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第43話 虎殿主帝


 齢九八だが、衰えを知らない御老体が本部には居られる。賢術師本部の総統にして、賢術の学府全体の権威を掌握するのが彼、虎殿主帝(こてんしゅてい)である。


 几帳面にオールバックに整えた白長髪と、整えられた白の顎鬚が天井の光に照らされて輝いているかのようである。


 そんな彼のもとに、一人の客人が訪れた。


 「父上。失礼しても宜しいでしょうか」


 「良い」


 「失礼致します」


 ここは虎殿主帝の(おわ)す主帝の御殿(ごてん)。虎殿主帝の許可を経て部屋の扉を開けたのは、髪を束ね後ろで縛る容姿端麗な一人の女性。


 虎殿主帝の一人娘、笹木(ささき)琉那(るな)である。


 彼女は虎殿主帝の元まで歩き、その場に跪いた。


 「何やら頭が低いの。表を上げよ」


 琉那は下げていた頭を上げ、虎殿主帝に顔を向けた。


 「父上。本日は彼を連れて参りました」


 「ほう、ついに儂の願望が叶う日が来たか」


 虎殿主帝がそうと、部屋の扉をノックする音が聞こえた。そして、低い男性の声がした。


 「失礼致しても宜しいでしょうか」


 「良い」


 扉を開けて失礼します、と言って入って来たのは、狐目で威厳のある高身長の男性である。


 黒スーツで身を包み、毅然とした立ち姿が華麗だ。


 「改めてご挨拶申し上げます、虎殿主帝。崇樹(すうじゅ)栄汰(えいた)と申します」


 琉那の隣まで歩いた後、彼は跪いてから挨拶する。


 「ふむ。娘から聞いた通り、頼り甲斐がありそうじゃて」


 「光栄で御座います」


 栄汰の態度に虎殿主帝は静かに微笑みを浮かべた。


 「崇樹栄汰くん。今日はなぜ呼ばれたかは理解しているかね?」


 「はい。琉那さんから事前に聞いております」


 「それなら良い」


 栄汰の表情が曇り始める。

 それに気にせず虎殿主帝は微笑みを絶やさない。


 「……本当に、宜しいのでしょうか?」


 「何を臆すことがあるのじゃ」


 この場にいる三人の本題。


 それは、虎殿主帝の術印を、彼の娘たる琉那に継承させることだった。虎殿主帝が自ら願い申したことで、琉那と栄汰に断る余地などなかった。


 「儂の願望なのじゃ。どうせ幾月後には途絶えるこの命。娘のために使わなくて、何のために使うのじゃ。琉那が今は望まなくとも、儂の願望と思ってそれを受け入れてくれて、儂は感涙するほど嬉しかった」


 「しかし、虎殿主帝。適術手刻(てきじゅつしゅこく)の危険性はご理解頂けているでしょうか。我々は、その危険性を一番危惧しております」


 白顎鬚を手で摩りながら、虎殿主帝は答えた。


 「充分、理解しておる。適術手刻の対象が老体であるほど滞断(たいだん)の可能性が高いことも承知じゃ。でも、儂はそれをも厭わないことにした」


 適術手刻とは、対象者の身体に刻まれた術印を摘出し、他の者の身体へ移植する手法のこと。そうすることで、移植された者は、移植された術印を使用する事が出来る仕組みだ。


 しかし、もちろん欠点もある。


 一つは虎殿主帝も提言していたが、対象者が老体であるほど、術印を摘出した後の命の危険性が高くなる事。


 術印が摘出された者が、それにより死亡することを滞断と呼ぶ。


 もう一つは、適術手刻によって摘出した術印を移植した者も、適応しなければその術印が使用できないと言うこと。過去に行われた適術手刻の統計から算出するに、適応成功率は全体の三割程とされる。あるいは、両者が血縁関係なら成功率六割と比較的跳ね上がるが、それでも六割である。


 「最も重要なのは、琉那の気持ち。今に万が一、儂の術印の継承を拒むと言うなら、無理強いはしないつもりじゃが、琉那とは明日が最終決断と約束しておる」


 今の琉那の気持ちがどうであれ、約束の明日まで決断を待つと言うことだ。虎殿主帝は、何よりも娘の気持ちを組んでいるのである。


 「虎殿主帝。私は、琉那を救っていただいたご恩を忘れる日はありません。主帝の仰せならば、すぐにでも実行いたしますが——」


 栄汰の言葉に被せるように、虎殿主帝は口を開いた。


 「主は琉那や儂のことをよく考えてくれておる。言わんとしようとすることは分からなくもない。じゃが、この身は年老いて死線の一途を辿り、最後には醜く死にゆくだけの形骸じゃ。そんな儂の願望が叶うと言うのだから、これほど身に余る歓喜はない」


 虎殿主帝の言葉に耳を傾ける二人。それを見て、虎殿主帝も言葉を続ける。


 「儂は琉那を拾ったことを、この一九年の中で一度も後悔したことはない。琉那も、こうしてすくすくと育ってくれた」


 「父上……」


 消えそうな声でそう呟く琉那の目から涙が零れ落ちた。


 「泣くことはない。琉那がどちらの道を選ぶとしても、それが琉那自身の選択なのならば、儂はその選択に敬意を表すつもりじゃ」


 この場を静寂が包み込んだ。


 虎殿主帝の衰えることを知らない力は、その身に宿す術印があっての賜物である。その力が権威となって賢術師全体を掌握していることは、よもや言うまでもない。


 それを適術手刻にて一人娘の琉那に継承させる、それが虎殿主帝の願望である。その裏には様々な想いや背景があるものの、この場にいる当事者三名以外に、それを知る由はない。


 「栄汰くん。適術手刻の段取りは済んでいるかね」


 「はい。仰せとあらばいつでも実行可能で御座います」


 ふむ、と虎殿主帝は頷いた。


 「寿命には逆らえん。この世界で儂は充分やって来た。あとは寿孟副帝に主帝の座を譲り、この力は娘に託して退場するのが役目じゃ。最期のな」


 虎殿主帝は天井を仰ぎ見ながら静かに言った。


 「主帝……」


 噛み締めて苦言の様に呈した栄汰の表情に浮かぶのは、何とも表現し難い悲しみ。あるいは哀れみともとれた。



 ***



 御殿の外。


 「琉那さん。主帝はあの様に仰っておられます。あとは琉那さんがよくお考えの上、またご連絡をお願いしたいと存じます」


 「はい……」


 俯きながら頷くと、琉那は後ろで束ねていた髪を解き、束ねるために使っていた髪紐を自分の掌の上にそっと乗せた。


 「父上には、何とお礼をしたら良いのか分からなくて。父上の術印を受け継ぐことだけが、果たして本当に父上への恩返しになるのか、と考えて……」 


 彼女の掌の上に乗る髪紐は、陽の光に照らされて淡く輝いていた。碧の光を纏うそれを、琉那は握り締める。


 「琉那さん。主帝は、何よりあなたを愛し、大切に思っていらっしゃる。主帝のお気持ちに応えるのなら、琉那さん自身が選択しなければなりません。それが主帝への、せめてもの恩返しだと私は思います」


 「栄汰さん……」


 琉那の表情に、先ほどまでは感じなかった覚悟が宿った。


 「……この髪紐は、まだ私が幼い頃に父上がくれた大切な髪紐なんです。怖くなったら、この髪紐を握るといい、そうして父上を思い出して、乗り越えてゆくのだ、と。きっと、今こそ乗り越える時なんだと思うから——」


 再び、琉那は握り締めていた髪紐で髪を束ねた。丁寧に整えたのち、栄汰と顔を見合わせる。琉那の表情にはほんのりと微笑みが浮かんでいた。


 「先ほどよりも、いい表情をされております」


 「ありがとうございます。行きましょう」


 御殿の扉の前に立って脚並を揃え、二人は揃えて一礼する。その後御殿を背にした後、ゆるりと歩を進め、二人はその場を後にした。

 

 


 


虎殿主帝の退位が迫り——

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