第7話 矜持と愉悦
同刻、賢術の学府『万』。
「ご機嫌麗しゅう、『万』の諸君。吾輩は如牟。以後お見知り置きよう」
「ここに何の用だ、魔術骸。ここが賢術師の学校ってこと、忘れたか?生憎、今は一年組が出張に行ってるから俺たちが相手するぜ」
「ふむ。どうやら今の貴様らは吾輩の存在を周知していぬ様子だな。それもそうか、最後にここを訪れたのは実に六〇年以上前だったからな」
如牟は顎に手を当てて考える様に言う。
「虹、俺とお前でやるぞ」
「眞樹、稔、託斗は任務で手払ってるか。仕方ない」
「一年の試験会場に襲撃が入ったらしい。近くでちょうど任務を終わらせた眞樹と稔はそちらに向かい、託斗はまだ任務の途中だと」
『万』二年、白鳥虹と神野流聖が如牟と対峙する。
「ったく、ここは俺たちで片付けるぞ。行けるか、流聖」
「さっさと終わらせるぞ」
虹と流聖が如牟に向かって駆け出した。
「話も碌に出来ぬとは愚か者め。仕方あるまい」
「《神髄印》」
「《蒼河印》」
二人は術式を発動し、如牟に一斉にそれを放つ。
「白夜の牢獄——」
如牟の両腕が中央から裂け始め、肥大化した掌が牢獄の様に象られる。二人の放った術式は、如牟の腕の先の牢獄に捕えられ、即座に鎮圧した。
「何だっ!?」
「俺たちの術式が鎮圧され——」
「極光の世界——」
如牟を只者じゃないと察した二人は空を蹴って後退しようとする。
しかしその瞬間、如牟の背中より黒く澱んだ漆黒の壁が這い出て来た。それは瞬く間にドーム状に広がっていき、捕らわれまいとする二人の身体を包み込む。
「貴様らはここで始末しておくも、悪くあるまい。目的完遂のため、貴様らにはここで退場して貰おう」
漆黒の壁が忽ち二人を包み込む。
その深淵で、如牟は静かなる微笑みを浮かべていた——。
***
「《顕現印》仮想実現」
男に連れ去られそうになった瞬間、上空より詠唱が響いた。俺と男が上を見上げると、そこには柊先生が浮遊している。
直後、俺とその男の間に、突如として蒼白き壁が構築され、俺とその男は隔たれる。
「おっつ〜、日野と澪」
「柊先生……!」
「やっぱ駆け付けて良かったみたいだね。で、状況は?」
柊先生は開いていた術印をそのままにして、俺に聞く耳を立てる。
俺は事情を一通り説明した。契約のことを全般。聞くと、柊先生は何かを考える様に顎に手を当てる。
「ふーん、日野を狙う謎の魔術骸ね……何がともあれ、ここで討伐しておいていいかな。日野、澪と廃墟の外に出ておいて」
「わかりました」
柊先生の邪魔にならないようすぐに澪と共に廃墟を出ようとすると、柊先生が俺を呼び止める。
「あぁ、廃墟の中の骸は一掃しておいたから。試験は一時中断ね」
「はい」
俺と澪は柊先生に場を任せ、急足廃墟の外へ向かう。柊先生の言う通り廃墟内の骸は一通り一掃されており、その亡骸も綺麗に処理されていた。
「……さて、うちの生徒を狙う変態骸。敵は君だけじゃないよね」
術水の壁が解かれる。
柊先生とあの男が対峙したのだけ、少しだけ見えたが、逃げたらやがて外が見えて来た。
***
「何だこいつ?」
同刻。
廃墟の深部で、尾盧と姫狗の前に謎の魔術骸が出現した。
「我、濤舞様ニ従エシ骸ナリ」
「濤舞?誰のことだ?」
「濤舞様ヲ知ラヌ輩、何ト不遜デ、マタ愚カ者ナリ」
その魔術骸は自身の口に手を突っ込み、体内を漁る様に腕を動かす。絶え間なく垂れ落ちる唾液を見て思わず息を飲む姫狗だったが、あくまでも油断せぬ様、目は見離さなかった。
「グボボボボッッ……」
次の瞬間、魔術骸の口から巨大な歯車が取り出された。何を隠そうにも、唾液だらけで正直汚物にしか見えないが。
「我、司リシ魔術ハ、万物ノ流レを歯車ニテ司ル魔術。ソレ即チ——」
魔術骸が取り出した歯車を、握っているだけなのに重そうにギギギっと右に回す。
それの動きに合わせる様に、尾盧の右腕が右の方向に歪み始めた。
瞬間、バギッと鈍い音が空間に響き渡る。
「ぬあああっ!?」
尾盧の右腕の肘部の骨が折れていた。
「お、尾盧くんっ…!?」
「——スデニ貴様ラハ、我ガ手中ニ掌握サレテイルト言ウコト」
魔術骸は再び口に手を突っ込み、続けて歯車を取り出す。しかし、それをみすみす逃す訳にはいかなく。
「《戯憑印》二式っ![憶術展憑依]っ」
過去に憑依した記憶を媒介にして情景を展開し、その中にある術式に憑依する——姫狗は過去の尾盧の[殲噛魚群]に憑依する形で攻撃を開始する。
「憑依ノ術式……ナルホド。貴様ガ姫狗希空デアルナ。話ニ聞イテイルガ、ソノ実力見セ——」
[殲噛魚群]の姫狗の鋭い一撃が、魔術骸の右眼を貫いた。
(畳み掛ける——っ!)
圧倒的な量の魚群を駆使して魔術骸の身体のいたる部位を噛み潰す。
「他ノ賢術師ノ術式ヲココマデ我ガ物ニスルトハ、サスガニ、アノ柊波瑠明ガ育テ上ゲタ生徒ヨノ」
瞬間、[殲噛魚群]が歪み、四方八方一斉に引っ張られる様な形で引き千切られた。
「————!?」
「未ダ幼キモ、強キ賢術師。シカシ、我ガ眼前ニテ既ニ敗北ハ決定致シタモ同然。我ガ魔術ガ前ニ平伏スガイイ」
魔術骸が歯車を二回回す。
同じ動きが、姫狗の腕の骨が二回折れると言う形で無情に行われた。
「痛っ!?きゃあぁっっ——!?」
響く断末魔に、されど魔術骸は歯車を回し続ける。 その度、尾盧と姫狗の身体のどこかの骨が鈍い音を立てて折れる。
「一息ニ殺スノハ、何トモ面白ミニ欠ケルトイウモノ。我ガ至高ノ時、断末魔ヲ聞カセテクレ」
「お前、狂ってるな。くははは……人外の怪物って名がピッタリだな、クソ野郎」
尾盧が立ち上がる。恐怖に屈せず、逞しく。
「我、困惑。貴様ハ、ナゼ恐怖ニ屈セヌ。珍シイ人間ヨノ。面白イ」
歯車が一度回る。尾盧の首が二〇度ほど右へ曲がった。このまま首の骨を断ち、トドメを刺すつもりだろう。
横目で見ながら、尾盧はそれでも引かない。
「僕にも……プライドってやつがあるからさ。何で入学早々、ましてや試験なんかで死ななくちゃいけないんだって、ずっと思ってるけどな……」
全身の骨を折られた尾盧と姫狗に、よもや術式を使えるほどの余裕はない。
尾盧は最早、死を目前にして笑うしかなかったのだ。
「下ラヌ矜持…。我ハソレヲ嘲笑シ、愉悦ニ浸ルノデアル。セメテ遺言クライ——」
「遺言を残すのはお前だな、クソ歯車野郎。首だけになってもまだそんな豪語するのかよバカめ」
魔術骸と尾盧の言葉の間、その刹那の間に、誰も気が付かぬ間に、魔術骸の首が刎ねられていた。
「いやー、こりゃ全身いってるね、骨」
首と体が別れた魔術骸の首に足を乗せて立っているのは、柊波瑠明だった。
「ほら、二人とも外に出るよ。ごめんね来るの遅くなっちゃって。帰って由美か登能に頼んで治してもらおう」
術水で全身の骨が折れた尾盧と姫狗を浮遊させて、柊は歩き始める。
「——待テ…。貴様、柊波瑠明ダ……ナ……」
「うっわ、首だけになっても喋んの?キンモ、流石魔術骸と言ったところかな。生命力だけはパないっぽいね。でも、どのみち終わりだよ。あの二節棍の男は殺したし、生徒もこれで全員救出。君たちの目的は分からないけど、鎮圧されたら意味ないよね」
柊は床を転がる首を見下し、再び右脚で踏み付けた。
「ヌゴォッ……」
「言っておくけど、この廃墟の中は既に俺の術式の支配下にあるから。君たちが何をしようとしたってその魔術は無効化されるからね。歯車回してる暇あったら、もっと頭回して戦略考えてよ」
柊は魔術骸の体から歯車を取り上げて観察する。
「魔術はこれか。歯車と対照の動きを連動させて、君の指定した動きを強制する魔術……こんなひっどい魔術見せつけられて、生徒たちがトラウマなんかになっちゃったらどうすんの?」
柊は握った歯車をいとも容易く粉砕する。そして、踏み付けた首に再び視線を向けた。
「じゃ、時間ないから。バイバイ」
「ソンナ!待ッ——」
ぐしゃりと、柊はその首を踏み潰した。鮮血が散り、辺りを赤く染める。
直後、首を潰された魔術骸の体が霧の如く消え去った。サラサラの砂が風になって消えるように。
「へぇー。死んだら消えるって事は——」
柊はそこで、初めて尾盧と姫狗が気を失っていることに気が付いた。
「……後でもう一回来て調査しよ」
そう独り言を言い残し、尾盧と姫狗を術水で浮かせながら柊は廃墟を出た。
キャラの喋り方を分けるのって大変ですね、キャラが被っちゃいそう。