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第59話 無力さを嘆く


 「……廉斗?」


 刹那の静寂。

 だが、歩夢には長い時に感じられた。


 歩夢の視界に映るのは、掻き上げた短髪にスゥっと通った鼻筋の美貌を持つ成年が、自身の突き出した三叉槍で貫かれた姿だった。


 歩夢には、その成年が自分の実兄、東阪(とおさか)廉斗(れんと)であるとすぐに分かったのだ。歩夢の目から一線の涙が流れ、頬を通り落ちた。



 ***



 二年前。


 「廉斗、今日も任務?」


 「あぁ。帰りはちょっと遅くなるかな」


 私には、二つ年上の兄がいた。


 私は兄のことを名で呼び、物心ついた頃から一度としてお兄ちゃん、と呼んだことがなかった。


 なぜなら、私は兄を尊敬していなかったから。


 「それより歩夢。一回でいいんだ、俺を『お兄ちゃん』って読んでくれないか?」


 「はぁ?何でよ」


 「なんだ、愛しの妹の『お兄ちゃん』を聞けば、もっと頑張れる気がするな〜なんてな」


 「キモい」


 このとき、私は兄に軽蔑の眼差しを向けた。


 兄はそんな顔しないでくれよ、なんて言ってたけど、大した成果も残さず、毎日ヘラヘラとしている兄の姿がどうしても気に食わなかった。


 兄の同期の先輩は、いい奴だよ、とか色々言ってるけど、シスコンで弱い兄など尊敬に値するわけないと思っていたのだろう。


 「寮での生活には慣れたか?」


 「まぁね」


 「そういえば、一年生はもうすぐ初任務の時期じゃないか?」


 「まだ一ヶ月も先の話だし」


 兄は、私があからさまに吐き捨てる様に適当に返事をしても、嫌な顔一つしなかったのをよく覚えている。


 私が賢術の学府『万』に入学してあっという間に二ヶ月が経過した。


 兄は相変わらず頼りなくて、私は段々と兄との交流を浅くしていき、ある時を境に一切私たちは話すことがなくなった。


 「歩夢、廉斗さんが話したいって呼んでたぞ」


 同級生の學が私に言った。


 私は二つ返事でそれを拒絶した。そこで學から何かを言われていたが、兄についての話は聞くだけで嫌になるくらい、当時の私は兄を嫌っていた。


 「昔からだけど、お前廉斗さんのこと嫌いすぎじゃないか?いい人だぞ」


 「……みんなはそう言うのよね。でも、実際に兄妹になってみればそんな考えはぐるっと変わるよ。情けない兄。無理だと決めつけたことには向き合うことすらせず、任務とかでも大した成績は残さない。挙げ句の果てにそれを恥ずかしいとも思わずヘラヘラして……」


 「俺らはまだ知らない世界だ。実際に任務に出てみれば、俺らはもしかしたらすぐに死んじまうかも知れない。少なくとも自分でそれを確認するまでは、そんな侮辱はするもんじゃないと思うけどな」


 そう吐き捨てるように言い、學は私の目の前から去った。これが、他者には理解できないであろう私の一番の悩みだった。


 月日は過ぎ、いよいよ私たち一年生に初任務が任された。二人一組になって、簡単な任務をこなすのがその日の課題だった。


 私は当時同級生だった黒澤(くろさわ)綾乃(あやの)とタッグになり、とある住宅街に出現したと言う低級の魔術骸数体を倒すと言う任務に出向いた。


 当時の私はとにかく安心していた。


 私たちの代のなかでもトップクラスの成績だった綾乃とタッグになれたからだ。綾乃の優秀さもさることながら、私もこの日のために日夜訓練を重ねてきた。


 私と綾乃のタッグが挑む初任務はいい形で終わる——と、任務開始時は意気込んでいた。


 その日起こる惨劇を、目の当たりにするまでは。


 同行していた教諭四名全員と、任務を行っていた一年生八名のうち、六名が死亡する前代未聞の事件が勃発した。


 生き残ったのは、当時一年だった私と學の二名だけ。そして、そこで死亡したのはそれだけに留まらず——。



 ***



 「あ、や——」


 任務の最中、私の前を走っていた綾乃の身体が、一息に切り刻まれた。その肉片がドチャっと音を立てて地面に落ちる。


 同時に左目の下の頬あたりに斬り傷が走った。綾乃の後方を走っていた私の制服は鮮血に染まり、思わぬ事態に私はその場で崩れ落ちた。


 (低級の魔術骸しかいないんじゃないの……?こんな、一息に人間を切り刻む低級なんて……いるはずが……)


 「……ないのに」


 次の瞬間、私の目の前に刃が現れた。


 綾乃の突然の死に絶望し、目眩すら起こしていた私にそれを躱すほどの気力も余力もなかった。


 「歩夢っ!!」


 目の前の刃は私の顔面の目の前でギリギリ弾かれた。


 その際に刃に何かが激突したのか、キイイイイイィィィンという金属の高く鈍い音に目を覚ます。


 目の前に立っていたのは、見覚えのある短髪の後ろ姿だ。彼は振り向いて私に言った。


 「逃げろ、歩夢」


 「えっ……」


 廉斗だ。


 廉斗が全身から夥しい量の術水を放出しながらそこに立っていた。手には蒼く燃え盛る火の如きオーラを纏う三叉槍を携えている。


 「今のをあの寸前で弾き返すとは」


 廉斗のものとは違う声が聞こえてきた。


 私と廉斗の前に、どことなく溢れてきた謎の霧が収束し始める。そして人型を象った。


 「切り刻まれた死体が数人分確認できた。追いかけてきて正解だったよ。無欠なる暴虐者」


 「余の二つ名を知っているのか?なるほどな。大層、通な世になったと伺える」


 人型を象ったその霧が一息に離散すると、そこには、全身に漆黒の鎧を纏い、背に翼を携えた男が立っていた。


 「そこの小娘は運が良かった。一息に二人とも殺してやる予定だったのだが、余の刃が少し逸れてしまったのだ。だが、次は逃すつもりはない」


 「お前の事はよく知ってる。無欠なる暴虐者、死棘帝しきょくてい。なんでも、俺ら東阪家と深い因縁があるらしいな」


 「そうか、お前が。東阪の家系——」


 その魔術骸は目を大きく見開き言った。


 「これは余の運も良いことだ」


 私には何のことかさっぱりだった。二人のことを見ていることしかできない私に廉斗は言った。


 「何やってんだ、逃げるんだ」


 私の腕を引っ張り、廉斗は私を強引に立たせた。それを見た魔術骸がニヤリと不敵な笑みを浮かべると、背に携えた翼を広げ始めた。


 「早く行けっ!」


 その場に畏怖していた私は、廉斗のそんな大声に流されてその場を離れた。


 何だろう、友達を急に失ったから?


 私は怖がっているの?


 涙が溢れて溢れて堪らない。

 呼吸が荒い。苦しい。


 もうどれくらい走っただろう?


 私は身体の疲弊に関係なく、呼吸が荒々しく胸が弾けてしまいそうな苦しさに反して、走り続けた。


 余程深い傷なのか、左目下の頬の傷がズキズキと痛む。血が滴り落ちるのが感覚的にわかり、次第に私の身体から力が抜けていった。


 私は走っていた勢いそのままに顔面から地面に転倒する。


 「廉斗……」


 それまで格好悪くて嫌っていた廉斗が、兄が私を助けに来てくれた。


 私には、あの廉斗が、あの一瞬だけ英雄に見えた。あれが、本来あるべき、人々を魔術骸から守る賢術師としての姿なのだと教えられたような気がした。


 「歩夢っ!?」


 私を呼ぶ声が聞こえた。頭を上げて誰かを確認しようとも、首を動かすほどの力も入らない。


 「……れん…と…………」


 私はその場で意識が遠のく感覚に襲われ、その後は考える間も無く自然と意識を手放していた。



 ***



 私が目覚めたのは、その数時間後だった。見覚えのある天井を仰ぎ見ていた身体を起こし、何があったのかと脳内に思考を巡らせる。


 (ここは……治療室?)


 ここが『万』の治療室のベッドの上だと気がついたところで唐突に、目の前で綾乃が切り刻まれた光景が脳内を駆け巡る。


 思い出された途端、気持ち悪くなって吐き気がした。私は無意識に頭を抱え、意図せず呼吸が荒くなる。


 (無力だった……私が、無力だったせいだ……!)


 あの時、あとどれくらいの力があれば綾乃を救えたのだろうか。そんなことばかり考えているうちに自暴自棄になって、自分なんていっそ死んでしまえばいいなどと考えるようになっていった。


 「歩夢」


 そんな時だった。気を失う寸前に聞いた、またもや私を呼ぶ声が聞こえた。


 顔をゆっくりあげると、そこには、治療室の扉を開けたままこちらを見つめる學の姿があった。


 「……みんなは?」


 声が震えていた。


 「……みんなは——」


 やめて、お願い。


 私がわかるのは綾乃が死んでしまったことだけ。


 「俺とお前以外全員——」


 聞きたくない。聞きたくない。


 私は學の言葉に全身の力が抜けてしまった。されど、全身が痙攣と言っていいほど激しく震え、涙も止まらない。感情の整理が追いつかず、私はその場で号泣してしまった。


 かつて、嫌いだった兄に向けた軽蔑の眼差しが、今度は私に刺さっている気がしてならなかった。


 私は無力だった。


 こんな残酷な運命を背負うことも知らず、私は今まで兄を拒絶してきたのだ。


 「……今はまだ——」


 頭を抱えていて顔が見えなかったが、學は震えた声で言葉を発した。


 「——無力さを嘆くべきだ」


 僅かに顔を上げると、學の足元に一粒の雫が落ちるのが見えた。キュッと胸が締め付けられるような感覚、いや、引き裂けそうなほど痛かった。


 「みんな……——」


 そのあとしばらく、私と學は互いに無口のまま、己の無力さを責め立てていた。


 贖罪にも何にもなり得ない単なる無駄な時間を、私たちは呆然と過ごしていたのだ。






力さえあれば、果たして悲劇は起こらなかったのか——

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