第50話 古の手記より
俺らが招かれたこの部屋は、半円状の長テーブルが二台並び、模る円卓が中央に設置された集会場。
俺ら一年生が集合する頃には、すでに俺ら以外の先輩方、教諭陣は席についており、俺らは急ぎ椅子に腰掛けた。
「呼びに行ったのあんたなんだから、遅刻の責任はあんたにあるからね……」
「集合時間ちょっとだけ間違えちゃったことには目を瞑ってもらえるとありがたいな」
「一切瞑る気はありません」
コソコソと柊先生と美乃梨先生が話すが、俺らはそんなことよりも、目の前を見て萎縮していた。
俺ら一年と対になるよう円卓の反対側に座っている見知らぬ二人の人物だ。眞樹先輩を除く他の二年と横並びに並ぶあの見知らぬ二人が、ついさっき柊先生から聞いていた三年生の先輩だろう。
「とりあえず全員揃いましたね。本日、学長は出張の都合上、こちらの集会には参会しない旨の報告を頂いております。では早速始めましょうか、柊波瑠明先生よろしくお願い致します」
「学長来ないんすか?なんだぁ。まぁ、そんなことは置いておいて——」
そう前置き、柊先生は静かに語り始めた。
***
『我々に終幕した魔術骸の時代が、我々の子孫、遥か未来の同胞たちの時代に再び蘇ることなきよう切に願うばかりだが、我々はこの書記に記すことにした。我々が長い年月をかけて幾千と積み上げた屍の上に掴み取った勝利、その顛末を』
『神は我々を見放した。世界の現状に飽き飽きしたのか神は人間の時代に終止符を下ろしたのだ。その過程で生まれた魔術骸により弾圧された人間は、しかし、魔術骸に対抗しうるとある能力を授けられた。それは神の所業か、はたまた神に敵対する人間の味方なるものが齎した奇跡か——』
『果てしなく長き戦いは幕を開けた。我々の先祖や遥か過去の同胞は、幾千もの骸どもを葬り去った。かの賢術師はこう言い残している。「神が人間を見放すのなら、我々は神に牙を剥かねばならぬ。時に人間はその身を魔という名の烈火で包み込み、それに成り済ますだろう」と。神を絶対的存在たらしめるものは、世界そのものだ。世界という盤上で生きる我々に、神を打倒する力など、あろうはずもない——』
『かの賢術師はこう言い残している。「人間が神に劣る最たる理由、それは運命を味方に出来なかったことだ」と。その通りであろう。運も実力のうちとはよく言ったもので、実際我々は運を味方に出来なかった。運という実力を持っていなかったのだ。人間の誰も彼もが、その力を持っていなかった。運も然り、実力とは曖昧模糊な代物である。人間が持てる力には限界があり、また、曖昧過ぎるものを我が力とすることは出来ない。それほど器用な生き物ではないのだ、我々は——』
『今まで我々が葬ってきた魔術骸の情報を紐解くことで、我々はいつか魔術骸を滅ぼすことが出来ると信じていた。運など、神など味方に出来ずとも、成し遂げられるはずである、と——。我々は手始めに、先日葬ったばかりのとある魔術骸について調査を始めた。かの賢術師、柊征永が遺した情報には、その魔術骸には七夢の堕雨と名を付けたと記されている——』
***
「一旦ここで切るね。『七夢の堕雨』——この魔術骸が、今回の一連の変死事件の元凶だと考えて間違い無いだろう。この書物によれば、七夢の堕雨による大量変死事件は大きな山に分けて二度ほど起きている」
柊は左手の人差し指を立てながら言葉を続ける。
「一度目は、かの賢術師、柊征永が病の果てに死を遂げる二年前。二度目はその五〇年後、柊征永の孫にあたる賢術師、英雄柊國俊が全盛期だったと言われる時代だ」
ゆっくりと歩きながら、柊はなお言葉を続ける。
「英雄柊國俊は任務時、七夢の堕雨の封印に成功したと記録が残っている。その封印は実に五〇〇〇年以上もの間、七夢の堕雨を縛り付けた。しかし近年、その封印は解かれ、解放された奴は三度目の事件を引き起こした——それが一五年前の悲劇、一三名の賢術師と三〇名以上の一般人が死亡した上、元凶と思われる魔術骸を取り逃した最悪の連続変死事件さ」
「それの被害を、眞樹は受けたってわけですね」
柊先生の言葉が終わった後、食い気味に流聖先輩が口を開いた。全員の視線が一点に集まる。流聖先輩の言葉に、俺らは動揺を隠せない。
「え……眞樹先輩が?」
思わず俺は流聖先輩に問う。
「あぁ。昨日の早朝、眞樹が血塗れの状態で見つかった。発見が早くて幸い死にはしなかったが、それでも結構重症だ」
「命に別状はないけど、寝てる自分の身体を引き裂くほどの強い呪いだ。早期解決は必須だよね。これ以上、賢術師側で被害広がっても面倒だし」
柊先生がそう言うと、俺らの反対側の席に座る先輩の一人が口を開いた。
「で、結局その七夢の堕雨ってのはどう言う奴なんすか?」
「お、學、久々に乗り気じゃない?」
「久々にってか、まぁ、後輩やられてちゃ出る時は出ないとダメでしょう」
細くどこか気怠そうな目をしながらどこか気だるげな顔立ちのその男の先輩はそう言った。そして顎を摩りながら、その人は自分の横に並ぶ二年生へ視線を向ける。
三年生、詩宮學先輩。
そしてその隣に座るもう一人の女の先輩。彼女は東阪歩夢先輩。長髪を後頭部の耳より高い位置で一束、耳より低い位置で二束にまとめた髪型が特徴的で、左目の下の頬あたりに何やら大きな傷跡のようなものがある。
柊先生が話している時はよく話を聞いていた學先輩に比べ、とても眠そうにウトウトとしながらやっと起きているような感じだった。
「歩夢〜、ちゃんと話聞いてた?」
「大丈夫ですよ、快眠ではなかったので」
「それなら大丈夫だね」
(なんか、すげぇ特徴的な先輩だな……三年生は)
そんなことを思っていると、圭代先生が食い気味に言った。
「柊先生、話の続きを」
「失礼しました。で、その連続変死事件は、現在調査中のもので四度目。流石にここで、この事件に終止符を打たねばならない。実に五〇〇〇年以上前から続くこの事件の連鎖は、ここで解決しなければ五度目、六度目、七度目と起こり続け、犠牲者を増やし続けるでしょう」
「と言っても、これと言った解決策はあるのか?」
迦流堕先生が率直に問う。
「これが答えだっていう情報は手記にはなかったけど、七夢の堕雨の特徴を捉えて紐解くことで見えてくるかもしれない。七夢の堕雨が存在できるのは、七夢の堕雨……んー、いちいち本名で呼ぶには長すぎるな……堕雨でいいや。堕雨が存在できるのは、堕雨自身と、堕雨の魔術の影響下にある人間の夢の中のみ。現実世界には出てくることは出来ないんだって」
「なるほど、聞くに厄介よの」
久留美先生が顎に手を当てながらそう言う。
「堕雨は自身が現実世界に出られない代わりに、自身の夢境と他者の夢境を繋げて自由に行き来できる能力を得た。堕雨は自身の夢境と他者の夢境を繋げ、他者の夢境に侵入して思うままに悪夢を見せる。それが、今回の変死の正体だよ。寝てる間にも自分の身を毟り殺すほどの恐ろしい悪夢を堕雨に見せられ、夢を見ている現実世界の本人は死にゆく、と手記には書かれていた」
考えるだけで背筋がゾッとした。つまり眠れば次の朝に目覚める以前にすでに死んでいるかもしれないと言うことだ。しかも自分の身体を死ぬまで毟り引き裂いて。
「最近耳にするが、とある黒い鳥を見たやつは地獄のような夢を見ると言う噂、あれとの関連性はあるのか?賢術師界隈でも結構有名な噂だ」
「そのことに関しては手記には書かれてなかった。関連性はあるのかもしれないけど、現時点でどんな関連性があるのかまではわからない。そもそも、そんな噂もどこから湧いて広まったものかすら曖昧で、真実性にも欠ける」
迦流堕先生の質問に柊先生がそう答える。迦流堕先生がなるほどなと首を縦に振ると、直後、訝しげに首を傾げながら學先輩が柊先生に問うた。
「他者の夢境に干渉できるなら、その目的はなんなんすかね?」
「それを今から話すところだよ」
柊先生は《顕現印》を展開する。柊先生の掌から少量の術水が溢れると、それらは[仮想実現]によって綺麗な複数の丸型を象った。
「堕雨の目的は、自身の活動領域を広げることにあると手記には記されていた。細いことまで説明すると、堕雨は自身の生命を維持するために自身の活動領域を広めなければならない。と言うのも……」
柊先生の掌の上にある複数の球にそれぞれ、A〜Dと文字が刻まれる。
「球は人々の夢だと思って。うち、Aの球は堕雨の夢だ。続けるよ」
Aの球は、その隣にあったBの球に引っ付き、やがて融合して一つの大きな丸となった。
「堕雨は夢境の中に溢れる力を自身の生命力の源にしているようで、その力は一定時間が経過すると薄れやがて完全に無くなる。すると堕雨はまた他者の夢境に侵入し、その夢境の主である本体に悪夢を見せて殺すことでその夢境を自身の活動領域とし、新たな力を得ていると考えられる」
柊先生の掌の上のAB球の融合体が、さらに隣のCの球と融合する。
「堕雨は、結論から言えば生に固執しているのではないかと推測してる。それ以外の目的もあると思うけどね。要するに、自身が生きる力を得るために他者の夢境に侵入してその夢境の主を殺し、自身の生きる糧にしてるって話」
ABC球の融合体は、隣のDの球をも飲み込んだ。
「この作業をひたすらに繰り返すことで、堕雨は封印と解放を繰り返しながらも五〇〇〇年以上もの間生き続けられたんだと思う。俺らの先祖たちもこれを倒そうと奔走しただろうね」
柊先生の言葉を皮切りに、全員が考えるように黙り込んだ。先祖の賢術師が倒せず仕舞いに終わった長寿の魔術骸、七夢の堕雨、か——。
大昔から生きている謎の魔術骸、七夢の堕雨とは……?