第51話 三年生の任務
「——だが、みんなも薄々勘付いていると思うけど、この堕雨の特徴や生態には、不可解な点がいくつもある。託斗、分かるよね?」
話を区切った柊先生が、改めて口を開いた。
「……まず、なぜ堕雨は夢の中と言う曖昧で抽象的な場所にしか存在し得ないのか……」
「そう、まずはそこだよね」
託斗先輩の目を見て柊先生はそう言い、言葉を続ける。
「俺らは、意識がはっきりと覚醒している時に視界に抑え、明確に存在していると認識したものを具体的な現実の事象であると解釈する。その逆で、意識の状態が覚醒していない、いわば寝ている時や気を失っている時にぼんやりと見た気がするものを夢や幻なんて捉え方をする。つまり、夢とはぼんやりとした、見た気がした幻想の一部に過ぎない。そこで疑問なんだよね。そもそも過去の賢術師たちはどうやってそれを調べたんだろう、って」
確かに、堕雨が夢の中だけの骸だと、実際に証明出来ているわけではない。かつての賢術師たちがそう言っているだけの可能性もあると、柊先生は言いたいのだろう。
実際、夢なんて朝起きれば忘れるくらい曖昧なものだ。それを口を揃えて明確に覚えていますだなんて、それほど胡散臭い話はないだろう。
「はい、虹は?なにか疑問点」
柊先生は次に、託斗先輩の隣に座る虹先輩に問う。まるで回答を用意していたかのように、虹先輩は饒舌にその問いに答えた。
「はい。堕雨が生存するために必要な人間の夢についてですが、なぜ夢を見ている本人を殺したのに夢は残り続けるのでしょうか?やはり堕雨の魔術にそう言った部類のものがあると考えるべきでしょうか……」
「そう。そこも捨ておけない疑問点だね」
それまで立って話していた柊先生が、自身の背後の椅子を手で引き腰を下ろす。
「夢を見る人間を主人と言い表してみよう。虹の言う通り、主人が死んでも夢だけ残り続けるのは堕雨の魔術に関連してると見て間違いはないと思う。夢とは主人の脳内での、記憶の整理の際に生じる反芻のことだと解釈した時、主人が死んだことで脳は停止し、同時にその作業も停止すると思わない?」
柊先生が、俺の隣に座る輪慧にそう話を振る。
「お、思います」
「ナイス回答だ輪慧。そうだよね。夢を記憶の反芻だと捉えれば、堕雨の魔術で生き残りますと説明する以外の説明文句は浮かばないね、俺には。これはあくまで夢を明確に定義した時に言えることであって、もちろん別の捉え方だって出来る」
あくまで一説に過ぎないと言うことだろう。
「まだまだ疑問点は多くある。それらをまとめた上で後日もう一回集会を行う予定だ。それでいいですかね?圭代さん」
「えぇ。この場で全て話すにはあまりにも時間がかかり過ぎるでしょうから。後日もう一度開いた時、再度柊先生の方から説明を行います」
圭代先生の言葉に全員が首を縦に振って了承した。
「では次に——」
圭代先生はそこまで言うと、突然胸ポケットから携帯端末を取り出した。画面を見ると、圭代先生はすみません、とだけ言って部屋を退出する。
「仕事の連絡か?まぁ良い良い、続けよう」
久留美先生が何ら問題ないと言った様子で柊先生に続行を促す。
「じゃ、続けます」
柊先生はそう言うと話を続けた。
「実はもう一つ、ここで話しておきたいお話があつてね。本部のことについてだ。みんなも本部の長、虎殿主帝のことは知ってるよね」
本部を総括する虎殿主帝のことは、この学府に入学してすぐに習う。虎殿主帝の偉大さは、皆が理解していることだろう。
「実は、虎殿主帝の寿命が残り僅かである旨の伝達が本部からあった」
「ついに、ですか」
「そうだよ學。悲しいよね」
「絶対思ってないでしょう」
再び椅子を引き、柊先生が立ち上がる。
「本部から預かっている、虎殿主帝からの賢術師界全体への伝達がある」
そう前置きし、柊先生は静かに語り出した。
『日々命を賭して人類を守る気高き賢術師たち。儂の生はもう間も無く潰えることであろう。儂の死後、葬儀は無用じゃ。老耄を弔う暇があるのなら、代わりに一人でも多くの人々を救うのが賢術師たる役目じゃ。儂の後継者として、本部副総括、寿孟公に主帝の座を明け渡すこととする。名ばかりの長は首をすげ替えるべきじゃ。これより始まる新体制に、賢術師諸君、身構えることよ』
虎殿主帝からの伝達を読み終えた柊先生は、円卓の端から全員の表情を流すように見渡した。
「わかったかな?賢術師として、本部の長が最後に言い残した言葉は遵守せねばならない。賢術師として生きるのなら、心得は最後まで全うするだけだよ」
柊先生がそう言うと、歩夢先輩がはぁと溜息をついた。
「寿孟公が主帝になった後の副帝は誰が就任するんですかね?やっぱ琉那になるのかな」
確か虎殿主帝には一人娘がいると言うことを聞いたことがある。
琉那、と言うのは主帝の一人娘の名か。
「主帝は娘さんには帝位を授ける気はないと思うよ」
「やっぱそうですよねぇ……」
歩夢先輩はそう呟くと、机に突っ伏して寝始めた。
「歩夢はすぐそうやって……」
「いいよ〜、みのりん。歩夢は昨日の任務でだいぶ疲れてるだろうし、なんだかんだ快眠じゃなきゃ話はちゃんと耳に入ってるから。俺は全然気にしないし」
「ここだからまだ許されることだけれど……」
「圭代さんと久留美さんも黙認してくれてるわけだし。特段問題ってわけでもないから」
事情は分からないが、とりあえず歩夢先輩のことはわかった。何と言うか……いつも寝てる先輩として認知すればいいのだろうか。
「昔からこうですから、気にしなくてもいいっす」
どこか少しだけ腑に落ちないような表情をする美乃梨先生に、静かに學先輩が言った。學先輩ははなから気にしてないと言った様子だ。
「まぁとりあえず——」
柊先生の言葉と同時に部屋の扉がガチャッと開いた。入って来たのは圭代先生である。
「本部から伝達、本部の定めるところによる重要案件が舞い込みました。三年の派遣を要請するとのことです」
俺らは一斉に三年の先輩二人に視線を向けた。
「はぁ、せっかく今日は休めるって期待してたのに……」
「入っちまったもんは仕方ないだろ、行くぞ」
「りょーかい」
即座に立ち上がり、學先輩と歩夢先輩は柊先生の元へ。
「ちょっと任務行って来ます」
「同じく」
二人に対し、柊先生は軽く言葉を投げかける。
「あぁ、いってらっしゃーい」
とにかく軽いな。
學先輩と歩夢先輩は扉を開けたまま待つ圭代先生の元へ。そして三人は部屋を出て行った。それを見届けた後、柊先生が口を開く。
「昨日歩夢が派遣されたのも重要案件だったよね。昔よりも重要案件の頻度が増えたような気がするけど、まぁあの二人なら大丈夫でしょ」
「それにしても多過ぎる気がしない?昨日今日合わせてここ一週間で七件。一日一回の頻度で起きてるのよ?」
「大丈夫だってぇ、みのりんは心配性なんだよ」
「あんたよりは教え子を大事にしてるもの」
「俺だって負けてない——」
ヒートアップしそうなところで、座りながら久留美先生が大袈裟に咳払いをする。それに気がついた柊先生と美乃梨先生は一旦押し黙った。
「あたかも我々や生徒の前だろうと関係ないと言った様子よの」
「生徒の前では程々にしておけよ、波瑠明」
迦流堕先生から言われると、柊先生は小さく咳払いをする。
「まぁ、兎にも角にも、堕雨を打ち倒さない限り、俺ら賢術師に本当の意味での勝利が訪れることはない。主帝のこともあるけど、主帝の伝達通り、賢術師として一人でも多くの人々を救うのが俺たちでしょ?」
「……そうですよね。俺ら二年は稔の分もあります。あいつに報いないといけません。それから、眞樹の分も。あいつが目を覚した時に報告できるように」
託斗先輩がそう言うと、他の二年の先輩方もみんな頷いた。
「じゃ、今日は解散しようか。二年生たちの覚悟も固まったようだしね」
「覚悟くらい、はなからしてますよ」
「一年生もだよ?堕雨の討伐には駆り出されないかもしれないけど、先輩方の背中見て成長しないとね。おっけい?」
「「はい!」」
俺らは四人揃ってそう返事をする。それを聞いた柊先生はニコッと表情を緩ませた。
慈しみの笑顔、その奥にあるだろう期待に応えなければならない。賢術師としての責任を背負った俺らは、誰が何と言おうともそう言う立場なのだから——。
***
蓮辺地区、とある街の一角。
『一時間前に本部から一次派遣された四名の賢術師が、つい先ほど全滅。その後二次派遣された賢術師四名が応戦中ですが派遣後一六分、既に二名が負傷を負う被害が出ています』
圭代と連絡を取り合いながら現場へと急行するのは、『万』三年、詩宮學と東阪歩夢である。
「本部は寄せ集めの素人集団なんすか……?」
「仕方ない。精鋭と言っても本当に実際の重要案件で生き残れるだけの実力を持つのは精鋭の集まりたる本部の中でも上位数パーセントほどだ。近年の異常現象の影響は絶大だな」
「頼りないOB方だね」
呆れた様子で、あと眠そうにしながら走る歩夢に學が声をかける。
「寝ぼけて俺を殺すのだけはやめてくれよなぁ」
「私を何だと思ってるの、大丈夫よ。信じてよ〜、幼馴染なんだから」
「つい先日寝ぼけてその幼馴染を殺そうとした輩はどこのどいつだよ。お、見えて来たぞ」
二人が会話する間に現場が目の前に迫る。
そこでは、二名の賢術師が二メートル弱ほどの赤い鴉と戦っていた。
「うわ、でっけぇ鴉だな」
「思ったんだけど、なんで重要案件でこの人数しか派遣しないわけ?」
「元々本部が人手不足な上、この連続変死事件で多く死んじまったからなぁ」
『万』への派遣要請から六分後、學と歩夢が現場に到着。一〇時三〇分、重要案件解決任務開始。
次回からようやく、第二章プロローグ以来初の戦闘回になります。頑張って執筆してまいりますので評価やブックマークのほう、ぜひよろしくお願いいたします!