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第69話 明けぬ夜


 『万』には生徒専用の寮棟が二ヶ所存在している。


 理由として有力とされているのは、三年生の生徒に舞い込む任務の量が関係しているという説だ。即ち、一、二年生より迅速に情報伝達を受け、即座に行動が出来る建物の構造が好まれるのである。


 その説を最も有力たらしめるのは、三年生専用の寮内部の構造である。


 部屋の扉の鍵の開け閉めは遠隔で行うことが出来、部屋から直接外部へ通じる緊急用ハッチも常備されている。また、廊下や部屋の壁に等間隔に複数の無線が常備されており、任務が発令された際に特定の無線にだけその情報が伝達される仕組みが搭載されている。


 『万』含め、賢術の学府は今から数百年ほど前に、国によって設立された機関であり、その真意を知る者は現在残って居ない。



 ***



 決してこの世界を楽観視して居たわけじゃない。


 夜寝付く度に思い出されるのは、あいつらと過ごした日々。その数々が反芻するのだ。まるで、脳に穴を開けられメモリを流されるかのように、鮮明に。


 歩夢のように、幼馴染だったやつも居た。


 さも兄弟のように毎日遊んでいたやつだって。


 幼き日の思い出は、歳を重ねるにつれて希薄になっていくものだが、俺にとってそれは、思い出したくなくても思い出してしまう呪詛のようなものだ。


 思い出の中にあいつらが出てくる度、言われている気がするんだ。


 ——何でお前だけ……。


 ——のうのうと生き延びてるだなんて……。


 ——俺らがどんなに悲痛な思いのまま死んだか知らないで……。


 どす黒く淀んだような、俺を憎むような声が聞こえてくる。意識的に否定しようとしても、それを悠々と突き抜けて、耳元で囁かれているように、俺を卑下するあいつらの声が聞こえてくるのだ。


 (歩夢……何処に居やがるんだよ……)


 「學、入るよ」


 「はい」


 ベッドに腰掛け、脳内を反復する声が消える。


 扉を開けて部屋に入ってくる柊先生の呼びかけに反応したからだ。


 「學、明日歩夢の捜索が再度行われる。行方が分からなくなったあの荒野の周囲を中心に、先の捜索よりも大幅に範囲を広げて。本部から、學も歩夢の捜索に参加するようにって話があったよ」


 「俺が、ですか?」


 「そう。同じ学年の學なら歩夢捜索で役に立つんじゃないかってね。あぁ、學一人じゃないよ。俺と久留美さんも同行するから」


 歩夢が行方不明になってから八時間。


 二時間ほど前に今日の捜索は一度終了し、明日の早朝から再度捜索が行われると言う話だ。一も二もなくその申し出に了承する。


 「わかった、本部に伝えておくね。早朝からの捜索になるから、今日は早く寝なよ」


 そう言うと、柊先生は部屋から出て行こうと俺に背を向ける。


 しかし、一歩踏み出したところで再び踵を返し、俺を振り向いた。柊先生の言葉に、返事をしなかったからだろう。


 「歩夢のこと心配なのは俺や久留美さん、他の後輩だって一緒さ。でも、何年も前から一緒にいた學の悲しみはそれ以上で、俺らじゃとても測りきれないと思う」


 柊先生は、そう言いながら椅子を持ってきて、ベットに座る俺と対面になるよう腰掛ける。


 「こんな話は気分じゃないかもしんないけど、學と歩夢は、仲間を失う悲しみを知ってる。一年生、二年生よりもね」


 正直気分じゃなかったが柊先生は、まるで俺に悟すように喋る。


 「二年前の事件で、學と歩夢はこの世界の厳しさ、そして残酷さを思い知った。それでも、この世界に残り続けたのは、なんで?」


 「……は?」


 柊先生の質問の真意を読み取ろうとするが、真っ直ぐと俺を見る静謐な瞳に、思わず目を逸らした。


 いや、そこに真意などはないのかも知れない。


 あるいは、その質問に対する俺や歩夢の真意を聞こうとしているようにも見えた。


 「俺は……」


 「うん」


 俺の回答をゆっくり待つと言わんばかりに、柊先生は俺をまっすぐに見つめている。


 俺は無意識に俯瞰して居たはずの自分の顔を上げ、柊先生のことを見た。優しく柔らかな表情に、俺の緊張感は少し解けたような気さえする。


 「家族、幼馴染、支えてくれる人々、罪のない人々を、この手で守るためです」


 俺はそう答えた後、深呼吸をして続けた。


 「確かに俺は、二年前の事件でこの世界の厳しさを知った。だからこそ、もう二度とあんな思いは誰にもしてほしくないから、悲しい思いをする人々をもう見たくないから、賢術師として戦うことを決めました」


 俺の話を聞き、うんうんと頭を上下に振りながらも、柊先生は柔らかな表情を崩さない。


 なにか惹きつけられるものがあるのか、俺は肩の力を抜いて真意を話す事ができた。


 「たった一人、歩夢がいなくなっちまって、俺ってやつは。二年前の事件の記憶から最悪な連想をしちまって……。俺、二年前の事件から、声が聞こえるんです」

 

 「声?」


 「はい」


 今は聞こえない。柊先生の柔らかな表情を前にリラックスが出来ているからだだと思う。


 だが、柊先生が去れば、その声はまた脳内を反芻することだろう。


 「事件で生き残った俺を否定する呪詛みたいで。そんなこと、あいつらは言わないってわかってはいるんすけどね。何すかね、これがトラウマってやつかな」


 「過去の出来事を覆すことはとても難儀なことだ。こう言う時の決まり文句かも知んないけど、過去を変えることは出来なくても、過去の失敗から学び二度と同じ失敗を繰り返さないことはできる。失敗……いや、無力ゆえに引き起こされた悲劇とでも言おうか」


 「失敗……悲劇……」


 「過去の教訓は人の中で生き続け、教訓は人を鼓舞するための礎の一部になる。明日の歩夢捜索の結果がどうであれ、この世界に残ることを決めたのなら腹を括るんだ。それも、未来へ繋ぐ教訓だ」


 柊先生の言葉が深く刺さる。

 全くその通りだと思う。


 一方で、一刻も早く歩夢を見つけたい思いと、残酷な結末を迎えたくない思いが拮抗して止まないのだ。


 「トラウマを解消することも、また難儀だ。俺の術式でどうにか出来る問題ではない。それを克服するには数多の苦労が必要だと思う。少し厳しいことを言うね。トラウマの本質は、トラウマの元となった苦い過去に囚われているだけの未熟な自分自身なんだよ」


 柊先生の言葉に俺は目を見開いた。


 「未熟な自分自身……ふっ、だいぶ刺さりますよ」


 自虐的な笑みが不意に浮かび上がる。


 反論などできる余地もない。柊先生の言葉が的確過ぎる故だ。


 今の俺は、過去の失敗から学ばずにそれをただのトラウマだと決めつけ逃げてきた、未熟な人間に過ぎなかったのか——。


 「仲間を捨てろとは言わない。俺だって歩夢のこと、一生徒として大切にしてるつもりだし、何かあれば守る気ではいるよ。ただ、この世界の厳しさを知ってる學なら、俺の言いたいこと分かるよね」


 「……はい」


 歩夢が無事かどうかは分からない。どこかで生きていることを願うのは当然のことだが、柊先生の言わんとすることも理解できる。


 歩夢が、もし、既に死んでいたとして、それで新たなトラウマを背負って生きていくのか否かを、柊先生は問うているのだ。


 「未熟な自分(トラウマ)を乗り越えたいなら、殻を破らないといけない。結果が如何なるものであろうと、前を向いて邁進するのみだよ。わかったね」


 柊先生は、おそらく俺をただ諭しているのではない。


 俺自身が自分で気が付かねばならないのだ。


 柊先生は、自分自身の理念を淡々と語る。そこから得た言葉を教訓にし、俺を前へ進ませる為に。


 「はい。柊先生、ありがとうございます」


 「長話しちゃったね。もう寝なよ、明日は朝早いからね」


 柊先生がそう言いながら腰を上げる。同時に俺も立ち上がる。柊先生はそそくさと部屋の扉を開けると、おやすみね、とだけ言い残して部屋を出て行った。


 「おやすみなさい」


 そう応え、俺は部屋の明かりを落とす。


 (無力さを嘆くのではなく、無力ゆえの努力と決断をするんだ。未熟な自分(トラウマ)を乗り越えられるのは、俺自身なんだから)


 ベッドに寝転び、背筋を伸ばす。


 一人になった途端、また脳内であの声が聞こえてきた。


 ——何でお前だけ……。


 ——姑息に生き残っただけの無能が……。


 ——役立たず……。


 部屋の暗さも相まって先ほどより悍ましく。



 俺を闇へ引き摺り込もうとする慟哭の如き声が何度も反芻する。


 「でも、やっぱ無力って悔しいな」


 脳内で淡々と繰り返される声。


 俺はその一つ一つに意識を向け、寝付けずなかなか明けぬ夜を過ごした——。



 

 

 

未熟な自分を乗り越え、前へ進めるのか——

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