第83話 攻撃と思考の兼行
多方向からの一斉攻撃、逆に長時間に渡る一点集中への集中火力の二種の方法を行っても、空を覆う術水球には傷一つ付けられない。
闇雲に術式を浴びせても術水が先に枯渇するのは自明だった。
「くそ……こんだけ浴びせて無傷かよ……」
柔らかきは受け流す——想像以上の防御力だ。
受け流すと言うか、その術水球は術式を食らった瞬間に忽ち飲み込み、内部で勢いを殺しているのだ。
下からの攻撃は無意味であると断定し、俺らは次に、学府の建物を登って横と上からの攻撃を試した。
結果は言わずもがな、壊れるどころか傷一つ入る手応えさえ皆無だ。
「はぁ……はぁ……」
あれこれ試すうちに息は切れ、術式の精度も下がっていく。休憩しては次の策、休憩しては攻撃方法を変えて何とか術水科に傷一つでも入れてやろうと奔走するも、全く成果は無い。
「いくぞっ!」
俺らは校舎から飛び跳ね、術印を空に描き、完全詠唱を成す。そして術水球の真横から渾身の一撃を叩き込んだ。
「《乱乱舞炎翔》っ!」
「《殲噛魚群》っ!」
「《洸怨爆撃殲》っ!」
総じて荒れ狂う二つの五式と一つの三式。
滝の如き業火が注がれ、術水球の表面を焼く。続いて群れを成し鋭牙を剥く魚群が術水球の表面に深く噛み付く。そこへ広がる透明の波紋——聴かせた敵を殲滅する呪いの唄が爆裂し、視界一面が黒煙に支配された。
「これで……」
黒煙が濃く、なかなか明けない。
だが、数秒後、輪慧が眼下を指し示した。
「あ、あれっ!」
俺と澪は、輪慧の指し示す方へ目を向ける。
黒煙が広がるそこから、蒼白い鱗粉のようなものが輝きながらひらひらと地面へ落ちてゆく。
鱗粉のように見えたそれは、柊先生の術水だ。
「削れたってことか……!?」
黒煙が開け始め、うっすらと術水球が見えた。全員が渾身の力で放った術式が一点に着弾した場所に、僅かに穴が空いていた。
「やっと削れた……」
「で、でも……」
削れたと言えど、術水球全体としての割合は、僅か一パーセントにも到底及ばない程度だろう。
至近距離で一点に、俺ら三人が渾身の術式を叩き込んでそれなら、全てを削るには考えるだけで気の遠くなるような時間が必要だろう——否、ほぼ不可能と言えよう。
「やっぱ頭使わないとダメか……」
「って言っても、何を考えればいいのよ。頂点以外の場所には特に何の変哲はなかったし、まだ探っていない頂点にも遠くから見たら何も無いように見えた……」
術水球の頂点へ登るためには、身体を浮遊させて直接見に行く必要がある。
だが、そこまで登り切るまで術水を放出し続け、それを巧みに操作しなければならない。
視界にすら収められぬほどの超巨大な術水球の半分ほどまで登ることができた程度で、その倍の技術を要するとなると、その場しのぎで成せるほど甘い世界では無いのは明らかだった。
「術水球を瓦解させる核ってのが頂点にあるとすれば、そこまで登れるほどの技術を身につけるまでこの授業は終わらせることはできないってことだな。いやいや、地獄だな」
頂点へ登れるほどの技術を身につけるとなれば、どれほど時間がかかるかは分からない。
それでも、術水球を破壊するよりは楽かも知れないが、それまで授業が終わらないとなれば色々と不都合であることに変わりはない。
「俺らが頂点の方まで登れないって、流石に柊先生は分かるよな?それか、本当に何日でも待つつもりでいるのか?」
「授業にしては過酷すぎる。柊先生は、僕らに一皮も二皮も剥けるような機会を与えたんだと思う。それなら、頂点にゴールがあったとしても不思議じゃない。まして、あの捻くれ者の柊先生だ」
あり得ない話ではない。
どの道、あらゆる角度から思考を巡らせなければ、この授業を乗り越えることはできないだろう。
思考を凝らすも、それを実行すれば撃沈し、三人の渾身の一撃を一点に叩き込んでもリターンはほぼ無に等しい。
「頂点を見ないことには案も浮かばないな……どうにかして登る方法は——」
輪慧が苦言を呈すと、同時に遠くの方から俺らの方へ走ってくる人影が見えた。
目を凝らし、人影を見る。
「みんなー!待たせてごめーんっ!」
遠くから走ってきたのは、希空だ。
「クラス分けの件、学長と柊先生と話してたの。それで遅くなっちゃって」
「あぁ、その話今日だったのか」
俺がそう言うと、希空は頭上の術水球を仰ぎ見る。
「でっかいね……あれを破壊するって話?三人でやってみた感じ、どうなの?」
策を講じて切れた息を戻し、また策を講じる。
俺は、何やかんや過ぎた苦悩の一時間の成果がほぼ皆無であると言う事実をありのままに希空に伝えた。
「——ってわけで、頂点をまず探んないといけないんだが」
「なるほどね……」
話を聞いただけで明らかに絶望的だと感じたか、希空の表情は時間が経つごとに曇っていくばかりだ。
だが直後、その表情の曇りに日が射したように、彼女は唐突にパッと表情を明るくさせた。
「《戯憑印》で何とかできない?」
「どうって?」
俺が問うと、澪は溜息を吐いて言った。
「察しが悪いやつね……」
「人を食った顔ってこう言う顔を言うのか」
澪の表情を見て輪慧が横から口を挟む。
「要するにあれだろ。前の実技試験の時の要領で、あの術水球に憑依して、あわよくば頂点の様子を希空に見てもらおうってことだろ?」
察しがいいねといった具合に、希空が輪慧を見てウィンクをする。
「あ、私の説明奪った」
「取る取らないってものじゃないだろ別に」
何の小競り合いか知らんが、とりあえずその方法を試してみるしかないだろう。
「と、とりあえずモノは試しだ。希空、お願いできるか?」
「もちろんっ」
そう言うと希空は早速、術印を展開して術水を放出する。
「《戯憑印》一式——」
詠唱と同時に、希空は術水にて自身を浮遊させる。そのまま一直線に上空の術水球へ飛び、目の前のそれに指先を触れた。
「[術奪憑依]」
手中に収めた術に憑依し、意のままに操る術式だ。術水球に触れた指先から希空の身体が見る見るうちに溶け、そのまま術水球へ吸収された。
「あとは、柊先生のあの巨大な術水球をどんだけ自由に扱えるかにかかってるな。憑依するって感覚がいまいち分かんないが、希空が頂点まで見れるならそれだけでも収穫だ」
輪慧の言葉に頷きながら、俺と澪は頭上の術水球を静かに見守った。
動きがあったのは、その凡そ二分後だった。
「……ん?」
巨大な蒼白き術水球の各所に、無数の黒い斑点が現れ始めた。それらの斑点の動向を見つめていると、斑点は次第に一点——術水球の底に集まってきているのが分かる。
「避けた方がいい?あれ、なに?」
「希空……か?いや、なんだ……?」
黒い斑点はやがて底一点にまとまり、円の形を象った。すると、その黒い円が術水球から出っ張り、餅のように俺らの方へ向かって伸びて来た。
『……聞こえるっ!?』
「希空かっ?」
出っ張って伸びて来た場所から、希空の声が聞こえた。出っ張りの先端に、憑依して溶け出した希空の意識が何かが集中しているのだろう。
輪慧がそれに応じる。
『柊先生の術水だからか分からないけど、長時間はこの状態を維持出来ない……持ってあと二、三分ってとこかしら……。頂点は見て来た。それ以外にやって欲しいことがあったら今のうちに言って』
憑依は無事に出来たが、それを維持するのが難しいと言う話なら、成すべきことは今のうちにやっておくべきだ。それは輪慧も分かっていることだろう。
「めちゃくちゃでっかい術水球だから全部は見切れないかも知れないけど、出来るだけでいいから、内部に何か無いか見て来てくれっ!」
『分かったっ!』
輪慧の要望を聞き入れた後、伸びて来た術水球の出っ張りは猛スピードで戻ってゆく。希空の意識が再び術水球に戻って行ったと言ったところか。
「他にないよな?頂点と内部以外は見たし」
「うん。多分大丈夫……だと思う」
見落としている点は無いかと、少々自信無さげに答えた澪だったが、巨大であるだけでただの球体に変わりはない。
道理で考えれば球体の表面に複雑な構造などあるはずはなく、その可能性がある内部も希空が見て来てくれるなら、見逃している部分などはない。
そう考えるのが、最も妥当だ。
「憑依にも、やっぱり限界ってあるのね」
「そりゃそうだな」
どんな力にも限界があるのは当然だろう。
ましてや、まだ未熟な一年生。柊先生の術水が強すぎるのもあるだろうが、あれほどの術水の檻に閉じ込められたとなれば正気の沙汰でもないだろう。
『あぁ、もう限界っ!!』
三分待つと、先ほどのように黒い円を象った場所から餅のように術水球の一部が伸びて来た。
そして、その先端の黒い円が目の前で止まると、そこから希空の声がした。
『もうダメ……出るから少し離れて』
前置きの後、その黒い円を先端とした伸びた部位が途中で途切れ、地面にぼとりと落下した。
落下した術水球の塊が溶け、その場に倒れた人型を象った。その人型は最初、表情のない人形のように硬直した様子だったが、その後時間が経つと、次第に希空の体へと戻って行った。
「あぁ、キツ過ぎ……」
人の姿に戻った希空が起き上がり、苦言を呈した。
「頂点にも、内部の見に行ける浅瀬にも、何にもなかった……」
「浅瀬?」
澪が端的に聞くと、希空がすぐに答えた。
「そう。あの術水球、潜ったら海みたいに広いの。で、球体の中央部まで見に行こうと思ったんだけど、中に行けば行くほど、深海の方へ潜っていくような感覚って言うのかな」
あの巨大さなら、希空の言ってることはわかる。
最も俺が潜ったわけではないが、球体の中央に行くほど深海に潜るようなイメージとは、ここまでわかりやすい表現もないだろう。
与えられし、明らかな無謀だろっ!?って試練——




