を張る世界からの拒絶を表し、そうなれば永久に蘇ることはなく、樹木の季節は巡らず潰えることとなる。逸話の最後を締めくくる言葉です」
世界へ根を張ると言うのは比喩的な表現だと思うが、それがさも真実のように逸話に起用されたのなら、強ち間違いでもないのかもしれない。
世界という大規模な話でなくとも、少なくともその地区の大地全体に根を張り、支えていると言ったことも考えられる。
「蓋世樹が潰えたら、どうなるんでしょうか」
隣で玲奈が疑問を呈する。
「新生より決して潰えぬ巨大な樹木。一説によれば、それが潰えると世界の均衡が揺らぐと言われています。まぁ、本当に枯れてしまった時にどうなるのかは私も定かではありませんが」
目の前の蓋世樹の根本の緑黄が全て枯れるまでは、まだ時間を要するだろう。
全てが枯れ果て、この蓋世樹が潰えた時に何が起こるのか分からない以上、早いところ対策を考えなければならないと言ったところか。
「君が、圭代であってるかな?」
しばらく待っていると、俺らの背後から圭代先生を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、そこに一人の男が立っていた。厳格な網目模様の法衣を身に羽織り、胸には楓真さんと同じ紋章を付けている。本部の賢術師だ。
「初めまして。僕は六為刈馬。本部主帝右座を務める」
厳格な格好に似合わず、軽い口調でそう挨拶をした後、刈馬さんは圭代先生へ向けて手を差し出した。差し出された手を取り、圭代先生が口を開く。
「尾盧圭代です。よろしくお願いします、刈馬右座」
圭代先生の丁寧な挨拶を聞き、その後刈馬さんは俺らに視線を向ける。
「『万』一年、日野遥希です」
「同じく『万』一年、澪玲奈です」
俺らの自己紹介を聞くと、先ほどのように刈馬さんは手を差し出した。
最初に俺がその手を取る。
「よろしく、遥希、玲奈」
俺との握手の後、刈馬さんは玲奈へ手を差し出した。その時の仕草からして、とても丁寧な人だと伺える。
玲奈との握手を終えると、圭代先生が刈馬さんへ疑問を呈した。
「なぜ、本部の主帝右座ともあろうあなたが、任務へいらしたのでしょう」
確かに。
本部における主帝右座といえば、本部上層部でも三番目の権威を持つほどのお偉いさんだ。本部にとって重要な任務ならさておき、蓋世樹の調査をするだけの任務に、なぜ主帝右座である刈馬さんが参加しているのか。
「気になる?まぁ、気が向いただけさ。特に深い意味はない。強いて言えば僕は、育った地区の象徴たるこの樹を枯らしたくないと思ったのかもしれないね」
軽い口調で言うと、刈馬さんは蓋世樹へ目を向ける。その樹の全貌へ視線を一通り流すと刈馬さんは、うんうんと頷きながら言葉を続けた。
「それにしても、随分と生気を失っているわけだ。まずは原因を探ろう」
圭代先生が口を開く。
「分かりました。では、三方に分かれ、調査を行うのはいかがでしょうか」
「いい提案だね。僕は樹の反対側へ行くよ。君たちは自由に決めたらいいさ」
圭代先生の提案を聞くや否や、刈馬さんは颯爽と去って行った。蓋世樹の反対側へ向かったのだろう。俺らは刈馬さんを見送った後、圭代先生の話に耳を傾けた。
「私も初めてお会いしましたが、思ったより軽いお方のようですね」
全く同意見なので、それに俺と玲奈は頷く。
「私は右側を、君たち二人は左側を調査してください。何かあれば、すぐに知らせること」
「分かりました」
蓮辺地区の蓋世樹は、他の地区に比べてもとくに樹幹が太い。樹の周りを一周するだけで、数十メートルから百メートルほどになるだろう。
故に、三方向に分かれて蓋世樹の葉が枯れる原因を探ると言うわけだ。
圭代先生に言われた通り、俺と玲奈は最初の地点から左側へと移動し、所々に枯葉のある緑黄を観察する。
「って言っても、何をどう観察すればいいわけ?」
しばらく枝を摘み、いじっていた玲奈が問うてくる。かと言う俺も、よく分からず、回答に窮した。
「圭代先生によく聞いておくんだったな……」
一旦、任務を単純に考えよう。
樹の葉が枯れた原因を探すと言う至ってシンプルな内容だ。枝を折って中を確認するとか、色々やりようはある気がしてきた。
「とりあえず、枝の先っちょとか折ってみて、断面の色を確認してみよう。単純な栄養不足とかで枯れてるだけなら、枝内部の色が悪いはずだ」
「確かにね。でも、蓋世樹の枝って折っていいの?」
「んー……」
折って何か影響があるのかと俺も考えた。だが蓋世樹は特殊な見た目や、超巨大な全長を持つと言う以外はただの樹木と何ら変わりない。
ましてや、枝の先端を折るくらいなら、おそらく影響はない。そもそも、これほどの巨大な樹木、その程度なら痛痒にもならないだろう。
「ま、大丈夫だろ」
「なんかあったらあんたの責任だからね」
そう言い捨て、玲奈は早速目の前の細い枝に手をかけた。と、その時だ。
「ん?」
携帯が鳴る。
よく見ると、輪慧から電話がかかってきていた。
「どうした?」
輪慧は答えない。代わりに、明らかに焦って走っているような息づかいが聞こえてきた。
「おい、輪慧っ?」
『お、おぉ、遥希っ!そっち何かあったか!?』
「いや、ないけど——」
輪慧の問いに答えた、その瞬間だった。
ドゴオオオオオオォォンというけたたましい音と共に、地面が揺れた。ただ立っているだけで蹌踉めくほどの地響きに、俺らは目を見開く。
「い、今の何っ!?」
玲奈が言う。
「輪慧っ!そっちで何が——」
『——印》っ!!三式——』
輪慧の声で、術式を詠唱する声が聞こえた。
あちら側で、何があったのか?
先ほどの地響きはなんだ?
「うおっ!?」
再び、ズガアアアアアアァンという地面を抉るような轟音が聞こえてくる。先ほどのような地響きはないものの、見てみれば、蓋世樹の幹が大きく揺れていた。
音に驚いたか、蓋世樹に止まっていた小鳥たちが次々に飛び立ってゆくのが見える。
「遥希、とりあえず行ってみましょ」
「そ、そうだな」
輪慧のいる方でも何かが起こったのだろう。とりあえず俺は輪慧との通話を切り、音のした方向へと急行した。
章の第一の山、蓋世樹戦線の編が開幕するのです——




