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第66話 軋轢


 某所。


 「無様な姿だ」


 薄暗い空間に一つの影。


 紺色のマントが靡く輪郭の中に、蠢く黒の刺繍が施された制服を隠す男が進めていた歩を止めて言った。


 「逃ゲ延ビタノダカラ不問デアロウ、餓吼影」


 少々乱れた制服を直しながら餓吼影は、目の前に横たわる堕雨を凝視する。


 しばらく餓吼影が目の前の醜態を眺めると、窮屈そうにも堕雨が嘴を開いた。


 「深淵夢境(ラビリンス)ハ秩序ヲ失ッタ。今ヤ、我ニスラアノ(さい)ヲ沈メル事ハ叶ワヌ」


 「柊波瑠明に突破されたらしいな。なかなかどうして脆く、図体ばかりの領域だったと伺える」


 餓吼影と堕雨が会話を交わす中、そこへ一人の男が突如姿を現した。


 空間に前触れもなく入った亀裂からヌッと姿を現したのは、死棘帝である。


 「やぁ、無欠なる暴虐者」


 亀裂より(いで)て、死棘帝は訝しげに餓吼影を睨む。堕雨の方を向き、死棘帝が問うた。


 「どうなっている、堕雨。なぜ、餓吼影(こいつ)がここにいる?」


 ひどく疲れた様子で身体を丸める堕雨だが、死棘帝の言葉には即座に反応した。


 「詰マルトコロ、我ヲ煽リニヤッテ来タト言ッタトコロダ。深淵夢境(ラビリンス)デ異常ガ発生シ、秩序ガ失ワレタ。死棘帝ヨ、貴様ノ領域ニ影響ガアルヤモ知レヌ」


 まるで解せぬと言った様子で、死棘帝が腕を組んだ。


 「腑に落ちぬ。誰の仕業だ?」


 「賢術師、柊波瑠明——。貴様ハ初耳カ?」


 死棘帝はしばらく考えると、神妙そうな面持ちで言葉を発する。


 「太古(いにしえ)の柊の末裔か。癪に障る。なぜ太古(いにしえ)の大家の末裔が、こうも現代に溢れていると言うのか」


 死棘帝は言う。


 「五五〇〇年前の大戦で《悪意の瑕疵》が討たれ、それから荒む世界の波を掻き分け、ようやくこの現代まで生き残った骸の残党が、そいつらに続々と狩られている。このままではどうなるか、想像に難なくないのは確かだろうな」


 死棘帝の言葉に食い気味に餓吼影が反応を示した。


 「《悪意の瑕疵》が討たれたのは序章に過ぎない。五五〇〇年と言う気の遠くなるような長き歳月を経て、我々は復権しつつある。忌胎津姫きたいしんきさえ立ち上がれば——」


 「それは結果論だ」


 理路整然と死棘帝が述べる。


 「そもそも《悪意の瑕疵》が滅ぼされた時点で忌胎津姫を蘇らせることは厳しい状況となった。《悪意の瑕疵》を優先せねばならぬことは自明の理であると、お前も分かっているはずだ」


 「解せぬ。よもや《悪意の瑕疵》をどのように復活させると言うのか。《悪意の瑕疵(アレ)》と忌胎津姫は共鳴し合う関係だ。我々の勝利には《悪意の瑕疵》と忌胎津姫の二つの存在は不可欠と言いたいのだろうが、先に優先すべきは忌胎津姫の方だろう」


 餓吼影と死棘帝が互いを睨む。そしてしばし、一触即発の緊迫した静寂が訪れた。


 居心地が悪そうな口ぶりで、しかし堕雨は口を開いた。


 「《悪意の瑕疵》ト忌胎津姫ノ復活ヲ目指スナラ、マズ成スベキコトガアルダロウ。目障リナ賢術師ノ殲滅——柊波瑠明ノ無力化モ視野ニ入レネバナラヌ。サモナクバ我モ、貴様ラモ諸共殺サレ終ワリダ」


 「柊波瑠明とやらの規格が知れぬ。余が出てやっても良いが、万全を期すならばさらに時間が必要だ。餓吼影、お前と言い争っている時間は掛けられぬ」


 死棘帝はそう言うと、手刀を空に振い、そこに亀裂を作り出した。


 「そのマスケットで未来の一つでも切り開いてみよ、弾禍の銃腕」


 吐き捨てながら、亀裂を両手で開くと、死棘帝はそこへと姿を消してゆく。それを見届け、餓吼影が溜息を吐いた。


 「私の推論が当たっていると言う確証はない。だが、昔から勘だけは鋭いのでね」


 言い捨てるように餓吼影は言葉を切る。そして堕雨を振り向いた。


 「深淵夢境(ラビリンス)ガ秩序ヲ失ッタ今、我ハ貴様トノ交渉ハ——」


 「まだやり口は残されている。結論から言えば、お前は私に一つ虚勢を張った。お前は、昔も今も、柊國俊の呪いに囚われていたのだ」


 核心をつかれたといった驚きを、堕雨は隠せずにいた。


 「ナゼソレヲ……」


 「お前ははかの大戦の数十年前に、柊國俊により彼の夢の中に封印された。柊國俊が死んで幾年月が明け、ようやく封印から解き放たれながらも、結局彼の夢の中から、彼の呪縛から逃れることはできなかった」


 堕雨は黙り込むが、餓吼影は言葉を続ける。


 「だが、お前は私との交渉の後、その呪縛から現実世界へ逃れる方法を実行し、それを成し遂げた。それが深淵夢境(ラビリンス)を使った方法だろう」


 「全テ見通サレテイル訳カ。ソノ推測ハ正シイ」


 堕雨が立ち上がり、餓吼影を凝視する。餓吼影の二倍の体躯だが、その影に隠れた餓吼影の表情に変化はない。


 自身の二倍の体躯を前に平然としているのだ。


 「だが、お前が現実世界に進出した後に深淵夢境(ラビリンス)は破壊された。現実世界と夢境を繋ぐ深淵夢境(ラビリンス)が破壊されてなぜお前が夢境へ戻れたのかは分からぬがな」


 堕雨は訝しげに餓吼影を睨み続けている。


 「我自身ガ現実世界ニ進出スルコトハ叶ワナカッタ。深淵夢境(ラビリンス)ヘ出タノハ、我ノ本質ヲ含マヌ分身傀儡——我自身ハ夢境ノ中ヨリソノ傀儡ヲ操作シ、ソノ傀儡ガ現実世界デ活動シテイル間ハ夢境ノ中ノ我ハ行動出来ヌ上、現実世界デ傀儡ガ死ネバ、結局我ハ夢境ニ囚ワレタママダ。結局、敵ニ情報ダケ伝エテ何一ツ得ルコトハ出来ナカッタ」


 「ほう。私の解釈とは若干異なる訳か」


 餓吼影は踵を返してゆるりと歩き出す。


 「交渉など端から求めぬ。だが、私は別にお前の邪魔などせぬ。何か言いたいことはあるか?」


 歩きながら餓吼影が言うと、堕雨が口を開く。


 「貴様ノ目的ハナンダ?」


 堕雨が言うと、餓吼影が進めていた歩を止め、堕雨を振り返る。


 「それを聞いて、お前に何ができる?」


 「何ガ出来ルカハ貴様次第デアロウ」


 「お前を配下に取れと?」


 一瞬押し黙ったが、堕雨は続ける。


 「力ヲ示ス。我ト戦イ、ソノ適正ヲ存分確カメルガ良イ」


 「ほう。面白いことを言う。お前が負ければどうする?力を示せず終わったならば、どうする?私に勝てる見込みがあると言うのか?」


 射抜くような餓吼影の視線が堕雨に突き刺さる。だが、堕雨は引かなかった。


 「分カラヌ。ソウ、何モ分カラヌカラコソ、我ハ現代世界ヲ学ブ必要ガアルノダ。シカシ、我ハ結局現実世界ヘト進出スルコトハ叶ワナカッタ。我ガ現実世界ヘト進出スルコトヲ手助ケシテクレルノナラ、我モ貴様ノ目的達成ノ為尽力スルト誓ウ」


 徐に餓吼影が問う。


 「——敵は誰だ?」


 迷いなく、堕雨はその問いかけに答えた。


 「敵ダト?敵ナド、イツデモ賢術師ノ連中一択デアロウ」


 堕雨の返答に口角を上げた餓吼影が掌から魔源を放出する。溢れた魔源は長い棒状に形を変える。


 そして完成したのは長銃だ。


 「良かろう。利害の一致があるのなら交渉の余地はある」


 「我ガ勝テバ貴様ノ配下ニ。貴様ガ勝テバ交渉決裂。ソレデ良イ——」


 ルールを提案する堕雨の言葉を、餓吼影が食い気味に抑する。


 「待て、お前が勝ったらお前が私の配下に着くのか?素直に勝者に敗者が従属すると言う交渉でも構わない。それで良いな?」


 「貴様ガソレデ良イノナラバ構ワヌ。ソノ代ワリ、我ガ勝テバ確ト約束ハ守ッテモラウ」


 「無論だ。勝敗はどちらかのギブアップか死を持って決するものとする、で良いか?」


 「死ヲ持ッテ……ソレデハ交渉ニ——」


 「安心しろ。私は私の銃で撃ち抜いた者ならば陣展魔術で蘇らせることができる。存分に殺されるが良い」


 餓吼影が言うと、堕雨の全身から魔源が溢れ出す。既に戦闘体制だ。


 「行カセテモラウ。セイゼイ、後悔セヌヨウニナ」


 「こちらの台詞だ。全力で来るがいい」

 

 




七夢の堕雨の提案に餓吼影が口角をあげる——

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