第40話 二度目の対峙
「私を欺くには余りにくだらない。家族愛だのなんだのと。拍子抜けだったよ、江東稔」
餓吼影が突如撃ち放った銃弾は、稔先輩の胸部を撃ち抜いた。稔先輩が糸の切れた人形のように瓦礫の上にバタリと倒れ込む。
俺は真っ先に稔先輩の元へと駆け寄った。
「餓吼影!!よくも……!!」
「おっと、待て」
構わず圭代先生が術印を正面に描く。
「《次元印》——」
「待てと言っただろう。動いてみろ、次は日野遥希を撃つ」
圭代先生が苦渋な表情のまま、されど術印使用を停止する。餓吼影が銃口を俺に向けていた。
銃口から放たれる銃弾が俺に到達するのと、圭代先生が術式を遠くにいる餓吼影に届かせるのがどちらが早いかはなど明らかだ。
圭代先生は稔先輩と、稔先輩に駆け寄る俺の前に立つよう位置取る。そして餓吼影への怒気を露わにするような視線で射抜く。
「賢明だ」
餓吼影の表情は凍り付いたような冷徹のそれで、いつ圭代先生や俺を撃つか分からない。
俺は息も絶え絶えの稔先輩の名を呼ぶ。
「稔先輩……!!」
「……はぁ…………る、き………」
稔先輩が辛うじて目を開いた。
しかし、その瞳は光を失い、濁るばかりだ。必死に稔先輩の胸部に穿いた穴を両手で押さえつけるも、出血は止まらない。指と指の間から稔先輩の血が溢れ出し、見るほどますます稔先輩の顔色が悪くなっていく。
「しゃ、喋んなくてもいいですから!なにか、治療を……《癒抗印》は……眞樹先輩は……!?圭代先生!!」
「……眞樹くんは……」
圭代先生は一瞬押し黙ったが、すぐに言葉を続けた。
「状況を伝えるために間も無く『万』へと帰してしまいました……」
圭代先生が震えるほど両手を強く握る。
「……け、携帯での連絡という手段は……?」
俺が聞くと、圭代先生が唇を噛み締めた。
「……建物が健在なら、微力ですが電波が通っていましたし、連絡も出来たはず。しかし建物が崩壊したことにより、ここら一帯は電波の通らなくなった孤立区域と化してしまった——」
随時状況の伝達は必要だ。圭代先生の判断は決して間違えていたとは言えない。
ただ、それが最悪な結果に偶然繋がってしまっただけと言えば、その通りなのかもしれない。
つまり、ここには今、《癒抗印》を使える賢術師が存在しない。
「……た…………」
絞り出したような声が聞こえた。圭代先生へ向けていた視線を、稔先輩へ向ける。
「稔先輩!頑張って……くださいよ!!」
「た………のん………だ……よ」
稔先輩の声は潰えた。
俺は必死に稔先輩に呼びかける。その後、応答は一切返ってこなかった。無意識に涙が俺の頬をスーッと流れ落ちた。
「……稔先輩っ!!!」
稔先輩の手を握っても、まだそこには温もりが残っているのに。俺が押さえつけていた胸部から溢れていた血は勢いを失い、その後止まった。
「起きてくださいよっ!!稔先輩っ!!」
ただ虚しく響く俺の声は闇夜に消えてゆく。
「……稔先輩っ……!」
「少し、遅かったな」
俺の稔先輩を呼ぶ声と重なるように、餓吼影が喋り出した。
だが、俺は稔先輩から目を離せず、座りながらただただ硬直しているのだった。
***
「少し、遅かったな」
「遅い?何言ってんだ」
柊波瑠明が発電所跡に到着したのは、江東稔が撃ち抜かれてから二分後。状況を把握した柊が重力に身を任せ降下する。
同時に《顕現印》を展開した。
「仮想実現」
術水が凝固した蒼白い箱が餓吼影を包み込んだ。柊の創り出した、四角形の術水の檻である。
餓吼影は、俄然余裕そうな表情を浮かべている。
「まぁ、間に合うかは君次第だがな」
餓吼影のそんな小声は術水の壁に阻まれ、柊たちには聞こえない。柊が稔の元へ駆け寄った。
「柊先生……」
「空想実現」
心配そうに見つめる遥希を横目に、柊は術印を展開した。
「圭代さん」
「分かりました」
柊が圭代の名を呼ぶと、それだけで何かを悟ったように、圭代も《次元印》を展開した。そして、詠唱する。
「《次元印》四式」
圭代の足元から透明な領域が広がり、柊を包み込んだ。圭代に特性のある別次元強制的に創り出す術式、[無限次元]だ。
「柊先生……?」
「……ダメか」
柊が引き続き術式を使用した。
「圭代さん。みんなを賢学に転送してもらうことは出来ますか?」
「大丈夫です。問題はありません」
「稔は俺の空想実現じゃ治せません。仮想実現で一時的に稔の身体に対して、今の身体の状態が一秒おきにループする可能性を実現するまでが限界です」
「実質的な状態保存というわけですか。急ぎ、由美の元へ連れて行けば——」
覚悟を決めたような真顔で、柊は稔を抱き上げる。それを圭代に引き渡した。
「それでも蘇生の可能性はゼロに等しいでしょう。でも、やってみないと」
柊の空想実現による術水で、圭代に抱きかかえられた稔は、柊の説明した、今の状態を一秒おきにループする実質的な保存の状態となった。
即座に圭代が[次元転々]を使用する。
「日野」
「……えっ?」
[次元転々]の発動直前、柊が背を向けながら日野の名を呼んだ。
「よく頑張った」
[次元転々]が発動し、柊の背からその他の者の姿が消えた。
それを少し振り向いて横目で確認した後、柊は己の術水の箱に包まれた餓吼影と対峙する。
その顔に浮かぶは怒りか、はたまた——。
「遅いと思うがね。せいぜい足掻くことだ」
「二回目だね、対面するのは。弾禍の銃腕」
柊が呼ぶと、術水の檻の中で餓吼影が反応した。
「よく知っているな、その肩書きを。だが、その肩書きは捨てた」
餓吼影は持っていた長銃の銃口を指で撫でながら視線を下げ、空虚を見つめる。
「よもやその肩書きは、かの大戦の時点でとうに捨てている。憎き根を張る忌まわしき過去と共に」
「かの大戦の時って、そん時の賢術師たちも大変だったね。お前みたいなのを相手にして。いっそ、今のうちに殺してしまおうか」
柊が言うと、餓吼影はさも事実を述べるように返答した。
「今の私では、おそらく柊の者には勝てない」
「そう認めてんじゃん。その癖に喧嘩売ったんだ」
柊が右手を開いて突き出す。
「稔を撃った時、お前、自分の魔術をフルに使ったろ。確実に稔を殺すために、確実に蘇生出来ないように。お前の魔術の大概は掴めてるからな」
柊が突き出した右手をゆっくりと閉じ始める。それと連動するように、餓吼影を囲っていた術水の箱が収縮を始めた。
なおも、餓吼影は薄ら笑いを絶やすことは無い。
「私の魔術の大概か。確かに、可能性に干渉する術印使用を可能とする君になら解き明かせるかもしれない。と言っても、私は既に、魔術の開示はしているがな。先ほどの者たちには」
「可能性を撃ち抜く長銃を使う魔術——その真髄は、起こる可能性の強制破棄が可能なこと、だろ?俺と同じく、可能性に干渉する術だ」
術水の箱がやがて餓吼影の体躯ほどに圧縮される。それに対し、餓吼影は長銃を突き出した。
引き金に指をかけ、一発銃弾を撃ち放つ。
「へぇ」
餓吼影の撃ち放った、たった一発の銃弾が柊の創り出した術水の箱をいとも容易く破壊した。バリイィィィンと硝子が割れるような音を立てて、その箱は欠片となって崩れ落ちる。
「やるじゃん」
「あまり驕るなよ」
(へぇ、今の箱も結構硬く創ったけどな。それをたった一発で破壊するなんて、想像以上とは言わないけどなかなかな代物だな、長銃は。ここで本気で殺りあっても負ける気はしないけど、俺も五体満足とは行かないかな。賢明な判断をするなら、ここでもまだ争わない方がいいか……?)
「喧嘩を売ったのはこちらだ。殺り合いたいのなら仕方がない、相手をしてやろう。正直まだ勝てる気はしないが、こちらも本気で殺ってやる」
(勝てる気がしないってのはブラフか?なんでそこまで自信満々なんだよ……。でも、ここで下手に挑発に乗るのはいい判断じゃない。それに、俺の目的はほかにもある)
「稔を殺したお前には、ぶっ殺してやりたいほど腹が立ってるし、今すぐにでも捻り潰してやりたいところだけど、俺もそこまで馬鹿じゃないから」
「衝動を抑えられる忌み子はやはり伊達なモノではなかったな。私も生憎、やりたいことがあるのでね。教え子の安否も気になるだろう」
(忌み子の衝動のことまで知ってるのか)
「稔は死んだと思ってる癖にそんなこと言うなよ。挑発に聞こえて尚更腹が立つ」
「失敬だったな」
柊は後頭部を掻きながら訝しげな顔をする。
「俺がなんとかしたいのは、産女の方」
「レベルの高い魔術骸を産む産女は、君ら賢術師にとっては脅威だろう。と言っても、君や先ほどの《次元印》の使い手にとっては、それでも低いレベルだろうが」
「さっきのおじいちゃん骸だって、圭代さんに負けてたよ。あの魔術骸、結構手練れでしょ?」
僅かに目を見開き、餓吼影が言う。
「御目が高いな。確かに寒廻獄は産女から生まれた骸の中でも上位の骸だ。だが、寒廻獄に手こずるようでは、この先は厳しいだろう」
柊が産女に歩み寄った。
「御忠告感謝するよ。でも、産女さえいなければ、お前たちはこれ以上骸を産み出せない、そうだな?」
柊の言葉に、しかし餓吼影は押し黙った。
「答える気はないってことね」
柊がそうぼやいた直後、ポケットの中の携帯端末が振動した。
「取ればいい。通話中は待っていてやろう」
「お気遣いに感謝するよ」
柊は携帯端末を取る。連絡は、数分前に賢学へ帰った圭代からのものであった。
「どうでしたか?」
『——稔くんは、《癒抗印》の影響を一切受けなかった』
「そっか……やっぱり」
通話を通じ、圭代が柊に伝える。
『えぇ。完全に死にました——』
圭代から告げられるは、教え子の死。柊の心中は——