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第60話 煮え滾る想い


 数時間後、東阪廉斗の訃報が私の元に届いた。


 自分の無力さを嘆き、戒め、また新たに前を向こうとしていた矢先のことで、私はもう立ち直ることが難しい状態にまで追い込まれた。


 私は兄が帰ってきた時、兄に謝ろうと思っていたのだ。それすらも叶わず、兄はこの世を去ったと知らされた。


 「……學の言う通りだった……」


 以前、學に言われた言葉を思い出して強く後悔した。


 兄とはもう二度と話せない。謝ることも叶わない。共に戦っていくはずだった多くの仲間、先生を失った。精神的に衰弱しきっていた私は、次の日から自身の部屋に引き篭もるようになった。


 「歩夢、飯食えよ」


 どこか気まずそうに、學が扉の向こうから私に話しかける。


 引き篭もって二日。食事もろくに摂らず、いっそのことこのまま餓死しようとしていた。


 「……何でこんなことに」


 もう、どうやって立ち直ろうか分からなかった。


 自分の感情を抑えきれずに自分の身体を無意識に引っ掻いたり殴ったりしていて、時間が経つごとに痣が多くなっていく。


 血も滲んで痛いのに、それをも凌駕するほどの無力感と後悔が私の身を蝕むのだ。


 「……死にたい」


 學が何度も何度も私の名前を呼ぶ。


 でも、無理に扉を開けるようなことはしなかった。學なりの気遣いだろう。


 しかし、そんな私に転機が訪れた。


 それは引きこもり始めてから間も無く四日。空腹で衰弱しきっていて、もう間も無く死ねると思っていた時だった。


 「あーゆーむー!!」


 そう陽気に私の名前を呼ぶ声が聞こえた。


 喋る気力すらなかった私は、それに返答しなかった。しかし、その人は普通にガチャリと扉を開けて部屋の中へズカズカと入って来た。


 「初めまして、だよね?」


 そこにいたのは、黒髪で爽やかな顔をした長身の男の人だった。見たことはない。


 「やべ、死にかけじゃん。迦流堕〜、飯〜!」


 「飯だと?何でそん——」


 もう一人部屋に入って来た人は知っている。迦流堕先生は床に寝そべる私を見るや否や血相を変えた。


 「あ、歩夢っ!?め、飯か、分かった」


 迦流堕先生はすぐに部屋を飛び出すと、ものの数分で鍋のようなものを持って来た。


 それは湯気の立つ暖かい粥だ。


 「寮監に聞いたら今食料切らしててこれくらいしか作れないって」


 「いや、つなぎにさえなれば良い」


 「お、おう」


 迦流堕先生から鍋に入ったお粥を受け取り、その男は私の身体を起こした。


 身体を動かす気力がなく、抵抗できない私に、その男の人は暖かい粥を食べさせる。


 時間が経つにつれて腹が満たされていき、しばらく休むと、歩けるほどまで回復した。


 「……あなたは」


 私は、そこで初めてその男の人に名前を聞いた。


 「俺は柊波瑠明。まぁ、また後で話そうよ。今は寝て休まないと」


 「……何で助けたの?死にたかった……のに」


 「あぁ、それなんだけど。ここに来るより先に、詩宮學って子に会ってさ——」


 そこで、學が柊さんに言ったことを聞いた。


 「あんな必死にお願いされたら、無碍にするわけにはいかないからね。それに、もともと事情は知ってるから、何となく察してた部分もあるけど」


 「學が……」


 「良い子だよ、あの子は」


 『俺も辛いけど歩夢はもっと辛い。何度も部屋の戸を開けようとしたけど、歩夢に何と声をかければ良いか分からなくて、勇気も出なかった。何度も死のうとかと葛藤を繰り返していくうちに、何が正解なのか分からなくなっていた。でも、やはり歩夢には死んでほしくない。柊さん、勇気もない俺の代わりにあいつを救ってやってください』


 ——と、泣きながら、柊さんに縋り付きながら學は懇願したという。


 その話を聞いて、私は思わず涙を流していた。


 「さ、お話はまた後でね。一旦休養を取らないと」


 「は、はい……」


 その後柊さんに連れられ、私は治療室へ。


 由美先生の《癒抗印》による治療を受けた後、眠りについた。



 ***



 「廉斗はね、妹想いの良い奴だったんだよ」


 「……はい。みんなからそう聞いてました」


 悲劇から一日が明け、日の光が窓から差し込む治療室。自暴自棄になって痛めつけていた自身の傷は《癒抗印》によって癒え、落ち着いて柊さん……柊先生と話せる時間が出来た。


 「廉斗が一年の頃だから、二年前?俺が担任だった全術科に彼は入学して来た。その時から無意識に術印の使用や術水操作が出来るほどの才能を持っていて、正直驚いたよね」


 「……才能」


 ぼそっと呟くと、柊先生はそれに反応した。


 「廉斗が持っていた才能は、やがて彼を天才せしめた。廉斗は一年生の時点で、その代の三年のトップ成績者を凌ぐ量の任務を完遂した。一年の時点で任務完遂総数は四三件。一年の平均である二〇件を大きく上回る記録で、当時は本部でも注目されてたんだよ」


 私は、廉斗は成績なんて碌に残していないものだと勝手に思い込んでいた。でも、それは大きな間違いだったと気がついた。


 「廉斗はね、それだけの成績を残しておきながら、歩夢の前では劣等生を演じていたんだよ」


 「……え?演じていた?」


 衝撃的な柊先生の言葉に、思わず私は聞き返す。


 「俺、気になって聞いたんだよ。そしたらさ——」


 『あいつ、小さい頃から人一倍負けず嫌いで。俺が良いことすると、それ以上に良いことをしようとして突っ走っちゃったり、無理したりするんですよ。でも、これから歩夢が踏み込もうとしてるこの世界は、その無理一つで簡単に命を落としてしまう物騒な世界です。俺が成績を残してると知れば、歩夢はそれに負けまいと多少の無理は厭わないどころか、死に急ぐような真似をしちまう気がするんです』


 ……まさか、私のため?


 『少なくともあいつが一人で任務をこなせるようになるまでは、俺は劣等生のままで良いんですよ。そうした方が、歩夢が安心してこの世界に踏み込み、多くの人を救う立派な賢術師になると思うから——』


 「——って。やり方間違ってますかね、って聞いて来たけど、俺も廉斗がそうしたいならそうすれば良いって言ってやったんだ。歩夢、君は兄が嫌いかも知れないけど、それでも廉斗は君のことが愛おしくて仕方がなかったんだと思うよ」


 それを聞いたって、私の罪が晴れるわけじゃない。


 私のために劣等生を演じて来た兄を軽蔑し、兄の話したいという願いを軽々しく一蹴し、挙げ句の果て、私はこれを兄に謝りたいという願望も叶わない。


 ——なら、私が出来ることは一つじゃないの?


 兄は、死棘帝と呼ばれたあの男に殺された。


 「……廉斗を殺した魔術骸を、殺す」


 「ん?」


 意外な言葉だったか、柊先生はチラッとこちらを見た。


 「兄を、廉斗を殺した死棘帝っていう魔術骸……あいつを殺して、せめてもの報いになるようにしたい。どうすればいいの?」


 「覚悟が決まったって顔してるね。その顔、廉斗とそっくりだ。ちょっと待ってて」


 そう言うと徐に椅子から立ち上がった柊先生は治療室を出て行った。


 負の感情は人間の冷静さを掻き乱し、それを否定する。どこかで聞いた言葉だが、まさに今、私はその状況に置かれていた。


 少なくとも、私は感情的になっていた。


 でも、これからは感情的でいるべきじゃない。負の感情を静かなる怒りへ。


 廉斗を殺した魔術骸を殺し、兄の代わりに復讐を果たす。それがせめてもの贖罪になると信じて突き進むだけ。


 そんなことを密かに思っていると、数分もしないうちに柊先生が治療室へ戻って来た。背後に一人引き連れている。


 「ええと?」


 「紹介するよ。俺の一年先輩の、須藤久留美さんでーす!」


 スラリと整えられて卸された長髪が特徴的な男性だ。その人は私に向かって挨拶をする。


 「衰弱しきっていると聞いていたのだが、どうやら問題はない様子よの。申し遅れた。我は須藤久留美。この度、波瑠明とともに君たち一年生の担任を務めることになった」


 「は、始めまして……」


 「ふむ」


 久留美さ…久留美先生は私の挨拶に頷くと、私の目の前まで来てその場に膝立ちになって私と向き合う体勢を取る。


 「東阪廉斗の《蒼河印》は目覚ましき代物であった。それはあたかも、猛る海の支配者の如く。彼の成し得た境地に、君も辿り着いてみたくないか?」


 「兄が成し得た境地……?」


 「そうである。運命か、はたまた宿命か、君は幸いにして《蒼河印》の使い手。加えてあの東阪廉斗の実妹よ。我の下で学び励むならば、きっとその極地に辿り着ける」


 かもしれないと濁してくれた方がまだ良かったなと思ってしまうが、私は久留美先生の言葉を信じることにした。


 廉斗がどれほどの実力を持っていたのか、彼が辿り着いた境地とは何かは分からない。


 でも、私は廉斗以上の実力を身につけねば、死棘帝(やつ)を倒すことはできない。


 そう——。



 ***



 廉斗を超えなければならない。


 目の前の死棘帝(こいつ)を殺すために。己の身を案じている余裕など無くなった。


 一瞬、頬を通った涙が落ちたその瞬間、私の槍に貫かれた廉斗の幻影は消え去った。


 「束の間の再会を噛み締めろ」


 嘲笑するように死棘帝はそう言った。


 瞬間、私の身体は強い衝撃を受け、そのまま下の床に叩き付けられた。背から伝ってくる衝撃と激痛が私の思考を鈍らせる。


 「束の間……?」


 私は言葉を溢した。


 「廉斗の意志は私と共に——」


 高まる胸中の鼓動が鳴り止まない。

 

 「……死に際の廉斗(やつ)を見ているようだ。良いだろう」


 死棘帝の声が響くと、天井の眼球がそれと同時にゆるりと閉じた。


 そして、もう一度開くと、その中から凄まじい魔源のオーラが放出される。


 「《終幕を齎す翼(ラスト・ステージ)》」


 オーラと共に現れたのは、かつての姿をした仇敵。


 黒き漆黒の鎧を身に纏い、背に翼を携えた死棘帝が、床へ降り立った。


 「東阪廉斗を殺した、この姿で妹も葬ってやろう。余の領域内では余の意が絶対だ。矮小な汝に手が届くほど低き壁ではない」


 「分かったけど」


 目の前の仇敵へ、私は言い放った。

 

 「それを超えるって、私は言ったんだ」


 廉斗への贖罪を賭けた死線へと、私は踏み出した。

 

 

 

 

 

すべては亡き兄への贖罪。報いるため仇敵へ挑む——

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