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第55話 天地の攻防


 「波瑠明の憶測が運良く全て当たった、今回はそれだけのことよ。波瑠明の憶測だけで計画を実行し、一番危険なシーンに二人を使用した。本当に申し訳ないと思ってる……」


 「いえ、俺ら大きな怪我はなかったので。輪慧が右目を怪我してしまいましたが……」


 「すぐに由美の元へ行って。万が一失明なんてしてしまったら《癒抗印》と言えど完全に治癒できるかわからないから」


 「は、はい」


 流れるほどの出血ではなかったが、とは言え輪慧の右目の辺りは傷だらけだ。念のためと言えば治しておいた方が良いのは間違いない。


 輪慧は渋々といった様子で立ち上がる。

 そして教諭室の扉を開き、出て行った。


 「美乃梨先生」


 一つ気になった俺は、美乃梨先生に聞いた。


 「なに?」


 「なんで、智弘さんが堕雨だと、柊先生は気づいたんですかね……?」


 「それについては、本人に理由を聞いても勘だ勘だって言ってそれ以上は何も言おうとしないのよ。迦流堕先生にも聞いてもらったんだけれど、頑なに口を縫って……全く、変なところ頑固なのよね、あいつ」


 「な、なるほど」


 「魔術骸に、まだ比較的顔の知られていないあなたたちを智弘さんの元へ送り込み、油断して姿を現した堕雨を捕らえるという作戦だった。波瑠明(かれ)の中では、あとは堕雨を捕らえて裁きを下すだけ。そこまで果たして何事もなく済むのか、どうか——」



 ***



 山蓋地区、南側。


 遥か上空を飛翔する黒き巨躯と、それを追う二つの人影。現実に現れた堕雨と、柊と迦流堕である。


 迦流堕が柊に話しかける。


 「ここからどうするんだ?」


 「あいつが現実世界に進出できた理由については憶測でしかないけど、面倒くさい事象なんなら俺の《顕現印》で対応できる。問題なく殺す判断でいいと思うけど、あくまで慎重にかな」


 柊がそう言うと、しばらく溜めてから迦流堕が口を開いた。


 「波瑠明、この場を任せてもいいか?」


 「え?なんかあった?」


 「確認したか?三年二人にそれぞれ一つ重要案件が舞い込んだと連絡があった」


 「え?あぁ、そうなの?全然確認してなかった」


 はぁ、と溜息を吐く迦流堕。

 それに対し柊が言う。


 「それがどうした?」


 「何か、何か嫌な予感がするんだ」


 「三年の二人ならよっぽどのモノじゃない限り大丈夫だと思うけどね」


 柊はしばらく考える。そして口を開いた。


 「わかった。お前のその嫌な予感って奴信じてみるよ。ここは俺に任せて」


 「じゃ、行ってくるわ」


 軽くそう言うと、迦流堕は颯爽と進行方向を変える。連絡で、既に三年二人の任務先は分かっている。その方向へ向かったのだろう。


 「よっしゃ、一人なら好きにやらせてもらうよ」


 柊はさらに速度を上げ、堕雨を追いかける。


 (不可思議極マレリ、コノ男……我ノ速度ニ余裕ナ面ヲシナガラ着イテ来テイル。マサカ、コイツガ、餓吼影ノ言ッテイタ柊波瑠明カ……?)


 一言飛翔していると言えど、その速度は相当なものだ。通常、自身の身体を術水操作によって浮遊させ、さらに移動できるほどの技量を有する熟練の賢術師と言えど、その平均速度は賢術師の全力疾走ほどの速度とされている。


 空を飛翔する堕雨の速度は、そんな賢術師たちの平均速度のおよそ三倍ほどに達し、従ってそれに着いて追う柊波瑠明の移動速度も平均速度の三倍であると分かる。


 柊にとってこの速度は並程度のものでも、初めてそれを目にした堕雨にとっては相当な誤算である。


 (俺の最大速度と同等くらいか……一旦追いつかないと話にならないからな)


 「空想実現『自身の速度が倍になる可能性』」


 術印が柊の身体を包み込み刹那の光を帯びた瞬間、柊の飛行速度が加速する。


 数秒経てば堕雨に追い付き、すぐさまその脚をその手に収めた。


 「——!?」


 「ダイビング、イントゥ、ザ、グラウンド〜」


 柊が自身に付与した術水操作を解除した瞬間、堕雨諸共地面へと真っ逆様——と言うどころか、堕雨が上空へと柊ごと上昇し始めた。


 「流石に体重差は拭いきれないか〜」


 「主ガ柊波瑠明ダナ」


 「知ってるんだ?」


 柊がそう聞くと、堕雨は大きく弧を描いて羽を羽撃(はばた)かせた。さらに上空へと急激に加速する中、柊が《顕現印》を展開する。


 「再チャレンジ、ダイビング〜」


 《顕現印》にて術水の太刀を造り出し、柊はその刀身を仮想実現にて引き伸ばし、堕雨の両翼を根本から断つ。巨躯を上昇させていた両翼が断たれたその瞬間、堕雨の身体はゆるりと落下し始めた。


 「我ト共ニ主モ地面ヘ真っ逆様ダッ!」


 「うーん、それじゃ面白くないんだよね」


 柊はそう言うと、再び自身に術式操作を付与する。


 そして術水の太刀を《顕現印》に仕舞い、両手で堕雨の両脚を鷲掴みにする。そうして、柊は自身の重心を中心にその場で身体を捻った。


 「うわっ、思った以上に重っ!」


 「ナ、ナニヲ……!?」


 「鳥のくせに猿芝居甚だしいなぁ。これがやりたかったんでしょ?」


 自身の倍以上はあるであろう巨躯を、柊はゆるりと振り回し始めた。


 周を重ねるごとにその速度は加速していき、その姿はまるで黒き竜巻のようである。


 「行って——」


 宙で高速回転する堕雨の脚を、柊はパッと離す。


 「——らっしゃい!」


 柊は遠心力を使い、その巨躯を遥か上空から地面へと吹っ飛ばしたのだ。


 両翼を根本から切断された堕雨に空中を舞う力などあろうはずがなく、数秒後には真下の地面へと勢いよく叩き付けられた。


 「この真下が山地でよかったよ」


 堕雨が叩き付けられた地面は、堕雨の体重により深く抉れる。そこから大地が割れ、木々が次々と倒れていった。


 「……クッ……ツ、翼ガ……再生出来ヌ……コレハ……」


 無論、柊の《顕現印》の力だろう。


 「現実世界に出てきてもらっちゃ困るんだよ。お前はここで始末する」


 地面に叩き付けられた堕雨はその巨躯を何とか起こし、上空から降り立つ柊を見据える。


 「己我岐路——」


 堕雨の詠唱。


 同時に堕雨の紅き両眼が光を帯びた。


 「《緋蓮の眼光(フィクス・クリムゾン)》」


 帯びた光が上空へ一線の閃光を撃ち放った。


 「仮想実現」


 瞬時に術水の壁を目の前に展開し眼光の着弾を逃れるも、柊自身の急降下と高速の眼光がぶつかり合う圧力が大きく、早くも術水の壁に無数のヒビが入る。


 「《魂の鎮痕歌(イデア・レクイエム)》」


 紅き眼光を放ち続けながら、堕雨の身体から魔源が溢れ出す。溢れ出した魔源が複数の球体に分裂し、一斉に柊の元へと上昇した。


 「あー、なんか来たな」


 《顕現印》で再び術水の太刀を造り出し、柊は自身に向かってくる複数の球体を切り刻む。その間も目の前の術水の壁は紅き眼光を受け止めている。


 「……ん?」


 (術水の太刀の効果が弱ってる……?あの球体を切ってからか?)


 柊は咄嗟に術水の太刀を《顕現印》の術印に収納すると、それと同時に仮想実現で術水の膜を造り出し、自身を包み込んだ。


 「なるほどね」


 柊を包む術水の膜に堕雨の魔源の球体が着弾すると、その場所の術水効果が消失し、穴が空いた。


 (あの球体は俺らの術水の効果を低下させる効果がある感じか。そっちにほぼ全振りで、殺傷能力はそれほどないと見た。実際、術水の太刀で切った時に手応えがあんまなかったのがおそらくその証だろう)


 「球技はあんま得意じゃないんだけど」


 柊はそう言いながら左手の指をパチンと弾く。それに合わせて、柊の周囲に無数の蒼白い弾丸が生成された。


 柊と地面の距離はおよそ二〇〇メートルほど。


 その距離から、柊は真下の堕雨に向かって一斉に弾丸を撃ち放つ。


 「ギエエエェェェェェェェ!!!」


 雄叫びを上げるのと共に、堕雨の紅き眼光の威力が上がる。だが、次の瞬間には堕雨の巨躯を無数の弾丸が鋭く貫いていた。雨霰の如く降り注ぐ弾丸の群れにを受けながら、堕雨は詠唱を行った。


 ——やがて全ての弾丸が堕雨に降り注いだ後、柊はゆるりと地面に降り立った。


 無数の弾丸の着弾により舞い上がった砂煙が堕雨の姿を眩ましている。


 「……隠れてないで出てこいよ。どーせまだ生きてるんでしょ」


 (そもそもなんで、堕雨が現実(こっち)側に出て来れたのか。堕雨(やつ)の夢にその絡繰があるなら、今ここで堕雨(やつ)を殺したとしても無駄な可能性があるか……)


 「返事くらいしようよ。何よりお前、俺を殺したいでしょ?」


 「ヨク心得テイルヨウダ。柊波瑠明」


 柊の背後から声がしたその瞬間、砂煙から突如飛び出たのは堕雨だ。


 「翼ないのに奇襲なんて上手くいかないって」


 刹那、柊の手に術水の太刀が生成される。


 堕雨が柊に襲い掛かろうとした瞬間、柊は逆手に持った術水の太刀を背後へぶん投げた。ぶん投げた術水の太刀は堕雨の巨躯のど真ん中をぶち抜き、その勢いのまま後方の大木に堕雨を串刺しにする。


 「仮想実現」


 柊が詠唱を行うと、大木に串刺しにされた堕雨の両脚と首に術水の枷が付けられた。


 その場に完全に固定された堕雨の目の前に、五〇には下らないほどの術水の刃が生成される。


 さながら、堕雨をいつでも切り刻める簡易的なギロチン台のようだ。


 「さぁ捕まえた。魔術骸(お前ら)に話聞きたいと思って聞いてみれば、大抵逃しちゃうんだよね。俺って意外におっちょこちょいだからさ」


 少々幼稚な言動とは裏腹に、柊の鋭き視線が堕雨を射抜いていた。


 「クッ……我ヲ殺シタトコロデ、オ前ラニハ何ノ利益モアリハセヌ。殺シタクバ殺スガイイ」


 「あー、やっぱ現実で殺しても意味ないんだ。本体……って言うか、その、魂的なものは夢境に置いてきたの?」


 「答エル義務ハナイ」


 「五感はあるっぽいし、お前がどんだけ俺の拷問に耐えられるか試してみようか」


 現実に進出した堕雨を柊が捕えたその頃——。



 ***



 『万』にとある連絡が一通届いた。


 『報告、重要案件に指定した任務へ向かった『万』所属の三年生二名のうち、一名が行方不明——』






七夢の堕雨が現実世界に……

だが、それをも圧倒した柊の数多の刃が構えられ——

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